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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
2.虎穴の双竜
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鎖の轍を踏みしめて(6)

 淡々と石崎が中庭へと歩いていき、形式ばった試合後の礼をした後、それぞれのチームはゴールリング付近へと集まった。


 茫然と立ち尽くす良明と陽。そして、その傍らに立つレインとショウ。

 ショウは、新入部員三名をじっと見つめている。

 彼女が見つめる良明、陽、レインの表情は、昨日までの彼等からは想像も出来ない程に、あまりにも感情的なものであった。


「負けるのが……本気で戦って、負けるっていう事が、こんなにも悔しいなんて思わなかった」

 陽は、誰からも顔が見えない角度に首を垂れて泣いていた。

 声を押し殺している事にさほど大きな意味は無い。単に恥ずかしいからだ。


 良明が彼女同様に涙を流していたのか否か。それを断言出来る者はその場に誰一人として居ない。何故なら、彼もまた誰も居ない方向を向いていて、陽よりもずっと深く俯いていたからだ。

 但し、陽が泣き際に言った類の言葉を、良明は口にしなかった。

 もう、口には出来なかった。


 肩を震わせる兄妹とその間に佇むレインの元に、ガイの絆を引いているけやきが近づいて来る。

 大虎高校竜術部部長・樫屋けやきは、今のチームメンバーに対して何も言わなかった。今この時、この瞬間の経験は、今日の試合のどの瞬間よりも大切で、決して邪魔をしてはならない時間だと思ったからである。

 時を刻む毎に暗くなっていく景色の中、沈黙と名の付いた海に沈む双子を見比べる。

 部室の中の誰も、中庭に出て彼らに近づこうとはしなかった。


 そんな時間がこれからいくら程続くのか。

 誰にも見当が付かない中で、彼等大虎高の選手達へと近づく者があった。

「ルールはルールだ。俺は、ウチの部長がなんと言おうが謝る気なんてありません」

 来須だった。


 恐らく、安本か久留米沢から”一言詫びを入れてこい”だとかなんとか言われて来たのだろう。薄石高校の三年生があえて来須一人で謝罪へと向かわせた結果が、これである。

 けやきは、自身の思想の元に受け答えする。

「それで結構だ。上辺の謝罪など社交辞令程度の意味しか持たない」

 そんな彼女の答えが耳に入っていないかの様に、来須は続ける。

「それともう一つ。そっちの、俺と同じ(・・・・)一年生二人。よく聞いといた方が良いと思う」

 陽も良明も顔を上げる事が出来ない。当然、来須はその理由を理解したうえで話しかけている。


 必死で声を押し殺しつつもたまに嗚咽が漏れる二人に対して、来須はその顔に筆舌に尽(・・・・)くしがた(・・・・)い表情(・・・)を浮かべて言葉を続けた。

「悪い事は言わない。君達は、ここで努力を止めるべきだ」

 けやきの顔が、ぴくりと動いて来須を直視する。

「龍球を初めて三週間……だって聞いてる。成程確かに。ゼロからたった三週間でここまでやれる様になるとは、正直その努力は認めざるを得ないと思う」

 来須は、「ただ」と言って続ける。

「ただね、それでも、残り少ない時間で県大会で結果を出そうなんて、ハナから無理な話なんだよ。…………大会までに蓄積された経験が、君達の人生にどう影響するのかは断言できない。だけど、これから先、努力すればする程、試合で結果が出なかった時の絶望はとてつもなく大きくなっていく。自分で言うのもなんだけど、スクールで血の滲む様な努力を続けてる俺が言うんだから、これに間違いはない」


 その言葉の数々は、話し方こそ安本の様に汚れていなかった。

 だが、それらは決して相手に情けの刃を立てる善意ではなく、優越感に浸る事で悦に入る事を目的とした悪意その物だったし、それらの言葉を聞くその場の全ての者はそれを理解していた。

 流石に止めに入ろうとけやきが口を動かしかけた時、それを遮ったのは、彼女の後輩のうちの一人だった。

 彼は、妹と彼が戦う目的であるドラゴンを庇う様に一歩進み出で、充血した(まなこ)を悪意の塊を吐き出し続ける男へと向けた。

「あなたには……そんな事は解らない。これから先の何か月かで! 俺達が何を得て! どう強くなっていくかなんて!! あなたには決して解らない!!」

「だからね、それを解る必要なんて俺には無いんだよ。どう足掻いて、どう変わったところで、俺達に追いつく事すら出来ないのは、長年龍球をやってきた俺の眼から明らかなんだ。そこの三年生にどうたぶらかされたのか知らないけどさ、現に君達を導けていないそんな奴の為に、貴重な高校生の時間を(どぶ)に捨てる事なんてない」


 陽は、来須の言葉の数々がただの暴言である事に気づいた瞬間から、何を言われても相手にするのは止そうと思っていた。

 その挑発の数々に対して涼しい顔で受け流そうとする事こそが彼への挑発になるし、ここで何を言い返した所で、はしたない自分を晒すだけだと思ったからだ。

 最早、来須は醜い言葉を吐き続け自分の尊厳を自ら貶めているに過ぎない。

 なんなら、思いやりとして言葉を取り繕っている分先程までの安本よりも余程稚拙である様にも感じられた。

 それでも。

 それでも、彼の言葉を自動的に文章として理解してしまう自分の頭に対し、彼女は必死でストッパーを指しこうもとしていたのである。


 彼の言葉だけは、今のメンタルに影響させてなるものか。

 そう必死で自制しつづけていた陽は、そんな時に最も聞いてはいけない言葉を、その脳で受け止めてしまった。


 ”たぶらかされた”

 ”導けていない”

 ”そんな奴の為に”


 それらの言葉を耳にした瞬間、陽は、先輩や先生の前だからだとか、自分が女子だからだとか、そんな事はどうでもよくなった。

 気づいたら来須の胸倉を両手でつかみ上げ、歯を食いしばって眼前の悪魔を涙目のままで鬼の様な形相で睨み付けていた。


 ”たぶらかされてなんてない”

 ”先輩は最善を尽くしてくれている”

 ”この努力は絶対に無駄になんてしない”


 陽は、今自分がしている事に気づいたが為に、直後に言おうとしていたそれらの言葉を言えなくなった。


 一方来須は、冷静を装った挑発的な笑顔で陽を心身ともに見下して嘲る様に吐き捨てる。

「な、殴ってみろよ。さっきの俺のファウルとはワケが違うぞ。他校の生徒を感情のままに殴るなんて、正真正銘の暴力事件だ。いいかよく聞け雑魚。現にあんたらの部長が率いるチームは俺達の本気に対して手も足も出なかったんだ! たとえ八年スキルを磨こうが、あんたらの様な雑魚を引き連れてちゃ所詮俺達のチームにゃ勝てないんだよ!!」


 陽が再び我を忘れようとしたその時。

 彼女の背後に居た良明が両手に全力を込め、その細い腕を掴んでその後に陽がしていたであろう事を引き留めた。

 そして、それまで気配すら露わにしていなかった安本が突如として来須の背後から現れ、陽の手からその恥知らずな後輩をひき剥がし、

「グハぁ!」

 全力で殴った。


 直後に、

「さーせんしたァッ!!」

 テレビドラマでも見た事が無い様な角度で一礼し、有無を言わさす来須を自コートの方へと引きずる様にして連れ帰ってしまった。


 以上、来須が絡んできた事を含めてあっという間の出来事に唖然とする部室内。

 自コートに戻っていく薄石高の二人を、陽は兄に腕を固定されたままの状態で獣の様な眼光を滾らせて睨み付けていた。

 そんな陽に言葉は無い。言葉は、兄の口から発せられた。

「陽、解るだろ。俺だって心の底から殴りたい…………」

「…………」

「解るだろ!!」


 言われなくても、陽には解っていた。

 数々の遊びや冒険や修羅場を共に潜り抜けてきた双子の兄の心情など、痛いくらいに解っていた。

 今、行動に出ようとした陽と彼女を止めに入った良明の間にある違いは、”頼るべき年上の兄か姉がいる”か”守るべき年下の妹か弟がいる”かでしか無かった。


 だから、陽はそれ以上来須を追おうとはしなかった。

 代わりに、彼女は涙の筋が乾かない顔でけやきに対してこう言った。

「樫屋先輩」

「……なんだ」

「今日、私が出来なかった事…………大会までに、全部教えてください」

「英田妹、あい――」

「……全部です!!!!」


 けやきの心境は、英田陽という少女とは対照的にかなり冷静であった。

 彼女の頭の中では、先程最後の一点を取られたその瞬間から、”これから先、如何なる道筋を辿って目標へとたどり着くか”という問題に対する演算が繰り返されていたからである。

 負けは負け。相手がどんな人間性の持ち主であろうとも、勝負の結果でそれが影響する事はそう多くは無い。

 強いて言えば、能力が拮抗した者同士であればある局面では勝敗の行方に影響を及ぼす事もあるだろう。

 だが、今の大虎高と薄石高の実力差にそれはおおよそ当てはまらない。


 今やるべきは相手の考え方に対する批判ではなく、相手の実力に如何にして対抗するかを考える事である。けやきはそれを部の誰よりも察していたし、だからこそ、他の者達にそんな冷静さを今この場で要求するつもりは無かった。

 部長としての俯瞰が自分の責務であると眼前の後輩達を前に痛感するけやき。

 ただ、そんな中にあって彼女は疑問に思わずにはいられなかったのだ。


(何故、あいつらは私がこの二人に頼み込んで部に入って貰った事までを知っている?)


 けやきは、細いながらも極めて長い髪をユニフォームから引っ張り出し、風になびかせながら前髪をかき上げる。

 誰も視線を向けようとしない薄石高チームをじっと見つめたあと、ちらりと時計を見上げる。

 部室へと視線を流したあと、コート上の少し離れたところに立ち尽くしていた石崎を見た。彼女もまた、けやきを見ている。

 或いは、一連の会話が耳に入っていたのかもしれない。


 さて、一連の事件を受けて寺川と黒川が忙しくなる頃合いだ。

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