辿り着き、見下ろす(4)
「陽と俺が先生と長谷部さんに頼み込んで、大会会場に着くまで竜と一緒のコンテナの中に乗せて貰ってるんだよ! なんだよ平原って」
良明は、一角に腰を下ろすガイとショウを指差して答えた。
この二頭は意識をはっきりとさせた状態で、屋根と壁の間から外の風景を眺めている。ただ一頭、レインだけが陽と良明の間で未だすやすやと寝息を立てていた。羽根を綺麗に畳んで、自分の腕の上に顎を乗せ、尻尾をその口元につきそうな程に丸めている。
陽がその背中を撫でてみると、硬質な鱗が分厚いゴムの様な感触で反発してきた。
レインの顎の下には小さく尖った鱗が一枚。
練習初日にけやきに真っ先に教わった事だが、その鱗は”逆鱗”といって、絶対に触ってはいけないところなのだという。その行為はいわばそのドラゴンに対して宣戦布告する事に等しく、途轍もなく失礼な行動でもあるのだとけやきは言っていた。
たとえ眠っている状態とはいえ、良明も陽もドラゴンが嫌がる事は勿論しない。
だが、レインの穏やかな寝顔を見ていると、どうにも構いたくなって仕方がなくなるのだ。
陽がレインの耳をちょんと触ってみると、追い払うようにぴくぴくと動いた。猫そっくりなその仕草にホッコリとした表情を浮かべる陽。
彼女に対して、良明は言うのだ。
「あとでレインに報告して、陽が寝てる時に額に’肉’って書かせとくよ」
「ごめんなさいもうしません」
無意識に顎の位置を調整するレインから、陽は右手を引っ込めた。
*
ガーーー。
ゴトンゴトン。ガタ、ゴトン。
つまらない音ばかりが充満するコンテナの中で、時間は過ぎていく。
「……………………」
「……………………」
お兄ちゃんが窘めるものだから、やる事が無くなった。
妹はとっても退屈なのである。
「……入学してから今まで。あっという間、だったな」
ガイやショウに届くまでには騒音によって完全にかき消されてしまう程度の小声で、良明は退屈そうに足を延ばす陽に話しかけた。
良明もまた、彼女と同じように足を延ばし、隣でコンテナの壁に背中を預けている。
「練習試合の時間は地獄の様に長かったけどね」
「……だな……」
良明は、指にできた水ぶくれの跡を見ながら答えた。
「でも私達、頑張ったよね? ……あの練習試合までの三週間だって頑張ってたけど、それから先の三週間はもっともっともっと頑張れてたよね?」
「俺に確認する程の事か?」
”当たり前だろ”と言う意味だ。良明は、妹の左手の薬指を見る。自分の右手と同じ場所に水ぶくれの跡があった。
良明は、ため息を堪えた様な声でこう付け加える。
「惜しむらくは、長谷部さんと出会ったのが今日の大会の三日前だったって事」
「あー、私もそれは思った。けどまぁ……」
「うん、誰も悪くない。誰もがベストは尽くした。むしろずっと長谷部さんを探してくれてた坂先輩と山野手先輩には感謝感謝だよ」
「だね。だってアレでしょ? 山野手先輩ってさ、私達が体験入部してた間ずっと毎日竜術部の勧誘ビラ配ってくれてたんでしょ」
「マジで?」
「らしいよ。石崎先輩が言ってた。新聞部だってしばらくずっと忙しい状態が続いてるのに、って」
「それでなんで俺達以外誰も入ろうとしないかな……」
陽は、良明が口にした疑問に明快な答えを提示する。
「そりゃだってさアキ。この状況を知ったら普通入ろうと思わないじゃん?」
「廃部寸前。世間の風当たりも強い。入ったら入ったでエグい龍球の特訓が待ってる」
「そうそうそう」
「考えてもみればさ。廃部寸前って事は、二年とか三年に上がった時にそれまでやってきた事が無駄になるかもしれないって意味だもんな……」
”無駄”とはいささか語弊があるが、良明に他意は無かったし、陽もそれを解っているので態々面倒な突っ込みは入れない。
「うん……」
高速道路を降りたらしい。遠心力で陽と良明の身体がぐいぐいと傾いていく。
「うわー」
などと言いつつ、踏ん張ろうともせずに良明にわざと肩をぶつける陽。
良明も全く同じ動きをして、壁に頭をぶつけた。
コントの内容が何時にも増して雑なのは、二人の脳裏から今日行われようとしている大会の事が離れないからである。
「今何時?」
「八時五十五分……前」
「到着って九時半だっけ?」
「たぶん」
良明は、ポケットから一枚の紙きれを取り出した。
黄ばんだ藁半紙に活字の文字が躍っているそれは、開催場所や開場日時などの大会概要が記されたプリントだった。フォントが明朝体だからだろうか。この書類を見ていると、なんだか大人しか足を踏み入ってはいけない事に関わろうとしているかのような、そんな気分になる。
とその時、プリントを取り出して見ている良明に気づいたガイとショウが、走行中のコンテナの中を歩いて近づいて来た。幸いな事に車両は料金所に差し掛かったらしく、傾きや遠心力はもう無くなっていた。
ガイはその巨体に対して狭すぎるコンテナを歩き難そうに進んでくるが、その後をついてくるショウはバランスを崩す事も無く羽根を畳んだ状態でてくてくとテンポよく歩いてくる。
二頭は、良明の対面する位置から開催概要を覗き込んだ。
「あ、どうぞ」
良明から手渡されて表と裏を隅々まで見たガイは、すぐに良明にそれを返した。
「ん、何か確認する事が?」
と、良明。ガイ足元からぴょんとジャンプ前へと出て来たショウが、ジェスチャーで伝える。
「ぐーあ」
両腕を縦に上げて、その後目の前に寄せて合流させる。
「ぐ~」
続いてその両手をさらに縦に上げて――
「あ、トーナメント表?」
「グァッ!」
陽が言い当てると、ショウは大きく一回頷いた。
「ん、あれ? でも組み合わせは毎回現地で発表されるって聞いた様な」
「まぁ、とはいえ”もしかしたら今回は”って事もあるもんね」
と言った陽にショウはもう一度頷いた。
そんなわけはない。仮にその可能性があるとしても学校なりでとうに確認しているだろう。要するに、みんな到着するまでヒマなのである。
なまじ今日まで必死の想いで練習して来ただけに、最後の最後になって唐突に現れた”移動による空白の一時間半”が、校長の挨拶の次くらいに長い時間の様に感じられた。いや、そんなには長くはない。
自分以外の部員と行動を共にしているのに、一時間半もの間龍球に関する事を一切しない。その違和感が凄まじかった。
戦略に関しては前日までに煮詰めてある。今更長谷部やけやき抜きで余計な事はするべきではないだろう。かと言って、気を抜きすぎるのもなんだか勝敗に影響しそうで嫌なのだ。調子に乗ってふざけ合っていて、いざ大会が始まり一回戦敗退だったなんて事になれば、目も当てられない気がする。
良明は、何か話題でもないかと考えを巡らせ、「あ」と声を出した。
「そういえば、ふっさんと直家先輩来てくれるらしいよ」
「おーマジで?」
「まぁふっさんに関してはそんな気してたけど、直家先輩も来てくれるっていうのがちょっと意外だった」
「確かに。あーでも、直家先輩ってそういえば」
「ん?」
「ほら、私達が直家先輩に初めて会った時の事覚えてる? 樫屋先輩と一対一で勝負してた時の事」
「うん」
「石崎先輩が言ってたじゃん、樫屋先輩の大ファンとかなんとか」
そういえば、そんな事を言っていた様な気がする。
良明は、今更な事を口にしてみる。
「でもさ、ぶっちゃけ樫屋先輩とガイさん付き合ってるじゃんか?」
「それな」
「俺思うんだけどさ、もしかして直家先輩って……樫屋先輩とガイさんが付き合ってるっていう話を間に受けてないんじゃ……?」
仮にそうならば理由は簡単。けやきとガイはの二人がかたや人間でかたやドラゴンだからである。
「それは…………悲劇、だね」
とっても他人事な風で言い放つ陽を見て、良明はガイに対してこの会話のリアクションを求めた。
ガイは、”くだらない”とでも言いたげに、コンテナの隅に蹲ってレインの様に目を閉じた。
レインは、むにゃむにゃとやはり気持ちよさそうに眠っている。安心しきった顔だ。
*
”県立運動公園”といえば県下最大のスポーツ施設であり、県内に住む者の大半が認知している有名施設である。
今回の様な高校スポーツの県大会では、大抵の競技がここで行われる。屋内プール、体育館、屋根付きテニスコート、陸上競技場、野球球場、そして、龍球でも使われる汎用屋外競技スペース。千数百メートル四方の綺麗な正方形をした敷地の中に、様々な施設がパズルの様に収まっている。
そしてその事からも解る様に、一帯は民家も会社も商業施設も無い僻地だ。敷地の外縁には植え込みとフェンス一つを隔てて森が広がっている様な、そんな場所である。
普段通るモノと言えば心を洗うそよ風と申し訳程度の利用者くらいのこの一帯も、今日の様な大会がある日には多少は人で賑わう。
龍球などはまだ訪れる者が少ない部類の競技で、野球などの人気スポーツともなれば、過剰なまでに用意された駐車場が危なく埋まり切る程の利用者が押し掛けるものである。第七まであるそれら駐車場のうち、バスの様な大型車両が停車可能な第一駐車場には既に各校の車両が並んでいた。
部費を使って業者からチャーターしたバスから、単なるワゴン車まで。様々なサイズの車両から、生徒や教員と思われる者達が姿を現している。
ただし、どの学校もドラゴンはコンテナ付きのトラックで輸送するのが普通であり、基本的に出発から現地までは別行動となる。これは試合を控えたドラゴンの体力消耗を抑えるという意味もあるが、近年のガルーダイーターによる世論操作により”ドラゴンに空を飛ばせて特定の場所まで向かう事を強制する行為”が望ましくないとされているからである。
もし空を飛んでこの施設に向かうドラゴンが居るとすれば、それは大抵の場合単なる観戦客であり、そのケースに於いては批判の対象にならない。
例えば、眼下の車両との距離を一定に保ち、ずっと大虎高関係者について来ていたシキなどは好例である。皆と一緒にコンテナに乗れば楽を出来ただろうに、『たまには長距離を飛びたい』と言ってきかないこの黒竜は、頑として部員達の申し出を断った。
大虎高龍球部の関係者を乗せたマイクロバスとコンテナが、今、県立運動公園の敷地に入場する。
シキは、上空二十メートルから久方ぶりの眺めを見下ろした。
遠くの陸上競技場では、今日の龍球大会とは全く無関係の人々がトレーニングに励んでいる。
空からでは良く見えないが、屋根付きテニスコートの方からはボールを打つ音が聞こえてきたりもする。
案外利用者は多いものなのだろうか、それともたまたま今日という日に利用する者が多かっただけか。とりとめのない疑問を受け流し、シキは下降を始めながら別の一角へと首を曲げた。
体育館前には、幅二メートル程もある様々なスポーツをイメージしたブロンズ製のオブジェが設置されている。よく見るとそれは時計で、中央では二本の針が、九時二十八分を指していた。
入場は九時半から。シキの見立てによると既に到着している高校は少なくなさそうだった。
大虎の各車両から部員達が降りていく。
寺川と一言二言交わした後、けやきはシキを見上げて表情だけで手招きした。シキは羽ばたきを調整して部長の前へと降りて行く。
「名前だけは知ってましたけど、間近で見ると大きいですねぇ」
と、良明は歴戦のプロレスラーにでも述べる様な感想を口にする。
眼をまんまるにしている兄妹と、彼ら二人に宇宙人の様に両手を引かれるレイン。もし宇宙人と言う例えが通じないならば、親子っぽいという表現でもしっくりくる。
けやきはそこから見えるいくつかの建物の内、最も近くにある球場の外壁を見上げて言った。
「何度来ても、到着直後のこの落ち着かない感じは慣れないな……とはいえ、県内にある施設の中でも最大の物だ。これくらいの威厳はあってもらわないと困る」
すると、今度は陽が質問をする。
「大会前に受付か何かあるんですか?」
「ああ。あそこに見えるテントがそれだ。毎年丁寧な係員が居るから、そこで大虎高校の到着を知らせてきてくれ」
言われて、陽はとてとてと駐車場の一角にある受付テントへと走っていった。
入れ替わりでシキが降りて来る。
第一駐車場の一角の、とあるワゴン車の中。
市立翁野高校二年城之内は、スカイダイビングの様な興奮の只中にあった。




