道程は辛く<上>(7)
彼等六名の群れから離れた場所に座る、茶髪のウエーブがかった髪を耳元でかき上げる女子。
「ほら、そこの新人二人と一頭!」
石崎だった。新人の二人と一頭は、十メートル弱程離れた彼女の方へと顔を向けた。
「この状況で一番焦ってもよさそうなの、だーれだ」
「え」
「え」
「去年の終わりに大虎高竜術部でたった一人の龍球競技者になって、ここまで龍球の’ろ’の字も知らない兄妹と仔ドラを引っ張ってきて、意味不明な逆恨みの所為で危なく竜術部を滅茶苦茶にされかけて、好きで好きでたまらない恋人の寝床があと一点で消滅してしまう、けやきちゃんではあるまいか?」
良明と陽ははっとして今一度けやきの顔を見た。
「石崎。もっとこう……なんだ、言い方という物が――」
石崎はけやきの言葉を遮って、メガホン替わりに口の横に手をかざして叫んだ。
「だーーれだーっ」
良明と陽は言葉も無く瞼を下ろし、深呼吸を一つ。
「すみません、慌ててました」
「すみません、慌ててました」
再びけやきに向けられた兄妹とレインの顔には、焦りではなく戦意が戻っている。
ショウとガイは、どこか安堵した表情を浮かべて彼等を見た。
「お前達は、自分達が思っているよりもずっと強くなっている……大丈夫だ、このまま終わらせなどしない。この勝負、必ず勝って先に進もう」
「はい!」
「はい!」
けやきはガイの首筋をぽんぽんと撫で、一瞬だけ考えを巡らせる素振りを見せた後に口を開いた。
「兎に角、再開後は相手のペースに乗せられない事が重要だ。ここが使い所だろう、例のフォーメーションで相手の出方を窺う。そして、状況がフィットし次第長谷部さんの秘策を発動する」
「状況が、うまく合わなかったら?」
質問した良明にけやきは答える。
「相手の奥の手がはっきりするまでパスを回して前半を乗り切る。例の秘策の発動が無理な場合、反撃はインターバルで体力を回復して、その後だ」
「解りました」
一通りの打ち合わせを終えると、六名はボールを手にした陽を先頭にコートへと展開していった。
薄石コートでは、来須が相変わらずの苛立ちを見せていた。
「部長。このまま、一気にカタつけませんか?」
「ああ、そのつもりだ」
靴紐を結びなおしながら、安本は答える。
一点を取った直後の彼の表情は、再び冷静さを取り戻していた。やはり、その一点が予定通りであるかのような、全てが彼の手の中で展開されているかのような、そんな表情である。
事実、それは実のところある意味においては間違った表現では無かった。
彼らがレギオンポジションを人目に晒した事で準備する事となったさらなる武器。それは安本の手により切欠が与えられ、展開される物であった。その発動のタイミングを選定している安本は、この試合の流れを握っていると表現して間違っていないのである。
彼は、来須に対して続ける。
「だが、あいつらが用意して来たものが、レギオン返しだけだとも思えねぇ。先に俺達が手の内明かして、その結果として守りに徹されたりすると面倒だ。そこは理解しろ」
「……解りました」
来須は不服そうにそう言って頷く。
やっぱりだ。と、来須は思った。
(以前の部長なら、有無を言わせず奴等を実力の波で押し流そうとしてるはず。それをしようとしない、この取って付けた様な冷静さが、俺は気に入らない。全部、あの大虎の主将の所為だ……)
「そろそ来るぞ」
久留米沢の一言で、薄石高チームの時間は流れる事を思い出す。
見ればコート中央では、既にレインの背に乗った良明がボールを構えて感触を確かめている。
(何か企んでいる。やっぱ追い詰められたこのタイミングで何か出してくるか……)
安本の思考とほぼ同時に、ショウは最初の一歩を踏み出した。
大虎高校による、背水の反撃が始まる。
観客席の反応は、実に素っ気なく、味気ない物だった。
敗北して残懐に打ちひしがれる選手。
剛毅に次の相手を待ち構える選手。
また、彼等選手が所属する学校の関係者や、そうでない観戦者たちもである。
薄石高校対大虎高校の試合の、中盤に差し掛かった場面で目の当たりにした”それ”に対し、関心を抱くものも、まして感心する者は殆どいなかった。
「アロウフォーメーション……?」
そう呟いた安本の目の前でボールを手に駆けだしたのは、良明のユニットだった。
彼の背後三メートルには陽ユニット、さらにそのきっかり三メートル後方にけやきユニットが続く。彼等は、相手のコートへと突き刺さる様にして伸びる直線上に、三ユニットが直列する形で並ぶ陣形を成していた。
矢の全体像になぞらえたその配置を、龍球では一般にアロウフォーメーションと呼ぶ。
「先輩! とっとと潰しましょう!!」
来須が叫んでくる。だが、安本は至って冷静であり、沈着だった。
「罠に決まってんだろ。完全に俺達の侵攻を誘ってやがる。あれは何かあるぞ」
安本が大虎高の陣形を罠だと断定した一番の理由は、アロウフォーメーションの特性に因るところが大きい。
アロウフォーメーションは、本来防御に用いられる陣形である。突っ込んでくる相手に対し、鏃、矢柄、矢筈に位置する選手が一人ずつ順番に迫って行く。各人がボールを持つ相手を選手に絶え間なく能動的にディフェンスを仕掛ける事で、徐々にその体勢の自由を奪って行き、最終的に三人目が相手選手からボールを奪う事を目的とするのが一般的な運用だ。
だがいかんせん、この陣形に於いては相手のパスさえも許さない、熟練した身のこなしが要求される。つまりそれは、相手との能力差で優位に立っているか、少なくとも力の差が僅かである事が前提条件である事を意味していた。
果たして、今の良明、陽、レインが薄石のうちの誰かひとりに対してでも、その条件を満たしていると言えるだろうか?
来須の解釈はこうだった。
「敵は、自分達の努力を過大評価し、俺達の実力を過小評価してるんです!」
対して安本はこう反論する。
「いくらなんでもそれは無ぇ。樫屋の奴が俺達との実力差を解って無い筈が無ぇだろ」
言い合う間にも良明とレインが薄石高チームの選手達との距離を詰めていく。
「現にあいつらは攻めて来てるんだ! 手遅れになる前に潰すべきだ!!」
「…………」
「部長ッ!」
良明との距離、残り五メートル。
「……来須、先行しろ」
「はい!!」
返事が早いか、安本の左側に位置していた来須は、撫ぜる様に手綱を振った。
「来た!! アキ!」
前方から迎撃を開始する来須を認め、陽は叫ぶ。
「よし!」
けやきは、向かって左側。安本の右側で彼と同様に冷静な表情を浮かべている、久留米沢とそのドラゴンを見た。そして、彼女は来るべき瞬間を見極め続ける。
来須との距離が三メートルという位置に達した瞬間に、良明はその手に持ったボールを投げた。そのボールに追いすがり、その手にできる薄石選手は誰一人として居なかった。
「アキ、いいよ!!」
何故ならば、ボールはそう発した良明後方の陽の元へと投げ放たれていたからである。
ぞくり。
来須はこの試合で、この時、この瞬間初めて「まさか」という感想を抱いた。
(これ、は……)
冷ややかな会場の視線が、興味の眼差しへと変わる。
どよめきすら起こった。
「フォウンテン、フォーメーション……っ」
薄石高校一年。緑山 学は、冗談の様だがその名のとおり学ぶ事が好きである。否。その名前であるが故に、幼い頃から学ぶことを使命と感じている節があった。テストの点数では一度として平均を割った事は無いし、恐らく中央値もクリアしている。
勉学に対するそれと同様に、部活動への向上心も見上げたものである。試合中には常にメモとボールペンを片手に、試合の動向を一切漏らさずに気づいた点を交えて記録するのだ。
本大会では来須同様に試合へと参加し、昨日の一回戦では一定の活躍を見せた。
今の安本や久留米沢、それに彼等のドラゴンを尊敬し、プロの龍球選手には憧れを抱いている。
その彼が、”フォウンテンフォーメーション”の名を口にしたのは、今日が生まれて初めてであった。
それ程までに、馴染みの無い陣形。それ程までに、別世界にある様な陣形。
それは、アロウフォーメーションの前提条件が可愛く思える程にきわめてハイレベルな技術を要求する、一度パターンに入れば恐ろしくも強力な戦法であった。
「バカな! 紛いなりにでもレギオンフォーメーションを習得しつつ、フォウンテンをも習得したと言うのか!?」
「それだ、久留米沢」
安本は、眼前で展開される幻想の様な眺めを冷淡に見据え、傍らで驚愕の表情を浮かべて身構える久留米沢に言った。
「奴等のレギオンは、決して完璧な出来じゃあなかった。なんなら、レギオンとして成立させているのがやっとだった……」
久留米沢ははっとして、冷静な表情を取り戻す。
「まして、フォウンテンともなれば――」
「ああ、そうだ久留米沢。……来須を援護するぞ。あいてがフォウンテンならこっちはレギオンを使って確実にボールを奪う。その後の初手は俺、次にお前、それから来須の順にパスを回して、最終的に俺が三点目を決める流れだ。ただし相手のフォウンテンの完成度が予想に反して高かった場合、一気に俺一人で攻め切る」
「了解した。だが、お前ひとりで攻める場合、いけるのか?」
「いや、むしろそのくらいじゃねぇと、フォウンテンなんてモンには対処できるハズがねぇ。もしも奴等が用意してきた物が正真正銘完璧なフォウンテンなら、俺達にパスを回してる余裕なんて、全くねぇ」
久留米沢は、冷や汗さえ滲ませながら語る安本の横顔を、無表情に見るしかなかった。
「……頼んだぞ、リーダー」
「ああ……」
それでも、二人の表情には焦りの色は無い。




