12 共にあること
クラシデスの長城を占領する戦いは見事レディガ、プレハ連合軍の勝利に終わった。犠牲者も少なく済み、彼らは長城の日かげで数日間休むことを許された。また要塞の中では火をたくことが許された。兵士たちは森で鹿肉を手に入れ、体を温めることができた。そしてこの火はレシウスへの警告にもなった。長城が占領されたことで、普段はめったに火の灯らない要塞は夜な夜な燃え続けた。
だがまだ安全とは言えなかった。海側の要塞にはレシウスの兵士が潜んでいるはずだ。グラディアは軍の半分を率いてその要塞も落とすことに決めた。レシウスが海の要塞へ軍を送ったとしても、今日の戦いで占領した要塞から向かうほうがはるかに近いのだ。手早く済ませれば増援の可能性はない。そして海側の要塞まで占領した後で、二つの軍は同時に南下、レシウスの国城一つに狙いを定めて討つ計画だ。
スカーレットはレインドからその説明を受けていた。
「半分はどういった基準で選ぶのですか」
「基本的には軍団兵士を中心に元気なやつを連れていくつもりだが――だがこっちに残しておく兵士を虚弱にしておくわけにもいかんからな。だいたい均等というところだ」
スカーレットは頷いた。レインドはおおざっぱにしか言わなかったが、スカーレットのその頷きには戦う覚悟も示されていた。
「アクイラも行くのでしょう?」
「ああ、奴には第9軍団の小隊長としてやってもらうつもりさ」
グラディアは言ってから、スカーレットの覚悟を見てとったように言った。
「一応10軍団あるうち6から10を連れていく予定だからな。ただどうしても要塞に行く元気のない兵士には別の軍団に移動してもらうことになってる」
「なら私も行きましょう。私はまだ戦えますし、たまには私がアクイラに付き合ってあげなくては」
レインドは笑った。
「そりゃあ良い。なんだかなぁ、さっきアクイラに会ったんだがどうにも冴えない表情をしていやがったんだ。だがお前さんがついているなら安心だ」
スカーレットはあいまいに笑い返した。今の自分が冴えない顔をしたアクイラを元気つけられるわけがないと分かっていたからだ。レインドはそんなスカーレットの考えに気づくはずもなく仕事を片付けるために行ってしまった。スカーレットはレインドが角を曲がって見えなくなったところで深くため息をついた。
「スカーレットさん」
スカーレットが自分の荷物をまとめておいた城壁の一角へ戻ると少年たちが串に刺した肉を何本かもってスカーレットを待っていた。
「俺たちの分ですよ!ほら冷めないうちにたべましょ」
「あ、今クーリフさんがお酒もらいに行ってくれました」
当然ながらそこにアクイラはいない。スカーレットは肉を受け取りクーリフの帰りを待ちながらアクイラに思いをはせていた。彼はこの久々の肉と酒をちゃんともらっているのだろうか。軍団の兵士としての勤務に夢中になってもらいそびれていないだろうか。
今も、冴えない顔をしているのだろうか……。
「クーリフさんおっそいなぁ」
マークのボヤキにスカーレットの思考は現実に戻された。皆はあたりを見回してクーリフを探した。そろそろ戻ってもよさそうだが。と、そこへ両手に酒瓶を持ったクーリフが手を上げながら帰ってきた。
「クーリフさん遅かったですね。おっさんだからですかね」
「おいおいそりゃあねぇだろフェネック。この青二才が!」
「おっさんー」
「青二才―」
二人は何度もそう繰り返しお互いを冗談半分に罵りながら肉と酒を交換した。酒瓶は三本なので、皆で飲みまわすことになった。火であぶったシカ肉は堅かった。少年たちは口の周りを汚しながら子供のように肉を食いちぎった。
「隻物亭の肉が食べたいわ。だってこれすごく堅いもの」
「贅沢言うなって」
「これ食べ終わる頃には歯が抜けて、私の口の中はおばあちゃんみたいになっちゃいそう」
そんな大げさな、と皆が笑った。どこからか歌声が聞こえてきた。あれはたぶん、城下を目指して旅をした夜ともに酒をかわした男たちが歌ってくれたのと同じ歌だ。アクイラの故郷の歌だった。
「スカーレットよ、お前さんなんだか暗い顔してんな」
クーリフがわずかに視線を上げてぼそりと言った。おそらくその声はスカーレットにしか聞こえていないだろう。
「……この歌の産地出身の男が私にお礼を言われる前に姿を消したから、お礼くらい言わせてくれればって思って。でもそんな風に思う自分が身勝手な気がして、なにかしら。これって罪悪感? わからないわ。形容しにくい感情ね」
他人からすればわかりにくい話だが、クーリフにはスカーレットの言いたいことが分かったようだ。酒を一口あおってスカーレットに酒瓶を回した。
「今度会った時に言ってやれば良いさ」
「意図しない限りはなかなか会えないことも」
「少なくとも次の戦闘の時には会えるさ。この前はありがとう、今度もよろしくと言ってやれ。あの男は必ず約束は守る。そんなことはお前さんが一番よく知っているはずだよ」
スカーレットは小さくうなずいた。
「まったくお前さんは、俺のサイコロ計画も通じないくらいだから救いようがないよ」
「あ……ああ、ごめんなさいその節は」
スカーレットはいまだポケットの中にあるサイコロを思い出し、申し訳なさそうにうなだれた。
「もっと単純に、素直になればいいのに」
クーリフのつぶやきは、スカーレットには聞こえなかった。
しばらくすると日が落ちてきた。少年たちは壁沿いに並んでおしゃべりをし、クーリフはその隣でマントをかぶっていびきをかいている。だがやがて夜も更けると少年たちは並んで眠りについた。スカーレットも明日に備えて眠ろうとした。だがいつになっても眠くならなかった。自分以外のほとんどが眠りにつくと、スカーレットは奇妙な気分になった。
要塞の中で踊る炎の周りに眠る兵士たちは、眠っているよりも息絶えているように見えた。フクロウの鳴き声がする。風にざわめく葉の音がする。そのざわめきが、今日の戦乱を思い出させた。スカーレットは激しく頭をふって立ち上がった。
歩こう。そうすれば眠気を思い出すかもしれない。あるいは誰か、まだ起きている人がいるかもしれない。
風の冷たさに身震いしながらスカーレットは歩き出した。兵士たちは壁沿いに並んで眠っていた。まずはこの光景を消したいと思ったスカーレットは壁に空いた穴をくぐり、レディガ側から人気の少ないレシウス側に移った。壁を潜り抜けただけで敵地だというのはおかしな感じがする。皆もそう思っているだろうが、どうせ眠るなら自国側を選ぶ者ばかりなので、レシウス側はほとんど人がいなかった。これで死体の幻想は消えた。
この後はどうしようか。フクロウの鳴き声と気のざわめきだけはスカーレットにはどうしようもない。やはり歩いて眠気が襲うのをまとう。動いていれば多少は無心でいられる。
暗闇の中、無人の壁沿いの道を行く隻腕の女。月光がその影を作り出した。しばらく進んだところで、スカーレットは人の気配を感じた。さっと振り向くがそこには壁が続くだけだ。だが壁に寄り添って立つ木の後ろが怪しげだ。
「誰だ」
スカーレットの声は壁に反響した。
「誰かいるのはわかっている。何か用か」
まさか敵兵か――その心配は、木陰から兵士たちが姿を現したことで拭われた。彼らのマントはレディガで指定されたマントの色だった。スカーレットは小さく息を吐いた。
「人のことを言えた義理ではないけれど、このような時間に眠っていなくても大丈夫?」
「まったく人のことを言えた義理ではないな、隻腕」
その声はあまり良い響きを含んではいなかった。スカーレットは嫌な感じがして腰に手をあてた。しかしスカーレットは絶望した。無い。いつも腰に差している剣がこんな時に限ってないのだ。戦中に丸腰で歩くなど、あってはならないことなのに。
「お前さんは俺を覚えてはいないだろう」
兵士は歩み寄ってきた。月光に照らされて、その人数は三人であることが分かった。またその表情は凶悪そうだ。なにかよからぬことを考えている連中と同じ目をしている。
どうかそれが勘違いであれば良いと思いながら、スカーレットはわずかに後ずさった。
「ごめんなさい。暗くてよく見えないの」
「いいや、明るくともわからんだろうね。俺たちは大勢いる男のなかのたった三人だ。だがあんたは従軍したほんの少しの女のなかの一人だ。しかも鎧を着て従軍しているのはおそらくお前さんだけだ。俺たちはお前を間違えるはずがない」
「……それで、結局何か用でも? 何もないなら私はそろそろ戻るけれど」
「おいおい待ってくれよ」
男はわざとらしくいい、スカーレットを止めるように身振りで示した。
「急ぐことはないさ、なにせ夜は長い」
「――お前たち、本当に何者だ」
「レディガの兵士さ。あんときの大広間では世話になったな、女中の件で」
そこでスカーレットはようやくこの男を思い出した。たしかにこの男は、国城の大広間で女中を困らせていた兵士だ。
「たまたま出歩くあんたを見かけてなぁ。ちょうどいからあんときの仮ってことで付き合ってもらおうとおもったんだ」
「あいにくだがその件ならば終わった話だ」
「つれねぇこというなよ」
スカーレットはじりじりと追い詰められた。どこまで行けば壁の穴があるかはわからないが、とりあえずなんとかして反対側に戻らなくてはならない。だが、スカーレットを待っていたのは、壁に寄り添う大木だった。スカーレットは完全に囲まれていた。無意識に左の薬指に触れる。アクイラが護身用だと村の税金で買った指輪は、この男達には通用しないだろう。また助けてくれる人も近くにはいない。
声を上げようか。誰かに聞こえるはずだ。だがまだ緊張感の残る戦場の跡地でそんなことをすれば皆いっせいに飛び起きて武器を片手に向かってくるだろう。だが事を荒立てたくはない。なんとか回避しなくては――スカーレットは深呼吸をした。二人の男が両脇からスカーレットの肩をつかんで下品な笑みを浮かべた。必ず隙はある。機会を待つのだ。スカーレットは今すぐにでも暴れ出したいのをこらえて両肩を男たちにつかませたままでいた。
「戦争ってのは、最後に生き残ったほうが勝つだろう? これもおんなじさ隻腕。お前は口では正義を語りながら、結局は力でかなうことはねぇんだ。おとなしくしておくのが身のためだ」
男はぐっと顔を寄せた。酒臭い。スカーレットは顔をしかめ、さらに寄ってくる男の鼻先に噛みつきかかった。男はひょいと顔を退けてバカにしたように笑った。
「おいおい噛みつくとは、下品な女じゃねぇか! ちょっと女らしくおとなしくしてもらうか、な!」
スカーレットの右頬に衝撃が走った。スカーレットは頭を垂れた。男がこぶしで殴りつけてきたのだ。口の中で血の味がする。今日の戦いではほとんど無傷だったのに、こんな形で怪我をすることになるとは。スカーレットはぎりりと奥歯をかみしめた。
男はすっかりスカーレットをおとなしくさせたと思っているようで上機嫌だ。このまま足を振り上げて急所を打つしかない。スカーレットはそれを実行しようとした。だがその直前に、今度はみぞおちに蹴りを食らった。鈍い痛みに小さく悲鳴をあげ、スカーレットは木を背に倒れ込んだ。
「丸腰の女がやろうとすることなんざ手に取るようにわかるさ! バカにしやがって」
すぐに起き上がろうにも、一度離された肩は地面に抑え込まれ、男がスカーレットに馬乗りになった。言いようのない恐怖に襲われたが、スカーレットはそれを相手に悟らせぬよう、睨み付けるしかなかった。
男はそんなスカーレットの睨みに含まれる焦りを感じ取っていた。広間で女中を救った時の余裕を含む表情がこうも変わるのかと楽しんですらいる。スカーレットはそんなことに気が付くこともなく睨み続けた。
男がスカーレットの襟元に手をかけた。スカーレットはとうとう睨み付けることをやめた。だめだ。もっと早く叫んでおけばよかった。だがこのような有様を軍の男たちに見せることはスカーレットのプライドが許さない。叫ぶには手遅れだ。
現実から目をそむけるように暗い森に顔を向けた。体が震えないように無心になろうとして、森の奥の奥までじっと目を凝らした。スカーレットの胸当てが草むらに投げ込まれる。
――その時、スカーレットは森の中に光を見た。気のせいだろうか。だが自然の中には存在しない、月光に反射するものが森の中にあるのだ。今度こそ敵襲か。それとも見回りをしている味方の兵か。どちらにせよ、スカーレットにはその青白い光が唯一の者を連想させた。
勘違いかもしれないし、敵かもしれない。あるいは顔も知らぬような見方かもしれない……だがスカーレットは考える前に叫んでいた。
「アクイラ!」
まさかここにきてスカーレットが叫ぶとは思わなかったのだろう、男たちはあからさまに驚いてスカーレットの口をふさいだ。
「スカーレット……!?」
驚くことに返答があった。声は木々の隙間からかろうじてスカーレットの耳に届く。それを聞いた瞬間スカーレットはあばれだした。口をふさぐ男の手に噛みつけば男はなさけない悲鳴を上げて手を離した。
「アクイラ! 助け――っ」
言い終わる前に焦った男がスカーレットを殴った。だが森からは馬の走る音が響いてくる。どうやら伝わったらしい。そしてスカーレットが歓喜あまって抵抗を再開すると、腹が軽くなり、男のうめき声が聞こえた。スカーレットは腕を引かれて起き上がった。
顔を上げると、そこにいたのはやはりアクイラだった。
「お、お前はレインド隊長のところの……!」
「そうだ、俺を知っていたか愚か者めが! 俺は確かにレインド隊長の部下、アクイラ・セルゼウスだ。だが今の俺はレインド隊長の部下である以上の大役を担っているぞ」
その大役が何であるか、アクイラは口にしなかったがスカーレットには何のことだかすぐに分かった。アクイラの右腕で銀色の腕輪が輝いた。
「お前の犯した罪は俺の中では何よりも重いぞ」
アクイラは怒りのこもった目を三人の男に向けた。その声は背筋が凍りつくほどの不気味さを含んでいる。彼はスカーレットの前に立ちはだかった。
「俺がお前たちに手を出す前にさっさと自陣へ戻れ! そしてもう二度とスカーレットの目の前に現れないことだ!」
先刻までの下品な笑みはどこへ行ったのだろう。男たちは恐怖で顔をひきつらせながら、何度も草に足を取られ走り去っていった。アクイラは男たちが見えなくなるまでにらみ続けていた。だが男たちが完全に消えると、ものすごい勢いで振り向いた。
この一瞬のうちに、アクイラの表情は怒りから労りへ変わっていた。
「スカーレット! 大丈夫だったか!」
スカーレットは何度もうなずいて見せたが、アクイラは顔をしかめた。
「まさか、話せなくなったのか!?」
「違うわよ。口の中が切れて痛いの」
辺りが暗いせいで、アクイラはスカーレットの紫色の頬には気が付かなかったようだ。アクイラはそっと頬に手を伸ばし、あざの周りの親指で撫でた。
「――すまない。俺が付いていれば」
「あなたが謝るのは筋近いよ。私が種をまいてしまったんだもの。助けてくれてありがとう」
スカーレットが言い切るか、言い切らないかのうちに、アクイラは静かにスカーレットを抱きしめた。スカーレットは仰天したが、その暖かな腕のぬくもりに安堵し、そっと額をその胸に当てた。
「すまない」
アクイラは繰り返した。スカーレットは額を当てたまま首を横に振ることでそれを否定する。しばらくの間、あたりは風と木と、フレンダーのやわらかなひづめの音だけがしていた。
気が済んだのか、アクイラはそっとスカーレットを離した。
「君に聞きたいことがあるんだ」
「え?」
「前戦争で君の命を拾い上げてしまったことを、まだ恨んでいるか?」
あまりに唐突な質問だったせいでスカーレットは答えるまでに時間を要した。だが答えは考えるまでもない。
「恨んでないわよ。もしかして前に当たっちゃった時のこと、根に持ってる?」
「いいや――ただ確認しただけだ。そして違うというのならば、俺はなんの躊躇もなく決められる」
アクイラはまっすぐにスカーレットを見た。
「やはり俺は、君についていることにする。なぜ君が距離を置こうと言ったのかはわからないが、こんなことがあった以上一人にしておきたくはない。よって君が何をどう言おうが俺は君に付きまとってやる! いいな?」
「で、でも」
「俺は馬鹿な男だから、こうすることでしか君を守れないんだ……」
アクイラは、前髪に手を当てながらつぶやくようにいった。その姿は、先刻男たちを追い払った逞しいものとは真逆で、むしろ白い月光の中に消えてしまいそうにさえ見えた。スカーレットは、もう一度アクイラの胸に額を寄せた。
「君が何を恐れているのか、俺には分からんが……共に有るうちは俺が守るから、右側に立つことを許してくれないか」
おかしなもの言いだと思った。これは本来ならばスカーレットが頼むべきことだ。傍にいて私を守って、と言えば、おそらくアクイラはそうしてくれるだろう。それなのにアクイラは、傍にいることに許しを乞うたのだ。もはやスカーレットの中にはこの数日の罪悪感しかなかった。勝手に彼の迷惑だと決めつけ、失う恐怖に流されて一番大切なことを忘れていた。なんだか精神的に参ってしまったスカーレットは、アクイラの迷惑になるだとか、ひねくれた思考には至らなかった。
「大事なことを忘れてたわ。そうよね、一緒に居るうちは……」
恐怖で忘れてしまっていた。フェネックとの楽しい思い出を。だが今、スカーレットは思う。彼を失ったことはあまりに苦痛だったが、もしもフェネックと親友同士になることなく、互いが知らない場所で戦っていたらと考えると、そのほうがずっと苦しいのだ。
「ごめんね、アクイラ。その銀の腕輪を、これからも外さないでいてほしい」
アクイラは頷いて、わざとらしく敬礼して見せた。二人は立ち上がり壁沿いに歩き出す。
壁に移された二つの影は、ぴたりと寄り添って平行に進んでいった。
お決まりのパターンですよねはいすみません




