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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
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道程は辛く<下>(8)

 英田兄妹とレインにとって、敗北してからコートを退場するまでの流れはやたらと淡々としていて、じっくりと感慨を噛みしめる暇も無くあっという間に過ぎ去った。

 何かに急かされる様にグラウンドを後にして粛々と歩を進める一連の移動の中で、双子の頭に一つだけこびりついて離れなかった事がある。

 青空が度外れに憎たらしく、誰もに満面の笑顔を振りまいていた。

 それだけが、向こう数カ月忘れられそうになかった。



 観客席での会話は、極めて事務的なやり取りに終始した。

 寺川がけやきに言うには、「この後は最後まで試合を見ていくという事でいいな」だったし、けやきも淡々と「はい、お願いします」と答えた。

 長谷部は「水分補給はした?」と石崎に確認し、石崎はそれに対し「大丈夫ですよ、下でみんな飲んできました」と答える。


 竜術部の二年生は誰も試合内容には触れなかったし、皆最初の方に口にした「お疲れ様」などの労いの言葉以降、一切口を開こうともしなかった。

 ただ、直家に関してはけやきと二言三言かわしたのだが、そんな彼もすぐに席に戻って座り、沈黙した。


 先程からコート上で得点が決まったりファインプレーが発生するたびに、観客席の各所から小さく、または大きく歓声が巻き起こっている。

(こんなに賑やかだったのか……客席(こっち)

 良明はぼんやりとそんな事を考えながら、コート上で展開される試合を他人事として視界に捉え続けている。

 もちろん、その内容など微塵も頭に入って来てはいない。一際大きな歓声が巻き起こった時には反射的に意識をコートに向けたりするのだが、二秒ともたずすぐに集中の糸が切れ、再び眺望の海の中へと沈んでいく。

 言うまでも無く、陽はそんな兄と全く同じ精神状態であった。


 その様から無意味に大人びて見える兄妹二人に対し、レインはガイの横へと腰を下ろし、ガイの態度を見習って他校の試合観戦に集中していた。

『疲れただろう、ゆっくりしていていいぞ』

 ガイが優しくそう話しかけても、レインは『みんな試合観てるから、私もそうする』と言って、眼下で繰り広げられる激闘に対して可能な限り集中を続けようとしていた。


 ”これからの事を話さなければならない”


 良明は、陽は、その事を解っていた。レインの件をけやきに対して頼み込んだ自分達の方から、これからの彼女の身の振り方について相談しなければならない。

 そして、それよりも先に、これまで引っ張って来てくれたけやきに感謝の気持ちを伝えるべきなのだ。

 無気力状態にありながら彼らがそんな事を想っていると、どこからかホイッスルの音が聞こえてきた。見れば――音は兄妹に対して真正面から聞こえてきていた――、Bコートの試合が終わっている。

 いつのまにか、薄石高との試合から二十分前後が経過していた。

 タイミングを得た良明と陽は視線をかわすと立ち上がり、けやきの方へと歩き出そうとした。


「よう、樫屋」

 Bコートの試合終了を期にけやきに話しかけようとしていたのは、彼等だけでは無かった様だった。

 その聞き覚えのある声に、樫屋けやきは振り返る。

 青いベンチの合間に通るコンクリートの階段に片足を踏み下ろした状態で立っている一人の高校生が、けやきの顔へとその目つきの悪い視線を向けていた。


 良明と陽は、その者の顔を知らなかった。

 オレンジ色に染めた髪。腕まくりした両手をズボンに突っ込んでいる姿。――本来これには違和感を抱く場所では無い筈なのだが――黒いジャージ。

 その見た目から、何かとっても関わってはいけないカンジがする。

 それが彼等双子の、彼女に対する第一印象だった。


「あれ、ミケっちじゃん」

 石崎にミケっちと呼ばれた少女は、”どいつもこいつも変な呼び方しやがって”という気持ちを顔に出しながら多少不機嫌そうに応じる。

「おー、久しぶだコノヤロー。あとミケっちって呼ぶな」

「お互い、残念だったな」

 腰を浮かせて席をずらすけやき。三池は、譲られた席に腰を下ろしてそれに応えた。


「なんだ、俺らの試合結果もう知ってんのか」

「昨日のうちにチェックしたさ」

 自分が座っていた椅子にも戻らずに、何故かその傍らに立ち尽くしている双子。けやきは兄妹を見た。なんだか、凄く他人のふりをしたさそうにしている様にも見えるが、気にせず紹介してやった。

「英田兄妹、竜王高校の三池三年生だ。前回大会で私達を破ったのは竜王高校で、その時いくらか仲良くなった」


「はじめましてだコノヤロー」

 ぐーを突き出してそう言った三池に対して、良明も陽もリアクションに困っている。

 そもそも疲れている所為でリアクションする事自体が億劫というのもある。

「は、はじめまして……」

「は、はじめまして……」


 三池は面白そうに良明と陽に話しかける。

「すっげー、ホントにシンクロすんだな双子って。つうか、なんだよんな浮かねぇ顔して。切り替えてけ切り替えて」

 良明と陽は俯いてしまった。

 すると、三池は満面の笑顔でこんな事をのたまうのである。

「ウチなんて一回戦で負けたんだぜ! しかも俺に関しちゃ試合に出れてすらいねぇ!! 言っとくけど、俺、三年だかんなもう」


 俯いたままの良明は、疑問を口にする。

 本当の所を言えば、それは彼にとってどうでも良い事だったし、求めている答なんて何も無い問いであった。だから投げやりな口調になってしまったのだが、三池がそれを気にする素振りは全く無かった。

「どうして……そんなに明るくしていられるんですか?」

「んぁ?」

 と、三池はきょとんとして今一度その理由を言葉にする。

「今さっきも言ったけどよ、切り替えてかねぇとしゃーねーだろ。そりゃ悔しいし歯がゆいけどよ、要は次の事考えるのが今やんねぇといけねぇ事だろ」


(前には、何もない)

 傍らの兄と三池の会話を聞きながら、陽はそう思った。

(もう、私達の大会は終わってしまったんだ。トーナメントである以上、もう次は無い。敗者復活戦があるわけでも無い)


「三池。ところで何故ここへ? 私達に何か用でもあるのか?」

 けやきに問われて、三池は「そうだそうだ」と言って続けた。

「アレだ、その……悪かったな。樫屋」

 唐突に三池の口から出てきた謝罪の言葉に面食らう一同。

 そんな彼等を見て、三池はなんだかむず痒そうに視線を一瞬だけ逸らした。

「お互い、この大会での再試合楽しみにしてたのによ……」

「ああ、なるほど……」

 と返したけやきは、かねてからの疑問を口にする。


「そちらのチームに何かあったのか? 去年の大会でのうちとは違って、そっちの残り二人はまだ二年生だったと記憶しているんだが。それにお前も試合に出ていなかったというのも気になる」

 円と伊藤と霧山による即席チームを、けやきに見られていたらしい。

 三池はばつが悪そうに答える。

「俺、ちょっとどうしようもなくムカつく事あって……じゃねぇや。えーと、まぁアレだ、ワケあって三年の奴殴っちまってよ。んで出場停止処分食らったんだよ」


 三池は、昨日この会場に居る筈であったらしい、元龍球部の二年生について説明を加え始めた。

「んでまぁ、二年共に関してはそれよりもだいぶ前に部を止めちまってな。あいつらの親がよ……俺みてぇな不良と一緒に居ると腐るとかなんとか、あいつらに吹き込んだらしくてな。二人とも退部するーっつって出て行っちまった。 山村……あ、ウチの顧問な? その山村には一応正式に退部する手続きも行ってる」


「……それは、残念だったな」

 三池は複雑な心境を垣間見せるけやきの顔を見て補足する。

「ああ、待った待った。別に俺はあいつらの事恨んじゃいねぇからよ。俺がこんななのがそもそもの原因だしよ。それに、嫌なら無理矢理あいつらを付き合わせるつもりなんて最初からねぇし」

 そう言った三池の目は、相変わらず獣を射殺いころしそうな色をしてはいた。だが、どこか寂しげにも今のけやきの眼には見えてしまうのだ。


 三池とけやきの会話は続いていく。

 だが、兄と妹にはそれに対して抱く興味や感想はさほどありはしなかった。

(どのみち、もうすべて終わった事なんだ)

(どんな因縁も、心残りも、もう晴らす事なんてできない)


 不思議なもので、一度そう思ってしまうとどんどんとその”心残り”が思い出されてしまう。

 あの局面でもう少し速く走れていれば。

 あの局面でもう少し早く反応出来ていれば。

 あの練習にもう少し力を入れていれば。

 寝る前の龍球の本の読書を、一日あと十分長くしていれば。

 レギオンフォーメーションやフォウンテンフォーメーションを完璧なものに出来ていれば。

 あの最後のパスを、もっと上手く渡していれば。

 あの最後のパスを、相手に奪われていなければ。


 或いは、もしかしたら、勝てていたかもしれない。


 兄と妹の聴覚に、三池が会話を締めようとしている声が入ってくる。

「まぁ、なんだ樫屋」

 どこかのオヤジがやるみたいに、ひざをばしんと叩いてその勢いで立ち上がる三池。

「夏大会、どんな事があっても俺は出場すっからよ。今度こそまたやろうぜ、龍球!」

「ああ」

 清々しい表情で返事するけやき。

 兄と妹は、会話が終わったのを見計らって自分の席へと戻り始めた。三池への会釈も忘れていない。


 二人同じモーションで同時に席に着くと、傍らのスポーツドリンクを口に含んだ。やはり、二人同じモーションである。

 ごくり。二人を横切って階段を上っていく三池が視界から消えたタイミングで、なにか、ひっかかった。



(なつたいかい?)

(なつたいかい?)



 ナツタイ会?

 祭りか何かだろうか?

 それは、龍球を愛好する者達の間で開かれるサミットの様なもので、そのプログラムの一環としてエキシビジョン的な試合でもあるのだろうか?

 もしかして、昨今の龍球の試合をみんなで研究する様な場なのだろうか?

 夏に行わ――――


「夏大会ィ!!!?」

「夏大会ィ!!!?」


 口に含んでいた二口目を喉に詰まらせて、双子は二人そろって「ぶぇっぐぇほっっ」と同じ音をたてて咽かえった。

「そりゃ、次は夏でしょうよ」

 石崎があっけらかんと言い放つ。言い放つのである!

「ちょちょちょい、ちょい!? 先輩!?」

「ちょちょちょい、ちょい!? 先輩!?」

 その二人の様子を見て、長谷部以外の人間全員がなにやら愛おしい物を見る眼で二人を見つめた。長谷部は、ひとりだけ真剣な眼差しで二人を見ている。


「夏に、まだ大会があるんですか!?」

「夏に、まだ大会があるんですか!?」

「……知らなかったのか、お前達……」

 けやきが呆れ顔で質問を返した。石崎はそれに対して捕捉する。

「言っとくけど、夏大会が正真正銘最後の公式戦だからね? んでもって、学校にアピールできる材料はあくまで公式戦で結果を残す事。夏大会の’次’の大会は、もう無いから」


 活字の二重丸――◎――で表現できそうな眼をぱちくりさせている双子に、石崎はさらに捕捉する。

「あと、龍球以外で学校にアピールする道は……ウチらも頑張ってるけど、正直、頼りにはしないで」

「は、はぁ……」

「は、はぁ……」


 今しがたまでBコート上で行われていた試合は、先程の薄石高対大虎高の試合を凌ぐハイレベルな戦いである。

『よかったー』

 それまで真剣に試合に集中していたレインが、ぱたぱたと羽ばたいて陽の懐に飛び込んできた。

 陽はとりあえずレインをぎゅうっと抱きしめてみる。

 そのままのポーズでけやきと長谷部の顔、それからBコートを見比べて質問した。

「…………私達、まだ、希望を持って頑張って……いいんですよね?」


「そうでなければ困る」

「当然よ」

 けやきと長谷部が同時に答えると、良明は長谷部に対して努めて真剣な表情を作った。

「長谷部さん」

「うん?」

「……ここから先、手加減なしでお願いします」

 座ったまま口の前で手を組み合わせる兄の言葉に、陽も同調する表情を浮かべた。その腕の中のレインも、その他のメンバーもだ。


 残されたリミット――すなわち三年生最後の公式戦の日――まで、あと二カ月程。

 憎たらしい青を浮かべる空は、尚も少年少女を嘲笑っている。

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