10 3の目のサイコロ
クラシデスの長城は繰り返すようだが北のレディガ、プレハ両国と南のレシウス国の国境線上に築かれた大陸一の長城である。その歴史は古く、はじめて長城が築かれたのは今から200年以上前にさかのぼる。
その頃のレシウス国は膨大な領土を失い縮小している真最中だった。というのも、それまでレシウス国の一部だったプレハが独立を成し遂げたからである。
プレハとはそもそもプレノス教からきている国名だ。彼らは唯一神プレノスを信仰していた。だがレシウスの王はプレノス教を迫害し、結果プレノス教信者たちはレディガ国の中でも未開拓地であった北においやられた。ちなみにこのプレノス教は大陸の中では常に迫害されており、スカーレットの育った孤児院も、もともとはそのプレノス教信者たちの隠れ家だった。もっとも、200年後の現在は当時の宗教ブームも収まり、ディルトス大陸は宗教色の薄い大陸となっているが。
未開拓地に追いやられたプレノス信者たちはその北部地域を「プレハ国」と名付け国を建てた。彼らの多くは商業で暮らしていたためそれなりの富は蓄えていた。彼らはその富で北部を開拓した。驚くことにそこには多くの資源が眠り、彼らは港を作り大陸初の海外貿易を成し遂げた。彼らはさらにその資金を、もともとレシウス国とレディガ国の間にあった壁の続きを築くことに用いた。その壁は当時からさらに100年遡る頃、レシウス国の遊牧民の侵入を防ごうとレディガ国が築いた低い壁だったのだが、プレハの人々の努力でその壁は大陸最長の長城になったのである。そしてもっとも海上貿易で栄えた時代の王クラシデス王が長城を完成させその名を付けたのだった。
スカーレットたちは今そのクラシデスの長城を起点にレシウスを攻略しようと進軍をしているのである。クラシデスの長城はレシウス国に奪われてからあまり兵力は置かれていない。今もその状態が続いている。レシウス国はプレハ国を手に入れるためレディガ国に協力を求めたことは2国の秘密だと思っている。ゆえにそのことをプレハ国に悟らせないためにもプレハ国を攻略するために重要となる要塞にもまだ兵を配置していないのだ。とはいってもそれはレシウス国がそのつもり、と言うだけでありレディガ国はとっくにプレハ国に状況を話しているが。
「だからお前ら緊張すんなってー! 余裕余裕! こんなのは腕馴らしにすぎねぇよ!」
がっはっは、と大声で笑うのはクーリフである。
レディガの一行はようやく長城の付近まで南下していた。ここまでアクイラの言ったようにおよそ半月の時間がかかった。進軍の経過は良好といえる。
彼らは長城前の最後の森の中で休息をもらっていた。明後日にはプレハの軍が長城前に到着する。それまでは体を休めておけというグラディアの指令だった。火も焚けない、うかつに動けない。そんな状態にブラッドはイライラしているようだが疲れ切った兵士たちは喜んで静かに待機していた。
スカーレットは大声で笑い続けるクーリフを小突いた。眠そうな兵士たちが迷惑そうに彼を見ていたからだ。クーリフは「ああ、すまんな」と言いながらもまだ顔は笑っていた。クーリフは明後日の戦いを恐れている少年たちを励まそうとしているところだったが、少年たちにはクーリフの元気な様子がむしろ不安を煽るようだった。スカーレットはそれを遠目に見てくすくす笑っていた。基本的にスカーレットは日が昇っているうちは元気なのだ。ただ夜になるとどうにもいろいろなことを怖がってしまうところがある。それも最近は隣にいてくれるアクイラのおかげであまり感じてはいなかったが。
「しかし、いつだってやはり楽しくありたいものじゃないか」
「そうかしら。もっと軍団兵士を見習いなさい。彼らはもうちょっと静かにやってるわ」
「あー、そいつは残念だ。なぜなら俺は野良犬だからな、訓練された猟犬と比べられちゃたまらん。さらに俺は雑種で奴らは正当な血を引く猟犬だからな」
クーリフは頭の上で両手をひらひらさせていった。
「血筋はあんまり関係ないわよ。軍団には農民出の人も貴族出の人もいるもの。まぁ、両者がうまくやっているかはわからないけれど……。ねぇ、アクイラ。実際のところはどうなの?」
スカーレットは笑いながら横を向いた。だがそこには誰もいないのでスカーレットはただ驚いた。考えてみればアクイラのいるような気配などなかったのに、そんなことも忘れてこの場にいない人物に声をかけたことは衝撃的だった。そしてそれは少し前までよくあったことだった。
――ねぇ、フェネック。……あれ? もうなんでそっちにいるのよ! 私が一人でしゃべっているみたいで恥ずかしいじゃない!
フェネックの存在はスカーレットの中ではあまりに当たり前の存在だった。孤児院にいても、戦場にいても、必ず隣にいてくれた。むしろ隣にいないことのほうが変な感じがして、スカーレットは時折こうして隣にフェネックがいなくても話しかけそうになることがあった。
隣に人がいるような気がして声をかけて羞恥することは誰にでもあることだ。だがスカーレットにとってそれはあまりに深刻な問題だった。アクイラを当たり前の存在だと思った。だから自分は居ないアクイラに声をかけたのだ。
つまりアクイラはフェネック同様に、もしかするとそれ以上に信頼できる人間になったということではないか。いや、まだ再会して半月程度の付き合いのアクイラが幼馴染同様の信頼を受けることがあるだろうか。もしないとしても、スカーレットはアクイラに対していつでもそばにいると言う安心感を持っていることになる。
スカーレットはあの徴兵された晩、アクイラに感じた奇妙さを思い出した。なんて馬鹿なのだろうか。あの時すでに、自分はアクイラを信用しきっていたのだ。
「どうしたスカーレット、なんだか顔色が悪いじゃないか」
クーリフに呼ばれ、スカーレットははっと顔を上げた。いつの間に呼吸がはやくなっていた。背中を冷たい汗が伝っていく。なんとなく気分も悪いような気がする。
そして次の瞬間、フェネックが血だまりに膝をつく様子がありありと思い出された。
「おい、大丈夫なのか」
いよいよ心配になったクーリフがスカーレットに駆け寄った。少年たちも急いでそのあとに続いた。
「ああ……私……私ったら馬鹿だわ」
スカーレットは声を震わせて言った。視界がぼやけてきて、あわてて手の甲でぬぐった。わすれようと目を閉じれば何度でも浮かんでくるフェネックの死にざま。目を開けていても友人たちの不安そうな顔がスカーレットを不安にさせた。
「フェネックが……」
「なんだよスカーレットさん、俺ここにいるじゃないか」
「違うのよ、ごめんなさい……ちがうの」
自分でも何を言っているのかよくわからなかった。心臓が体中に血液を押し出す音がどんどん早くなっていく。
「お前さん、震えている」
「え……?」
クーリフの取ったスカーレットの手は冷たく、震えていた。マークが焦ったように立ち上がって言った。
「お、俺アクイラさんを呼んで――」
「ダメ! 待ってアクイラは呼ばないで!」
スカーレットは半ば叫ぶようにして言いながらマークのマントを引いた。それからなんとか自分で呼吸を整えて上目に彼らを見た。
「ご、ごめんなさい。よくないことに気がついちゃっただけなの」
スカーレットは苦笑いを浮かべた。もしかしたら苦しさのあまり「笑い」と呼べるような顔になっていないのかもしれなかったが、訳が分からず必死になっている少年たちにはそういうしかなかったのだ。
「……お前さんは少しばかり疲れているんだ。ちょっと休んだほうがよさそうだ。どうだ、おじさんが膝を貸してやるぞ」
「……遠慮するわ。それに眠りたくない」
クーリフは片眉を吊り上げた。それから少年たちに目で「あっちにいってろ」と合図してスカーレットの隣に腰かけた。少年たちは顔を見合わせ、クーリフの指示に従い姿を消した。
「俺たちはともに半月進軍してきた。だがそれは人生の中じゃほんの少しの時間に過ぎない。そんな俺にだからこそ、何か話せることはないか?」
「話してどうこうなることじゃ……ただ、よく考えたら初めからよくわかるはずだった。私はある大事なものをなくしたわ。あまりにつらい経験だった。それをわかっていたくせに、また大事なものを作ってしまったんだと気が付いた」
「それがまたお前さんからなくなっちまうとは限らんだろう」
「でもなくすかもしれないじゃない」
スカーレットは半ばふてくされたようにそういった。
「お前さんはどうやら剣闘士やら傭兵やらには向いていないようだ。俺たち傭兵はな、いつ何を失うかわからねぇ生活をいつも送ってる。だからなるべく大事なもんは作らないことにしてる。けどだからこそ何が大事で、なにがどうでも良いことなのかすぐにわかる。時には――なくした後で気が付くことだって少なくはないが」
クーリフはいかにも年長者らしくそういった。
「徴兵されたとき、私は一番の地獄を知っていて、失うものが何もないなら戦えばいいと思ったの。それなのに、いつの間にか」
「アクイラは強い男だ。そう簡単に命を落とすとはおもえんがな」
「……私がいつアクイラっていったの」
スカーレットはクーリフに一瞥をくれた。
「言ってないさ。だが話で分かる。お前さんたちはこの半月ずっと一緒にいたじゃないか。今は俺ですらお前さんが一人で座っていることが奇妙な感じがする。あの男は何とかしてお前さんを救おうといつも必死だ。お前さんが少しでも悪目立ちするならすぐに大目玉を食らうのもそのせいだな」
「アクイラは将軍や隊長から言われた通り、私を支えようと必死だわ。こんなことになるなら、最初からアクイラが現れなきゃよかった。そうすれば私はやっぱり何も失うことがないし、彼の面倒事だって減っただろうに」
目をとじたスカーレットにクーリフは何とも言い難い目を向けた。スカーレットは何でもややこしく考えがちなのだ。この問題はアクイラが任務をグラディアやレインドから受けたかどうかなどまったく関係していないのに、スカーレットはまるで気が付いていない様子だ。
「お前さんは罪な女ってやつだな」
「何よ急に」
「わからんでもないけどなぁ、ただの友達がそれ以上になった時ってのは恐ろしいもんだ。まぁ良い。こういう問題は楽観的になることが大事だ。今から俺とかけをしようか。ああ、金は要らない。かけるものはお前さんの「気持ち」あるいは「思考」だ」
スカーレットは怪訝そうに目を開けた。クーリフはベルトに括り付けてある古い革袋から3つのサイコロを取り出した。それは軽く黄ばんでいて、角は丸みを帯びていた。クーリフはそれを手の中で弄びながら言った。
「俺が今からこいつをお前さんの手に落とす。3つとも3の目が出たらお前さんはアクイラが絶対に消えたりしないって思い込むんだ。いいか」
「3回とも同じ数字が出るわけないじゃない。いいわよ、乗ってあげる」
スカーレットは左手を差し出した。クーリフは一つ目のサイコロを手の中に落とした。
「どうだ」
「……3だわ。でもまだ一つ目よ」
「じゃあ2つ目だ」
二つ目のサイコロがスカーレットの手の中に落とされた。それもまた3の目だった。いくらなんでも次はないわ、というスカーレットに3つめのサイコロが落とされた。
「どうよ」
「……全部3だわ!」
スカーレットは驚いていった。クーリフはいたずらが成功した子供のように小さく笑った。
「そら、3がでたぞ!そんならお前さんは自分に念じるんだ。あいつが死ぬことがあるわけないと。そうじゃないとお前さんのほうが先に命を落しちまいそうだ。そして俺たちはお前さんの「ただの戦友」で居続けてやると誓うよ」
そのサイコロはお前さんにやろう、と言ってクーリフはスカーレットの手を握らせた。スカーレットは握った手をまじまじと見つめた。
そうよね、そんな簡単には死なないわ。
思い直して、開いた手の中でサイコロを転がした。
「……ってどの面も3じゃない!」
クーリフさんが好き(二回目)




