鎖の轍を踏みしめて(5)
「良い判断だ」
久留米沢のユニットは称賛の言葉と共に地上へと舞い降りる。これでけやきとゴールリングの間は完全に閉ざされた。
この時、けやきが良明、或いは陽へとパスを出すべきだったかと問われれば、それは決して褒められた一手ではない。兄妹に対してこれだけ近い位置に相手ユニットが居たのでは、仮にけやきからのパスが通ってもすぐさまボールを奪われてしまう事は明白だった。
けやきは想定していた中で最悪の状況を前にして、頭の中で組み立てていた試合の流れに賭けるしかなかった。
「ガイ、そのまま相手チームのユニットを引きつけろ!」
けやきがこのまま大虎高側のコートまで自ら後退すれば、相手は当然追ってくる。
(ここ一番というこの場面ならば、恐らくは最低でも二組のユニットで向かってくる筈だ。もし、三組ともが私のボールを奪いに来ればしめたもの)
けやきに引き付けられた結果がら空きになった相手のコートに、一か八かの超ロングパス。そこから、良明、陽、レイン、ショウの何れかが一点を返す事に期待する。
それが、けやきの筋書きだった。
大虎高最強のユニットをあえて囮にして、それ以外の四名にこの試合の流れを託す。極めて大胆な発想だが、今現在ボールを持っているのがけやきである以上、こうするしかないとけやきは思った。
ガイが羽ばたこうとした時、薄石高主将・安本は叫んだ。
「ザワ! 来須! ここで決めっぞ!! 絶対に奪い取れ!!」
「応ッ!」
「シャアッ!」
(――三組!!)
天才少女は、心内でだけしたり顔になる。
ガイの背の上から振り向いたけやきの視界へと、猛然と突き進んでくる全薄石高ユニットが確認できた。一方けやきの後輩達のユニットは、相手コートのゴールリング真正面にしっかりと陣取っている。
けやきは冷静さを失わないまま、相手を引き付ける為にギリギリのタイミングを待つ。
引き付けきって、相手がまさにボールを奪おうとした瞬間にパスを送れば、薄石高側の対処はそれだけ遅れる。
(薄石高程の手練れが、同時ではなく三人順番にボールを狙う様な愚は侵さないはずだ。十分に成功は見込め――――)
「展、開!!」
突如としてけやきとガイの耳に届いた二文字の号令。
それは、けやきが全く予想などしていなかった一手だった。
あまねく龍球の技術の中でよもやこの場でこの戦術が使われようなど、けやきでなくとも予想が出来る筈はなかったのだ。
後輩達に賭け、その為に自分が相手を防ぎ切ると言うけやきの選択を責めるべきではない。むしろ、安本が放ったその二文字から或いは何かしらの策が発動された事に瞬時に感づき、身体を反応させてガイの手綱を振ろうとした彼女はやはり異質なまでの能力を持っていたと言って良い。
薄暗くなりかける風景の中、彼女等竜術部最強ユニットの手が届く位置で、異常な光景が広がろうとしていた。
高速で襲い来る三頭の竜。その背に居る筈の男達の姿は、見て取れなかった。
けやきは完全に悟る。
その声が、安本による作戦発動の号令であったと。
(レギオン、フォーメーション……)
けやきがそれをどう受け止めるかは別として、彼らがそれを発動した事により、何かが閉ざされた音が彼女の脳内にこだました。
薄石高校龍球部の圧倒的な総合力。チームワーク。
対して今年度の大虎高チームにはまだまだ課題が山積している。
今この場では如何ともし難い実力差。
現状では敵わない相手を前にした時の、それを肌で悟る感じ。
どこかで希望的観測を続けていた優劣が突き付けられる感じ。
”どうすれば良かったのか”の考察を、反射的に始めてしまう感じ。
いわば、”敗北のクオリア”とでも表現すべき感覚を、けやきは今この瞬間感じていた。
薄石高のドラゴン達の背から離脱した、すべての薄石高人間選手。
彼等は勢いのままにボールを奪いに来るドラゴン達とは別に、けやきのボールめがけて襲い掛かっていた。
けやきが対処する必要がある敵は、彼女が想定していた”三名”の倍の数となったのだ。
けやきは思考を捨てて本能と身体に染みついた勘だけで彼等への対応を試みる。
捨てた思考が、現状を訴えかける様に彼女の脳内に言葉をもたらした。
(レギオンフォーメーション……全てのユニットが騎乗状態を解いた後、ドラゴンと人間とが夫々に列を作り一斉に相手コートへと進行する陣形。人間にとってのドラゴンの機動力や、ドラゴンにとっての人間のリーチを捨てる事により、群体としての威力を倍加させる事にこの陣形の利点がある。特に、相手チームの一ユニットないし一名のプレイヤーがコート上で孤立していた場合、圧倒的な数の差によりその攻撃や防御を切り崩す事を期待できる)
英田兄妹やレインといった龍球初級者にとっても、それらを言葉で説明する必要すらなかった。”けやきとガイに対し向かって行く六名”という数の違いを一目見れば、その効果や目的は一目瞭然である。
「くっ」
けやきは相手に背を向けて身を挺す事でボールを守る。
(まさか、こんなものまでカバーしているとは完全に想定外だった――)
ほぼ同時に襲い掛かる群れの中、真っ先に手を伸ばしたのは安本だった。
(単純な基本動作や技術の差ならば、私がある程度カバーする事で勝利の可能性も全くのゼロではない)
けやきは辛うじてボールからその手を遠ざける。続いて白球に追いすがるのは安本のドラゴン。ほぼ同時のタイミングである。
今度はけやきの腕にドラゴンの掌が掠った。ボールにも触れたが、それでも奪われるには至らない。
(物理的な数の違い……いや、そうじゃない。チームとして、我々には出来ない事をこの者達は駆使してきた。これはチームという”群れ”としての、完全なる実力の差その物だ!)
他の四名のタイミングは、全く同じと言っても良い程の同時攻撃であった。
それでもけやきは、彼女をその背に乗せるガイは、諦めなかった。
往生際悪く身をよじり、胴の周りにボールを這わせ、翼で相手の視界を奪おうとする。
果たしてこの場の誰一人として、彼女の置かれた立場になった時、これほどまでの粘りを見せる事が出来ただろうか?
或いは、けやきならばこの難局を乗り越える事すら可能であるのかもしれない。
試合を見守る何人かは仄かな期待を抱き始めた。
けやきとガイがそれ以上、ボールをキープする事は不可能であった。
「抜けろ!!」
けやきは、ボールを全く無関係な方向へと投げ飛ばした。
それは、このままボールを奪われて攻め込まれる事を防ぐ、唯一の手段である。コート外にボールが触れた場合、その地点から相手がボールを所持した状態で試合は再開される。
そしてその試合再開のタイミングは、ボールを所持した相手選手次第。
「全員、全力で戻れ!!」
けやきがなりふり構わない声を張り上げ、敵コートに留まっていた全員にそう指示した。
彼女が投げ放ったボールは旧校舎2の壁を打ち、いつ薄石高選手がそれを手に取り試合を再開してもおかしくない状況である。
レインとショウは直後に全力で駆け出し、羽ばたきを加えてあらん限りのスピードにて大虎高コートへと帰還し始めた。
ボールがコート外に出た地点はセンターライン付近。
全速力で走る来須がそこに到達したのと同時に、兄妹のユニットもセンターラインを越えた。
「部長ォお!」
来須が、拾ったボールを構えもせずに安本へと投げつける。
「フラット展開!!」
けやきが全味方選手に指示。彼女が言い終わる前に既にドラゴン達はフラットポジションフォーメーションを展開すべく動き出していた。
六対三の構図が、辛うじて成立する。
土壇場でのけやきの手腕に部室内が沸き、部屋の中に居た全ての大虎高生徒が思わずその場に立ち上がった。
来須が放ったパスを良明が止めようとするが、余りの速球に全く間に合わない。
ショウは安本へと飛んでいき、陽が彼女の背から手を伸ばしてボールを奪おうとする。安本は難なくそれをかわした。
けやきのユニットがシュートを阻止する為に安本へと向かって行くのと同時に、その安本の手からボールが離れ、直ぐ近くに滞空していた久留米沢のドラゴンがそれをキャッチする。
「ガイ! 背を貸せッ!!」
ガイがその場から跳躍し、同時に羽ばたいて高度を稼ぐ。けやきはその上からさらに跳躍、相手チームのドラゴンが持つボールへと背後から手を伸ばす。
薄石高のドラゴンはすぐさま眼下の久留米沢へとパスを出す。
久留米沢が、シュートを放つ。
数秒間に凝縮された濃密な攻防が、ついに終わりを告げる。
ボールは、あっけないくらいにあっさりと、リングを通過した。
ビーッ。
毎度の電子音に、誰もが沈黙した。
そして、そのすぐ後。
「っしゃぁッ!!」
「ふぅ」
「お疲れさまです」
安本、久留米沢、来須の顔が、思い思いの表情を浮かべたが、多かれ少なかれそこには心の底からの歓喜と安堵が見て取れた。
そんな相手チームの声を聞きながら、石崎は呟く。
「後半、五十一秒」
その瞬間、彼等薄石高校龍球部が全力を出してからただの一分も持たせられずに失点したという事実が、部室内の大虎高生徒達に重くのしかかった。
黒川は、先程の一件があったからかまったく表情を変えず、冷静に外を眺め続けている。
一方の寺川は、教室の照明を点けに部屋の隅へと歩を進める。誰にも見られない角度にあっても、彼の表情は変わらず穏やかであった。
大虎高関係者のうち、坂だけが椅子に崩れ落ちる様に座り込んだ。
他の者は立ち尽くし、言葉一つ発せない。
発してはいけないと、何故だかそう思えてならなかった。
時は、薄石高チームの間でしか流れていない。




