真理は甘く(1)
大虎高校対誠雲館高校の試合開始までの時間が、ついに五分を切った。
両校の選手は既にグラウンドにその姿を現し、試合の開始を待ち構えている。
彼等の試合が行われるのはAコート。それを望む控え選手用のベンチはコートの側面に位置しており、それは観客席に横顔を向ける形で並んでいる。
つまり、観客席は片方のチームのゴールリングの、さらに後方に位置しているという事になる。当然観客席とコートの間にはボールが通らない程度の大きな目の網が巡らせてあり、施設側はそれをもって安全対策としている。
白地の長ズボンに同じく半袖シャツ。シャツには肩口から脇腹へと淡い青色のラインが二本入っていて、背中には”大虎高校”の四文字が黒くプリントしてある。
ユニフォームに身を包んだ兄妹は、その網の向こうと自分が立つグラウンドが、まるで別世界の様に思えてならないのである。
緊張は、未だ無い。だが今こうして、公式戦のコート上で相手と顔を合わせて試合の開始を待つ状態になってみると、今更ながら戦いの場に足を踏み入れた事を否が応にも実感させられるのである。
それを違う言葉で表現するならばこう言ってもいい。全国大会を目指す高校生達が腕を競い合う、いわば戦場にその身を置いたという事を、漸くここにきて身体が理解している様な気がしていた。
「全員集まれ」
部長に呼ばれ、ドラゴン達と共に英田兄妹も大虎側コートのゴールリング付近へと集合した。
集合をかけたけやきは、集まってくる皆を眺めながら何かこう、言葉を選んでいる様な顔をしていた。それは彼女に呼ばれた誰もが気づいた事であり、だから皆が集まるなり発された彼女の言葉に対しても、さほどの驚きは無かった。
「なんだ、その。……円陣でも……組むか」
けやきのいつになくたどたどしい雰囲気を、兄妹はいささか不思議そうな眼差しで観察しようとする。対して石崎はけらけらと笑って、いつもの様にそっくりな表情をしている双子に教えてやった。
「ほら、けやきは公式戦でキャプテンやるの、初めてだからさ」
言われてみれば、当然だ。と双子は思う。
本年度が始まった時点で人間の選手がけやきしかいなかったという事実は、去年まではけやき以外の人間選手が全員三年生だという事を意味している。この頼もしい部長も、つい数か月前までは誰かの後輩という立場で龍球に臨んでいたのである。
「ごほん」
などとワザとらしく咳払いをしてみても、いたずらに不慣れな可愛らしさを強調してしまうだけなのである。
「初陣の直前に、これまでの事をとやかく褒めたりするつもりはない」
一言目を口にしたけやきの表情は、既に真剣な色一色に染まっていた。直前まで顔を覗かせていたあどけなさはなりを潜め、今や彼女は部長としての威厳を取り戻しつつある。兄妹も、レインも、ショウも、ガイも、そして石崎やシキも、いよいよ試合開始直前の部長の言葉へと真剣な眼差しで注目した。
「努力すれば、夢は必ず叶うというのは幻想だ。もしそうならば、世界の秩序などとうの昔に消滅している。…………だが、努力をすれば、その度合いに応じた結果は必ずついてくる。それは間違いないと、部長をやらせてもらっている私は信じる。……みんな、いいか」
口々に『はい』と返事した全員を見て、けやきはすうと深呼吸を一つ。通る凛々しい声で続けた。
「これまでの一か月半。或いは数年。或いは数十年! 実直に積み重ねて来たものを信じろ! 今日と言う、私達にとっての決戦の日を、絶対に勝利で飾るぞ!!」
皆からの再度の返事が、熱い色に燃え上がる。
その瞬間、ついに彼等の精神はリベンジへの道を踏みしめたのだ。
けやきは、自らが引っ張るチームのエンジンがかかる音を確かに聞くと、一際声を張り上げた。
「大虎イズ――」
『アライブ!!』
遠く客席では、寺川が眼の焦点を手元のミネラルウォーターに移し、人知れず想う。
(大きくなった、もんだ……)
コートのセンターライン周辺に、今、両チームの全選手が集う。
「只今より、大虎高校対誠雲館高校の試合を始めます。審判は私、川瀬が努めます。試合は前半後半各十五分、インターバルは五分とします。両者、向かい合って、礼」
線の細い男性審判が本日何度目かの台詞を吐く。特別大きくは無いが聞き取り易い声だ。吐いた言葉が早口なのは、それらの文句を言い慣れたが故か。
グリーンのシャツに黒いズボン。川瀬は、どのコートの者とも同様の審判のユニフォームを身に纏っていた。
ユニフォームを身に着けているのは勿論相手チームも同様で、大虎高の白に対し、誠雲館高校のシャツは赤と青のストライプで構成されていた。
勿論、各人その上から竜具を装着している。
ドラゴン達に関してはほぼいつもと変わらない、竜具を装着しただけの見た目であった。ただし、その首には一目でどちらのチームに所属する選手であるのかが解る様に、布製の首輪が巻かれており、その正面に当たる部分には校章と校名が刺繍してあった。兄妹がけやきにから聞いたところによれば、この首輪は大会規定によるものとの事だった。
大会規定による追加の装備と言う意味では、人間選手達も同様である。
ユニフォームの上からは運営側から配布されたゼッケンを付けており、けやき、良明、陽は夫々3、11、8が割り当てられていた。これは事前には誰に対しても知らされていない番号であり、その理由はトーナメント表を発表するタイミングが当日である事とほぼ同一だった
全員がほぼ同時に頭を下げ、ジャンプボールを担当する両チームの選手を残して残りの全員が方々に散っていく。
大虎高校のジャンプボール担当には、けやきのユニットが残った。最初の試合の、最初のジャンプボール。少しでもボールを得る確率が高い選手を配置するのは当然である。
けやきは、眼前の相手選手に視線を向けた。
後頭部で束ねた髪が大きく膨らんでいる、顔つきからして、恐らくは三年生の女子だった。その表情は冷静さに包まれており、熱い想いも冷徹な見下しも感じられない。ただただ集中し、その瞬間を待っている。彼女が跨るドラゴンも同様である。
審判川瀬が、首から下げたホイッスルを咥えた。
良明と陽はこの大舞台に在っても尚、二人共全く同じ事を考えていた。
(樫屋先輩がジャンプボールを奪ったとして、相手はどう動く? 今の配置から良く考えないと)
(樫屋先輩がジャンプボールを奪ったとして、相手はどう動く? 今の配置から良く考えないと)
この試合の、この大会の先にあるものは、今の彼等にはもはや見えていなかった。今この瞬間、この局面で自分達が取るべき行動。それだけを頭の中で全力で考えている。
様々な物が賭かった龍球大会の、第一試合の直前のこの瞬間。双子は、しっかりと集中できていた。
審判がホイッスルに息を吹き込む気配を、そのボールを支える腕が上空へと振り上げられる最初の動きを、全選手が集中して見極めようとしている。
観客席の大虎高関係者の誰もが固唾を呑み、最初の攻防の行く末を見届けようとしている。
そして、ついにその瞬間は訪れた。
白球が快晴の空へと舞い上がる。
誠雲館高校主将・丸江はドラゴンの上から低くは無い背を目一杯伸ばし、ボールへとその細い手を翳した。
ガイは。その背に立っているけやきは、そんな丸江の頭の上よりも三十センチは上の高度を獲得していた。
バサリとガイの羽根が広げられ、丸江へと風を送った。これにより丸江はボールへの追従を断念せざるを得なくなる。
「取った!」
ベンチに座する石崎が思わず声をあげる。
ボールを完全に独占したけやきをその背に乗せたガイは、そのままぐんぐんと上昇を続けていく。その十メートル下方。地上では、良明を乗せたレインが全力で相手陣地へと駆け上がっていた。
「それでいい。今なら、今の俺なら絶対に取る!」
独断でその行動にでたレインを言葉で肯定し、良明は遥か上空を仰ぎ見た。その身のこなしはその場面を何十回と経験した者と遜色の無いスムーズさを備えている。
地上の進行は完全にレインに一任し、良明は全く前を見ていない。薄石高校との練習試合を行った頃にはとてもとても恐ろしくてできない事だった。
左から攻め上がる良明に対して、陽のユニットは同様に右から攻めていた。
「先輩!!」
そう声を張り上げた陽もまた、前方は一切見ずにけやきの動向を窺っている。
誠雲館高校にしてみれば、どちらにパスが出るかの二択を迫られた形である。加えてジャンプボールに競り負けた丸江のユニットは、今漸く地上へと着地した所だ。
他の二人。二年女子早山と、一年男子梶田はこの状況に一瞬戸惑ったが、すぐに各々から近い方の大虎高ユニットへとドラゴンを走らせた。
となれば、熟練者けやきが取るべき行動は明白である。
ガイは、けやきの無言を”セオリーで問題ない”という意味として捉え、ゴールリングへと急降下していった。
今しがた兄妹のマークについた誠雲館の選手達も、当然そのけやきの一手を想定していないわけでは無かった。だが、それでも自分達はマークについて、けやきに関しては部長の丸江に任せなければならないと判断したのだ。
それ程までに、良明と陽の各ユニットの進行は素早かった。既に誠雲館コートの三分の一を走破しかけている。。
「待ってぇえーい!!」
誠雲館コート、ゴールリング手前にてボールを振りかぶろうとしていたけやきの背後から、叫ぶ丸江を乗せたドラゴンが球の様な速さで追いすがってきた。
けやきはちらと丸江を見て思う。
(思ったより早い、狙って投げる事は出来ないか)
けやきは、その両手に持ったボールを早々にゴールリングめがけて投げ放った。
試合開始二十秒。外してしまいそうなその一投をあっさりと決めてしまうのが、天才・樫屋けやきである。
ビーーーーッ!
大虎高校にあるゴールリングよりも、幾分か長い電子音が鳴り響く。
「よっしゃあ!」
「まず一点!!」
観客席では山野手やら藤やらが真っ先に声を上げた。
三十分用意されている試合時間の中で、開始二十秒での一点は勿論かなり順調な滑り出しといえる。




