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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
89/229

滞留し、充填される熱情(3)

「全っ然……」

 とうに慣れっこの練習からくる肉体の疲れよりも、その問いの答を見つける事への精神的な疲労の方がよほど二人を追い詰めていた。

「……陽さ、アホな事言っていい?」

 と、良明。陽は無言で首を縦に振る。

「努力でさ、差が埋まるんなら、どの学校のチームだってそうするよな?」

 なんとシンプルな一言だろう。

 そして、なんとごもっともな主張だろう。


「それ、私も思った。ていうか、だからその努力が特殊な方法って事なんじゃないの?」

「うん、いやそうなんだけど、じゃあ、その特殊な努力を全部の学校がしてきたら?」

「…………」

 陽は膝に顔を埋めて籠った声で反論するのだ。

「樫屋先輩がそんな簡単な論理に気づかないわけない……え、じゃあどういうコトだろ」

「だよなぁ……俺もそれが解らない。樫屋先輩ならとっくにこんな反論想定してる筈なんだよ」


「ていうかさ、アキ」

「うん?」

 顔を上げて、陽は自分と同じくらい疲れた顔をしている兄を見て言う。

「この会話の内容、頭の中で考えた事無かった?」

「何回もある」

「だよね、私も何回も何回も何回も考えた。けど、答が全然出てこない」

「だなぁ……」

「樫屋先輩の考えてる事が解んないよ私……」

 陽は右脚の脹脛を摩って遠い目をした。


 そういえば、と良明も同じところに手を当ててみる。鈍い痛みが皮膚の下で主張した。良明は、陽と同様自分も脹脛を痛めかけているのだと気づかされた。

 話す内容も、何かする時の考え方も、痛みを催す場所までシンクロする双子の兄妹。

 良明は、水面にチリチリと反射する夕日に眼を細めながら言った。

「俺もだよ。陽の考えてる事だったら考えるまでもなく嫌でも大体解るのにさ……」

「それ! ほんっとそれ! 私もアキの考えてる事なら嫌でも解るのに、先輩のこんなシンプルな問いかけが全然解んない」


 ザザー……ン。


 ザザー……ン。


 波が二回繰り返す間、完全な沈黙が訪れる。後から考えても、その沈黙の中に何かきっかけがあったようには思えないのだが、とはいえ、二人はここで声を揃えたのである。

「………………あ」

「………………あ」


 兄と妹は、顔を見合わせた。


「ねぇ、アキ。今、なんて言った?」

 良明は即答する。

「”ロシナンテ”はどこの国の人の名前だっけ?」

「そんな話して無かったよね?」

「うん」

 ふざけた良明に対して、陽は真剣な顔を作って言う。

「もう一度、訊くよ? 私も同時に言うから、アキも答えて」

「うん」


 そして、彼女は今一度こう問うた。

「今なんて言った? せーのっ」

 そして、寸分違わぬタイミングとイントネーションで、

「”ロシナンテはどこの国の人の名前だっけ?”」

「”ロシナンテはどこの国の人の名前だっけ?”」



 ステップを素早く三つ踏み、羽ばたいて上空へと飛翔する。

 ショウがレインからボールを遠ざける様に離れていくと、レインもすぐにそれを追って羽ばたいた。

 辺りの景色に溶け込む様なショウの濃紺の鱗に対し凛とした美しさを感じるレインは、彼女の金色の眼をきらりと光らせた。眼いっぱい振り上げた羽根を、しならせ仰ぎきる。それを高速で繰り返す事で空を泳ぐ様に進んでいく、二頭。


 龍球のルール上許されていない様な高度まで到達しても尚、彼女等はボールを奪い合う。

 遠く、近く、二頭が見た事の無い住宅街の風景が広がっていく。高度を増すにつれ、どんどん遠くが見えてきた。まだオレンジ色に染まっている地平線までもが顔を覗かせ始める。

 さらに上昇を続ける。

 学校から幾分か離れた場所の景色が、校舎とさほど変わらないくらいに小さくなっていき、それはつまり、ドラゴン達の高度がそれだけ高くなった事を意味していた。


 どんどん、どんどん、何の為にこんな高さまで来ているのかを忘れるくらいまで高く昇っていく。

 ついにレインがほんの少しの不安を覚えた所で、ショウは羽ばたくのを止めた。自由落下による降下が始まる。

 勢いあまってショウより十メートル程も上空へと至るレイン。背に地面を、レインに腹を見せて落ちていくショウへと向き直る。レインは二回、三回と羽ばたいて滞空すると、意を決したように頭を其方に向けて降下を開始した。その様はさながら高飛び込みのフォームを思わせ、或いは水中を縦横無尽に泳ぎ回る海驢の様でもある。


 レインは羽ばたきを加えてショウへと追いすがる。凄まじい風圧が顔を襲うが、ドラゴンの外皮はそれをものともしない。

 ショウは『それ!』と言ってボールを無関係な方向へと投げ放った。慌てて其方へと羽ばたいて近づいて行くレイン。ショウはその背後へと忍び寄ると、レインの背中にぴったりと追従した。


 そこから十メートル降下したところで、ついにレインはボールを手にした。が、その背で彼女の様子を見守っていたショウにいとも簡単にそれを奪われてしまう。

 風の影響を考慮して小学校のグラウンドへと身体の向きを調整する二頭。着地体勢に入る。

『レイン、まだまだねー』

『だってだって! 今のはボールキャッチする事に集中しないとボールが民家に』

『集中しつつ背後にも気を配れる様になりましょー』

「グァー」

 肯定の声で返事して、レインは羽を広げて減速した。


 先行して着地しようとしているショウの動きは優雅その物で、レインの主観によればこれこそが理想の着陸フォームと言って良かった。

 果たして、金目のドラゴンとは何なのだろう?自分にはこんな美しい所作は多分無理だ。

 レインはぼんやりとそんな事を考えながらバサバサと減速し、辺りに砂嵐を巻き起こしながらグラウンドの中央への着地を開始した。


「居たぁ! レイン達まだ居たぁ!!」

「俺、先輩探してくる!」

「うん!!」

 校舎の中に走っていく良明を見送りながら、陽は妙にハイテンションだった。

 グラウンドに降りつつあるショウとレインの所へと叫びながら走っていく。

「ショウさーーーん!! レイーーーン!!」

 遠くではしゃぐ様な声を上げている陽に、それまで一対一でボールを奪い合って練習していたショウとレインが振り向いた。

「グァ?」

「グゥ?」

 着地を完了させながら口々に『どうしたの?』という内容を口にする二頭は、目の前まで全力疾走で駆けてきた陽が息一つ切れていない事に気づくが、今はどうやらそういう事を褒めている場合では無いらしい。


「樫屋先輩とガイさんは? まさかもうお風呂入っちゃった?」

『まだだと思う。ガイと散歩行くって言ってた』

 レインが何を言っているのかは相変わらず解らない陽だが、彼女が首を横に振っている事からどうやらけやきやガイがまだ風呂に入っていないらしいという事は解った。

 ショウはレインに『でもさっき帰って来てなかったっけ』と問い、レインが『そうだっけ』と返すが、何やら眼を輝かせている陽の手前、それを言うのが憚られた。


 と、その時校舎昇降口から良明の声がした。

「先輩達いたぞーーー!」

 この兄妹、一体どうしてしまったんだ。ショウとレインは、そんな顔で二人を見比べる。

 良明の背後から姿を現すけやきとガイ。幸いまだ練習着であるユニフォームのままである。

 慌ただしく流れていく展開の中で、良明は傍らのけやきに頭を下げた。

「寛いでる所すみません! でも、答がやっと解ったんです。少しだけ付き合ってもらってもいいですか?」

 けやきは、良明の確信に満ち満ちた表情に、彼が持ってきた彼女の問いへの回答が正解である事を悟った。

 そして、快く首を縦に振ってグラウンドへと降りていく。

「見せてみろ。ガイ、悪いが付き合ってくれ」

『もちろんだ』

 ガイは嫌な顔一つせず同意した。


 かくして、すでに薄暗くなりかけているグラウンドの中で六名はユニットを組んで対峙した。

 肉じゃがの美味そうな匂いがしているが、今の双子には全く気にならなかった。

「変なタイミングで呼び出してすみません」

 陽に続いて良明が言う。

「先輩が俺達に対して、大会で戦えるようになるという確信を持ってくれた理由。そして、俺達がどう他校との差を埋めるべきなのか。……二つの問いかけは、一つの答で言い表せたんです」

 ガイに跨るけやきにボールをパスする良明。

「今から私からボールを奪う事でその答を体現する、と?」

「はい、お願いします」

「はい、お願いします」

 双子は声を揃えた。


「いいだろう、かかって来い。ただし、暗くなりすぎると危険だ。制限時間は五分とする」

 これまで、丸三十分の時間を貰っても、一度として彼女からボールを奪う事は出来なかった。だが、今の兄と妹は不思議とそれを微塵も気に留めてはいなかった。二人の自信に満ちた顔から、けやきもそれをすぐに読み取った。

「解りました!」

「解りました!」

 けやきがすぅと一息吸う間、良明はレインに告げる。

「レインはいつも通り指示に従ってくれ」

 横で陽もショウに言う。

「ショウさんもそんなカンジでお願いします!」


 レインとショウが鳴いて返事したのを確認し、けやきはいよいよ手綱を引いた。

「よし、行くぞ! お前達の答、見せてみろ!」


 今や押しつけがましいオレンジは消え失せ、風景は静かで奥ゆかしい主張の青紫色に染まりつつあった。照明が無ければ足元が見えない様な暗さでは決してないが、見知った顔に挨拶するには”こんにちは”では違和感がある、そんな薄暗さ。

 だが、今の兄妹にとって視界を覆うその青紫でさえ、それと意識しなければ認識できない事柄のひとつであった。

 兎に角、一刻も早くけやきに回答を渡したい。長らく世話になって来たこの部長に、今こそひとつの到達点を披露したい。その想いばかりが先行していた。

 それで尚、けやきの動きは妙に鮮明に視界に映り、コンマ五秒先の彼女の動きが二人には完全に予測できていた。勿論、けやきが手を抜き双子にとって解り易いライン取りでガイを動かしているのではない。

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