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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
87/229

滞留し、充填される熱情(1)

 やがて来る決断の日に向け、戦いは続く。

 良明も、陽も、今は龍球大会での優勝という目標のみを見据えているし、それ以外の事など考える余裕は全く無い。

 この辛い日々が何かに繋がっていくなどという予感はこの時の彼等にありはしなかったし、やがて訪れる事象の根源となる存在との距離を想う事などある筈も無かった。

 陽の元に悪夢という形で訪れたその片鱗は、いつ彼等を決断へと誘うのか。

 その時、彼等は何を決め、どのような行動をとるのか。

 それは、まだしばし先の話である。



 けやきの問いに対する答が、どうしても見つからなかった。


 あのけやきの事だ。良明も陽も、頓智やはったりの類では無いのだろうとは思っているが、そもそも何故けやきは問いかけなどと言うまどろっこしい事をしたのだろうか?

 彼女の話を聞く限り、どうやらその問いかけに対する答は二人が実力をつける上でのヒントになるらしい。

 ならば、さっさと解答を教えてくれればいいのに。

 何度考えを巡らせても、兄と妹の思考は毎度毎度どうしてもその袋小路へと帰結してしまうのだ。


 もう、夏大会まであまり時間は残されてはいない。完全に二の次になってしまっている勉強もそこそこに赤点からがら期末試験をクリアし、今や既に夏休みである。具体的には八月一日に行われる夏大会まで、残り半月ばかりというところまできていた。


「陽ー、タオル投げるよー?」

「ほーい」

 結び目を作って錘にしたタオルを、良明は妹へと放り投げた。陽のど真ん中へと至るタオル。


 良明の中で密かに繰り広げられる回想は、尚も続く。

 けやきが双子に対してある”質問”をしたのと同じ日に、彼等はあるひとつの事に気づいた。

『キャリアの差を、どう埋めれば良いんだろう?』

 これは、その日けやきが二人へと質問を投げかけた後、兄妹が二人きりで居るときに同時に口にした疑問である。


 その自らへの問いかけは、致命的な部分を突いている言葉のはずだった。

 誰に対しても平等に流れる時間という概念の上において、彼等二人は他の学校の選手に比較し圧倒的な遅れを取っている。そしてその遅れは、正攻法では原理的に埋めようが無い。

 なので、兄妹は考え方を変えた。

 問題は、いかに努力でその時間の差をカバーするかである。

 その一点を、二人はレインを交えて本気で考えた。


 薄石高の龍球部は、強い。それは認めよう。二度も敗北した以上、認めなければならない。そして強い彼らが言うには、どうやら実力をつけるという事には”長い時間をかけた経験”という物が必要らしいのである。事実、安本がけやきの強さを認めるに至った理由の大部分は、彼女の八年に亘る龍球に対する学習期間にある。


 今というこの瞬間だけではない。過去に於いても未来に於いても、良明と陽、そしてレインには、薄石高校や他の学校の選手達との時間の差を埋める事は出来ない。それでも尚、時間という概念を経験という能力値に置き換えて考え、努力でその差を埋めて薄石高の論理を覆す。それが現在の彼等の目標であった。

 故に、春大会の日の翌日から猛練習は続けていた。

 家に帰ってからの座学の時間も増やしたし、春大会で浮き彫りになった課題も一つ一つ潰していった。驚くなかれ、レギオンフォーメーションとフォウンテンフォーメーションも、彼等はほぼものにしたのである。

 だがそれでも、薄石高校に勝つにはまだ足りないという確信が大虎高チームの中には今なお共通認識として存在していた。


――――陽は、兄の顔を見て大方そのあたりの事を考えているのだろうと思った。

 タオルの結び目を解き「ありがと」と言いながら、陽は汗まみれの顔面を拭う。相変わらず今日も冗談の様な汗がみるみるタオルを湿らせていく。

 陽が一息ついて何の気なしに辺りを見回していると、突如として聞き慣れない音が鳴り響いた。


 ゥうううウーーーーーウうううゥ…………。


 サイレンの音だった。

「え、なに?」

 直ぐ近くに居る良明に問うが、彼もまた頭の上に’?’マークを浮かべている。

「あ」

「あ」

 考えを巡らそうとして、双子は同時に気づいた。

 高い日差しに、気温と腹の隙具合。

 どうやら時刻は正午を回っている様だった


 良明は、今立っている地点から遠く離れた建物に目をやる。

 それは、コンクリート二階建ての廃校だった。その建物がパッと見そこまで傷んでいない様に見えるのは、この楠間(くすま)小学校が廃校になった五年前当時にこの校舎がリフォームされたからである。


 考えようによっては何とも皮肉な話だが、児童減少により廃校になった直後に行政により宿泊施設へと改築されたこの小学校は、当時随分と活気に溢れていた。

 ノスタルジーに浸る事を目的とした大人達により、最初の一年半は予約でいっぱいだった程である。その後もちょくちょくと宿泊客が訪れてはいたのだが、さすがに五年ともなると当初程の客足は無くなり、今では予約すれば貸し切りで泊まる事も出来る様になった。

 尚貸切でこの施設を利用する場合、グラウンドや体育館といった施設も使い放題で、例えば何かしらの運動部が合宿をするにはもってこいの環境がそこにはあった。

 問題は貸し切りとなるといささか値の張る料金であったが、そこは部の存続をかけた取り組みという事もあってなけなしの部費を投入する事で解決した次第である。

 参加メンバーは、先日の春大会に於いてグラウンドに出ていた八名に長谷部を加えた計九名。さすがに成哉は長谷部の夫が家で面倒を見る事になった。


 楠間小学校校舎の一階に位置している家庭科室から、石崎が手を振っている。

「ごはんだよー」

 と言って叫んでいるが、二十分くらい前から香るカレーの匂いで良明も陽も察しはついていた。むしろその所為でいささか集中力が削がれたりしたのだが、さすがにそれは口にしない事にした兄妹である。

「今いきまーす」

 陽がそう返すと、良明も「すぐ行きまーす」と続けた。


 歩き始めながら、陽は提案する。

「じゃんけんで勝った方がタオル洗ってくるってどう?」

 良明は陽に近づきながら拒否の語を並べる。

「嫌だよ、こういう時に限って一分くらい決着つかないしさ」

「それね」

 さすがにじゃんけんで一分も決着がつかない事などそうないだろうと思うかもしれないが、この双子の兄妹に関していえばそこまで稀な事でも無い。否、そうなるのが面倒くさくてじゃんけんで物を決めようとする事を敬遠しているので、稀と言えば稀かもしれない。


「いいよ、俺洗ってってやるから先行ってれば?」

「あれ、どういう風の吹き回しですかお兄ちゃん」

「食堂まで行っても多少準備とかあるだろうなーって」

 意とも容易く黒い腹の中を白状する兄に妹は特に不快感を覚える事も無く「ああ、たしかに」と納得した。

(いざ食堂まで行って、結果その多少の準備が無い可能性だってあるねなー……)

 などと彼女が思っているのは秘密である。


 良明は校舎脇の脚洗い場でタオルを洗うと、昼飯待ち遠しさに足早になって家庭科室へと急いだ。グラウンドと部屋を繋ぐ家庭科室の戸を開けると、女子達が食卓に着いて妙な話題で話に花を咲かせていた。

 長谷部が興味津々に尋ねる。

「えー、でも一年生の頃からけやきちゃんの事好きなんだったらさすがに告白してるんじゃないのー?」

 陽が語る。

「いやいやいや、男の子って意外と奥手な人もいますよ? うちの兄なんて誰かに告白した事一度もないですし」

 石崎が不機嫌そうながら話題に参加する。

「いやまぁ、高校一年生だったらそりゃそういう経験無くても珍しくないっしょ。良明の場合は単にそういう度胸が無い可能性もあるかもだけどさー」

 長谷部と、陽と、石崎の間で、何やら良明に関する偏見が出来上がろうとしている。

「可能性っていうか、多分そうだと思います。もしくはシスコンなのか……」

 ダメ押ししようとしている陽の前からカレーの盛った皿を取り上げ、良明は買ってきた二本のペットボトルのジュースを両方とも自分の席に置いた。


「あ゛ー」

 と言って持ち上げられた皿へと手を伸ばす陽だが、疲れているのか椅子から立ち上がろうとはしない。

「陽お前なぁ、俺がシスコンなんだったらお前はシスコンの妹なんだぞ」

 皿を返してやりながら、良明は陽の向かいの席についた。ジュースも差し出してやる。

「ジョークだよー、よっちゃんジョーク」

 良明は”よっちゃんジョーク”とのワードには一切触れず、ペットボトルの蓋を開け口に含みながら尋ねる。

「え、なに、誰の話してたの?」

「直家先輩」

 良明は、陽の一言に凍りつく。


 二つ上の先輩の略奪愛などというハイレベルでデンジャラス極まりない話題に、自分の妹が平然と参加している事が軽く衝撃であったらしい。

「ついでに良明の好きな人もばらしといたから」

「はいはい」

 ”ついででそんな事ばらされたらたまったものではない”。

 ”というか好きな人などいない”。

 それらを言葉にするのも面倒で、良明は妹の戯れには取り合わずに辺りを見回した。


「樫屋先輩は?」

「カメラ取りに教室(へや)に戻ってる。活動記録として写真撮っておくんだって」

「ああ、なるほど。いいなそれ」

「うん」

 考えてもみれば、今年の夏大会で結果を残して部の存続にこぎつけたとして、それで終わりではないのだ。来年になれば当然けやきと石崎は卒業し、今度は残された部員達が新入部員の獲得に向けて動かなければならない。

 その時の事まで考えての発想なのだろう。良明も陽も、けやきに対しては本当に頼りになる人だという想いでいっぱいだった。


「どう? そろそろ疲れが溜まって来てる頃じゃない?」

 陽の横、良明の斜め前に座る長谷部が二人に問いかけてきた。

「多少は。でも、まだいけます」

 答えた良明に続いて陽がこくこくと頷いた。

 長谷部は正面に座るレインが『大丈夫』と答えるのを待って、続ける。

「今回の合宿は、大会会場で一泊して次の日試合に臨むっていう流れの予行練習でもあるの。それを聞いて少し安心した」

「春大会の時は大丈夫でしたけど、確かに樫屋先輩もそこを心配してましたね」

「よくある事だし、気を配っていないとそれまでの膨大な練習に係数として影響する要素だから……一晩枕が変わるっていうのは」


 長谷部が年下の龍球メンバーに対して敬語を使わなくなったのは、大会の翌日からだった。元々、身内以外には殆ど誰に対しても敬語を使うのは長谷部の癖だったので、春大会の前の三日間と言う期限の中での指導を求められた際に角が立たない様にとそのまま良明達にも敬語で通そうと思ったのだが、あの春大会の日にそれを変える出来事に直面する。

 敗北後、良明から出てきた言葉。

 ”ここから先、手加減なしでお願いします”

 それがきっかけだった。

 部員達の気持ちを切り替えさせる意味でも、長谷部は真っ先に他人行儀な口調を是正した。こうして談笑している時は兎も角、一度(ひとたび)グラウンドに出た後は基本的に命令口調で接する様に切り替えた。


 その彼女の対応が功を奏したのだろうか。良明は、今直面している疑問を頼りがいのある雰囲気を身に纏う監督に相談する事にした。

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