18 太陽が西から昇る世界
少しして、アクイラの治療が終わった。まだ状態が安定しないためテントには入らないようにと言われたが、スカーレットたちは何とか医者を説得し、看護師の代わりにアクイラを見るということで、一人だけテントに入ることを許された。
わかっていたことだが、テントに入ったスカーレットは息をのんだ。薄暗い中、くすんだ銀色の髪の男が横たわっている。毛布を掛けられているが、左腕があるべきところはふくらみがない。自分と同じく、ひじから下を切断したのだ。また隠れていて見えないが、腹の傷にも処置が施されたらしい。顔は血の気がないが、いまは皺も寄せられず安らかに寝息を立てている。
「大丈夫とは思いますが、もし目を覚まさなかったら、わかりません。呼吸に気を付けてください」
スカーレットは医者の言葉を思い出した。今は、大丈夫だと信じて待つことしかできない。防具を取り外し、一人用の小さなテントの端に置く。それから備えてあるタオルをバケツの水に浸して、すす汚れたアクイラの顔をそっと拭いた。
あたりが暗くなり、夜になった。外では誰かの歩く音や話し声が聞こえる。嘆いたり、喜んだり、様々な声。だがもう緊張はなかった。誰からも話し合いの結末は聞いていないが、外の話し声を聞く限りレシウスの若い王は武勲の魅力に取りつかれた父親とは違い聞き分けのよい男だったようで、和解したらしい。だがスカーレットにとってそんなことはどうでもよかった。だれかが心配してテントを覗いたり、夕食のパンと葡萄酒をそっと置いておいてくれてもスカーレットは手を付けなかった。単に気が付かなかっただけかもしれないし、食べたくなかったからかもしれない。スカーレットはずっと不安に見舞われながら夜を明かした。
もし、アクイラが死んでしまったらどうするのだろうか。今やこの男が傍らにいないことはおかしな気もちになる。以前考えたように、それぞれの村に戻り、一緒にいることがかなわないとしてもアクイラとの友情は生涯続くはずなのに。
時々手紙を送って、元気かどうか確かめる。それから時には王都に向かって、一緒に酒を飲んだり、将軍やレインドに挨拶をする。それから、いつかアクイラが結婚する時には――。
本当に、それでいいのだろうか。
スカーレットは不意に疑問に思った。アクイラの隣に、誰か女性が立っている姿は想像に難いし、生涯続くのは本当に「友情」でも良いのだろうか。
よくわからないが、それでも一つはっきりとわかることがある。アクイラがいない世界は、きっと味気ないだろうということだ。それはまるで、太陽が西から昇るように。太陽がどこから上ろうが、誰も困らない。だがもし、ある日突然そんなことになったら。誰も太陽の昇る方向が変わったことに気が付かず、スカーレットだけがその事実を知っていたら、きっとひどくおかしな気もちになるだろう。
そんなのは嫌だ。先刻まで思い描いていた帰還後は一気に暗くなってしまう。手紙を送ることもできないし、王都を訪ねてもアクイラはいない。代わりに、あいつはいい男だったとレインドや将軍を交えて思い出話に浸るなど、そんなのは嫌だ。
「ねぇ、はやく起きなさいよ」
やがて、太陽は東から昇り、朝が来た。まだ軍はここにとどまるらしい。外では帰還の準備をしたり、昨晩に続き男たちが勝利の宴を行った。グラディアは細かい平和協定を結んだり、外国軍への令状などの重要な仕事をプレハの将軍と行うためにしばらく忙しそうだ。帰還が始まるまでに、目が覚めれば良いが……。
アクイラは時々うめいた。そろそろ痛み止めが薄れてきたらし。錠剤の薬を飲ませるには意識を戻さなくてはならない。だからスカーレットはさすってやることで少しでも痛みを和らげてやることしか出来なかった。どうにも、できることが少なすぎる。
太陽が頭上に上り、誰かが手の付けられていない、固くなった大麦パンを新しいものと取り換えた。
西日が影を伸ばし、世界を茜色に染めた。今は痛みが引いているのか、アクイラは穏やかな表情だ。スカーレットはそろそろ座りっぱなしで体がつらくなってきた。ふらつきながら立ち上がり、腕を伸ばすと筋が音を立てる。少し姿勢を変えようか、とアクイラの左側から右側に座り直す。
「あ……」
相変わらず、外されない銀の腕輪。その手を握って、スカーレットはまた待った。あたりが暗くなり始めて、二度目の夜がやってきた。そろそろスカーレットは船をこぎ始めた。当たり前だ。戦った後、飲まず食わずで一睡もせず一日半同じ姿勢だったのだから。かくんと首が落ち、そのたびスカーレットはかぶりを振る。
その時、気のせいだろうか。一瞬握ったアクイラの指が動いた気がした。自分かかぶりを振ったからそう感じただけで、気のせいかもしれない。スカーレットはアクイラを覗き込んだ。
ぴくり。
今度こそはっきりと動いた指に、スカーレットは飛び上がりかけながら手を握り返した。
「アクイラ!」
久々に出す声はかすれている。アクイラの眉間にしわが寄せられた。
「アクイラったら!」
「うぅっ……」
なにか、起こす手立てはないのか。スカーレットは必死に考えた挙句、叫んだ。
「アクイラ聞いて! あなたがこんなところで寝ているから私襲われたのよ!」
「――!?」
瞼が開いた。色素の薄い瞳が不思議そうにあたりを見回し、そして隣にいるスカーレットにたどり着いた。
「すかー、れっと……? なんだか、いまよからぬことを聞いた気がしたが……おい、なぜ泣くんだ、なにかあったのか」
急に怒りの表情を浮かべて、アクイラが起き上がろうとするものだからスカーレットはあふれ出てきた涙も引っ込んで、慌てて胸をおして抑える。もしかして、けがのことを忘れたのではないか。
「おい、誰だお前を泣かせるのは! 片腕になったと言えど容赦はせんぞ」
どうやら、覚えてはいるようだ。そうとわかればスカーレットはもう泣きじゃくりながら「あなたのせいじゃないバカ!」と叫んだ。安心したら、急に空腹やらのどの渇きを思い出して、スカーレットはテントの端に置かれた食事を引き寄せた。
「ほら、起こすから痛み止めを飲むのよ。あなた寝てる間「ああ、痛いたすけてお母さん」とずっと言っていたのよ」
「なん、だと……!? そ、それは本当なのか!」
「う、嘘よ、嘘だから暴れないで! 起こすわよ」
腹を刺されていることを気遣い、アクイラの頭の下に膝を入れてわずかに起き上がらせてから葡萄酒を飲ませ、錠剤をのませる。その間に、アクイラは少し落ち着いてきた。改めて自分の怪我を見回して、それから疲れ切った様子のスカーレットをしげしげと眺めた。
「何日、たったんだ」
「あれから一晩開けて、今は二晩目よ」
「君はちゃんと休んだのか」
「あなたが生きるか死ぬかって時にそんなことしてらんないわ」
そう答えると、アクイラは非常に申し訳なさそうな顔になった。アクイラがそんな顔をするのは筋違いだとスカーレットは思う。もとはといえば、自分があの時無茶したせいなのだし。レインドはお前は悪くないと言ってくれたが、あの場で注目を集めては敵兵がおびえるのはわかる話だ。もう少し慎重になればよかった。でも、あの行動が間違っていたとは思わない。
「アクイラ、私を助けてくれてありがとう」
「ごめんと言われたら、突き飛ばすところだった」
「え……」
「冗談さ。俺こそ君に感謝すべきだ。あの時君がああしていなければ、きっとうまくいかなかった」
「……ええ、そうかもしれないわ」
差し出された左手を、スカーレットは手に取った。するとアクイラはその手を握り返し、重傷者とは思えない力でぐいっと引いた。スカーレットは思わず前に倒れこむ。が、まさか負傷した腹に乗るわけにもいかずすんでのところで耐えた。
「あ、危ないじゃない!」
「いいんだぞそのまま倒れてくれても」
「駄目よ腹刺されたくせになに言ってるの!」
「いいから、今は静かに、な?」
スカーレットの手を放し、アクイラの左腕は彼女の頭にそっと乗った。アクイラが弱々しい声でなので、スカーレットは静かに従い、横たわるアクイラの胸に顔を寄せた。アクイラの鼓動は、通常よりも早かった。スカーレットは驚いて目線を上げる。
「もう一眠りしようじゃないか。俺はまだ寝たりないし、君だって限界だろう」
アクイラはごまかすようにそう言った。何度か頭をなでられていると、スカーレットも睡魔に襲われた。アクイラが目を覚まして、もう大丈夫だという安心感がそれを増す。つきっぱなしのランプを消そうと少しアクイラの上からのくと、アクイラは片腕でスカーレットの体を捕まえて自分の脇の下にその体を収めてしまった。
まぁ、もういいか。スカーレットはアクイラの体に身を寄せて、そっと目を閉じた。
「なぁ、スカーレット。愛している」
ええ、私もよ。
それが言葉になって出ていったかどうか、ほとんど意識のないスカーレットにはもうわからなかった。
数刻ののち、いい加減スカーレットとアクイラが心配になったレインドとグラディアは仕事を終わらせてテントを覗きにやってきた。そっと垂れ幕を開くとスカーレットが倒れているのが目に入り二人は柄にもなく慌てた。だが先に気が付いたグラディアが人差し指を唇に当ててレインドに静かにするよう促した。
片腕の男に、片腕の女がよりそって、ようやく得た休息に静かな寝息を立てている。レインドはそっとランプの灯を消し、グラディアは毛布を引き上げてやってからテントを後にした。まさか二人仲良く眠っているところを誰かが見ていたなど、スカーレットもアクイラも知らないのであった。
やっと




