1 彼女
大学一年生の時に、中学3~高校1の時書いた作品をリメイク。沈没。
1 彼女
両腕で剣をふるうと、真紅の花びらが風に舞うように死者たちが地に伏した。目に見えぬ血の煙に鼻をもがれそうになりながら顔を上げる。そこに立っていた彼女は、逆光ゆえに黒いシルエットとなって目に映る。脚が屍に埋もれながらも、彼女はその一つに混ざることなく立ち続けた。枯れ木に止まっていた鷹は、その彼女を金色の瞳で見つめた。
片腕の英雄
「いらっしゃい」
酒と汗のにおいがむっと立ち込める店内は、さすが祭りの日だと言ってもよいほど人で溢れかえっていた。今日は年に数回の祭の日で、他国から旅をしてきた者たちもこの酒場で疲れをいやしているようだ。その酒場の前に、いま一人の女性が立っている。
彼女の名はスカーレット。燃えるような緋色の髪を背まで伸ばし、髪と同色のブローチで飾られた青いドレスを身にまとう彼女は酒場の雰囲気にはふさわしくないように見えるが、その右腕の裾は肘から先が風に吹かれゆらゆらとゆれている。それは彼女が軍人だったことを示すものだ。
スカーレットは大きく息を吸い込み、ふぅっと吐き出してから店に足を踏み入れた。入ってすぐの所に座っていた見慣れない男が顎ひげを撫でつけながらスカーレットを見た。
「おっとお嬢ちゃん、ここはお嬢ちゃんみたいなお高いドレスを着た人が来る場所じゃねぇんだ」
男はスカーレットを思って忠告したのか、面白がってそう言ったのかわからないが、それを聞いた周りの男達はどっと噴き出した。男達の笑い声はスカーレットに向けられたものではない。顎ひげを撫でていた男に向けられたものだった。
「なぁ旅人の兵士よ、彼女にそんな口をきいたらいけねぇ」
「はぁ?なんだってんだ」
「彼女の右腕をよく見てみろ」
顎鬚の男は自分が笑われてしまったことが腑に落ちない様子でスカーレットの右腕に視線を走らせ、あっと声を上げた。彼の目に、風に揺れる右腕の裾が映ったのだ。
「あんた……隻腕か」
「そうとも、彼女こそさっき俺たちが話していた前戦争の英雄スカーレット様だぜ」
「ちょっとみんなして、そういう風に言うのはやめてちょうだい」
いい具合に酔った仲間たちはまた笑ってスカーレットのために少しずつ詰めて席を空けてくれた。顎髭の男は申し訳なさそうに苦笑いした。
「さっきのことは気にしないわ。英雄と言ってもただ腕を失った一兵にすぎないから。村での扱いを見る限りとても英雄とは思えないし、みんなが過大評価しているだけなの」
「いや……女ながらに戦争を知っているとなれば俺としても敬意をはらわなくちゃならん。すまなかったな」
スカーレットは首を横に振り、あけられた席に腰かけた。スカーレットに十分な席を開ける為、男達はだいぶ窮屈そうに座っていた。なにせこの店には戦いを経験した者しか来ないのだ、肩が分厚い彼らは普通の席に普通の人数で腰かけたとしても肩が触れ合うのに、もう一人加えるとなるとさらに狭くなる。だが誰一人その窮屈さを気にする男はいないようだ。口髭の男はスカーレットを同じテーブルの仲間として迎え入れると、さっそく身を乗り出して尋ねた。
「しっかし大したものだな。あんたのような女性が戦争に出ていただなんて。あれか、さっき聞いた話によると、あんたが出たのはレシウス国相手にこのレディガと、お隣のプレハが同盟を組んで戦った二年前の戦争、所謂前戦争というやつなのか」
「そうよ。あなたは……」
スカーレットは口髭の男の服装を見て言葉を濁した。隣の男が「ネイティだそうだ」と小声で言った。
「ああ、ネイティなのね」
「そうだ、俺の国はレシウスのさらに南にあるネイティ国だ。国境線は大陸一のネイティ山脈だが、その山をも越えて前戦争の噂は聞いたよ」
「別の国でもあの戦争のことを前戦争って呼ぶのね」
「ああ、まぁネイティはめったに戦争はしないからな。レシウスが戦争した理由の一つには貿易港の獲得もあったそうだが、ネイティの貿易港を獲得するにゃあ、あの山脈を越えなくちゃいかん。貿易港だけじゃねぇさ、ネイティの何かがほしいなら、北の国は山脈を越えるか、大きく迂回しなくちゃならん」
「そうね、普通に考えてネイティ山脈を越えようとは思わないわ。平和ってわけね」
「そういうことだ」
ネイティ山脈がどれだけ高いかスカーレットは知らないが、山頂は真夏でも雪があると言うから、それを超えるのはさぞ大変だろうと彼女は思った。
「まぁ俺の国の話はいいんだ。それよりも俺はあんたがどうやって生活してるかって方が気になるよ。一人暮らしかい」
「そうよ。料理も洗濯もちゃんとやるわ」
「片腕で料理かぁ、おいらには無理だなぁ」
両手でも無理でしょうに、と店主がカウンターから声を飛ばしてきた。無理だなぁとぼやいた男は赤面して「おいらにはかみさんが居るからいいんだよ!」と言い返す。
「買い出しだって大変だろうに。ただでさえ左腕のほうが重いのにそっちの腕でしか荷物を持てないんじゃ辛いだろう」
「そうね。腕一本はなかなか重みがあったからはじめのころは転んでばかり。でも今は剣も握れるわよ。買い物はむしろ……」
「うん?」
「いえ、なんでも。とにかくあなたが思うよりは楽にやってるわ。最初のころと比べたらね」
スカーレットは左手をちらつかせながら言った。仲間の一人が葡萄酒をついでスカーレットにわたした。
「だがなぁ、どうにも疑問なんだ。村での扱いがよくないんだとこいつらから聞いたが、あんたは良い服を着ている。戦争に出るような女が――失礼だが前戦争での報酬をドレスなんかにつかうとは考えにくいな。とすれば……」
「お察しの通りこれは私が買ったわけじゃないわ。村長からの贈り物よ。村の英雄である私がこういう格好をしているのを見ることで村人も安心するんですって」
スカーレットは皮肉を込めていった。
「聞こえはいいけれどな、村長はスカーレットの名前でこの村を守りたいだけなんだ。要するに利用しているだけ――スカーレットは戦が終わったのに自由じゃないんだ。辺境の村だからな、ここは。元兵士たちの肩身は狭いんだ。戦争に行った一般人もほとんどいないから、理解が得られない」
「そんな中スカーレットさんは村の英雄だと注目されて、人殺しだと恐れられているんだ。ひでぇだろう? 外向きには利用、内向きには恐れる対象にされる。だがあくまで村の英雄という扱いで、ここの酒場にも長く居座っているのがバレると村長がうるさくてなぁ。英雄が軍人をこじらせた連中とつるむな、と」
「今日は祭だから村長もそれどころじゃないわよ。それに軍人をこじらせちゃいないわ。村での肩身が狭いからコソコソしてるだけなのに――」
スカーレットは付け足してそういった。相手に自分のことを知ってもらうのは大切なことだが、どうにも内容が暗くなってきた気がする。スカーレットはそんなことより、と話題をすり替える。
「祭といえば、今日はガリウスはまだなの? 私今日はあの人に会いに来たのよ」
スカーレットが明るい調子で言うので、正面に座っていた男は片方の口角を釣り上げて笑いかけながら言った。
「ガリウスじゃなくてガリウスのとってくる鹿肉に、だろ?」
「失礼ね。でも半分あたりよ」
仲間たちは再び大声で笑った。ガリウスは大酒飲みの猟師で、祭りの日には必ずこの店に鹿肉を届ける何とも気前のよい常連客だ。ふと、空きっぱなしの入り口から差し込む光が何者かによって閉ざされた。視線を向けるとそこにはちょうど例の人物が立っていた。
「なんだ! さわがしいなぁ!」
人物は低くて鼻にかかる声でそう店内に呼びかけた。スカーレットが顔を向ける。
「ガリウス!」
「スカーレットじゃないか! あぁ、久しいなぁ。元気にしてたか」
ガリウスは大柄な男だった。酒場にいる男たちは皆体格が良いがその比ではない。羽織っているのは灰色のオオカミの毛皮で、肩に背負っているのは大きな牡鹿だ。反対の肩には弓矢が掛けられている。焼けた肌に刻まれた目じりのしわは深く、彼がよく笑う男であることを示していた。
「もちろん! 今日も牡鹿を?」
「おうよ! 俺の楽しみはみんなに俺の獲物を食べてもらうことだからな! 店主さん、こいつを頼むよ」
ガリウスは大声でどなるようにいいながら店の奥へ人をかき分けて入っていった。
鹿肉が調理されるまでスカーレットたちは顎髭の男からネイティ国の話をきいた。男はもっとスカーレットのことを聞きたがったのだが、スカーレットがそれをさせなかったのだ。また周りの男達もスカーレットの村での扱いの話をこれ以上するつもりは無いようで、ネイティ国の質問を山ほど提供した。
ネイティでは貿易のほかにもは闘技が盛んで、街は活気があるという。この村は祭の日こそ活気があるが普段は人も少なく静かだ。スカーレットは羨ましがりながらその話を聞いていた。
「スカーレットさん、できましたよ」
小一時間たつと鹿肉の料理が完成した。人の良い店主はガリウスが見返りを求めず鹿肉をもってくるので、自分もまた調理したことに見返りは求めず客たちに差し出した。
「ありがとう! ふふっ、なんだが気分が乗ってきたわ。今日は私のおごりよ、どんどん飲んで頂戴ガリウス」
「おお、貧乏猟師にはありがてぇ話だ。俺にはもう酒を飲む金もなくってなぁ。今日はこの腹に酒を収めることはできないだろうと思ってきたから、なおさらうれしいよ」
ガリウスは言葉通りうれしそうに笑った。店主の手でシチューに料理された鹿肉をここに持ってこなければ、彼は十分に酒を飲むだけのお金を手に入れることができただろう。それなのにこうして肉を届けてくれた心優しい猟師のことがスカーレットは大好きだった。
ふと、その猟師の腰帯にいつもあるはずの短剣がないことをスカーレットは見て取った。その短剣は矢で射った獲物にとどめを刺すためのもので、ガリウスが何よりも大切にしていた道具だった。それを売りに出すほどお金がないのだろうかとスカーレットは顔をしかめる。
「ねぇガリウス、短剣はどうしたの? あれがないとあなたは狩りをできないわ」
尋ねると、ガリウスは思い出したといわんばかりに大きく机をたたいて皆の視線を自分に集めた。
「そうなのさ、聞いてくれよみんな。俺は誤って大事な短剣を谷底に落としちまったんだ!もちろん短剣がなくったってやっては行けるが、せっかく捕まえた獲物を苦しみから解放してやるにはあれが必要なんだ。だからそれを買いなおすために貯金したら酒の金が足りなくなっちまったってぇわけよ」
「そうだったの……だったら今日とった鹿肉は売ればよかったのに。みんなあなたの鹿肉には御代を出したって構わないと思ってるわよ?」
スカーレットの言葉に周りの男たちも首を縦に振って懐から金の入った革袋を取り出そうとした。ガリウスはそれを手で制した。
「やめてくれみんな。俺はここにいる連中が大好きなんだ。そんな連中がこぞって集まる日に鹿肉をもってこないでいられようか? そして友達に金を要求することがあっていいだろうか? 金ならなんとかなる。仕事なんて探せばごろごろ転がっているのだからな」
金を受け取りたがらないガリウスにスカーレットはうなった。どうしてもこの猟師を手ぶらで帰らせたくはない。なにか渡せるものはないかと自分の体を見下ろすと、赤い石のブローチが目に留まった。スカーレットはブローチを胸元から引きはがした。およそドレスを着る女性とは思えないしぐさである。彼女はそんなことにはお構いなしに猟師を呼んだ。
「ねぇ、じゃあこれをもっていって売りなさいよ。そしたら短剣の一本くらいは買えるはずだもの」
「そんな! 悪いって」
「いいのよ。これは村長が無理やり置いていっただけだから、ここの誰のお金でもないわ!」
「だが……」
「ほら、早く仕舞って! 村長に見つかる前にね」
ブローチを手に押し込められてガリウスは慌てた。自分の怪力で小さなブローチをつぶしてはいけないと思ったらしい。彼はもう一度スカーレットを見た後で、それを丁寧に懐にしまった。
「ありがてぇ」
「いいのよ。ある意味それって英雄を飾り付けるものとして村の税金から買われたわけだし。あ、みんなごめんなさいね。あなたたちの税金は私のブローチになって、今度はガリウスの短剣になるのよ」
それを聞いて、周りの客たちはまたどっと笑いだした。
それからスカーレットはガリウスから今日の狩りの話を聞いて、鹿肉を平らげた。そのころには日も暮れてきてスカーレットは次の約束のために帰ることにした。
「みんな今日はありがとう。近々私の戦友がこっちに用事で来るみたいだから、もしここに来たらよろしくね。銀髪の男よ」
スカーレットはそういって店を出た。
店を出るとスカーレットは新鮮な空気を吸い込んだ。夏は半分を過ぎもう少しで終わりを迎えようという頃だ。空気は夕方だというのにも関わらずぬるかったが、酒場に比べればまだ新鮮な感じがした。裏路地にひっそりと門を構えるこの酒場は元兵士や、現役兵士、さらには元剣闘士たちのたまり場だ。スカーレットも元軍人であるからこの場所は安らぎの場でもあった。だが村を包むこの新鮮な空気は、スカーレットには冷たかった。
路地裏を出て歩くと、そこは祭をしている通りと逆なのでいつにもまして人が少なくひっそりとしていた。石畳の道を歩くと民家ではそろそろ火の光が灯るのを窓越しに確認できる。その民家に住んでいる女は外をちらりと見て、スカーレットの姿を見とめるとさっとカーテンを閉めた。スカーレットはさして気にしなかった。いちいち気にしていてはこの村ではやっていけないからだ。
スカーレットはそのまま歩き、閉店前の菓子屋に入っていった。
「いらっしゃい」
気前よく声をかけた店員は顔を上げスカーレットをみると、まるで獣が目の前にいるかのように顔をひきつらせてうつむいた。スカーレットはため息交じりに店員に歩み寄りいくつかの注文をした。店員は無言で奥に入っていき、菓子の入った箱をさも嫌そうにカウンターの上に置いた。その音があまりに荒々しいのですでに店内にいた客もスカーレットに気が付いたようだった。扉があき、女が入ろうとしたがスカーレットを見ると軽く悲鳴を上げ扉を閉めた。
「ねぇママ、あの人腕がないよ」
邪心のかけらもなく店内にいた男の子がそう言った。大人たちは子供たちをスカーレットに会わせないようにしていたし、スカーレットもまた昼間から村を出歩くのは避けるようにしていたので、男の子ははじめて隻腕の人間を目にしたのだろう。
「見ちゃだめよ」
「なんで腕ないの?」
「人殺しをしたからよ。悪いことすると腕を悪魔にもっていかれちゃうの」
女は小声で言ったが、もちろん狭い店内では声を潜めたところでスカーレットにもそれは聞こえる。
人殺しをしたから腕を悪魔に持って行かれた。自分でも的を得ていると思ってしまうようなその言い草にスカーレットは左のこぶしを握りしめた。
スカーレットが右腕を失ったのは前戦争でも最後の会戦のときだった。王の首を落とし、槍に掲げた瞬間、スカーレットの右腕はレシウス兵によって切り落とされた。
この腕は、戦争を勝利へと導いた代償だ。仲間たちはそう心から言ってくれた。だから自分もそう信じてきた。それでもやはり、これは勝利などと言う名誉あるものの代償ではなく、多くの命を奪った代償にすぎないのだろうか。
店員が注文通りの菓子を袋に詰めてスカーレットの前に持ってきた。彼女はスカーレットに手渡しするでもなくその目の前に袋を置いただけだった。スカーレットはやけくそになって持っていた小銭入れをカウンターのほうに投げつけてやろうかとも思った。だがその怒りのこもった行為は実際には実行されなかった。スカーレットは代わりにぽんと軽く小銭入れをなげた。小銭入れはじゃら、と音を立ててカウンターの中心にぴたりと着地したのだった。彼女は無言で菓子袋を持ち上げ足早に店を出ていった。
いくら慣れているとはいえ、はやり屈辱的な行為を自分に対して行われると腹が立つ。当たり前のことだ。だが少しでも怒ったり騒いだりすると村人たちはスカーレットが人殺しを始めると声高に叫び、たちまち彼女に敵意を向ける。だからスカーレットは小銭入れを投げつけることを我慢したのだ。
スカーレットは町を抜け、辺境にやってきた。夜を知らせる冷たい風が草の隙間を走り抜けて、スカーレットの赤髪を揺らす。スカーレットは荷物を持っているせいで髪を抑えられないことに悪態をついて頭を振った。あらぶった髪が元の場所に戻ると、古い石畳の道の向こうに目当ての建物が見えてきた。スカーレットはたったそれだけで気分を良くして足早になった。
遠く昔、砦として使われていた古い城を通り抜け、ぽつぽつとそこここに建ち並ぶ羊飼いたちの家も姿をけし、古い修道所はスカーレットのすぐ目の前に迫っていた。黒い錆びついた門は来るものを拒むように高く、修道所を囲む壁も人の背丈の二倍はある。ここは昔異端教が正統教に偽りながら信仰を続けていた場所であり、人を拒むような外装はその名残だ。
だがいつもは閉ざされている門が、今日は人が通れるほどに開けられていた。スカーレットは門をくぐると苦労して閉めた。かなり大きく耳を突き抜けるような音がしたので、中の誰かがきっと来客に気が付いただろうとスカーレットは思った。
そして思った通り門へ続く小道の向こうにある扉が開かれた。中からでてきたのはスカーレットと同年代の女性だった。彼女は栗毛を高い位置で結んでおり、ぬれた手を布で拭っていた。そしてスカーレットを見ると顔を輝かせた。
「スカーレット、遅かったじゃない!」
「ごめん、アンナ。もう夕飯おわっちゃったかしら」
「いいえ、まだこれからよ! さぁ入って」
アンナは扉をぐい、と大きく開いた。スカーレットが中に入ると子供たちがスカーレットに寄ってたかってきた。高い天井の下にある長テーブルには作り立ての夕食が並べられている。ちょうど子供たちの夕飯の時間だったようだ。子供たちは久々にやってきたスカーレットにいろいろ聞きたがったが、スカーレットがご飯を食べないと遊んであげないわと言ったのであわてて席に着いた。
子供たちの次は、夕食の準備を終えた大人たちが順にスカーレットを抱きしめて笑った。皆がスカーレットとあいさつを終えると最後に白髪の老女がスカーレットに歩み寄った。彼女の灰色の目は優しげにスカーレットを見つめている。
「ニル先生、お久しぶりです」
スカーレットは静かにそういった。白い老人は柔和な笑みをそっと浮かべた。
「お帰り、スカーレット。久しいですね」
「え、ええ。なかなか来られなくてすみません。でも私が孤児院にくるとここの評判が落ちるんじゃないかって」
スカーレットが苦笑すると「もともと評判は最悪よ」とアンナがぼやいた。
「あなたもなかなか暮らしにくくて辛い思いをしているでしょう。せっかくのお祭りです、ゆっくりしていきなさい」
スカーレットはうなずいた。この修道所は今、孤児院として使われている。スカーレットも自分の両親をなくしたあと――両親のことは覚えていないので、スカーレットはここで生まれたような気でいるが――ここで育ったのだ。ここで育った子供たちはたいていほかの村へ行くか、そのままここで働いたりする。孤児院もまた村人たちからの風当たりが強いのだ。
スカーレットも前戦争まで孤児院で働いていたが、戦争をきっかけにここを出ている。戦争の後一躍有名になってしまったスカーレットが孤児院に向かうと、村人たちはふだん忘れている癖に唐突に孤児院の存在を思い出し、あそこには親に見捨てられた悪魔のような子供たちがいるのだとか、孤児院と偽りながら実はニルが子供たちを洗脳しているだとか、ありえない噂がたつのである。それでもこうやって村人たちが村の中心に集まる祭りの日などに帰ってくると、皆が依然と変わらぬ態度で迎え入れてくれるのはありがたいことだった。
子供たちが夕食を済ませると今度は大人の番だ。スカーレットはいつでも自分のために空けられているアンナの隣の席についた。
自分で作る夕食よりも、慣れ親しんだ孤児院の夕食は食が進んだ。スカーレットは久々に夕食に満足して、いっぱいになった腹を撫で上げた。いくら慣れようが片腕だと料理をするにも掃除をするにも何かと時間がかかる。何もしなくても夕食をもらえて片づけてもらえることは良い休息になった。
「そうだ、子供たちにお土産。これあとで配っておいてください」
「まぁ、気を遣わずともよいのに」
「いいんです。内緒で村長に押し付けられた髪飾りを一つ売り払ったの」
スカーレットがくすくす笑いながら言うとニルも「良い案ですね」と口元を抑えながら上品な笑みを浮かべた。それからスカーレットの胸元に視線をよこした。そこはブローチをはいだせいで糸が絡まっていった。
「これもブローチを困っている友人に渡したんですよ。私がしているよりずっと正しい使い方ではないですか」
「そうですね。それに子供たちも喜びます」
「ええ。ここのみんなは町のお祭りにはいけないから、気休め程度だけど代わりになればって思って。やっぱりお祭りの日ってなにか特別なものを期待したくなります。私もそうでしたから」
そのあとは子供たちがスカーレットのもとにやってきた。彼女は絵本を読み聞かせてやったり、人形で遊んでやったりした。けれどしばらくすると一人の女の子が大きな欠伸をした。そこでスカーレットはみんなを寝かしつけて帰宅することにした。
子供たちが寝静まり一階に降りると孤児院の同期たちはスカーレットに大量の土産を持たせた。スカーレットはそれをかばんに詰めて肩から斜めにかけて立ち上がった。
「みんなありがとう」
「また、いつでも来てください」
「スカーレットちゃんがいると子供たちも寝つきがよくて助かるしな!」
スカーレットはうなずいて外に出た。アンナはほかのみんなが扉の前で手を振る中、一人門までスカーレットの見送りに来た。スカーレットはそれを横目に確認して小さく笑った。
「アンナ、言いたいことがありそうね」
「え?あ……うん……」
昔からそうなのだ。アンナは何か伝えたいことがあるとその人の後ろにくっついてくる癖のようなものがある。スカーレットは門の前で足を止めた。
「ニル先生にはスカーレットを不安にさせるから言わないほうがいいって言われたんだけどね」
「なぁに?」
「戦争が起きるかもって」
スカーレットは軽く目を見開いた。アンナの話は予想外だったし、また彼女は思いのほか不安げだった。けれどスカーレットは一瞬驚いただけですぐに笑った。
「大丈夫よ、片腕の女を徴兵する村なんていくらなんでも無いわよ」
「そ、そうだよね。でもやっぱり良い気分はしないかと思ったから」
「ありがとうアンナ。私家からあまり出ないからそんな話知らなかった。一応用心するわね」
アンナはうなずいて、「あとね」と話を付け加えた。
「来月フェネックの命日でしょ?」
そういえば、もうそんな頃か。スカーレットは同じく孤児院出身の友人の顔を思い出してうなずいた。
「でも、なんだか私たちがしんみりしてたらフェネックはきっと怒るだろうと思ってパーティをすることにしたの。よかったら――」
「ごめん」
スカーレットは俯きかけた。アンナは意味が分からないと言いたげにスカーレットを見た。
「どうしても外せない用事が」
それが嘘だということはアンナも分かったらしかった。彼女はただ「そっか」とだけ言って一歩後ろに下がった。スカーレットはもう一度手を振って孤児院を後にした。




