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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
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滞留し、充填される熱情(4)

 兄妹は思う。焦らず、冷静に目の前の情景を捉えるという行動が、これ程までに鮮明に状況を教えてくれるのかと。

 彼らが得たある種の極意。それは勿論、”冷静に目の前の状況を捉える”などという基本的な技術の事ではない。


 けやきから向かって右側へと良明ユニットが回り込み、正面からは陽のユニットが迫っていく。陽による陽動。そこからの良明によるボール奪取。それが真っ先に思い浮かぶ配置である。

「ガイ、良明への警戒を」

「グァ」

 そしてけやきは陽の動きへと集中する。陽はその右手を伸ばし、真正面からボールを奪いに来ている。

「ガイ、防御」

 言われてガイは、良明に対して羽根を大きく広げることで彼の視界から完全にけやきを隔絶した。

 そしてけやきは、陽の攻撃を回避するべく良明の居ない左側へとボールを避ける。



「ねぇ、石崎ちゃん」

「はい?」

 肉じゃがの美味そうな匂いがたちこめている家庭科室の窓から、長谷部は三十メートル程離れた所に居るけやき達の攻防を見ていた。

 石崎はその横で三角巾を取って畳み、シンクの備えられた台の隅に置く。

 普段家事手伝いなどしない彼女であるが、むしろその所為かも知れない、現役主婦長谷部の手際の良さとあまりにも食欲をそそる肉じゃがの匂いに感服し、今日は随分と手伝いに精が出た。

 その披露の所為だろうか。やや疲れた様子の石崎は、完全に油断している顔でぼんやりと長谷部に相槌を打ったのである。

 直後、現役主婦長谷部の口から出てきた言葉は、完全に彼女の予想の外のワードを含んでいた。


「量子テレポーテーションって、知ってる?」

「な、なんですかいきなり。いえ、知ってますけど」

「え、知ってるの? 私、得意げに解説しようと思ったのに」

 石崎は長谷部に対し、”この人、なんて可愛いおばちゃんなんだ”という印象を抱きながらこう返した。

「知ってるって言っても名前くらいですよ。本で見かけて解らなかったもんでスルーしてる……くらいの」


「超平たく、一分で理解できるくらいに端折って説明するとね」

 長谷部は一際真剣な顔になって、口元に手を当てた。その表情は、先日の春大会にて双子が夏大会の存在を知ってリアクションしている時に彼女だけが浮かべていたそれを想起させる。

 石崎は、当時の長谷部の姿を今のモンペに三角巾姿の彼女に重ね合わせ、解説とやらに妙に強い興味を抱きながら聴き入り始めた。


「この世界には、分子や原子や、それらよりも小さなある種の極小粒子が存在しています。その粒子というのは二つで一組になっていて、常に全く同じ状態を維持しています。例えば、その粒子の片方を地球の裏側に持って行って、その後にその粒子を調べてみます」

 石崎は頷く。

「すると粒子を調べた瞬間(・・・・・)、信じられない事が起きます。調べていない方の粒子のある種の値が、調べた方の粒子のそれとその瞬間に(・・・・・)同じになるのです。因みにその”ある種の値”というのは、二つで一組だろうが何だろうが、粒子一つ一つに対して完全にランダムな値です」


「え、えーと……そんな馬鹿な、って思うんですけど」

「思うでしょ? でもこれ、学者さんの多くが大真面目に信じてる現象で、実証実験もされてるんだよ」

「でもそんな事が可能だったら、通信技術辺りがとんでもなく発展しそうですよね。電話回線での通信速度なんて問題じゃない。それこそ、文字通りの意味で一瞬で情報を伝達出来るって事なんじゃあ……?」

「ほほう、石崎ちゃん鋭いね」

「半分、私の専門みたいなものなので」

 石崎はほんの少しはにかみながら謙遜した。


 そんな彼女に対し、長谷部はこの話の最もキモとなる部分を話し始める。

「まぁ、そういう通信技術の観点で言うとね。一つ目の粒子を調べるタイミングが後から相棒の粒子を調べる人……もしくは機械に、間髪入れずに伝わる必要があるわけね」

「ああ……」

「そう、タイミングを教える為の通信の所為で結局タイムラグが生じるっていう主張もあるの」

 脳裏に色々と代案が浮かんでくるが、石崎は話の腰を折らない為にそれを飲み込んで話の続きに耳を傾ける事にした。


「ただ。……もし、その粒子自体が意思を持って行動する人間だとしたらどうだろう? 相棒のパラメータが確定したタイミングも含めて、相手の思っている事を把握できるとしたら……」


 石崎は、まさかと言う顔で夕暮れの不気味な色に染まっていくグラウンドを見た。

「え…………」

「まぁ、たとえ話よ? 量子テレポーテーションはあくまで微小粒子レベルでの科学のお話。私が考えてるのは、そうね――――」



 良明はレインの背から降り、ガイの羽根の下を潜りぬけた。

 我が意を得たり。

 そんな、彼と同じ表情を浮かべる陽もまた、ショウの背から降りていた。


 ガイの羽根により完全に閉ざされた視界の向こうで、兄が、妹が、そう行動しているという確信があった。

 けやきは、陽から護る為に左にかわしたボールを正面へと構えなおす。


 瞬間、良明の脳裏に、ある視界のビジョンが浮かび上がる。

 けやきの左側にかわされているボールが、彼女の正面に移動していく。それは陽の現在位置からは、正面に捉えたボールが左側へと移動していく様に見えている筈だ。

 その時、陽はどう動くのか?

 正面に捉えたボールが左側へと移動していくのを陽が見たその時、陽はどのような行動に出るのか?


 良明には、嫌でも解った。


 側面から繰り出すけやき正面への急襲。それが陽の取った行動であり、それが解っていた良明は、その反対側からけやきの懐へと両手を伸ばした。

 行き場を失ったけやきの手の中のボールに、双子の両手がついに到達する。

「ふっ」

 けやきは力を込めてボールを強引に胸元へと引き寄せようとする。が、左右から加わる力に対し遂には競り負け、白球は天高くへと跳ね上がった。


「ガイ!」

 呼ぶよりも早く手綱からガイに飛翔を命じるけやきの、その上空で、レインはボールをキャッチした。仔竜は、天高くへと飛翔していく。


 試合で点が入った時の様な、一瞬の沈黙。

 そして、

「ったぁあああああ!!」

「とれたあああああ!!」

「グァアアアエエエ!!」

 ショウだけはやれやれといった顔で二人と一頭を眺める。

 が、まもなく陽に腕を絡められ、歓喜の輪の中に拉致されていった。


 歓びを分かち合う彼等を見守る視点を最後まで貫いたのは、けやきとガイだった。

 長きに亘る戦いの最中、双子には全くと言っていい程見出すことが出来なかった光明。それは、けやきにとっては最初(・・)から見えている光だった。

 あの豪雨の日。

 藤が川に取り残されていたあの日からである。(※1)


 あの日、遥か上空から息ぴったりに行動し藤を助けようと駆けている双子の姿を一目見た時点で、けやきは仄かな可能性を感じていたのである。

 その後彼らが竜術部を初めて訪れた時、彼女は運命めいたものを感じざるを得なかった。だから、竜属博物館であのような断言をした。それが双子にとっての不安の払拭になると思った。


 かつて双子は、樫屋けやきという人間の頭の中には自分達と龍球経験者の力の差を埋める程の秘策があるのだろうか、という疑問を抱いた。だが、そうではなかったのだ。

 けやきが見出した可能性は、英田兄妹の中にこそあったのである。

 ついに今、あの頃から続く想いが、今眼前で実を結んだ。

 けやきは、春大会の時には無かった感覚が自分を満たしていくのを確かに感じていた。

「……ガイ」

『ああ。これで、もしかしたらいけるかもしれない』

「これが試合でうまく機能すれば、プロを含めた全龍球競技者にとって、未だかつてない未知の戦術になる」

『あとは夏大会までにこいつ達の基礎能力をどこまでブラッシュアップできるか』

「体調管理と怪我への注意。それもかなり重要だ」

『ああ』


 良明と陽の頭の中で、二つの想いがない交ぜになって渦を巻いている。

 一つは、発見が結果へと結びついた爽快感。

 そしてもう一つは、ついにかのゲームでけやきに勝利したという達成感。

 陽に頬ずりされるショウがくすぐったそうに身を捩り、レインが良明の背中にリュックサックの様にへばりついている。喜びの海の中を泳ぎながら、兄と妹は思うのだ。

(発想が間違ってたんだ。時間の差を努力で埋める事も、正々堂々な戦い方ではあるけど――)

(――私達には、他の選手達が龍球をやって来た以上の長い時間をかけて、経験してきた事がある)

 彼等高校一年生にとっての経験時間という物の理論値。十五年間。その大半を共に過ごしてきた双子による思考のシンクロこそが、けやきが彼等に予見した”可能性”であった。今日はその事を漸く本人達が気づいた日であり、大虎高校竜術部にとっての光明がもたらされた日と言っても過言ではない。


 だが、良明と陽には一つだけ腑に落ちない事があった。

 ガイの絆を引いて歩いてくるけやきに、二人は今だからこそその質問をした。

「樫屋先輩、でもなんで俺達が自力で気づく事に拘ったんですか?」

「時間だってもうあまりないこの状況で、そこまでした理由って?」

 けやきは立ち止まり、一番星を見上げてから真剣な表情で答えた。

「他者から教えられた道筋よりも、自分で切り開いた道は遥かに愛着が沸くものだ。それは、各々の感情の流れを形作る重要な要素。できれば、”双子だから息を合わせろ。それが突破口だ”などと無粋な言い方はしたくなかった」


 けやきは、そう口にした瞬間に遠く離れた国へと留学した兄の言葉を思い返す。

『お前は大虎(そこ)でお前のやりたい様にやんな』

 先日電話で会話して今この瞬間まで、兄の事などろくに思い出してもいなかった。

(今この瞬間に、兄さんの言葉を思い出したのは何故だろう?)

 けやきは尚もはしゃいでいる双子達に対し、少しだけ儚く切ない感情を抱いている自分に気づいた。

 兄と妹で協力し合って困難を乗り越えようとしている英田兄妹に比べ、自分は何かを兄と共有してきただろうか?

 大虎高に入る時にも、母と兄に多大な迷惑をかけてしまった。それに対する恩返しもまだ当分出来そうにない。

 ああ、そうかとけやきは思う。

(私は、羨ましいのだな。この兄妹が)


 絆を握る手でガイの首筋に触れてみると、先程散歩していた時よりもいくらか冷たくなっていた。

 けやきも良く知る、変温動物としての体温変化である。ただそれだけの事なのに、求めていた暖かさがそこに無かった事に寂しくなってしまう。

 だからけやきは今一度ガイに跨り、家庭科室へと目線を移した。


 暖かで甘い肉じゃがの匂いと暗くなりつつある風景の中で目立ち始める部屋の中の照明が、けやきとけやき以外の皆を待っていた。



 長谷部は言葉に迷った末、ありきたりで少しむず痒い表現をあえて選ぶ事にした。

「――人間レベルでの絆のお話、かな」

 長谷部は、石崎と同じく三角巾を取って台に置く。

 続いて手慣れた所作でエプロンも外して畳み終えると、グラウンドに居る皆に叫んだ。

「ごはんだよーー! さっさとお風呂入ってきてーー!」

 『はーい』と答える子供達の声は、まるで本当の家族の様な錯覚を長谷部に与える。

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