三毛猫ロック:フェルマータ(6)
「なんだ今の。外に続くあのガラス戸からだったよな?」
と、三池。
「ぱっと見、他にあんな音が聞こえてきそうな物は見当たらないな」
と、冷静を装い続ける霧山。
部屋の中に散らばるカラーボックス、座布団、刺身のトレイ。家具ともゴミともつかないモノの海をかきわけ、ガシャガシャと音を立てて歩いていく三池。
窓際まで行くと、閉められていないベージュのカーテンが妙に主張しているその一帯を、ゆっくりと見回した。
三池の表情に恐怖の色は無かったが、注意深く、慎重に辺りを窺っているのが霧山にも見て取れる。
ガラクタと化して散乱する家具の山の中、小柄な少女が窓際に佇んでいる。三池も霧山も、喋らない。それがさらなる不気味さを召喚し続けているのである。
霧山はついに部屋に入るとしばし立ち止まり、三池と共に窓をじっと見つめ続けていた。彼の脳内ではここに来た事への後悔の言葉が圧倒的なボキャブラリーを伴って縦横無尽に飛び交っている。
先ほどまで無邪気に駆け回っていたわくわく達は、とうの昔にどこぞへと帰宅していた。
首を違う方向に向ける事すら恐ろしい霧山は、時刻を確認する為にポケットの中の携帯電話に手を伸ばそうとした。
と、その時。
眼前の小さな背中が少しだけ膨らみ、すぅ、と息を吸い込むのが見て取れた。
「誰か居ねぇのかあー?」
先程と同じ問いを今一度口にした三池の声は、やはり短く反響したし、真面目であった。
だがやはり、何もリアクションは――
ガタガタっガタン!
間違いなく、何かがどこかで落ちた様な音がした。
先程家に入った直後に物音がしたのと同じ方向からだ。
と、その音が鳴り終わったのと同時くらいのタイミングで、三池はそれこそ憑りつかれた様に走り出したのである。突如としてその手足を激しく動かし、喧嘩相手を追いかける猫の様な勢いで部屋を横切っていく三池に対し、霧山は心の底からの恐怖を感じた。
実際、ほんの一瞬は本当に彼女が何かに憑りつかれたのかと彼は思った。
三池は霧山の目の前を通り過ぎ、部屋の扉を躊躇も無く蹴り飛ばし、廊下へと姿を消す。
抱いた恐怖を無理やりに抑え込みつつの霧山が直ぐにその後を追いかけてみると、三池は廊下の奥へと突き進んでいた。位置で言えば、先ほど入ってきた玄関口の右手に当たる。台所に進入した所で、三池はその足を止めた。
「三池、なんだ、どうし――」
そして、今一度少女は叫ぶ。
「もしかして姿を現せるんじゃねぇのか、てめぇ! そういう奴を俺は知ってんだ! いいか、よく聞け!!」
「お、おい、三池!?」
「そいつは話し相手を探してる! もしてめぇの気が乗るんだったら竜王高校まで来てみろ。そいつんとこまで連れてってやるよ!!」
「三池! 出るぞ!!」
強引に三池の腕を掴んで外に出ようとする霧山。
(これは、まずい)
そう思った。
「いいか! 俺はここ最近昼休みは校舎裏でメシ食ってんだ!! 気が向いたら遠慮なんてしねぇで――」
「三池! 三池!!」
玄関まで三池を引っ張ってきて、今、外へと続く戸を開けながら霧山は目の前の気がふれたと思しき女子の名を呼ぶ事を繰り返す。
「しっかりしろ! 正気に戻れ!!」
すっかり必死の形相で三池をゆすろうとしたところで、彼女は一連の扱いについて心外だと言わんばかりに抗議した。
「んだよ、しっかりしてんよ、正気だよ!」
三年生のこの時期にしっかりと勉強をさぼっている事がおよそ正気だとはいえない奴が、何か言っている。
「なんだいまのは」
外面と言う意味でのキャラクターが崩壊気味になっている霧山が、心配そうに三池を見つめている。三池は霧山のその一言で、彼が焦っている理由に漸く合点がいった。
「……ああ、そっか、霧山が知るワケねぇか。アレだよ、俺な、幽霊と同居してんだよ」
霧山の胸をぽんと叩いて見せる三池の顔だけを、彼は見据えて即切り返す。
「今すぐ心療内科へ行こう」
「まぁ聞けよ」
玄関の戸を後ろ手にガラガラと閉めてから、三池は続ける。
「そいつはよ、俺達普通の人間の前に自由に姿を現せたりしてな――あ、これ円とか伊藤とか榊原とかも目撃してっから疑うんだったら聞いてみろ。んでそいつ、生きてた頃の記憶が無いらしいんだよ。本人が言うには自分は幽霊ん中でも特殊な状態なんじゃねぇかってハナシでな、だから、色々と自分の事を知る為に同じ様な境遇の奴を探してんだ。んで、俺はそれを手伝おうとして今ここに来てみたってワケだよ。わかったか!」
「……お、おう……」
としか、霧山にはコメントのしようが無かった。
彼は、三池の口から円だの伊藤だの榊原だのという具体的な証人の名が挙がった事で、彼女の言葉を即座に否定する事を思い留まりはした。
だがしかし、三池の口から出て来た設定がにわかには信じがたい内容の話である事も事実である。
霧山自身、幽霊自体が実在する事は知っている。そこは疑ってはいないのだ。だが、今の三池の口ぶりからすると、まるで打ち解けて一緒に生活している様にさえ聞こえる。
「まぁ、信じねぇのも無理ねぇけど……そうだ、今度お前もウチ来いよ。まぁウチなんもねぇけど」
「……折角だが、勉強があるのでやめておこう」
という、建前とも本音とも取れる言葉で断る霧山であった。
「そろそろ六限目も終わる頃だろう。これくらいにして、学校に戻らないか?」
「んだな。俺もこれから部活にゃ行くしよ」
石段を降り始めながら、霧山は少し意外そうに尋ねる。
「そういえば、龍球部だとか言っていたな。テストの勝負に勝ったら俺に入れとか何とか……」
三池は、部の事に話が及んだのを好機とばかりに事情を語り出した。
「あのなー、人数足んねぇんだよウチの部。ドラは三頭居んだけど、人間は俺と、あと最近無理やり引き込んだ円だけだ」
「一年生の勧誘はどうした? というか、よくその状況で続けようと思ったな……」
二車線の通りに出る。三池は、慎重に左右を確認し、すばやく道路を横断した。猫みたいだ。霧山もその後に続く。
「一年の勧誘、したんだぜ? チラシまで用意して、手あたり次第にばら撒いた。一人も来なかったけど」
「一人も……?」
「いや、一人来たには来たな」
「来たのか」
「俺のなり見てソッコー逃げてったけど」
「ああ……」
せめて髪くらい染めればよかっただろうに、と霧山は思った。
「あとな」
と三池は続ける。
「絶対ぇに、最後の県大会の場で勝負つけてぇ相手が居んだよ。だから、どうあってもそれまでに、出場資格を満たす為に最低あと一人引き込まなきゃなんねんだ」
そう言った彼女の顔は、飢えた野獣の様に獰猛な笑みを湛えていた。
男は、携帯電話の一回目のコールが鳴り止むよりも前に、通話ボタンを押した。
わけあって上手く上げられない左腕の痛みを堪え、スピーカ部分を耳元へと近づける。
『館山さん、円さんが校門を出ました!』
頬に痛々しくガーゼを貼ってある館山の顔が、不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「円に”さん”は要らねぇよ。解ってんだろうな、手筈通りにきっちりやれよ? くれぐれも――」
『大丈夫ですよ、こっちは三人がかりなんですから。抜かりは有りません。それより館山さんの方こそ、山村とかに見つからないでくださいよ? 俺達目ぇつけられてるんですから』
「それこそ抜かりなんてねぇよ。この道を学校への行き来に使ってる奴なんざ殆ど居ねぇし、三池のクソ野郎を見つけたら予定の場所まで誘い込んで完全に人目から遮断する」
『まぁ兎に角、約束のジュース三本は――』
館山は携帯電話の通話を終わらせ、傍らのコンクリートの壁へと寄りかかった。
「なぁにがジュースだバァーカ。スケールの小せぇ話しやがって……こっちにゃ、いざとなりゃ族に頼み込める様な人脈だってあんだよ」
遠く離れた場所で、竜王高校のチャイムが鳴っている。
結局、何の収穫も得られなかった。
二人で来たのがいけなかったのか?
昼間に来たのがいけなかったのか?
大声出したのがいけなかったのか?
ドアを蹴破ったから怖がったのか?
兎に角。噂の民族衣装の少年の霊は、三池の前にその姿を現さなかった。
悪い事に、幽霊という存在を既に認識している三池だけに、どうにもこのまま諦めがつきそうになかった。
今は、来た道を引き返し、空き地となって久しい私有地の石垣を横切ろうとしているところだった。
奥ではコンクリートの高い壁が道を見下ろし、その道を挟んで反対側には竹藪が退屈そうに薄暗い風景の中で佇んでいる。壁の上には民家があり、さらにその屋根の上では、人知れずカラスが生ごみをつついている。
そういえば、と三池は霧山を見た。
(こいつは多分、人生初の授業サボりを体験したんだよな)
三池は横を歩く霧山に対し、面白そうに話しかけてみた。
「なぁ霧山」
「ん」
「どうだったよ?」
「……海の様に広い質問だな」
という霧山の切り返しに、三池は思わずポケットに突っ込んでいた両手を抜いて立ち止まった。
「うわっ、とっさに出るか? そんな例え。このインテリめ」
霧山は構わず進みながら応える。
「褒めてるのか貶しているのか妬んでいるのかはっきりしてくれ。そしてそれほど頭の良い切り返しでもないだろう今のは」
「いやいやそうケンソンすんなって。なんだよ海の様に広いって。本でしか見た事ねぇよそんな表現……いや俺本とか読まねぇけどよ。いや、つうか褒め――」
そこで三池は、その者の姿に気づいた。
見覚えのあるサイズの背丈。
頬のガーゼ。
黙して多くを語らない風の、あくまで’風’の、番長面。
館山だった。




