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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
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道程は辛く<下>(2)

「おい、サイ……」

『…………』

「…………サイ?」

 安本が乗るドラゴン・サイは、やはり動かない。

 観客、選手達、審判、すべての関係者。このままでは、それら全ての視線を引き付けて不本意な注目を集める事になるだろう。

 安本は意図せず焦りの色を声に乗せ、今一度サイの名を呼ぼうとした。

「サ――」

『安本』


 安本は反射的に頭のどこかで振り返る。前回、彼の言葉を耳にしたのは何時の事だったろう?

 思い出せなかった。サイの言葉を、久しぶりに聞いた気がしたし、事実そうなのだろうと彼は思った。


「なんで、動かない?」

 サイは返答せず、代わりに指摘をした。

『震えているぞ』

「…………え?」

『手綱を握る手も、脚も、声も、震えているぞ』

「なにを……」

 その三文字の後に続く言葉を発そうとして、安本は漸く水をかき回した様な自分の声に気づいた。


『落ち着け。来須を更正させるんだろう。そんな事じゃあ駄目なんじゃないか?』


 安本は、信じられなかった。

 自分自身すら認知していなかった焦りを見抜かれた事がではない。サイが、これほどまでに自分に対して言葉をかけているという事実が、まるで夢の中の出来事の様に思われた。

 実際、安本は一瞬これが夢なのではないかと疑った程だ。だが、目の前に居る大虎高選手達――特に一年生二人とレイン――の表情を見て、その考えを捨て去らざるを得なくなる。

 良明と陽とレインが放つオーラは、およそ自分の脳内で描かれ得る映像には思えなかったのだ。


『しっかりしろ。お前は――』

「サイ」

『……なんだ?』

「お前だって、だよな」

『…………』

 ”お前だって震えているのではないか?”ではない。

 サイはその言葉の意味を察したが、即座に肯定する事が出来なかった。

「お前だって、散々俺に振り回されて不満があるよな」


『ああ』


「すまなかった」

『……後にしよう。それは俺だけに言って終わる言葉ではないだろう』

 サイの不満はそれよりもむしろその後の安本の態度なのであるが、それを話すべきは今ではない。眼前に構える相手選手達と、後方に構える仲間達の視線から、サイはそう判断したらしい。

「ああ……そうだな」

『少なくとも……少なくとも、俺は来須を元に戻す事に全力で協力する。だから安本、お前も今はもう焦るな。相手の視線はどうでもいい。お前の暴言もどうでもいい。今この瞬間は、紛れもなく県予選の試合中なんだ。今は、ただただ全力で俺に指示してくれ。俺も全力で応える』

 自分による全ての悪態を包含する様なあつい(・・・)言葉に、安本は安堵せずにはいられなかった。

 何も解決はしていない。赦されてもいない。だが、それでも今はそれでいいと思った。今なら、試合に対して全力で臨むことこそがやるべきことなのだと確信できる。


「なぁサイ」

「グァ?」

 安本は、最後に一つだけサイに問いかけた。

「なんで……解ったんだ」

『’(サイ)’の名は伊達ではない……などとカッコつけたい所だが、違うな。高校での龍球だけとはいえ、丸二年以上もお前の相棒をやっていれば動揺している事くらい嫌でも気づく。それだけだ』

 事実、安本の異変に気づいていたのはチームの中で彼だけだった。

 安本は、味気なく「そうか」と一言。手綱を握りなおした。


「来るぞ!!」

 けやきによる後輩達への警鐘が合図であったかのように、サイはついに地を蹴った。

 そして直後、大虎高選手の誰もが一瞬で理解する。

(これは――)

(――ヤバい)

 良明と陽は一瞬でも気が抜けない中で、思わず顔を見合わせた。一方のけやきは「大丈夫だ。当面はパスを待て」と言って、安本のユニットへと先行を始める。


 良明や陽が顔を見合わせ、レインが生唾を呑み込み、ガイやショウが身構えた理由。

 サイの身体の動きは、全力その物であった。

 この後の試合の事など全く考えていないかの様な、まるで、炎に包まれた動物が苦し紛れに全身に力を込めて疾駆する様な、そんな全力疾走である。

 そのスキルを瞬発力と言ってしまえば簡単であるが、ドラゴンの場合はそこにさらに羽ばたきが加わる。脚の疲労が限界に達しようとした時に、サイは背中の羽根を羽ばたかせ始めた。人間には直感的にイメージ出来ない筋肉に力を籠めて躍動させ、鳥の羽ばたきの様に何度も何度も扇いで飛び立つ。


 待ち構えるけやきは、それらの動きに関してこう考察した。

(運動をしているのは安本が跨るドラゴン。当然、安本自身の疲労には殆ど影響しない)

 ついに眼前に迫った安本を視界の中央に入れて尚、けやきとガイはボールを奪おうとしなかった。けやきの左右に構える良明と陽は、部長達を信じて加勢しようとはしていない。

 と、その時。

 安本はサイの背から飛び降りた。サイの背首に足を立て、前方へと転がり出たのだ。

 ガイのすぐ脇を潜る様な姿勢で駆け抜けて、大虎高のゴールリングへと迫ろうとする。


 それら彼の漸進的な得点シーケンスに闖入したのは、彼が段取りを組んで今しがた突破した筈のけやきだった。彼女もまた自らの相棒の背から跳ねる様に離脱し、その身一つで敵チーム安本へと向かい合っている。

 人対人。三年生の部長同士は対峙した。


「やっぱそう来るよなぁ、樫屋!!」

 フェイントをかけた身体の動きを軸足一つで停止させ、安本はけやきによるディフェンスを陽動しようとする。

「ここを通れると思うな!!」

 という一言を口から出し終えた直後にボールを奪うと見せかけ、けやきはあくまで安本の動きへの注視を続ける。否。安本の言葉に返事する事で、彼がけやきのディフェンスを抜きにかかるタイミングを作ろうとしたのである。

 この重要局面で言葉を交わすなどという事に応じた事それ自体が、けやきによる陽動返しだったのだ。


 だが、それでも安本は動かなかった。

 まるで地に影を縫い付けられた様に、一歩たりとも進んで来ようとしない。

(何故、攻めない?)

 けやきが一瞬考え、すぐに察する。

「まさかっ!」

 と、彼女が言ったのと同時だった。

 安本は、その二文字を口にした。


「展開ッ!!」


 考えてみれば、それは当然の選択であった。

 この試合の冒頭、薄石高チームは今と同様にレギオンフォーメーションを使用した。しかしそれは大虎高チームのレギオン返しとでも呼ぶべき対応によって対処され、薄石高チームはそれ以降、試合全体への体力温存を考慮してレギオンフォーメーション使用を控えるに至った。

 だが、今この瞬間のスコアは二対二。あと一点取れば勝敗が決す、試合の最終局面である。まさにここ一番。この試合既に、彼ら薄石高チームがレギオンフォーメーションを使用する事に、何の不思議も無い局面に達していた。


 薄石高チームの他の選手がけやき達の所に到達するまでの時間を、けやきは瞬時に概算する。

(五……いや、四秒か)

 あの練習試合で成す術無く圧倒され奪われた最後の一点を思い出す。今、相手が迫り来る残りの約四秒で安本からボールを奪えなければ、あの練習試合と同じ事が起こる。けやきは、そう確信した。


安本(こいつ)が攻めて来るのを待っている場合では、ない)

 けやきは自分から一気に距離を詰めると、安本の手元へとその腕を伸ばした。その動きを完全に予想していた様に、安本は難なく身体を捻ってそれをかわしきる。

 一連の動作により発生したけやきの隙。安本は狡猾にけやきの背後へと足を踏み込み、一気にディフェンスを抜こうとする。

 この時点でけやきは完全に安本に背を向けた格好。どう身をよじろうとも、彼の前に立ち塞がれる位置には既に居なかった。

(焦ったな、樫屋! レギオンを発動したからと言ってレギオンで勝つ義務が生まれるわけじゃねぇ!!)


 が、それでも安本の進路は塞がれた。彼の勝利への道程を塞いだモノを左右にかわそうにも、そこも完全に塞がれている。安本にとって正面と左右。その三方向が、一瞬にしてたった一つの影によって封鎖されたのである。

 上空を羽ばたいて彼の前に降り立った、ガイだった。

(この女、相棒のドラゴンが俺の背後で動くのに気づいて、ワザとディフェンスを抜かせたフリを――ッ!)

 だがそれでも、安本は敵陣への進行を強行する事を選んだ。

「オおお!!」

 広げられたガイの左翼を潜り抜け、その手に持ったボールを腹の前で構えなおしながら一歩、また一歩と進んでいく。


「かわした!!」

 来須は、眼をみはっていた。

 あの樫屋けやきのユニットの眼前でドラゴンの背から降りる度胸。たった一人でけやきとガイその両名を完全に抜き去った技量。しかも、その最中に於いてタイミングを見極め、レギオンフォーメーションの指示を出す事までしてのけた。

(樫屋だって相当な集中をしてるはず。決して油断なんてしていなかった!)

 レギオンフォーメーション展開の指示を受けてドラゴンから降り、安本に追従するべく走っていく来須は思うのだ。


(今の俺に、アレが出来るか?)


 果たして、安本は本当に弱体化したのか。

 仮にそうだとして、今の自分にそれを指摘する資格が本当にあるのか?

 実力の伸びしろがあるにも関わらず、それに対する焦りも無く。他者を憎んで悪態をつく事ばかりを考えている、今の自分に。

(苦痛を伴う継続した努力こそ、成功への唯一の道。なら、だとしたら、果たして今の俺は――)


 走り続ける来須の視界に、少年と、少女と、仔竜の姿が入ってきた。

 否。今までだって確りと視界には捉えていた筈である。だが、彼はそれに目を向けようとしていなかった。


 ぽっと出の、龍球歴でいえば高々一か月半のド素人。練習試合の前に、来須がある人物からそう紹介された二人と一頭。

 だが、果たして彼等は憎むべき対象なのか?

(俺は、目の前にデカい顔して現れた素人が鬱陶しくて、馬鹿にして、完膚なきまでに挑発して、芽を摘もうとした。その筈だった)

 だが今、そんな来須の視界の両端に居る彼等は、その表情は、彼が良く知る”本気で龍球に明け暮れる者”の顔に他ならなかった。

(俺は……)

 来須は、足を動かしながらも思わずにはいられなかった。呟かずには、いられなかった。


「俺は、龍球を始めてたった一カ月半の素人に負けるのが、怖かっただけなんじゃないか?」


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