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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
78/229

道程は辛く<上>(8)

 安本は、今正に良明のパスを受け取った陽に対して襲い掛かろうとしている最中の来須の名を叫ぶ。

「来須ッ!」

 そして驚くべき事に、来須はそれに対して身を翻して振り返る。陽への攻撃は、彼が跨るドラゴンが先行して行おうとしていた。


 ボールを受け取った陽は、来須のドラゴンの腕が伸びて来るのを視認するや、けやきへとその手のボールをパスした。

 ”フォウンテン”。

 その言葉は、人が生涯にわたり必要とする水を絶え間なく生み出す場所・'泉'の意味を持つ。

 良明から陽、陽からけやき。直線状に並んで進行する彼らの間で次々に繋がっていくパスは、さながら湧き水を連想させ、敵の猛追と言う異物を速やかに希釈していく。

 アロウフォーメーションと同様のユニット配置から繰り出されるパスの連鎖は、相手を翻弄し、やがては矢筈の彼方へと置き去りにする。


(ただし)

 冷静に分析する事を止めない安本と、サイ。彼等と同様に、久留米沢ユニットも前方の来須達へと距離を詰めていく。

(ただし、それはフォウンテンフォーメーションがマトモに機能すれば、の話だ)

 良明のユニットが、パスの順番待ちの列の最後尾につける要領でけやきの背後に陣取った。勿論相手陣地への進行は継続した状態で、である。


 この動作がいかにドラゴンの脚力と騎手のポジショニング能力を要するかは、存外容易に想像できる。

 相手コートの奥へと進んでいくその陣形の最後尾を見極めながら、そこへと移動。受け取ったボールを的確なタイミングで後方へとパスした後、次の自分へのパスに間に合う様に直ぐにドラゴンを移動させる必要がある。

 陣形の進行が速ければ速い程これら一連の動作は困難になる。そして、一度でもミスをすれば陣形その物を台無しにするというプレッシャーもが全選手の精神を押し潰そうとしてくる。

 フォウンテンフォーメーションとは、並大抵の胆力と技術では維持出来ない、極めて高等な陣形に他ならないのである。その難度は高校大会で使用するチームが稀である程であり、まして龍球を初めて一月半の選手が三名も含まれているチームに使いこなせるとは、安本には思えなかった。


「今だ!!」

 安本と久留米沢、そして来須は、一斉に竜の背を蹴って良明へと襲いかかった。

 レギオンフォーメーション。良明の眼前に、強豪薄石高チーム六名の影が躍り出る。


 けやきは、来るべ(・・・)瞬間(・・・)を未だ見極め続けていた。

 彼女が待っていたのは、今、この瞬間である。

「条件成立ッ! 行くぞ!!」

 ガイは勿論。良明と陽、それに、レインとショウから返事は無い。

 ”はい”の二文字を発する事さえもどかしい。彼等にとって、全ては一瞬で行われる必要があった。


 襲い来る薄石高の六名。自分の遥か頭上目がけ、良明はその手のボールを全力で振り上げた。その動きが解っていなければ決して不可能であるタイミングで、けやきを乗せたガイは既にその上空へと躍り出ていた。

「な、に?」

 と発した来須だけではない。薄石の誰一人として、未だ良明のユニットに向かうその身体の勢いを殺せない。無理も無い、確かに良明の上空はガラ空きではあったが、今の今までけやきやガイにこの様な位置取りをする素振りは全く無かったのである。


 むしろ、今しがたまで大虎高校がやろうとしていたのは付け焼刃のフォウンテンフォーメーションによる侵攻でだった筈だ。

 来須は、瞬間完全にその身体の動きを奪われた。反射的に、意識を状況の整理に回してしまったのだ。

 一切の妨害者無く良明の頭上でボールを手にしたけやきは、こう叫んだ。


「アロー!」


 その瞬間、来須は敵の思惑を悟った。

「こい、つら――ッ」

 アロウフォーメーションの最後尾に位置する良明は、ガイとショウの挙動を見極めながら無意識のうちに想う。

(龍球を初めて一カ月半の俺達が、フォウンテンを使いこなせる筈がない。出来るとするなら、せいぜい張子の虎的に、なんちゃってで一瞬それっぽい動きをする所まで――)


 良明の視界には、漸くけやきに向きを変えた薄石高選手達の後頭部が映っている。その中をかいくぐる為、彼はレインに対して手綱越しに”前進”の指示を出した。

(――だから、薄石チームが俺達のフォウンテンをちゃんと警戒して、潰しに来てくれるかどうかがこの作戦のネックだった……)


「まだ間に合う! ドラ共だけ先行して戻れェえ!!」

 安本の怒号の様な声が響き渡ると、サイを先頭に薄石の全ドラゴンが一斉に駆け出し、各自のタイミングで羽ばたき始めた。身軽になった三頭のドラゴンはけやきユニットを追い越し、なんとかその前方に布陣する事に成功する。

 良明とレインは薄石の人間選手の群れを突っ切り、そのまま一気に追い抜いた。


 来須の理性は自分の脳に、身体に向けて、”落ち着け”という命令を叩きつける。

 そして、状況を整理する。

(アロウで俺達の動きを牽制、そしてそこからまさかのフォウンテンで本性を現して、その後それすら囮にし、結局は自分達である程度使いこなせる陣形であるアロウで攻める。最初から、今のこの状況を作り出す事が目的だったんだ。……けど落ち着け、冷静に考えろ。裏を返せば、所詮あいつらは本来防御陣形であるアロウ程度を奇襲の為に攻撃に使わざるを得ない様なド素人集団。こっちの竜三頭に阻まれて、それで終わりだ。むしろ今俺がやるべきなのは。大虎コートの奥に上がってボールを待っている事ッ!)


 だが、直後に安本の口から叫ばれた指示は、その来須の分析結果とは相容れないものだった。

「来須! ザワ! 全員転身して戻れ!! 今すぐにだ!!」

「部長、なん――」

 不服を通り越して理解不能と言った顔で言おうとした来須の言葉は遮られた。

 直後にコートに響いたのは、けやきの声だった。


「フラット!」


(終わりじゃ……ないだと!!)

 次の瞬間、来須の視界には左から順に陽、良明、けやきのユニットがほぼ横一線に展開し、自チームのドラゴン・サイのディフェンスを突破する光景が飛び込んでいた。

(まだだ、まだ二頭いるッ!)


「エンペラー!」


 やや遅れてきた良明ユニットを中央に据えて、大虎の三ユニットがV字に展開する。

 けやきは陽へとパスを出し、けやきの眼前に迫っていた二頭目の防御を無効化した。


 薄石の生徒達の全力疾走は継続する。

 陽ユニットの元まで、あと距離にして五メートル。

「間に合わないタイミングじゃない!」

 来須の口から漏れ出た言葉とは裏腹に、安本はここにきてついに焦りの表情を浮かべた。

(この流れであの野郎共が最後にする事っつったら、一つ――――)

 彼の中で吹き抜ける思考と同時に、けやきは最後の指示を出す。


「レギオン!!」


 薄石高校の熟練したドラゴン達を眼前にして、陽は臆することなくショウの背から飛び降りた。勿論良明も、けやきもである。

 今この時、どう動くかがこのシーケンスの勝負の分かれ目である。そのことを、大虎高チームの誰もが理解していた。だから、彼等に迷いは無かった。

 普段ならばしない様な体勢でドラゴンから飛び降り、多少のリスクを覚悟のうえで軸足一つで全体重を支えて着地する事で隙を少しでも少なくしようと試みた。


 それは練習の時に誰かに言われた事を実践したのではない。彼等人間選手一人ひとりがそうすべきだと判断し、実行した。

 ドラゴン達は少しでも彼等が降り易い様に首を低くし、促す様に身体を傾けた。これもまた独断である。


 時間は等速で流れ続け、状況は目まぐるしく、加速度的に進行していく。

 だが、やるべき事は明確で明快だった。ボールを護り、リングに通す。その目標の為に一人一人が、一頭一頭が全力を尽くす。


 ここから先、攻めるのは一人。残りの五名は陽を護りに入る。

 陽の周辺へ、良明とけやきとそのドラゴン達が特殊部隊の様に洗練さえた動きで展開し、追いすがる薄石高の三人の前へとバリケードの如く立ちはだかった。そして、ショウは薄石高最後の一頭の前でその羽根を広げる。


 今、ボールを持つ陽の前方に敵は居ない。

 これで全薄石選手の防御を掻い潜った状況が完成し、陽がシュートを打つ態勢は整ったのである。

 胸の前にボールを構え、薄石高コートのゴールリングを見上げる陽。


「いけ! 外した後の事は考えるな!!」

 けやきは焦りこそしていなかったが、その声は突き抜ける様に鋭く、快晴の空へと響き渡る様に良く通った。


 けやきに続いて、良明も叫ぶ。眼前二メートルに薄石高の生徒三名と、同ドラゴン二頭が迫っている。

「入れたら駅前のシュークリーム十パック買ってやる! はやく!!」


 リングの向こうには観客席。

 どの辺りに大虎高の関係者が座っているのかを陽は知っている。

(大丈夫、私から見えていようがいまいが、長谷部さん達はさっきからずっとこの試合を凝視し続けてる。今更緊張する事じゃない。重要なのは、そんな事じゃないんだって!)

 その思考は、彼女の頭の中でも言葉として組み立てられる事は無かった。


 三秒。

 陽は、ショウの背中から降りてシュートを打つまでに、三秒を要した。

 その間に安本はついに良明の防御を突破し、陽の背中へと距離を縮め、比較的バリケードが薄い部分に位置していたサイもそれに合流しつつあった。


「させるかァアアあ!!」

 来須がサイの背中をステップに使い、陽がついに放ったシュートへと、その手を伸ばす。


 無駄だった。

 三秒が致命的な分かれ目になる程、薄石チームにとってその状況は容易くは無かった。


 ボールは全ての選手を尻目にかけて、上昇していく。

 あとは、入るか、外れるか。それだけだった。

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