滞留し、充填される熱情(5)
三池は、耳を疑った。
「……勝手なのは重々、重々解ってんスけど……」
そう言った少年は、三池よりも二十センチは高い身長とは裏腹にあからさまな下から目線な口調でそう言った。
そのくせ、彼はこの直後にこう言って三池を見据えたのである。
それはそれは強い決意を滲ませた眼光で。
「それでもやっぱ俺、このまま三池さんの事を裏切ったままとか無理なんで」
少年のすぐ横には、もう一人の少年。
どちらも三池とさほど変わらない年齢に見えるが、今しがた三池に決意表明と思しき言葉を吐いた彼に対し、二人目の方は随分と大人びた顔立ちをしている。
「俺もです。今更なに寝言言ってんのって話なんですが、やっぱり復帰させてください」
普段は殆ど付けていないくせに、二人は学校から配布された名札を胸ポケットにつけている。一人目の方が”葛寺”、二人目の大人びた方には”宮本”と刻印されている。
これで彼等の眼前に座っているのが三池とはまるで無関係の人物だったりしたら面白いのだが、生憎と彼等を複雑な心中で見比べているのはあのオレンジ頭の不良娘の三池である。
葛寺信夫と宮本啓太の両二年生は、水飲み場にて部長に対して深々と頭を下げた。
丁度休憩時間が被ったサッカー部の男子達が、何事かと視線を向けては”あ、やべっ。三池だ”という顔になって目線を逸らしていく。
体育館横の水飲み場はグラウンドに面しており、スロープか段差を登れば直ぐに辿り着くことができる。そんな立地であるから人の往来も少なくはなく、邪魔になっている事に直ぐに気づいた三池は、からからの喉を我慢して龍球コートの脇まで二人の男子を連れて行った。
龍球コートまでは百メートルばかりある。その間の沈黙と言ったら目も当てられない眺めだった。
男二人は肩を縮こまらせて、自分よりもかなり背の低い部長の後をとぼとぼとついていく。滑稽であるが、どこか可愛らしくもあるある。
彼等はこの後三池の口からどんな言葉が出て来るのか想像もできず、怯えに怯え、不安に不安を重ねて気まずい百余メートルの旅路を踏みしめ続けた。
龍球コートに辿り着いたら着いたで、二頭のドラゴン西と来が感情を押し殺して彼等二人の男子と三池を見つめてきた。
とっても気まずい。
ただ一頭、クロだけが興味を前面に押し出した顔をして三人の会話をガン見しながら聞き始めた。
しかし、その、気持ちをほぐしてくれるずけずけとした態度が、葛寺と宮本の二人には途轍もなく有り難かったりするのである。
適当な敬語を使うのがクセの信夫は、丸刈りの頭をぼりぼりとかいてタイミングを作り、三池に改めて「お願いっス」と言った。
言葉遣いが適当ながらも、その声音からどこか要領の良さを感じさせる宮本がそれに続いて「お願いします」と口にした。
「まず……まずアレだよ。元龍球部のヤローどもよ」
三池は校舎を背にしてどしんと胡坐をかいて座り込み、腕を組んで二人に問うた。
「親御さんとかの問題は大丈夫なのかっつうのと。あとアレだ。そもそもお前ら、俺に何かしら不満とか無ぇのか?」
「へ、不満とか無いス! 俺らが一方的に部を抜ける様なやり方したんじゃないスか!」
葛寺が慌ててそう言うと、三池はその言葉をどうとらえるべきかと考えながら柄にもなく言葉を選んでこう返した。
「親に止められたっていう……それだけならまぁいいんだけどよ。そもそもてめぇらが部を抜けるハメになったのって、俺みてぇなクソ不良がこの部に居るからだろ? そこんとこ、てめぇら的には不満はねぇのかっていう事が言いてぇんだが」
この三池の言葉に対して、今度は宮本が答えた。
「そうです、俺も信もそれだけなんです。ただ、親にホント厳重に部長に近づくなって言われて、それで身動き取れなくなったっていうのがホントのところで……」
宮本が言い終えると、葛寺は窘める様に指摘する。
「啓、そういう言い方ナシにするってさっき言ったじゃねぇか。結局は俺もお前も夫々の親の事なんて無視すりゃこんな事にはならなかったんじゃねぇかよ」
三池は「それで、その辺りはもう大丈夫なのかよ」と言って先程の問いの回答を促す。
それに対し、二人は怪我が痛みだした様な表情を浮かべて気まずい気持ちと戦いだした。
「実は俺達……」
「この前の春大会観てたんスよ」
「うっわぁ、マジか」
「その……失礼スけど、それを言い分にしたっつうか……」
三池は葛寺が親に言ったであろう言葉を再現してみる。
「”俺らが抜けた所為で龍球部滅茶苦茶なんだよ! いいだろ、あの三年に悪い事に誘われても断っから! やらせてくれよ! 龍球!!”」
「悪い事、とかは言ってないスけど、大体そういう事言って無理矢理納得させて来たス!」
「俺もそうしました」
後輩二年生達の言葉を受け取ると、三池は腕を組んだまま目を瞑り、そしてそれから天を仰いだ。
そのままのポーズで、
「俺もまぁ…………館山殴ったりとかして、結局試合出られなかったんでなぁ……あんまヒトの事言える立場じゃねーんだわ」
眼を開けて、彼女は腕を組んだまま傍らのドラゴン三頭に問いかける。
「てめぇら、いいだろ? 別に。俺は樫屋の奴ともう一回戦り合う為に、もう大会まで絶対に喧嘩はしねぇ。だからこいつらの再入部も認めてやってくんねぇか?」
セイ、ライ、クロから帰って来た言葉はそれぞれこうだ。
『準備するのみ。大会まであとどれ程も無い』
『いーよー』
『これでやっとマトモに戦える……』
それらの言葉を聞いてから三池は言う。
「どっちかっつうと、無理言って入って貰ってるやつらの扱いなんだよ、問題は。あいつらが龍球を気に入ってて試合にも出続けたいっつうんなら、勝負度外視で俺はそっちを優先してぇ。義理ってモンがあるからな」
言うまでも無く、三池が言う奴等とは円、伊藤、霧山の事である。
後輩達は即座に応える。
「もちろんス!」
「俺達は補欠にされても仕方ない事をしたわけですから」
その時、頭上から声がした。
「冗談じゃねぇ!!」
言葉の勢いと内容に対してビクッと肩を震わせる、葛寺と宮本。
対し、「んあ」と言って腕を組んだまま首を上げ、校舎の二階部分に眼をやる三池。上下が逆転した視界の中に、円と伊藤と霧山と、あと芽衣も居た。
彼等は、夫々が順番に言いたい事を並べていく。
「必要が無いんなら俺達は降りるにきまってんだろ」
「あんな地獄みたいな練習二度とヤダ!」
「そこまで無粋じゃないさ、俺達は」
「がんばれー! お姉さんたち応援してるよー!!」
要するに、主張の違いこそあれ、”上手くまとまり出した話に水を注す事をしたくない”というのは三池の友人達の満場一致の総意なのであった。
そんな彼等に、信夫と啓太は口々に礼を言って深々と頭を下げた。
「あざっす!!」
「御迷惑おかけしました!」
三池は、「うしっ」と勢いづけて立ち上がると、校舎の二階から見下ろしているいつものメンバーに言う。
「後で事情は話すけどよ、今回、無理矢理にでもウチが春大会に出た意味だってあったんだ。サンキュな、ホントに」
ただの数分。その日その放課後のやり取りを境に、竜王高校は全盛期の彼等へと立ち返っていく事になる。
*
体育館正面の、やたらと幅が広い階段に腰かける。
連山高等学校二年生女子・相生裕子はリップスティックを薄くも厚くもない唇に引きながら、体育館の中を覗き込んだ。
ほぼ同時に、彼女の親しい友人である角川朝美二年生が出てきた。
ビシッ。
朝美は意味もなくその場で立ち止まると、浮かせた踵にスナップを利かせて嘘くさい敬礼をする。
「……」
「……」
特に意味もなく見つめあう二人。
裕子はリップスティックを仕舞うと、自分の座っている階段の横をタンタンと叩いて「まぁ座るといいよ」と謎の上から目線で促した。
「どう?」
朝美が敬礼を解いて座るなり、相生は彼女に対してそう尋ねた。
たったの二文字で十分に質問の意図が伝わるだけのちょっとした事件が起こったのは、つい十分ほど前の事だった。
朝美は答える。
「部長、結構ヤバかった」
「え、どうヤバかった? 半泣き?」
「いやいや。もうなんか、貝川監督と超喧嘩してたぜ」
「うそー」
「マジマジ」
リップスティックをポケットに入れながら朝美は言う。
「なんかさー、今までのやり方でうまくいったんだから別に良くない?」
「うん、ウチもそう思う。貝川監督ちょっと静かにしといてーみたいなさ」
「思うよね? 前からちょいちょい”それ必要?”て事言ってきてない? 貝川さん」
「まぁ、貝川監督は貝川監督でウチらの事考えてくれてんだろうけどさぁ、なんか……そう、なんかだからこそ、ウチらも強く言い返せない、みたいな?」
「あーそれ超わかる」
「部長頑張れ、超頑張れって思うんだぜ」
「まぁでも実際、朝美や私が口挟んでも余計ややこしくなるの目に見えてるしね」
「うん……」
「え、いきなりどうしたの? 江別先輩が心配? それとも貝川さんが心配?」
あーちゃんこと敬礼の朝美は、いきなり深刻そうな表情になった顔をリップスティツクの裕子に向けて言う。
「だって、三年の先輩達って次の夏大会で最後なんだよ? ウチら二人と一年達はまだ次があるけどさ、お母さん(・・・・)もさっちょさん(・・・・・・)も部長も、次で最後なんだよ?」
「…………」
ひょうきんな朝美が滅多に見せない真顔には、自らの口から出てくる言葉に対する恐怖が滲み出ている様に裕子には見えた。
今しがたまで、まったくもっていつも通りに話していたのに。
超だの、ウケるだの、チョベリバだの、今時の女子高生の喋り方が板についている朝美がこうなる事は本当に滅多に無い。裕子の知る限り、一年の冬休みに恋愛相談を持ち掛けてきた時以来である。
上辺の気持ちで深刻ぶっているのではないのがひしひしと伝わってきて、それまで軽口だけで話していた様な裕子の方も何も言えなくなっていた。
裕子だって、心のどこかで共感はしているのだ。
思えば、今まで三年生の江別部長にさえも散々軽口を叩いてきた。厳しい先輩だったら二度や三度怒鳴られて当然の態度をとってきた。それは裕子にしてみれば多少の親しみを込めた茶目っ気に過ぎなかったのだが、普通は有無を言わさずに怒られて当然の行動である。
だが、江別はそれをしなかった。理由は明白で、裕子と朝美の龍球に対する真剣さを理解してくれていたからだ。
つまらない指摘で士気を削ぐ事を、彼女達の龍球に対する想いを、無視することを避けてくれていたからだ。
邪推を極めれば、それは自分達二人の機嫌を曲げさせないようにしていたとも取れる。だが、それにしたって裕子は思うのだ。そこまで気をまわしてくれた事に感謝の念の一つ、あっていいのではないか、と。
そんな江別の、最後の大会なのである。
朝美は、気づくと自らの不安を煽るかの様にその気持ちの全容を口にしていた。
「最後の最後でいざこざして、そのまま最後の大会出て、結果も出せなかったりしたら……嫌じゃん……」
裕子はポケットのリップスティックを掌の中で転がしながら、さっと立ち上がった。
そして、こう言うのだ。
「……やっぱ、しよっか……」
朝美は裕子を見上げながら困惑して問う。
「なにを?」
遠くでは野球部が掛け声を上げながらランニングに勤しんでいる。これでかれこれ学校の外周五周目だ。
陸上部の顧問は何か大声をあげて生徒に指示しているが、体育館前からでは遠すぎて何を言っているのかうまく聞き取れない。
空は雲こそあれど開けていて、風もある。
水飲み場の冷水器は今日も快適に動作しているし、ユニフォームを洗う為の洗濯機は次の客を口を開けて待っている。
それらを見回したわけではない。
裕子は、リップスティツクをあごの下に突き立てて朝美に答えた。
「口出しを」
おちゃらけて真面目な話など極力避けてきた二人が、龍球の戦略について口を出したのはこの日が初めてであった。




