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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
3.青という色
51/229

三毛猫ロック:フェルマータ(4)

「いやー、マジ完敗だわ。一位おめっとさん」

 話題は当然霧山が一位を、三池が――下から――三位を獲得したテストの事である。

「まぁ、ゴールデンウィークと言っても、勉強くらいしかやる事も無かったしな」

 こいつは宇宙のどのあたりから来た何星人なんだろう?

 三池は、スコ座りのまま半身を捻って霧山を見た。その時の三池がどういう表情をしていたのかは、「なんだ?」という霧山の三池への返しから推して知るべしである。


「つうか、お前」

 三池は先程から気になっている事を、二つ纏めて尋ねてみる事にした。

「さっき俺がここに居るの知ってて探してたみてぇだが、俺に何か用か? つうかなんで俺がここに居るって知ってた」

 霧山は、二つ目の問いから答える。

「最近お前と仲良くしてる円から聞かせて貰った」

「あいっつ」

「すまない、迷惑だったか?」

「いいよ、茶もらったし。んで?」

「件のライブの話だが」

「ああ、時間とかもう決めちまうか」

「まぁ、それもなんだがな」

「んあ?」

「改めて礼を言っておこうと思って、な」


 三池は、実の所この霧山というガリ勉男の事が不思議でならなかった。

 そもそも、こんな住む世界の違うヤツが数日前に自分に話しかけて来た事自体、未だに違和感にまみれている様なイベントなのである。

 ユークリッドというバンドは、インディーズ全体で見れば決して有名なグループではないが、この竜王市に於いては数少ない地元バンドの一つであり、その中では突出した人気を博していた。市内にスタジオを構えるラジオ局でも度々紹介されており、三池と霧山が共にこのユークリッドを知っていた事は、さほど奇跡的な偶然でも無かった。


 誰から聞きつけたのか、三池がユークリッドのライブを度々聴きに行っているという情報が二人を引き合わせたのであるが、三池が気になっているのはそこに至るまでの霧山の事情である。

 家族に隠れてまで、不良に声をかけてまでライブに行きたいというのは果たして単にユークリッドが好きだからというだけなのだろうか?


 そんな事を考えている時点で、三池にとってその疑問は半ば既に疑惑なのである。

 どういう事情があって三池に件の話を頼んできたのか、三池はそこを彼の口から聞きたかった。

「……カノジョが、ユークリッド好きだったりすんのか?」

 仮にそうなのであれば霧山が三池を誘った事にはかなり大きな問題があるのかもしれないが、三池は別段深く考えずに霧山にそう尋ねた。三池にしてみれば、彼がご丁寧に’礼’などという言葉を使うから”彼女”などという発想が出て来たという、その程度のただの連想である。


 霧山は、首を横に振って答えた。

「恋愛など、してる場合じゃないからな……」

 言って、目は遠くなる。

「なんだ、お前って何か目的でもあってガリ勉ってんのか?」

 受験生だからガリ勉っている、という発想はどうやら三池には無いらしい。

「目的、か……果たしてそう表現するのが正しいのかどうか……」

「なんだよ気になんなぁ、俺が聞いてもいい類のハナシか? それ。だったら聞かせろ」

 (かっ)るい態度で三池にそう言われ、霧山は確信に程近い所から話を始めた。

 実は、出会ってまだ日も浅い三池に対してこの時この話をした事自体が、彼の精神状態をよく表していた。彼が三池に対して今回の話を持ち掛けた事も、要はある種のヤケだったのである。

 但し、その事に三池が気づいたのはこの日から数日が経過した後の事である。


「俺の名前は、霧山……法司(ほうじ)と言うんだ」

「ほーじ?」

「法律の’法’に司法の’司’」

 司法と聞いて漢字が頭に浮かんでこない様子の三池に、霧山は空中に鏡文字を書いて教えてやる。

「こう書いて、一に口」

「あー……」

「法律を、司る。と書く」

 さすがの三池にもピンと来る。


 親から与えられたその名前と、霧山の現在の成績。それが既に色々な事を物語っている。

 幼い頃から弁護士だか何だかを目指す事を、強制ですらない、当たり前の事と位置付けて育てられ、今日と言う日に至るまでずっとこんな調子で勉強を続けて来たのだと、要するに霧山はそう言いたいらしい。”法司”。彼が次男だとするならば、もしかしたら兄もかなりのインテリなのかもしれないと三池は思った。

 それらの環境がどれ程のプレッシャーとなり霧山に襲い掛かっているのか。清々しいくらいに自分の好きな様に生きている三池には、想像もつかなかった。


 三池は納得した声で確認する。

「それで息抜きにライブ……てわけか」

 頷いて霧山は答えた。

「俺がユークリッドを好きなのはな」

「おう」

「詞に共感してるからなんだ。ソラハテという曲があるだろう。あれが特に好きでな」

 当然三池はその曲を知っている。ドラムが常にやかましくリズムを刻むアップテンポな曲で、ファンの間でもそこそこの支持を得ている。

 詞の内容は、感情的だが論理で否定できなくて、それでいて一節一節全てが共感を誘う様な、まさに”ロック”を体現する様な問いかけと回答の応酬。

 ソラハテは、一度聴けばユークリッドというバンドが評価されている理由が解る様な、練りに練られた一曲だった。


「いい曲だよなぁ」

 とは言った三池だったが、その曲調とは対照的なまでに重い詞に自身を重ねられる様な精神状態なのだとしたら、それは霧山の心が既にかなりくたびれているという事なのではないか、と彼女は思うのだ。


「正直な……」

 三池は、その先についてくる霧山の言葉が既に耳に聞こえてくる様だった。

「もう、取り巻きの言いなりで勉強をするのが嫌になりかけていたりする」

 霧山がそのセリフの後半部分を笑いながら言ったのはたぶん、聞き手が受ける深刻な印象を、冗談めかす事で少しでも和らげようとしているからだろう。それが意識的だったにせよ、無意識だったにせよ。まして、友人とも呼べない様な相手にべらべらと本心を話しているのだ。多少なりとも茶化す様な言い方をしたくもなるのだろう。


「霧山、お前――」

「けどな、三池」

「……おう」

「別に、弁護士になる事自体が嫌だというワケじゃあないんだ」

「ん……?」

「周りから言われて、その通りのレールを歩かされている状態に疲れているだけで、目指す目標には本当に興味を持っている」

「グレるにグレれねぇな、そりゃ」

 気丈に振る舞う霧山である。三池は、あえてそんな冗談めかした返答をしてやった。


「だからな三池。俺は、プチグレる事にしたわけだ。……俺がユークリッドを気に入っている事は、家族の誰も知りはしない。そんなバンドのライブを家族に隠れて聴きに行く。ささやかだが、痛快だとは思わないか?」

「ささやか、だな」

「まぁ、別にな」

 霧山は膝に手をかけて空を仰ぐ。

「親の事が嫌いというわけではないんだ。人並に愛情を受けて、人並み以上に良い環境で育てて貰って。……だからこそ、言い出せなくてな……」


 三池がつられて空を見ると、嘘くさいくらいの青空が広がっていた。三池が思わず”うわっ”と気持ち悪い物でも見た時の様な声を上げそうになったくらいである。

(話の流れで随分と込み入った事まで喋らせちまったもんだなぁ)

 などと想いながら、三池は、霧山が口にした境遇と自分のそれとを比べてみた。

「…………俺ん家はよ」

「…………」

「俺が物心ついた時には、母ちゃんはもういなくてよ。つい二年前まで親父と二人暮らしだったんだよ」

 霧山は思わず三池の顔を見るが、その大真面目な表情を認めて口をつぐむしかなかった。

「んで、親父も二年前に死んじまった」


 三池は、続ける。

「おまけにすっげぇ貧乏な方……だったと思うんだよ、俺ん家。もひとつおまけに、俺はこんな好き勝手やってる、将来の事なんざ碌に考えても無ぇ様なそれこそ”ろくでなしだ”」

 オレンジ色に染めた髪をかき上げて、「でもな」と言って三池はにかっと笑う。

「俺、毎日すっげぇ楽しいぜ」


 たぶん、「将来の事なんざ碌に考えても無ぇ」という部分が、自分と三池の決定的な違いなのだろうと、霧山は思う。

 今苦しいのは将来の為に必要な事だ。だから、親からの期待の眼差しも、霧山につけられた名前が示す人生のレールも、耐えるべき苦しみなんだろう、とも。

(だが……)

 霧山は、それでもこうも思うのである。

「お前は、ろくでなしなんかじゃ無い」

 そして、上手い言葉が見つからないまま、ぶっきらぼうに男か女かよく解らない同級生に言うのだ。

「少なくとも、俺の下らん話に付き合ってくれた」


 きょとんとする三池。

「それに、円の弟の話も聞いたぞ。ああして面倒毎に首を突っ込んで人助けした事だって、一度や二度じゃないんだろう?」

 三池はひらひらと手を振って、

「結果的にああなっただけだよ。俺はケンカが好きなだけで、殴りてぇ奴を殴ってるだけだ」


 霧山は思う。

(俺は、これから先安定した職に就き、安定した収入を得て、安定した家庭を築くのかもしれない。当然だ。そのくらいでないと今の高校生らしい楽しみも碌にない猛勉強の日々に対して、とても割が合わない。……だが、それでも、こいつという人間は俺には無い物を持っている。こいつには、修羅場という物を潜り抜けて来た者特有の、俺には無い男気……の様なものがある)

 生活の安定。信念の保持。はたまたそれ以外の何か。何を大切に生きるかは、人それぞれである。

 果たして、自分にとって大切な物とは、何なのだろう?

 霧山は、心の表層に浮かび上がりそうになるその問いを、深く深くその胸の内に重しをつけて沈ませた。


「ああ、それでよ」

 三池は、突如として霧山が予想だにしない話を始めるのだ。

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