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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
9/229

ターニングポイント(4)

 見れば奥は薄暗く、展示物のパネルには文字が並んでいた。

『我々の知る竜はどこから来たのか、わが国が竜とファーストコンタクトを果たしたのは何時なのか、皆様はご存知でしょうか?』

 先導するけやきが扉の中へと足を踏み入れると、感熱センサが反応してアナウンスの自動再生が始まった。


 兄妹は何が起こったのかと戸惑いほんの一瞬足を止めかけるが、直ぐにそのアナウンスが展示の一部だと気づいてそのまま歩みを進める。

『ここから先、【Aブロック】では竜に関する歴史資料の展示を行っております。本日は、大虎市竜属博物館への御来館誠に有難う御座います。どうぞごゆっくりご観覧ください』


 ふかふかとした絨毯の感触が、迎え入れられている様な気分にさせてくる。

 薄暗い館内の色合いと、だだっ広い空間、それと展示物の素材から発せられる匂い。兄妹は、なんだか今になってわくわくしてきた。

 そのまま少し進み、パネルの文字に目をやってみる。

 ”わが国が始めてドラゴン、すなわち竜という存在を目にしたのは、今から200年程前の事です。厳密には、かの黒船に乗せられやって来た【ランス】と【マーダ】の二頭がわが国の先遣隊と顔を合わせたのが初だと歴史書には記されています。”

 と、書かれたパネルの中央には、当時の絵師が描いたと思しき錦絵が配置されている。


 ”絵に描かれているのは赤眼の【ランス】と青眼の【マーダ】。二頭はつがいであったという説もあります”

 一般に、赤い眼を持つドラゴンは男性、青い眼が女性だというのは双子もよく知るところだ。


 ”開国を迫った使者が出した条件の一つに、わが国へのこの二頭の譲渡がありました。その後わが国が開国すると、次々にドラゴンが列島の土を踏んでいきました。やがてドラゴンは庶民の生活にも溶け込む程にまで数を増やし、現在の共存関係の礎となっていきます。”


 三人は歩を進めて次のパネルを読み始めた。けやきは一歩下がり、後輩の後ろから様子を伺う様に立っている。

 ”当初、ドラゴンは人語を話さない事からあくまで動物の一種として扱われ、長らく愛玩対象や狩猟で使役する家畜として見られてきました。”

 この一文の言い回しこそが、現代でのドラゴンという存在の扱いを、端的に浮き彫りにしていると言って良い。ドラゴンは人の言葉を理解する。人が喋りかければその内容を把握し行動する事が出来るのだ。犬や猫などの動物も、時として人の言わんとする所を察してリアクションや行動を起こす事もありはするが、殆どの場合、それは人間の出力する言葉の意味を文法を踏まえて理解しているわけではない。


 例えば、先日からけやきがガイに対して何度も話しかけているのも、ニュアンスで言いたい事が伝わればいいという期待(・・)の元に話しているのではなく、紛れも無く母国語での意思伝達を行っているのに他ならないのである。

 そして、それは良明や陽を始め現代人が一般的な知識として知っている事柄である。

 このパネルは訴える。その認識が、二百年前の人々には無かったのだと。動物よりも確実に人間に近い存在であるドラゴンが、獣の類と同様に扱われていたのだ、と。


 英田兄妹はパネルを読み進める。

 ”時に家族として愛され、時に野獣の様に迫害された竜は、やがて戦争の道具としても使われていきます。当時の詩として、次の様な物が残されています。”

 パネルの中央には、そこだけ明朝体のフォントでこう書かれてある。



 齢十ノ人ノ子ガ 玩具片手ニ駆ケ回ル

 齢二十ノ人ノ子ガ イキユク先ヲ見失ウ

 齢三十ノ人ノ子ガ 竜ヲ駆ッテ死二急グ

 嗚呼哀レ也 人ノ一生



 直ぐ下の解説にはこうあった。

 ”この詩は当時のわが国の行く末を、人の一生に重ねて憂いたものです。竜はあくまでかつての軍馬に類する存在であり、その命は人の命と同等には扱われていない事が読み取れます。”

 つまり、現代におけるドラゴンの扱いはそうではないと言う事である。


 国にもよるが、一般にドラゴンはある程度の人権に順ずる権利を与えられている。

 当事者のドラゴンが望み手段があるならばドラゴン用に設計された家を持つ事が出来るし、人間同様に金を稼いで物を買うことも認められている。テレビには人間だけではなくドラゴンのタレントも出てくるし、航空会社では航空機運行のサポート役としてドラゴンが多く活躍している。

 福祉の面でも、現代においてドラゴンは同じような距離感で扱われる。

 病院にはドラゴンに対応出来る医師が常駐しているし、職業安定所ではドラゴン専用のセミナー等が開かれていたりもする。

 ”ヒトの社会に溶け込み、ドラゴンは様々な生き方をしている”

 それは、今現在のこの国における共通認識であった。


 パネルの時代は今しばらく百余年の昔を行く。三人は歩を進めて次のパネルへと視線を向けた。

 ”本格的にわが国へと海外の文化が流入してからは、少しずつ竜の権利が認められていきます。わが国よりも長い間竜と共存してきた諸外国では、既に竜への理解も進んでおり、その知能、習性などが広く認知されていた為です。”

 パネルには十数枚に及ぶ海外の風景写真が並ぶ。

 それらは龍球と思しき試合風景であったり、政治家の演説の場に竜が居る風景であったり、何れも人間と竜の関わり合いにスポットを当てた写真であった。


 ゆったりと登るスロープの外周にパネルが続いていく。またもやセンサによる演出なのだろう、耳に煩くない穏やかなBGMが周辺に流れ始めた。

 スロープを登っていくにつれて、展示されている写真の時代も昇っていく。

 そして、パネルは三十年前におけるこの国の話へと舞い戻った。


 ”新掃(あらばき)市・竜門事件”

 見出しには、そう書いてあった。

 英田兄妹はちいさく「あ」と声を出す。

 兄妹は、その事件に関して名前だけは聞いた事があった。中学校までの教科書では習わなかったが、教科書に載っていてもおかしくない程のニュースになったと母に聞いた覚えがある。


 二人の認識は、せいぜいそういう程度のものだった。


 パネルにはこう記されている。

 ”わが国へ竜がやって来て以来、人々は竜に対して様々な差別や弾圧を行って来ました。知的生命としての権利は認められず、動物同様の扱いで人々に従属してきた竜。それはわが国の竜への理解が足りない事による様々な齟齬が引き起こした事態でした。”


 パネル三枚に亘り大きなパノラマ写真が展示されている。

 古めかしい画質のカラー写真は、千人を超える人々が数千平米はありそうな敷地に犇めき、横断幕を広げて座り込んでいる風景を焼き付けていた。

 ”竜に対して理解を示そうとしている一部の人々が、竜排斥団体・【ガルーダネイル】の本拠施設につめ掛ました。その後、彼等は参加者を入れ替えながら約一ヶ月に亘る座り込みを行います。これに対して行政側は機動隊を派遣し対応しました。"

 パネルには、それだけの言葉しか書かれていなかった。

 その文章は、そこはかとなく事実のみを記す事に注意を払っている様に兄妹には思えてならない。


「えーと、つまり……?」

首をかしげる良明と陽に、けやきはパネルを見ながら補足する。

「要は、所謂スケープゴートだ。座り込んだ側は団体の(てい)を成さず、あくまで口コミやビラで集まった寄せ集めの集団。それに対して竜排斥団体であるガルーダネイルは、肩書きが示す通りの”団体”だ。そしてガルーダネイルは、一切の竜をこの国から排除する事を目的とした反竜勢力の象徴だったそうだ」


 けやきは二人の方に視線を移して続ける。

「単なる”その場に集まった夥しい数の人々”は各媒体でニュースを見た人間に対し自分達の行動が国民の総意であるかのような印象を持たせ、対するガルーダネイルは団体の形を取る事でほんの一握りの人々の意思に見える。……今となっては、当時の国民がどの程度の比率で竜との共存を望んでいたのかは解らないが、この事件により今私が述べた”印象”が世間に浸透し、竜との共存を目指す流れに繋がったわけだ」

「それが、”竜門事件”……ですか」

「この事件が、さながら竜の市民権獲得への登竜門の様だという事からそう呼ばれている。元々は俗称だったらしいがな」


 三人がさらにスロープを登ると、そこは半球状の天井に覆われたホールになっており、中央には縦に十メートル、横に二十メートルはある巨大なドラゴンの像が配置されていた。羽根を広げ、天に向かって雄々しく咆哮をあげている。

「かっけぇ」

「かっけぇ」

 と、いつもの様に声を揃える良明と陽は、背中ごしにも眼を輝かせているのが解る様だった。


 けやきはドラゴンの像を見上げながら二人に言う。

「元々は、この竜の背中にはある人物の像が跨っていた」

「そうなんですか?」

 一瞬沈黙するけやき。

「でもどうして今は?」

 その陽の言葉がけやきを内心安堵させたことを、二人は知る由も無い。


「竜にさほど注視していない世間では、まだその位の認識なんだな」

 安堵を声音の色に変えてそう言った。

「え?」

 けやきは、二人の顔を見て一際真剣な口調になる。

「圧力だ」


 何かに不快感を抱くような、何かを突き放すような、つららの様に鋭く冷たい声だった。


 穏やかではない単語。兄妹は、聞き入る様にけやきの顔を見返した。

「竜門事件の後、竜共存派はNGOを立ち上げた。それがガルーダイーターと呼ばれる組織なんだが、知っているか?」

 ガルーダイーター。双子にとって、稀に耳にするワードではあった。テレビなどでたまに話に出て来ては、竜を護る為に様々な活動を行っている団体として扱われる。


 良明はけやきの意図を勘ぐりながら、恐る恐る答える。

「薄ぼんやりと……なら。”竜を狩る鳥を食べる”っていう名前からして、竜の味方みたいなイメージですね」

「これが、その活動内容の一部だ」

 けやきは視線で竜の像の背中を指す。その口調は、やはり氷の様に冷たかった。

 まるで、彼女自身が何かに凍える様な、或いは何かに焦燥する様な。

 それは、兄と妹が初めて見る、けやきの感情的な表情だった。

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