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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
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真理は甘く(3)

 けやきがいる竜小屋の前まで来て、陽は部長に尋ねてみる。

「先輩って、この前久留米沢さんがやってたやつってできます?」

「ああ、あのハンドボール持ちか。練習しようと言っておいて後回しになっていたな」

 ジェスチャーでパスを求めたけやきに、陽がその手に持って来ていた白球を投げ渡す。入部当初からは比べるべくも無い。あの練習試合の日から見ても、随分とコントロールが良くなっている。


 と。ボールを受け取ったけやきの左手を見て、兄妹は驚愕の表情を浮かべる。彼女の左の掌は地上に対して垂直な方向を向いている。その中央には、陽が投げ放ったボールが留まっていた。

 先程、兄妹が予め地面に置いたボールを、上から鷲掴みにしようとしていたのとはワケが違った。

 良明は、真剣な声で質問する。

「どうすれば出来る様になります? それ」


 けやきはボールを腕と脇腹の間に挟んで、ジェスチャーを交えて説明する。

「ハンドグリップというのを知らないか? こう、バネになっている器具を握る事で、握力を鍛えるものなんだが」

「あー、なんかで見た気が……」

「部室のどこかにあったはずだ。解散前に探しておいてやる」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 けやきの指は良明よりも細く見えたし、掌の大きさだってどちらが大きいか微妙な所だった。


 けやきは、「さて」と言って続ける。

「ランニングで体力を削って、中々疲れただろう」

「多少は」

「でも、まだいけます」

 順に答えた兄と妹に、けやきは無慈悲な課題を提示する。

「今日は、そのコンディションでの立ち回りを練習する。試合中、全力で動いた直後であっても重要な局面が発生した時には、当然対応しなければならない」


 それはそうだと兄妹は思った。

 彼等双子がこの一か月程で悟った事だが、龍球というのは、ドラゴンの上に乗っていれば絶対に体力を消費しないかといえば、実はそうでもない。

 手綱を握る手には常に神経を研ぎ澄ませていなければならないし、自分の周辺で試合が進行している場合には、どの方向からボールが来てもいい様に腕に力を籠め続けていなければならない。

 ドラゴンに跨る足にも当然バランスを取る為に力が入る。それは丁度、自転車で泥濘の中を走り続ける感覚によく似ていて。常に全身に意識を集中し、バランスの取り方と力の入れ方を常に身体に対して指示し続けなければならないのである。


 にしたって、三キロもの距離を遅くは無いペースで走り続けた後の休憩は、五分あるかどうかという所だったのだ。けやきの言葉を聞いた瞬間、二人の身体はさすがに拒絶の意思を込めた震えに見舞われた。

 脚が縦軸を中心にぶるると小刻みに回転し、腹の奥ではクシャミを吐く寸前の様に肺が空気のやり場に迷っている。

 だがそれでも、二人の意識はその身体からの拒絶の意思を、強引に抑え込む。

「お願いします!」

「お願いします!」


 意思の力で本能を抑え込んだ声を受け止めて、けやきは小さいジャンプを繰り返しながらボールを両手に持ち直し、指示を出す。

「十分間、私は向こう側のゴールリングを攻め続ける。お前達二人はリバウンドを取るなり、私からボールを奪うなりして反撃しろ。要はバスケットボールだ。レインやショウ無しで、お前達二人だけで私と戦い続けるんだ。……いくぞッ!」

「はい!」

「はい!」

 けやきは、およそ今しがた三キロを走り抜いた人間とは思えない身のこなしで、英田兄妹が背にしているゴールリングへと走り始めた。


 兄妹は身構えた。

 汗に濡れた前髪が、漫画のキャラの様な束になって額にはりついている。

 身体にはりつく濡れたTシャツが途轍もなく気持ちが悪い。

 本気で足を動かそうとして、さっそくもつれて転びそうになる。

 あまりの辛さに、二人の精神は今まで教えて貰った事をすべて忘れてしまいそうな感覚に陥っている。


 筋肉痛に苦しめられる事は無くなったのか?そんな物は、とうに日常の当たり前と化していた。今ではその状態で体育の授業を受ける事が、龍球の練習の一環であるとさえ捉え始めていた。

 足の裏の皮はここしばらくの無理な運動によって何日も前から引きつっているし、靴擦れで出来た三センチ程もある水ぶくれは、自分で潰して固い皮膚に変えてしまった。


 立て続けに追加されていく小さなダメージの数々。

 こんな状態でも心が折れない理由は御立派な大義などではなく、もしかしたら所詮は兄妹という同志が居るからという、単にそれだけの事なのかもしれなかった。


 それでも、良明は、陽は、闘い続けていた。


 継続は力なりだとか、一度しかない高校生活を謳歌しようだとか、そんな高尚な気持ちは微塵も無い。

 闘わないといけないから、目の前の困難に立ち向かう。

 叩きのめしたい敵が居るから、逃れる術の無い苦痛を耐え凌ぐ。

 頑張る理由についてなど、そういった答が頭をチラついた時点で考えるのを止めてしまっていたし、別にそれでいいのだと兄と妹は思っていた。

 それ以上何かを理詰めで考えてしまうと、漠然と、今自分達がやっている事が耐えられなくなりそうな、そんな気がしたから。


 ”部活動にのめり込む高校生”然とした、少年少女。

 だがしかしその内に渦巻くのは、ともすればとてつもなく不健全で不誠実な気持ちなのかもしれない。


 けやきの持つボールに、陽の手が掠った。

「っくう!」

 前のめりになって地面に転がる陽を飛び越えて、良明がさらにけやきを追撃する。

 けやきはそんな良明の伸ばした腕から逃がす様に、ボールを背面へと送る。良明はそれへと追いすがるべく、けやきの背後にさらに手を伸ばした。


 けやきの足の間を背後からバウンドして通り抜け、ボールがけやきの正面へと戻ってくる。それを自らキャッチしたけやきは、そのままボールを構え、シュート。

 ボールはリングを通過してその背後のフェンスへと跳ね返った。


 良明と陽は休む間もなくそのボールへと群がっていく。

 呼吸が、猛スピードで走り抜ける二歩に対して一回のペースで継続している。

 やっとの思いで良明が手にしたボールは、意ともあっさりとけやきに奪われてしまった。


「頑張れ! きついからこそそれを乗り切る事には大きな意味があるぞ!」

 などと口にするけやきは、兄妹と同じ練習メニューをこなした上でこの二人の相手をたった一人でしているのである。それをよぉく解っている兄妹は、歯噛みせずにはいられなかった。

(まだだな……まだ、今の俺達じゃあ)

(私達じゃあ……薄石には、勝てない)


 けやきの放ったシュートが、珍しくリングに弾かれた。

「アキ! 取って!!」

 陽はそう叫んでけやきをマークしにかかる。


 奇跡的にけやきによるフェイントを看破した陽の背で、良明は見事リバウンドを獲得した。陽はそのまま良明とけやきの間を遮る様に走り出す。あまりの疲労に一瞬足を動かすペースが緩んでしまうが、それを自覚した陽は気力だけで本来のペースを取り戻した。


 良明は、陽を振り切って自分の背に迫るけやきの気配を察するとボールをあらん限りの速さで振りかぶった。

 そして、その肩に全身全霊を込めて、ボールを放つ。

 息が切れて両膝に手をつく良明。

 彼の手から離れた速球は、かつてけやきと戦った時の直家が放ったそれに対して遜色の無いスピードを得ていた。


 けやきはその兄妹の姿に、可能性を見出す。

(これなら、或いは)

 良明が放ったシュートは、惜しくもゴールリングの上方を通過していった。


「よしいいぞ。今の動きなら上出来だ」

 けやきは労いの言葉を述べて二人を励ますが、兄妹は息が上がってそれどころではない。

(私がかつてこの二人に対して断言した、”県大会で戦えるレベル”になるという話……それがついに、現実味を帯びてきた。無茶を押し通しての連日に亘る猛特訓。普通なら根を上げても全く不思議はない様な濃密な練習の日々。それを、この二人が精神的に耐えられるかどうかがネックだったが、これならば……)


 かつて竜属博物館で、けやきが兄妹に対してちらつかせた秘策。

 二人はその正体を、確信しかけていた。彼等が思うに、それは素人が強くなる手段として至極当たり前な方法だった。


 ”他校よりも圧倒的に過酷で、且つ知識の蓄積により熟成された事により効果的でもある練習メニューを、可能な限りの時間をかけて継続する”。


 まったく、あまりにもストレートすぎて、逆にいんちきに聞こえてくる。双子はここ数日、ちょくちょくそんな事を考えては思い出し笑いするのである。

 勝利の手段としての上達に対する欲望。

 それが疲労も苦痛も全て呑み込んで、長い部活までの時間とそれに輪をかけて長い気がする部活の時間を、弾丸の様なはやさ(・・・)で駆け抜けていく。


 昨日も、今日も、明日も、そんな調子で双子の日々は連鎖していく。

 県大会当日を迎えた兄と妹と仔竜の中にあった、緊張をも凌駕する堂々たる高揚感は、こうして形成されていったのである。



 あの、入部の日から続く努力を。

 あの、敗北の日から増す苦痛を。

 無駄にしてたまるものか。


 良明の右の掌には、白い龍球用のボールが鷲掴みにされていた。

 彼とレインの前方には向かって左から、長身の男子、彼よりも年上と思しき女子、そして快活な性格が窺い知れる部長と思しき三年生が居た。

 フラットポジションフォーメーション。あの薄石高校との練習試合の日、龍球の素人である兄妹とレインにとっては唯一の武器だった陣形。それを、今は眼前の相手が発動していた。


 ボールを持たない陽は既に相手の防御を突破して、相手ゴールリングの前方へと向かおうとしていた。

「レイン!」

 良明に名を呼ばれたレインは、羽ばたいて飛翔する。

 つられるように相手チームの三ユニットが上昇を始めるが、その反応は速くは無かった。丸江以外の二人は完全に出遅れて、すぐに良明とレインの姿を見上げる格好となる。

 唯一、丸江が乗ったドラゴンが猛然と良明のユニットへと向かって行く。

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