辿り着き、見下ろす(6)
拾った仔竜の命運を導くため。
愛する恋人の未来を守るため。
その命を平穏な未来へと託すため。
理不尽な圧力から、自らの生活を勝ち取るため。
自分達に心無い言葉を投げつけ、厚恩を抱き尊敬する先輩を愚弄した男への、雪辱を果たすために。
五月二十九日土曜日という今日。大虎高校竜術部は、未来をかけた戦いに挑もうとしていた。
一辺が百メートル、もう一辺が五十メートルのグラウンドには、AからC三つの龍球用コートが整備されている。
大会ではそれらコートにて同時に試合が行われ、特にトーナメント序盤では目まぐるしく勝敗が決して行く。
観客席の一角に陣取った大虎高校の関係者達は、ある者は今一度試合ルールに目を通し、またある者は隣に座る部員と他校のチームについての話をしていた。
傍らに裁縫箱を置いて何やら縫っている海藤が随分と浮いているが、部室でも常にこうであるので誰も指摘しない。
総勢七名のその一団の中には、直家と藤の姿があった。
直家は、隣に座る寺川に改めて礼を述べる。
「我々は本来掛け持ちすらしていない、いわば部外者です。本当なら個人的に駆け付けるのが筋にも拘らず……」
「気にしない、気にしない」
竜術部顧問寺川はいつもの飄々とした態度でそう返した。
良明と陽はドラゴン達と同じ車両で大会会場まで来たわけだが、当然、部の他の関係者達は別の車両に乗り合わせてここまで来た。直家と藤はその車に相乗りさせてもらったのだ。
寺川の視界は、駐車場に最も近いAコートにてウォーミングアップをしている大虎高の六名を捉えていた。
寺川を挟んで直家と同じ行の椅子に座る坂が、身を前に乗り出して直家に顔を見せて言う。
「先輩がミニゲームに協力して下さったのも、彼等に良い刺激になってましたからね。このくらいは当然です」
直家は「そうか」と短く納得の言葉を発し、寺川と同様にAコートへと視線を向けた。
そして、いかにももどかしそうに言う。
「…………しかし、歯がゆいな」
直家は、華麗にゴールリングへと飛翔するけやきを眺めながら言う。
「せめて俺が参加できれば……」
直家の後ろに座る藤が口を開く。
「”部員じゃない人の活躍で勝ちを得ても、学校側へのアピールとして弱くなるから――”でしたっけ?」
藤が言ったのは、直家が選手として大会に参加しない理由である。「ああ」と直家は頷く。けやきに一対一での勝負を挑む程の実力である。実の所、直家の龍球能力は、並の競技者を凌駕していた。
「……そういえば、誰かトーナメント表はもう見て来たんだろうか?」
直家の問いに、藤が制服のポケットを探って携帯電話を取り出す。
「どうぞ」
画面には、トーナメント表のうち大虎高校周辺の部分が映し出されていた。
「組み合わせなんて事前に知らせてくれれば良いのにって、毎度毎度思います」
とは坂の言葉。それに対して山野手が事実そうなっていない理由を述べる。
「アレっすよね。確か、”勝負する事になる学校への対策をすることで、龍球としての競技性と、チームのレベル向上がスポイルされる”とかなんとか、大会概要の紙に書いてあった気がするスけど」
「ああ、確かにそれはあるな」
直家が運営側の意図を汲み取って、かみ砕いて説明する。
「例えば、先日薄石との勝負で彼らが使ったという話のレギオンフォーメーション。あれ程の戦術に対抗する手段ともなれば、その対策だけの為の動きを練習する事になる。とすれば、当然その他の戦略、戦術を煮詰める時間も減るわけだな」
「ああ……」
「チームとしての総合的な練度は、レギオンフォーメーションの対策をする事でそれだけ上がりにくくなる。というわけだ」
会話が一段落するのを待ってくれていたのだろう。その時、彼等の背後から足音が近づいてくるのが聞こえた。
坂が振り返ると、そこには未開封のミネラルウォーターを手にした長谷部と、彼女に手を引かれ、転ばない様に慎重に階段を降りて来る成哉の姿があった。
「それでも樫屋さん達は、レギオンフォーメーションに勝つ為の方法すらもカバーして、猛練習を貫き通して来ました」
長谷部がそう言うと、視線は相変わらずコートに向いている寺川が応える。
「いやしかしまさか、あんな方法で薄石のレギオンに対抗しようとするとは、思っていませんでした」
「私がたった二日で彼女等に秘策一つを持たせてあげる事が出来たのも、レギオン対策を自分達で用意していてくれたおかげです」
寺川は漸く視線を戻し、今一度長谷部に頭を下げる。
「本当に、無理を言って申し訳ありません。助かります」
「いいんです。私もOGの一人として、内心今の竜術部の状況を黙って見ていたくはありませんでしたし……ああ、山野手君達ごめんなさいね。トーナメント表を見ていたんですよね。それで対戦相手は?」
直家は画面の中の学校名を読み上げる。
「一回戦は、誠雲館高校です」
「誠雲館……戦績だけで言えば、前回大会では初戦敗退したところスね」
山野手がそう口にすると、坂は驚きの色を隠さない声で尋ねた。
「え、山野手君まさか、前回の結果全部憶えてるの!?」
「まぁ大体は。その手の情報なら、粗方頭の中に入ってんぜ」
「大した物だ。さすがは新聞部だな」
直家は山野手へと称賛の言葉をかけ、さらにトーナメント表を追っていく。
「問題は、二回戦だ」
直家のその言葉の意図を真っ先に汲み取ったのは、彼の斜め後ろから携帯電話の画面を覗き込んでいた彼の相棒ドラゴン・リンである。その表情は、ため息でもつきたそうな色に変わった。
「二回戦で当たる学校……というと?」
直家は、あくまで冷静な声で、質問した坂にその学校名を告げる。
「まず間違いなく、薄石だ」
全員が、沈黙した。海藤の針を持つ指さえも止まる。
「三十校も相手が居る中で、まさか二回戦に当たるとは……」
寺川は、ウォーミングアップを続ける六名を尚も見ながら、誰にともなく呟いた。
「まぁ、その為のレギオン対策ですから、ね」
長谷部もまた、薄石の名を耳にしても大きなリアクションはしなかった。
「あと三分!」
英田兄妹が生まれて初めて踏みしめた公式大会で使われるコートは、得てして緊張感の薄い場所だった。
数十メートル離れた観客席には無数の生徒や学校関係者、観覧者が座している。それに、コートの両端には大虎高の中庭にあるものとは雲泥の差の、ピカピカに磨いてあるゴールリングがある。さらに、隣のBコートやその隣のCコートでは、他校の選手達が自分達と同様にウォーミングアップに励んでいたりもする。
にも拘らず、である。
恐らくそれは、良明と陽の中にある勝利を求める欲求が緊張感を凌駕しているからであり、もはや事ここに至っては、たかが緊張感の所為であの薄石に敗北する様な事をしたくなかったからである。
それは、一種の怒りの感情に分類される物なのかもしれなかった。怒りという魔物は時として、目的へと続く道を阻む感情を粉砕し、宿主の身体を突き動かす。
そんな意識が有るのか無いのか、良明と陽の心持は前のめりにならんばかりのアグレッシブな状態を、この日の起床時から維持し続けていた。
朝食で出された、見慣れたいつもの目玉焼きとレタスの組み合わせ。そこに今日だけ添えられたプチトマトに、ささやかだが心強い母の思いやりを見た。
たったそれだけで、今日は誰にも負けない気がした。
高揚感。一言で表現するならば、彼らが今感じている感覚はそう言い表す事ができた。
彼等竜術部の龍球メンバーが居るAコートの側面。そこにある高さ三十メートルは下らないフェンスの向こうには、いくつもの車両が駐車されている。コートを挟んで反対側にはBコート。客席には試合を待つ人々。そして残る一方向には、外縁の青々と茂る森がフェンスの向こうで音も無く佇んでいる。
そんな、敷地自体は広いものの圧迫感があるグラウンドの中で、Aコートにはいつもの龍球のメンバーに加えて、石崎とシキの姿もあった。
それは何ら規定を破っているわけでも、不思議な事でもない。
龍球の試合には、人とドラゴン合わせて六名のスターティングメンバーに加え、控えの選手三人までを参加させる事が出来るのだ。
厳密に言えば、さらにそこに監督が加わった最大十名がグラウンド上で試合に参加する事になる。
但し大虎高校の場合、そもそも普段から龍球をやっているメンバーが六名しか居ない事からこの少人数にならざるを得なかった。
顧問の寺川はあくまでルールや基礎的な知識があるだけで監督という立場ではなかったし、長谷部に関しては練習を監修し始めたのが一昨日という事もあり、監督としての事前の登録が成されていなかったのである。
そんな場所に龍球をしないはずの石崎が居るのは、各種データをノートPCに入れて持ち込んでいるから。と言うのが最も大きな理由である。
唯一、シキに関しては去年まで龍球をやっていた事もあり、正真正銘の控え要員である。但し、今日まで龍球の練習に付き合っていなかった事からも解る様に、シキは既に第一線を退いている。理由は脚の故障であり、本来ならばグラウンドに降ろされる事すらおかしい者だった。
それでも部の危機を見過ごしてはおけず、「無理をしないでくれ」と懇願するけやきの説得をどうにか押しのけ、彼は今ベンチに居る。なんたらと理由をつけてこの競技場まで飛んできたのも、いざという時の為のウォーミングアップの意味があった。
そんな事情を聞かされて居ない良明、陽、レインの三名であるが、シキが龍球に参加しない事には何か理由があるのだろうと特に問いただす様な事はしていなかった。
「よし、最後だ。時間いっぱいまでパス回しの練習をする。各自、動き回りながらボールのやり取りを継続しろ」
けやきが声を張り上げる。
この大虎高校竜術部の龍球チームに関して、この一週間で変わった事が、三つある。




