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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
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道程は辛く<下>(1)

 ブラックホールに吸い込まれる物質は、理論上外から見ると静止している様に見えるという。

 陽は小学六年生の夏休みのある日、自由研究の為に借りてきた本でそう読んだ。

 当時、横で同じ様に目を輝かせていた良明と共に、読んだ。

 もしかしたら、あの本に書いてあったのが今自分の目の前で起こっている事であり、薄石高校のゴールリングは、実はブラックホールなのかもしれない。

 ほんの一瞬前のかつて、刹那の中に居た陽は、そう思えて仕方が無かった。


 しかして白球は、事象の地平線を超えて動き出した。

 薄石高のゴールリングを背にして少女は後ろで手を組むと、その本を読んだ夏休みの日以上の笑顔でこう言った。

「十パックなんて、食べらんないよ」


 ビーーーーッ!

「大虎高、一点。ゲームポイント、トゥーオール!」

 審判の声。一点は返された。


 陽の、良明の、レインや他の選手達の笑顔が咲いていく。

 口々に歓声と労いを述べ、陽と良明は先程の様に手を打ち合わせた。

 その場に双方の全ての選手が集中していた事で、一帯には悔恨や悪態とその反対の言葉が入り混じる結果となった。大虎の選手が自コートに戻る事でそれは解消されたかに見えたが、次の瞬間、来須倫太郎は歓声が彼等大虎高チームメンバーだけから発せられる物ではない事に気づいた。


 観客席。それも、一角だけではなく、全体から。Bコートを見回せる様々な位置から、どよめきにも似た喝采が沸き起こっていた。

 決して、満場が一体となって大虎高のファインプレーを褒め称えていたわけではない。だがしかし、確実に。あの大虎高チームによる多段式陣形攻撃を目の当たりにした全員が、攻防の一部始終を食い入るように見つめていた。

「使い古されたスクラップを、再利用しやがった……」

 安本の呟きに続き、来須は吐き捨てながら大虎高選手達の背中を睨む。

「雑草根性、ね……」


 ショウをはじめ、相手チームを食い止めていた皆に礼を言う陽の声音は、一点目と同様に明るかった。

「グァアゥ」

 と鳴いて応えたショウに対して答える様にけやきが続けた。

「そうだな。あと一点だ」

 そう、まだ試合は終わっていない。優勢になったわけでも無い。

 陽は我に返り、表情を引き締めた。


 良明はその様子を見届けてから、けやきに問う。

「薄石の、レギオンとは別の一手。樫屋先輩には予想がついてたりするんですか?」

「……明言を控えたい……などと、悠長な事を言っている場合ではないな」

 けやきは、遠くで準備を整える薄石高チームを見、時間の猶予を気にする口調で前置きする。

「私が言えるのは、あくまで推測の話だ」

「十分です、教えてください」

 と、陽。


「……薄石に取られた、二点目を思い出せ」

「直線的なパスで一気にボールを繋げられて、結局防ぎきれなかった……それに、何かヒントが?」

 真剣な眼差しを送り続ける良明に向いて、けやきは答える。

「良明、あの時彼らは、どうやって情報を伝達したと思う?」

「事前に作戦を示し合わせておいて、条件が揃った段階で各自の判断で発動したんじゃあ?」

「それが最もストレートな解釈だろう。その解釈で私が感じた違和感も、当時はただの直感としか表現しようが無かった。では、次はどうだ」

「次?」


「その後、我々が反撃する場面になり、彼らはいつもの”展開”という単語ではなく”今だ”という号令で、レギオンフォーメーションを発動させた。遠く離れる来須も含めて、だ。しかも、来須はその後の薄石チームの動きを把握しきって動いていた様に私には見えた」

「……まさか、相手主将はあの状況の中で、レギオンフォーメーションを発動しろっていう指示の伝達をしていた!?」

 けやきは頷く。

「先程も言ったが、これは推測に過ぎない。だが、私がこれに気づいたという事実がある以上、彼等の戦いぶりがそれを裏付ける証左とも言えるんだ」


 石崎は、周囲の雑音の中で辛うじて聞き取れるけやき達の会話に耳をそばだてていた。

 手元のPCに視線を落としつつ、実際はその目に映る全ての映像を脳が遮断していた。

「私が座るここからじゃあ、特にそんな手段を見て取れはしなかった……」

「グゥウ」

 横に座るシキが唸るが、石崎は首をかしげる。

「な、なに?」

 シキは、竜の言葉を解さない石崎に対して”やれやれ”といった表情を作り、重そうに身体を起こして立ち上がった。


「え」

 そして、徐にその大きな羽根を広げ、石崎の視界を奪う。

「ちょ、見えない、前見えないから!」

「グァア」

 シキが上げたのは肯定の鳴き声。

「”そういう事だ”って事……? いや、それってどういう……」

 石崎は、はっとする。

「もしかして!」

 シキは、石崎が竜の言葉を解さない事を知りながらも、彼の言葉ではっきりと述べた。

『詳細な方法は解らん。だが、恐らく奴等はお前から見えないところで何かやっている』

「解んないんだってば! 竜の言葉ッ!」

 シキは石崎の抗議を意に介さずに後輩達を見やった。

『さて、現場の奴等がそれを突き止めてくれればいいのだが……』


 あと一点。

 勝つまでに必要な、負けるまでに残された、あと一点である。

 薄石高チームは、この局面においてその一点を全力で奪う為の決断をした。それが英断であるのか、愚策と終わるのかは結果次第。勝てば官軍とは言うが、安本がそれを言いだした時、敵軍となってそれを止めに入ったのは久留米沢だった。

「それでは、俺達の最重要戦術が使えないだろう」

 安本は間をあけずに反論する。

「勿論ずっとってワケじゃねぇ。お前らも、すぐに俺の後を追って来い」

「だが!」

「ザワ」

「……なんだ」

「お前も、感づいちゃいるんだろ?」

「何をだ」

「来須の考えてる事、だよ」

「なにを――」

 ”言っているのか”。と、久留米沢は言葉に出来なかった。

 試合結果を勝利で確定させる為には、今しがた安本が言い出した戦略を実行するわけにはいかない。だが、その為に”来須の考えている事が解らない”としら(・・)を切るには、ここ暫くの本人の態度は目に余るものがあった。


「来須」

「……はい」

 相変わらず不機嫌そうな顔のまま二人の言い合いに耳を傾けていた来須に、安本は今このタイミングでついに核心を突く言葉を並べたてた。

「不服なんだろ? 俺の態度が。俺があいつらに対する憎悪を封印した事が」

 来須は、安本の問いに対して即座に、冷徹に二文字だけで回答した。

「はい」


「だがその理由は、この前説明した」

 安本が大虎高チームへの憎悪をその頭から消し去った理由。それは、”けやきの長年にわたる努力を認め、逆恨みを自省したから”である。

「部長……」

 一転、来須はついに怒りを口調に込めて、先輩後輩の垣根など存在しないかのように捲し立てる。

「その結果! その結果強さを奪われたんだったら、俺はそんな甘さ認めない!! 勝つことこそがスポーツの正義であり、勝つことでだけ充足は得られるんだ!! ましてや、あんなド素人という不純物が混ざり込んでるチームに、万が一にも負けるなんて、絶対にあっちゃいけない事だ!!」

「俺が、強さを奪われた……そう思ってるんなら、そりゃお前の決めつけだ」

「そんなこと――!」

「ソレだよ」

「え」


 安本は、重々しいため息を一つついて続けた。

「お前は、そう言ってきかねぇだろ。だから、今から試合で見せてやるんだよ。そうじゃ無ぇって事をな」

 ここで久留米沢が口を挟む。

「このお互い一点の失点も許されない局面で、か?」

「この局面だからこそ、だ。俺の全力で道を切り開いて、その上でアレを叩きこむ。悪く無ぇプランだろ?」

「…………だが、安本」

「まぁ、付き合ってくれよ、久留米沢。俺だってな、樫屋の奴にはほぼ負けっぱなしなんだ。最後の勝負くらい、競り勝って終わりてぇ」


 来須の不服さがこの会話で紛れる筈も無い。

「けどそれは、所詮私怨ではないんでしょう?」

「おいおい来須。その質問は的外れだぜ。”重要なのは勝つか負けるか”。お前が今しがた言った言葉だろ? 私怨じゃねえってお前、そりゃ違うだろ」

「…………」

「まぁ観てろ。そしてその上でお前が納得しねぇと言うなら、俺はこの試合を区切りに部長を下りてもいい」

「安本!!」

 久留米沢を手で制して安本は続ける。

「ボール、貸せ。最終局面だ」

 来須の手の中にあるボールを要求し、安本はその先輩然とした冷静な眼の中に何かを滾らせた。



 同時刻。Aコートでは、二日目第一試合の結果が決まった。

「やっぱ岐前高かぁー」

 観客席の藤はため息交じりに頭を抱えた。その横で直家は言う。

「勝ったのがシード高だろうと、そうでなかろうと、より強い方と戦う事に変わりはないだろう」

「いえ、まぁ、そうなんですけどぉ……」


 長谷部はそのやりとりを耳にして口を開く。

「兎に角、今は目の前の薄石です。アレに勝たなくては、その前回大会準優勝高と戦う事すら出来ないのですから」

 当然それは、直家も藤も、観客席に居る関係者の誰もが解っている事である。だが果たして、Bコートで激戦を繰り広げるけやき達にAコートの様子など見えているだろうか?

 今の大虎高選手達にとって、次の試合の事など微塵も頭には無いだろう。

 薄石との純然たる公式戦で勝利を収める事。今この瞬間の彼等に、それ以外の目標は無かったと言っていい。



 サイの上でボールを小さく放り投げ、落ちてきたそれをキャッチする。

 それを二度ほど繰り返し、安本は、眼前の大虎高チームを見据えた。陽と眼が合う。

「…………」

 彼女の表情から、これ以上無いくらいに試合に集中している事が伝わってくる。そして、眼には見えない確かな感情が、絶え間なく自分達に対してぶつけられている。そうも思った。まるで、肌に風でも感じている様に、それは安本にとって確信であった。

(……あの女子だったな。ウチのドアホを殴ろうとしてくれたのは…………さぞ腹が立っただろ。俺があの()の立場なら、最終的に絶対殴ってた)


 安本は、ほんの小さく首を横に振った。

(……そうじゃ、ねぇな。あの娘の怒りは俺に対してもだ。さんざうぜぇ態度とってた俺の事だって、赦せてねぇ筈だ)

 ふと疑問に思う。

 なぜ自分は今しがたまで、そんな当然の事を認識出来ていなかったのだろう?

 なぜ、来須を盾にして彼女の怒りから眼を背けようとしたのだろう?


 もう一度ボールを放り上げ、手に取る動作を繰り返す。

 陽と来須には、面白いくらいの対比があると安本は思うのだ。

 かたや、言いがかりで他校の生徒を馬鹿にして、あまつさえ先輩に殴られるまでそれをやめなかったド阿呆。

 かたや、あれほどの罵声を浴びせられつつも、最終的には憎しみの感情を押し殺して試合に集中するド素人。

 来須なんて、あの日からずっと毒々しい顔をして日々を過ごしているというのに。

 人格という面で”勝負”するのなら、確実に陽の圧勝だと、安本はそう思うのだ。


(あの時に、謝罪の一つでもするべきだったな……)


 安本はついにボールをその手に構え、今、手綱を握る。

 やたらと乾燥した空気が鼻腔に充満している事に気づいた。澄み切った青空といい、絶好の龍球日和である。

(雨が降って文字通り水を差される事も、風が吹いてボールが流される事も無ぇ。因縁のある相手との決着をつけるには、最適の気象条件だ)

 手綱に力を籠めようとして、安本はその上げかけていた手首を止めた。


(……”因縁のある相手”?)

 頭の中でだけ呟いた自分のその言葉を、彼はつい今しがたした様にすぐさま否定する。

(違う。そうじゃねぇ)

 因縁を招いたのは安本自身。そもそも、あの日の練習試合で自分が言いがかりをつける真似をしなければ、大虎高の面々達にとって因縁などありはしなかったのだ。彼等にとって薄石高校という存在は、本来ただの強豪校でしかなかった筈なのである。

 安本は今一度、陽、良明、レイン、それからそれ以外の全ての大虎高選手の顔を見回した。


 石崎が視線に気づき、ちらりとこちらに眼を向ける。

 安本が感じたのは威圧感。在ったのか無かったのか解らない石崎の敵意を振り払う様に、安本はついに手綱を握る手に力を込めた。


 安本からの前進の合図に対し、サイはその足を一歩として踏み出そうとしなかった。


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