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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
85/229

道程は辛く<下>(7)

 来須は少女の気迫に圧倒される。

『狼狽えるな!』

 アルが来須へと雷の様な声で叫ぶが、聴覚から伝わるたったの一言を脳で受け取る余裕は彼には既に無い。

 だから、彼が気づく筈は決して無い。

 レインはそう判断して、久留米沢と来須の間に差し挟んでいた身体をその場から離脱させた。彼女が向かう先は、来須の眼下で待ち構える良明の居る地点だ。

 羽ばたきの風と共に良明に視線を送るレイン。良明は接近する彼女の存在に直ぐに気づいた。そして、その相棒ドラゴンの意図を一瞬のうちに汲み取る。


(”陽が引き付けてくれてる間に、来須の背後から奇襲を”)


 レインの意図をそう断定した良明は、能う事を願いながらレインの背に乗り飛び立った。

 そのレインが機転を利かせて始めた事とはいえ、完全なる集中状態下で手綱を握っている今の良明にとって彼女の飛翔能力は自家薬籠中の物である。

 奇襲を成功させるという硬い決意が、少年の動きをさらに底上げして洗練させていく。

(あと一メートル、あと五十センチ……今!)

 レインは、来須の背後にてその羽根をついに大きく広げた。


『来須、後ろだ!!』

 バサリ、という大きな音にアルが真っ先に気づいて来須に警告するが、もう遅い。

 勝利への渇望を妹と同じくする双子の兄により、ついに来須の手からボールは奪い取られた。


 が、そこに接近する事が道理であるユニットが一組、良明とレインの背後から迫って来ていた事に彼等は果たしてその瞬間気づいていたのか。

 十数秒前までレインによって塞がれていた来須とのパスの道を解放された、久留米沢ユニット。彼らが、目の前でボールを奪われようとしている来須の元へと加勢しない理由は無かった。


「アキ! 後ろ!!」

 陽が叫ぶが早いか、良明は警告をくれた妹へとボールを託した。

 陽は予定していた様な動きで薄石コート最奥に位置するけやき達へと視線を向ける。

 それとまったく同時だった。


「フォウンテン! 一気に攻め抜く!!」


 けやきの号令。瞬間、良明と陽は確信する。

(これが最後だ! これで、勝負が決まる!!)

(これが最後だ! これで、勝負が決まる!!)


 けやきが陣形の先頭に立ち、パスを求めて右手を上げている。

 陽はそれに対してボールを持つ右腕を振りかぶり、今、その手のボールを――

「――え?」


 その手に、ボールは握られてはいなかった。

 良明から渡された筈のボールが、手の中に無かったのだ。

(ちがう……)

 陽は、明瞭な意識の中で事実を直視しようと試みる。


 ボールを受け取った感触は、受け取ったその直後には既に消失していた。

 正面を向く。

 兄が、ある方向へと視線を向けている。陽は目を向けたくない方向へと、その首を回した。


 ボールを手に攻め上がっていく、来須ユニットの後ろ姿があった。


「ショウさん!!」

 陽が手綱へと手をかけるよりも早く、ショウは地を蹴り駆け出していた。


 羽ばたきも加えてぐんぐんとスピードを上げる。だが、それでも追いつけない。

 ショウとレインは、あと一メートルというところで来須の乗るアルへと追いつけないまま侵攻の背後を追い続ける格好となった。

 けやきを乗せたガイもついにそれまで続けていた安本へのマークを放棄し、自陣へと羽ばたいて戻る事をし始める。


 全ての大虎高選手からは背中しか見えない来須が、進行するドラゴンの背の上でボールを振りかぶっている。

 その前方では大虎高コートのゴールリングがいつもと変わらない姿かたちで待ち構える。

 善も悪も無く、攻めも守りもせず、ただただ来たる選手とボールをじっと、静かに。


 良明と陽は、全身の皮膚がざわつく様な緊張に包まれた。それは目の前で起ころうとしている事が全ての終局である事を心と体が理解している証拠である。

 あとは意識がそれを直視し、指すべき最善手を行うのみ。


 双子は、同時に来須の背後から手を伸ばす。

 それが出来たのは彼等が跨るドラゴンもまたその最善手がいかに重要で不可欠なものであるかを理解していたからこそである。

 なにがなんでも踏み出さなければならない一歩。

 追いつけなかったでは済ましてはいけない一歩。

 今踏みしめた一歩こそがそれである事を理解していた証拠である。


 来須の手元に双子の手が届いたのは、ボールが放物線を描き始めた後の事だった。

 良明と陽は、続けて全く同じタイミングで”進め”の指示を手綱に込める。

 リバウンドは、必ず取る。固い決意の下にシュートを放った来須のユニットを追い越した。


 どこをどう跳ね返って来たのかはわからない。

 最も視るべきがボールであるのは理解していたが、だからこそボールの動き以外の情報を今の双子の精神は必要としなかったのである。


 暗闇の中に落とした意識を、マスク処理された黒い背景の中で白く輝くボールだけに集中させる。

(ここで終わっちゃいけない! よりにもよってあの来須に決勝点を入れられて終わるなんて、絶対にあっちゃいけない! このボール、絶対に渡さない。渡してたまるか!!)


 誰の追従も許さず、足元に跳ねてきたボールを陽はしっかと拾い上げた。


「このまま反撃! アキ、先行を!!」

 妹は、叫ぶ様に兄に指示した。


 陽が見る風景が、静止した。


 良明は、レインは。一歩もその場を動かなかった。

 陽は驚愕の表情を浮かべて再度声を張り上げる。

「アキ! はやく!!」


「…………」


 その沈黙が意味する所を、陽は心のどこかで解っていた。

 解っていつつも、今一度枯らすつもりで喉に力を籠める。

「ア――」


「終わったんだ」


 良明の、疲れ切った声が妹の闘争心を打ち砕いた。


 電光掲示板には、”2-3”の文字。

 左側の数字の横には、OTORAの文字が数字と同じ鈍いオレンジで浮かび上がっていた。


「…………す、薄石高校、一点。……ゲームポイント、トゥー、スリー……」

 審判がコールしたのは、兄妹がその文字を視認して、五秒も経った後の事だった。

 電子音は、誰の耳にもとっくに聞こえていた筈である。


「はぁ……はぁ……」

 肩で息をしながら、最後の一点を放った少年はただただゴールリングを見上げていた。

 歓声など全く上げられなかった。

 ボールがゴールリングを潜って得点にこぎつけたのか、外れたのか、それとも何らかの反則により得点は無効であったのか。

 それらの内どれが正しい認識であるのかを、審判のコールを聞いてから三秒が経過するまで来須の脳は判断する事が出来なかった。

 必死だった。


 勝利を理解した後、来須はゆっくりと背筋を伸ばし、姿勢を正した。

 良明は、陽は、レインは。

 ショウ、けやき、ガイと、ベンチの石崎、そしてシキは、得点が表示された電光掲示板をただただ見つめていた。

 まるで、新年の日の出でも見に来ている様に言葉も無く。

 何かしらの、神々しい物でも拝んでいるかのように。


 あれほど敗北への危機感を抱いていた兄妹には、不思議と”どうしよう”という気持ちは無かった。


 頭が現実を拒絶している。

 拒絶し(・・・)ていると(・・・・)いう事実(・・・・)以外、何も考えられなかった。だから、けやきが「コート中央に集まれ」と口にするまで、そのまま一歩も動く事が出来なかった。


「ゲームセット。以上、ポイント2-3で薄石高等学校の勝利と判定します」

 ほんの数メートルの所に居る野崎の声が、彼等には百メートルは離れた所で発されている様に思えてならなかった。

 呆然と相手のチームの面々を見据え、憎くも恨めしくも無い空虚な気持ちで礼をする。

 審判に、会場全体の段取りに促されるまま、チームはベンチへと戻った。


「おっつかれー、いやぁ皆頑張った! 感服したよ私は!!」

 石崎は、殊更に明るく振る舞った。

 それに対してけやきでさえも何も言葉を返せない。その石崎の言葉に応じてはいけないのだと、けやきの中の社会的動物の本能が訴えかけて、必死に制止してくるのである。


「ほら、まぁ兎に角ドリンク飲んで! ね!」

 普段の石崎なら、決してそんな残酷な事はしなかった。

 小学生の日。あの、けやきがガイに乗れなくて沈黙していた大虎祭の昼休憩の時でさえ石崎は空気を読んだが、今や高校生になった彼女をして、今この瞬間においてそんな気を回す余裕などは皆無だったのだ。


「ほらー、観客席の皆見てみ」

 言われて、試合に参加した六名は重い首をもたげる。

 大虎高の関係者の誰もがチームメンバー達を労う様に微笑みかけ、在る者はガッツポーズをしたり、在る者は優しく拍手を送っていた。

 大虎高の関係者だけではない。ちらほらと、全く関係ない出場校の関係者と思しき何人かが、Bコートの両校選手に対して拍手を送っているのである。


 薄石高の三点目を告げる審判のコールを聞いて以来、練習試合に続いて今回まで泣いてたまるかと心を固く戒めていた兄と妹は、頬に伝うくすぐったい感触に対して手で拭って対応した。

 それが(まず)かった。

 彼等の身体が泣く事を許可されたのだと勘違いしたのか、涙の筋が次々と頬を伝い始める。


 試合に参加した人間選手のうち、けやきだけが凛としていた。

 あらゆる感情を封印し、誇りや感謝さえも見せない武骨な表情で、視線を客席に向けて見回し、そして良く通る声で力強くこう言った。


「客席に向かって、礼!!」


 双子は腕で涙を拭うと、他の部員達と共にその場で深々と腰を折った。

 揺れてしまう声で感謝の言葉を口には出来ないからか、誰も無言だった。無言で、ただただけやきに倣って礼をするのみだった。

 地面に向けたけやきの顔は人知れずその両目を固く閉じ、眉間にしわを寄せている。だがそれは決して泣き顔ではなく、ただただ自分の不甲斐なさを呪うような、そんな自省に満ちた表情であった。

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