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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
92/229

滞留し、充填される熱情(6)

 八月一日金曜日、午後二十時十九分。

 咽かえるような臭いの中、その者は手元の腕時計を見た。

 龍球大会事務局がある、県内某所のテナントビル。その二階トイレの個室脇にある掃除用具入れを開ける関係者はやはり、一人として存在しなかった。

 それでも、賭けではあった。

 いつもきまって月曜日の終業後に行われる掃除が、今週に限って金曜日に行われる可能性だってゼロではなかったからだ。

 なにせ明日からの二日間は龍球の県大会が行われるのである。普段の事務局の予定が変則的である可能性は十分にあったし、こうして夜の八時半に職員が退勤するという保証はどこにも無かった。


 念の為に補足しておくと、掃除用具入れに潜んでいるこの者は職員でもなんでもない。完全なる部外者である。

 昇降口にあるセキュリティ装置のセンサが有効化された電子音が、事務所中に鳴り渡る。最後の職員が退勤していった証拠だ。

 暑さのあまり両腕の袖を捲ったこの不法侵入者だが、その手にだけはしっかりと手袋がはめらえれている。彼、或いは彼女は真夏の暑さから逃れるように、ここぞとばかりに用具入れのドアを開け放った。


 そこからの動きは、事前にシミュレーションしていたかのように滑らかであった。

 トイレと給湯室を隔てる木製のドアを音もなく開け放ち、事前に間取りを調べておいた廊下を十メートル直進し、左、右、左と曲がっていく。今しがたまで稼働していた冷房による冷気がフロア内に満ちているが、それに対して涼んで一服する余裕などこの者には勿論無い。廊下の左手に二つ並んだアルミのフレームが付いた木扉のうち、奥の方を開けた。

 ドアのプレートには”第二事務所”の文字。


『ギー、ギー、ギー、ギッ、ギッ、ギッ、ギッ』

 稼働開始したセンサを利用したセキュリティが有効になるまで、あと一分もない。厳密にいえば、今十秒を切って一桁台のカウントが四つ過ぎたところである。

 セキュリティのスイッチをオンにしてから実際に有効になるまでに猶予があるのは、スイッチを有効にした職員に建物から退避する時間を与える為である。だが、その時間は高々三十秒。この不法侵入者が事を成すにはあまりにも足らない時間である。

 建物の外で、自家用車が走っていく音が聞こえてきた。直後、侵入者ははっとして自らの犯したミスに気づいた。

 退勤の処理をして建物から職員の全員が出て行ったとして、外に誰もいない保証などどこにもない。

 退勤した最後の一人が、車の中で一服してから家路につく可能性だって十分あるのである。


 ”計画を取りやめるか?”

 一瞬考えるが、侵入者は心の中でだけ首を横に振りながら部屋の中にあるデスクへと近づいていった。

『――ギッ、ギッ、ギーーーー』

 カウント終了。以降、建物の中で動く物体があれば警備会社の端末へと即時に連絡が入る。


 侵入者はデスク横のPCの電源を入れると、デスクの下から二番目の引き出しを開き、その引き出しの裏を手で探った。

 小型の盗聴器を回収すると、PCの起動を待つ。

 パスワードの画面は特に表示されずに、直にデスクトップが表示された。


 これだからPCを毛嫌いする世代は有り難い。侵入者はついついそんな事を考えながら、春大会の時(・・・・・)と同じ階層にあるフォルダを開いた。

 慣れた手つきでそのフォルダをクリックしようとした時だった。


『ルルルルルルルルルル……』


 暗闇の中に、黄緑のランプが点滅する。

 侵入者は諸手をキーボードから上げると、すぐに受話器を取った。

「はい龍球事務局です」

 盗聴器で何度となく聴き、何度となく練習した声色。

 ”はい”とその後に続く文章の間に一切空白の時間を入れず、早口過ぎない程度の早口で、侵入者の地声よりやや高め。


 受話器の向こうの人間は、電話の相手になんら疑いを込めない声でこう尋ねてきた。

『お疲れ様です、今日はもう業務終わられてらっしゃいますよね? こちらの機械が反応しているんですが』

 侵入者は答える。

「あああすいっません。たぶん下の者が勝手に電源入れちゃったんだこれ、あーごめんなさい、ちょっとしたらすぐ出ていきますんで」

『あー、はいはい。たまーにあるんですよねぇ、そういう事』

「えそうなんですか?」

『あ、いえおたくじゃなく他のお客様ですけども』

「ああーなるほどなるほど」

『では、こちらでアラーム切っておきますので、終わったら平常通り鍵を閉めて御帰宅ください』

「はい解りましたすいませーん」


 ガチャリ。

 侵入者は間髪入れずにPCに戻る。

(大丈夫、一分もあれば事足りる。それより、今回はカモフラージュに何を盗んでいこうか?)



 春大会からこの日までの二か月間は、決して短くは無かった。

 単に試合を見るだけの者の中には夏こそが大会の華だとする向きもあり、そういう者にとっては一年ぶり(・・・・)の高校龍球の大会である。

 その風潮の影響か、ガルーダイーターが台頭する昨今に於いても夏大会はローカル局によりテレビで生中継され、毎年全国大会への戦意高揚に貢献していたりもする。今年も多分に漏れず、ローカル局であるOLTにより実況と解説がついた放送が二日間に渡って放送される事になっているのである。


 試合の所要時間が読めない龍球という競技の性質上、どの学校の試合を放送するのかはその時その時で判断されるが、初戦第一試合に関してはシード校――つまり前回優勝もしくは準優勝校――の試合が優先されるのが通例となっている。

 実況席はプレハブ小屋程度の大きさの部屋で、関係者のみが出入りできるスペースとして確保されている。


 その実況ブースのすぐ後ろでは、五十代後半の男女一組が話をしている。これもまた、龍球事務局受付係のコンビによる毎夏の習慣であった。観客席棟の下で少年少女達の会場への到着状況を管理する役目を終え、彼等はいよいよ年に二度の楽しみを満喫いしているのである。

「今年は三池さんが最後の年だったよね?」

 男性の方がそう質問すると、女性の方は口癖である敬語で返した。

「そうですね、春大会時には居なかったチームのメンバーも元に戻って、さぁ優勝できるかどうかというところですね」


 この二人は、事務局に送られてきた資料を見て三池の性別が一応女子である事を知っている。資料で、わざわざ調べたから知っている。

 だから、彼ら二人の間では三池に対する敬称は’君’ではなく”さん”なのだが、”三池さん”と呼ばれる彼女を見た円がその点に気づいて三池を女子だと思いなおす事はなかった。

 きっと、言い間違いなのだろうな。と、そう思った。


「優勝、どこだろうねぇ?」

「才進学園が春夏連覇しそうな気もするんだけど、どうでしょうね。今年春から夏にかけて目つきが変わった子が多いですし、読めませんね」

 受付係ならではの視点でそう切り返した女性は、第二ブロック一回戦最後の試合へと視線を戻した。

 男性は、そんな彼女に対してこう返す。

「目つき、か。…………そういえば。彼らの試合ぶりを見て、悪意無く玉石混淆などと表現する人もいるけれど、僕に言わせりゃそりゃ頑張ってる子達に失礼ってもんだと思うんだよ。みんな毎日の学校終わりの時間を費やしてこの日に臨んでる。それだけでも十分立派なもんだ」

「ああ、いえ違いますよ? 私が言ってるのは」

「いやいや、僕が言ってるのはあなたじゃなく別の人の事ですよ」

 男性は穏やかな笑顔で制した。



 キャップ帽の間にタオルを挟んで、なんとなく兜を連想させるスタイルで応援している子供達は意外と多くない。それはこの県立運動公園の汎用グラウンドの観客席に屋根が完備されているからなのであるが、それにしたって今日はずいぶんと蒸し暑い。雲があるのが幸いだが、湿度が高くテレビでよく耳にする不快指数とやらはきっととても高い日なのだろうと、大虎高校竜術部・海藤詩織は思うのだ。

 長い黒髪に隠れた小顔が必要以上に冷めて見えるが、彼女が部の存続に対して否定的である等という事は無い。


 大虎高校の応援に駆け付けたのは龍術部の全員。それと、直家と彼の部の後輩である藤。英田兄妹の両親に、誰の知り合いか良くわからないドラゴンが数頭。あと、長谷部の夫と息子である成哉。

 以上だった。

 野球部の応援みたいに、一年生が丸ごと応援に駆り出されたり、応援団が駆け付けたりはしていない。

 尤も、それはどこの学校も同じで、一度にいくつもの試合が行われ目まぐるしく入れ替わっていく龍球の大会では、それが普通なのである。

 このご時世に龍球部がそれなりの規模を維持している学校では、部の一年生が空のペットボトルを叩いて大音量の応援を繰り広げたりするのだが、むしろそういう層が浮いてしまっているくらいだ。


 なのに、と海藤は前の前の席を見た。

 英田夫妻が用意してきた横断幕を掲げてテレビカメラにアピールしている、藤と坂と山野手。

 山野手は彼女の視線に気づいたのか、振り返って海藤を見た。

「海藤もこっち来いよ、楽しいぜ!」

「私は、いい……ここで見てる」

「そっか、気が向いたらいつでも席譲るぜー」

 海藤は、少しだけ申し訳なくなって彼に言葉を継ぎ足した。

「あの、山野手省吾」

 フルネームで相手を呼ぶのは彼女の癖だ。特に山野手という個人に対して何か思うところがあるわけではない。


「うん?」

「……それ、腕、疲れない?」

 海藤は、横断幕を掲げ始めて数分が経過している山野手を気遣う様にそう言った。

「まぁさすがにずっと掲げてるワケじゃ無いからな。ほら、試合、もうすぐ終わるから持ち上げてるんだよ」

 山野手は視線をCコートに戻した。

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