三毛猫ロック:フェルマータ(5)
彼女がこの話題を思い出したのは霧山との会話の中で父の話が出てきた事が要因なのであるが、たぶん、一連の話が一段落した先に続く話のタネとして、どのみち三池はこの話題を選んでいた。
おセンチな気分に浸りかけていた所に容赦なくぶち込まれたオカルト話に、霧山は一秒経たず苦笑する事になる。
「お前、この辺りに幽霊が出るっつう噂の、こう……廃屋? みてぇなのあるの知ってっか?」
それは、霧山にとって良く知った場所であった。
「俺の家の近所で、通学路にあるな」
「うわっ、マジかよ変な事言って悪ぃ」
「ああ、いや、とっくに幽霊が出ると言う噂は聞いてるさ。というか……」
霧山は、まさかの一言を口走る。
「俺の家にも、昔何度か出たな。俺が中学一年の頃に」
「マジかよ」
「見慣れない服を着た、少年の霊だった。見慣れない……というか、縄文だか弥生だか、その辺りの時代のステレオタイプと言っていい服装だったが」
「え、そいつはアレか。結局お前ん家からは出てったのか?」
「学校を挟んで反対側の方向にある寺の住職に来てもらってな。お祓いをしてもらってそれっきりだ」
そこで出て来た三池の言葉が、
「いやいや、成仏出来て無ぇじゃねーか」
である。
苦笑を単なる笑いに変えかけた霧山だったが、三池の表情がなまじ真面目だった事が気にかかった。
(なんだ、こいつは会った事も無い他人の為に、しかも既にこの世には居ない――いや、霊体として居はするのだが――人物の為に心配しているのだろうか?)
霧山の頭の中にはそんな問いさえ浮かんできたが、三池が真顔でそう言ったのは、彼女のルームメイトもまた霊であるからなのであった。
「よし、決めた!」
三池はすっくと立ち上がる。
「六限目の体育バックれて、俺ちょっと行ってくるわ」
「な、何? 行くと言うのは……まさかお前――」
三池は、すました顔で霧山を見下ろした。
「そう、その廃屋に」
”授業をバックれる”。
教室にてその現場を何度か目撃した事はある霧山であるが、目の前でそれを宣言する奴は初めて見た。
だから、だったのかも知れない。
霧山は、周囲に知れればそれこそ山をも動かしそうな驚天動地発言をした。
「俺も、ついて行っていいか?」
*
体育なんて、三池がこれ以上無いくらいに好きそうな教科だろうに。と、霧山は思った。
疑問を口にしたら、三池は体育をすっぽかしても痛くもかゆくもない理由を教えてくれた。
なんでも彼女が言うには、男子は柔道をやっているのに女子は同じ時間にバレーボールをやらされるというのが気に入らないらしい。
三池は、バレーボール自体は嫌いでは無いのだ。中学校時代の体育などでは、ルールとコツを覚えるや否や、六人中三人がバレー部で構成されたチーム相手に大量得点を決める程度は当たり前、彼女に回ってきたサーブだけで試合をひっくり返す事もざらだったという。ただ如何せん、格闘技に通ずるスポーツを目の前で取り上げられているという事が、彼女の言葉をそのまま引用するならば”ストレスパネぇ”のであった。
そもそも、運動ならばなにも体育でなくとも、三池は毎日部活動でやっている。一コマの体育がサボりに代わる程度、三池にとってはそれ程嫌な事でもないのである。
霧山は、この話を聞いて漸く三池の性別を把握した次第であった。
放課前に学校外へ出るという経験が無かった霧山にとって、現在進行中のこの時間は冒険以外の何物でもなかった。
美術の資料集に乗っている様な、やたらと青空に映えている雲に見守られながら、霧山と三池はデートを始めたのだ。待ち合わせをしたアベックが二人並んで歩いているのだから、デートと言っても間違いでは無いだろう。
校舎裏の、学校外に面したフェンスの一角に、全体を黒いペンキで塗り潰してサビを隠してある門がある。その鉄製の門を開いてコンクリートの階段を下りると、一世代前のみすぼらしいアスファルトの県道に出る。
人目を気にしながら県道を歩いて行くと、駐車場とは名ばかりな舗装されていないただの空き地がある。たぶん私有地だが構わず進む。
その最奥には木々に隠された獣道があり、鶯の鳴き声を聞きながらそれを辿っていくと、民家が密集した地帯に出る。
「こんな抜け道があったのか」と感心する霧山を背に、三池はずんずん進んでいく。
竹藪と昔は上に何かしら立っていたらしい石垣と再びの数件の民家を横切ると、片側一車線の大きな道路に出た。
周囲に横断歩道は無く一分弱程車をやり過ごす必要があったが、そこさえ渡ってしまえばその先の道程はさほど長くは無かった。
畳屋とクリーニング店に挟まれた幅一メートル程しかない細い道は、明らかに近隣の住民が勝手に手を加えた様な素人臭い塗り方でセメントが塗ってあり、所々から雑草が顔を覗かせていた。その道を一分弱ばかり進んで行くと、雑木林が視界に入る。
廃屋は、その雑木林に隠されるようにして立っていた。
手前に虎ロープが張ってある石段を登って玄関口まで来たところで、三池は今更にも程がある事を口にした。
「霧山よぉ、俺が言うのもなんだがお前、本当に良かったのか? お前みてぇな奴が授業一コマバックれるって結構やばくね?」
「プチグレの一環だ、気にするな」
霧山は、いざ見つかった時になんの主張にもならない言葉を口にした。
こんな事を口走ってしまう彼である。当然、その精神は平常とは言い難かった。
平静を装う霧山は、頭の中で子供の様に駆け回るわくわくを三池に悟られないかという点にだけ、細心の注意を払っていた。
理由は、バレると恥ずかしいからである。
「んじゃ、行ってみっか……そっち、人来てねぇよな?」
なーんにも気づいていない三池に、霧山は通りを覗き込んで答える。
「大丈夫だ。誰もいない」
「よっしゃ」
三池は、黒ずんだ家の引き戸に躊躇いなく手をかけた。
がらがらがら。
木製の引き戸に鍵は掛かっていなかった。
二人は素早く玄関に入ると、人目から逃れる為にその引き戸を完全に閉める。
昼間なのに。その昼間の明るさが、かえって廃屋の風景の不気味さを生々しい物にしていた。霧山に同行する女子高生の家のそれと、よく似た雰囲気である。
「邪魔しまーす」
三池の声が、きわめて短く反響した。
セメントのまばらなグレーの上には、どこからどういう経緯でそこに持ってこられたのかよく解らないこげ茶の木材が三つ。身を寄せて折り重なっていた。
今にも抜け落ちそうな色合いをしている廊下を挟んで向こうには、畳が敷かれた部屋が見える。部屋の最奥には白地に紺色の横線が入った襖も見て取れるが、その襖が完全に閉ざされている事で押入れの中に何があるのかは玄関からでは伺い知れない。
霧山は、それらの風景の不気味さに、早くもわくわくと同じくらいの後悔の念を催す。
無言で三池は一歩、また一歩。合計二歩を踏み出し、家の中の廊下へと上がった。やはり彼女に躊躇いは無い。
ガタン。
廊下の突き当たりの方で、音がした。
三池の後ろで蛙の様に目をひんむいて、霧山は思うのだ。
(なにも、家の中に物が無いわけじゃない。何もないはずの所から音がしたわけじゃない。これは別に不思議な事じゃない)
恐怖心を覆い隠す様に、現状を理屈で整理しようとする。
(ガタンという音からして、何かが落ちたか、何かに寄りかかる形になったか)
霧山は何かから逃げ隠れる様に、音の正体をそう結論付けた。
しかし、直後に次の問いがどこからともなく現れ、彼に襲い掛かる。
(ただ、なにも、今このタイミングに鳴る必要はないだろう。時間なら一日中ある。俺達がここを訪れたタイミングに対して、それ以外の時間はあまりにも長い。なんなら、音が鳴るのは昨日でも、明日でも良かったはずだ)
玄関のドアを開けて自分達が入ってくる一連の流れの中で、家の中の空気の流れに影響が生じた――という発想が、この時の霧山には出来なかった。尤も、実際の所その音がどういうプロセスを経て彼らの耳に届いたのかというのは、また別の話なのである。
「誰か居ねぇかー?」
誰も居る筈無いだろう、と霧山は思うが、三池の口調は大真面目である。
同居人・トオルの記憶を取り戻すチャンスかもしれないこの機会を、無駄に過ごそうなどとは考えていなかった。
三池は、畳張りの部屋を遮るガラス戸に手を掛ける。
と、その時。
ガタガタガタガタガタ。
五回連続で、二人の居る場所とはまるで関係ない所にあるガラス戸が、揺らされる様な音をたてた。
霧山はここに来た事を本格的に後悔し始めた。理由は勿論授業をサボる事が褒められた事ではないから――ではない。
男子としての意地。否、体裁が、後に引く事を彼の意思とは無関係に阻害している。
(男だろうが女だろうが、怖い物は怖い。だからこそ世の中にお化け屋敷という物が存在するんだ)
などと、頭の中では弱音など吐き放題である。
霧山のキャラクター上、ここで”まずいんじゃあないのか”だとか、”大人しく帰るぞ”だとか、そういう言葉で三池を呼び止める事も出来ない。
彼はあくまでクールで、インテリで、運動もそこそここなせて、何事にも臆する事が無くて、眼鏡男子な優等生なのである。
そういうキャラクターを、演技半分本性半分で維持し、周りに対してその外面を崩せない。それが、霧山という男なのである。
これ以上玄関に留まっていると、三池に”はやく来いよ”と促される。そのギリギリのタイミングで、霧山は意を決して一歩を踏み出した。音も無く、霧山の靴はコンクリートを踏みしめる。




