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片腕の英雄  作者: ラニスタ
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17 放たれた矢

 何が起こったのか、わからなかった。今見えているのは、ブラッドの足元だ。ただでさえ安定感のない鞍の上に立っているのに、何かに引っ張られて、なんとか鞍に座って何かにしがみついたものの、ブラッドがいななきを上げて前足を上げるものだからスカーレットには訳が分からなかった。「何か」ばかりの状況で、だれがどうなったのかまるで分らない。


「アクイラ!!」


 誰かが叫んだ。それとほぼ同時に「騒ぐな! 二人の思いを無駄にするやつは味方だろうが俺が叩っ斬るぞ!」と声が上がる。ブラッドが前足をおろし、スカーレットはようやく顔を上げることが叶った。目の前には、いつものようにアクイラがいる。何をそんなに騒いでいるのだろう。引っ張られたと思ったのは、自分が足を滑らせただけではないか。だとすれば、何をそんなに……?


「アクイラ……?」

「すかー、れっと……」


 ところが、聞こえてきたのはあまりに消えかかりそうな声だった。


「アクイラ!? ど、どういう、こと……っこれ!」


 スカーレットの目に飛び込んだのは、アクイラの左腕に深々と刺さった太い矢だった。とめどなく血が流れ出し、鞍を汚していく。矢はひどい刺さり方をしていた。肘の裏から斜めに刺さり手のひらまで貫通している。さらに、腹にもまっすぐ矢が刺さっていた。


「あ、アクイラ……アクイラ……!」

「っ、俺は、いいから」


 アクイラはあまりの痛みに顔をゆがめ、不規則に呼吸をしながら出せる限り、声を裏返しながらも叫んだ。


「将軍! 俺はかまいません、早く、早く……!」

「……っ誰か、アクイラを頼む!」


 グラディアは後ろに呼びかけた。それから唖然としているバルコニーの上のエルファシウスを見上げた。


「レシウス王、私は大事な部下を傷つけられ、怒っている。だがここであなたと戦うことは、その部下の意志に反しているだろう。どうか、私と国をまとめるものとして、協和の話し合いに応じてほしい。まずは、混乱している兵士の武器を下ろさせ、降りてきていただけぬか。無論私たちも武器を下ろそう」


スカーレットはほとんどその言葉を聞いていなかった。またレインドが駆け寄ってきてアクイラの状態を確認するのにも全く手伝うことができず、呆然とするしかなかった。

アクイラが、死んでしまう。


「スカーレット、お前がしっかりしなくちゃならんぞ!」


 レインドがガシっとスカーレットの肩をつかむ。スカーレットは我に返り、ブラッドを飛び下りた。


「隊長、先に撤退させてください」

「わかっている。さぁ、乗れ」


 レインドがアクイラの体を支えて少し後ろに移動させ、スカーレットがその前にまたがった。外したベルトはどこかに落としてしまったらしい。仕方ないのでアクイラの右腕をスカーレットの腹に回す。兵士たちは何も言っていないのに、自然とブラッドへ道を空けた。次いでレインドは自身のマントを引き裂き、胸の下でアクイラの腹をきつく縛った。アクイラがうめく。その処置を見て、スカーレットは肘から下はもうだめかもしれないのだと悟った。


「隊長、」

「スカーレット、お前さんはよくやってくれた。だが向こうの兵士が、こちらが隊列を組みなおす様子を見て、お前さんがなにか志気の上がるようなことを叫んだのではないかと不安になったらしく、弓を構えたんだ。それにいち早く気付いたアクイラがお前さんを引きずり降ろした。だが矢はスカーレット、お前さんを狙っていたわけじゃねぇ。だが手が滑って、矢を放っちまったんだ。それがたまたま手を伸ばしたアクイラにあたり、もう一人が便乗して腹に撃ちいれた」

「そんな……」

「いいか、お前さんは悪くないんだ。他の奴らがどんなふうに説明しようが俺の言ったことが真実だ。さぁ、これで止血は済んだぞ。負傷兵を置いてきた場所に戻るんだ、全力疾走でな!」


 レインドがブラッドの尻を叩き、次の瞬間黒馬は走り出していた。ブラッドは今までにないほどの勢いで一気に城下を走り、城門を抜けた。最後に休憩をとったと場所まではこの勢いなら10分程度で着くはずだ。そこに負傷兵と救護班がいる。だが今はその10分が命取りだ。

 アクイラは力なくスカーレットに寄りかかり、苦しそうな吐息がスカーレットの首にかかる。腹に回された腕はだんだん力が抜けていく。スカーレットは前かがみになり、手綱から手を放しアクイラの手をつかんだ。今やスカーレットは膝を締めてブラッドにまたがっている状態だった。ブラッドは賢いから、きっと救護班のもとへ二人を送り届けるだろう。


「アクイラ、アクイラ手に力を入れて! 意識を手放さないで!」


 おそらく「すまない」と言っているのだろう。耳元でごうごうと風が鳴る上に、アクイラが憔悴しているせいで首にかかる息でしかそれがわからない。このままアクイラが死んだら、どうするのだろう。これまでは想像に難かったことが、今では容易い。背中で小さくなっていく命に、スカーレットは泣きじゃくった。


「お願い、お願いだから! 死んじゃダメよ!」

「っはは、ようやく、泣いたな」

「え?」

「初めて見た、君が、起きているうちに泣いているところ……俺のために流してくれるなら、すこし、うれしい気も、するよ」


 その言葉は、スカーレットの耳には届かなかったが、アクイラはなんとか力の入らない腕でスカーレットの腹に縋り付いた。

 アイクイラは死ねないと思った。今自分が死んだら、スカーレットは人知れず泣くのだろう。それは嫌だ。

 半日駆け続けたかと思うくらい、その10分はつらくてもどかしかった。だんだん空が曇ってきて、遠くから雨のにおいが漂ってくる。振り返ると、ネイティ山脈にかかる雨雲が一瞬光った。たったそれだけなのに、この世の終わりでもやってきたような気持になる。

 その時、ようやく地平線に救護班のテントが見え始めた。スカーレットは頭を振って涙を振り払い、アクイラの手を握りなおした。

 ブラッドがあまりにすごい勢いでかけてくるので、その激しい足音に気が付いた救護班がテントから飛び出してきた。彼らはスカーレットとアクイラを見ると、すぐにアクイラを引き下ろした。すでにアクイラの意識はほとんど消えかかっていた。


「アクイラ、アクイラしっかりして!」

「セルゼウス殿はこちらで引き受けます、どうかお休みになられてください」


 白いひげをたくわえた老医師が、アクイラが連れていかれたテントに叫ぶスカーレットをそっと止めた。それはスカーレットを気遣う風を見せながら、テントには入るなという警告を含んでいた。


「っでも」

「見ないほうがあなたのためです」


 老医師はスカーレットの右腕に視線を向けながら言った。もう、アクイラの腕はだめなのだということがそれでわかった。


「できれば、少し離れていてください」

「……いいえ、私はそこにいます。終わったら、呼んでください」


 老医師はしばらくスカーレットを見ていたが、泣き腫らしながらも強い意志を持つ瞳を見て、あきらめたようにテントに引き返していった。アクイラの苦しみから目をそむけたくはなかった。

 スカーレットは近くの荷馬車にそっと腰を下ろした。ブラッドがとぼとぼと、彼に似つかわしくない様子でついてきて、鼻づらを寄せた。

スカーレットは荷馬車から降りて、地面に座りなおした。黒馬はひどい顔の主人に寄り添った。


「ありがとう、ブラッド。疲れたわよね」


ブラッドは当然何も言わないが、そのほうがかえって良かった。看護師がテントから顔を出してあたりに人がいないのを確認する。これから手術が始まるようだ。スカーレットも負傷したことがあるから知っているが、薬草や酒を使っての麻酔は、正直あてにならない。痛みで意識を失ってしまうのを待つしかないし、起きた後の痛みも尋常ではない。

やがて、テントの中からは絶叫が聞こえてきた。スカーレットはビクリと肩を跳ねさせて、ぎゅっと目を閉じた。普段のアクイラからは想像もつかない、痛みを訴える叫び声。おそらく彼自身意識はないが、その口からは耐え切れずに叫びが漏れ出る。


もしスカーレットが思った通りアクイラに残された処置が切断でしかなかったとすれば、その痛みはすさまじいはずだ。なんども叫びが聞こえ、そのたびにスカーレットは肩を震わせた。だが、決してその場を動こうとはしなかった。

 どのくらい経ったかわからない。けれど城にいた部隊がちらほらと戻り始めたころ、アクイラの叫び声は聞こえなくなった。


「スカーレットさん!」


 その部隊の中から、聞きなれた少年の声が聞こえ、スカーレットは涙をぬぐって顔を上げた。


「フェネック……ウィリアム、クーリフも……」

「アクイラさんは……!」


 そろそろ手術がおわるわ。その言葉は、声に出なかった。口を開けた瞬間すべて嗚咽に変わってしまい、スカーレットは何も言えなかったのだ。フェネックとウィリアムは困ったように肩を持ってみたり何か言おうとしてみたりしたが、初めて見るスカーレットの涙にどうしていいかわからないようだった。ヴァズとマークが死んだときあんなにしかりつけたくせに、いざアクイラが死にそうになるとこんな風に泣くことしかできないなんて、スカーレットは情けない気持ちになった。クーリフが少年たちを制してスカーレットの前に座り込む。


「アクイラは、大丈夫そうか」


 わからないけれど、大丈夫であってほしくて何度も頷く。クーリフは年長者らしく「そうかそうか、よーく頑張った。お前は立派だったよ」と声をかけて腕を広げた。

 いつもならば、冗談はやめてよねと笑ってしまうところなのに、スカーレットは幼い子供が父親にすがるようにクーリフに抱き付いた。ブラッドが不機嫌そうにぶるるっと鼻を鳴らすが、クーリフは苦笑いして何度もスカーレットの背中を励ますように叩いた。


「あーあ、俺は後でアクイラに絞殺されっちまうな。お前たち、告げ口すんなよ」

「……アクイラさんが目を覚ましたら、まっさきに教えてやろ」

「っな! お前ってやつぁフェネック……!」

「フェネックだってスカーレットさんに抱き付いて泣いたくせに」

「なっ、お前見てたのかよウィル! 趣味わっりぃー」


 少年たちと年長者の元気付けようとする会話に、スカーレットは少しだけ気持ちが楽になった気がした。


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