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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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雲の向こうに在るのは(4)

 高校三年間のうち最初の日と言うのは得てして手探りな事だらけなもので、中学生からの知り合い以外と話す事といえば挨拶や自己紹介程度の内容である。

 陽と良明が部屋を同じくする一年三組もその多分に漏れる事はなかった。いきなり仕切り出す委員長キャラだとか、無駄に血の気が多い目立ち(・・・)たがり屋(・・・・)だとか、その手の奇特なキャラクターが居るわけでもなく、英田兄妹はただただ事務的に中学生からの知人友人と高校生からのクラスメイトとの挨拶をこなした。


 一年三組の担任教員は、物腰の柔らかい三十代男性だった。

 特に顔立ちが整っているわけでもなく、別に頼りなさげな空気もなく。普通の太さの眉毛に普通の大きさの眼に普通の大きさの口。小洒落る気配のない唄のお兄さんの様な普通の短髪。強いて彼の特筆するべき点を述べるなら、自己紹介の際に「自分の事は”鈴木先生”か”ザ・ノーマル”と呼ぶように」などとのたまった事だろう。

 ”ザ・ノーマル”という表現が果たして英語的に正しいのか否か、一瞬思案した後にはどうでもよくなった英田兄妹である。

(担任が普通な人で良かった。うん)

 兄妹はそんな感想を頭の中で思い浮かべた。

 尚、授業は三年生の国語を教えるのだそうで、勉強に関しては新一年生とはあまり係わりがない様だ。


 振り返ってみても、その程度の事しか変わったことはなんら無い、あっという間の高校一年生の初日だった。始業式の後のホームルームが終わると、兄妹は「さて」と言って席を立つ。


 ところで、英田兄妹が中学生を卒業する間際にもなれば、二人に関する周囲の認識は”そっくりな双子(異性)”という形で浸透した。また、中学校生活も三年目にもなれば同性異性問わず日常的に会話をする事も珍しくは無い。

 しかし、今はどうだろう。新たな学校生活の一日目。ちょっとやそっと仲が良くても普通は同性だけでつるんでいるものだ。それは、新年度早々回りに付き合ってるだのなんだのと面倒な噂を立てられたくないからであり、その日の行動が今後一年以上の生活に影響を及ぼしかねないからである。


 逆を言うならば、それはよほど仲が良い間柄――或いは既に付き合っているカップル――にとってはさほどの問題は無い場合もあるという事だ。周りに『AさんってB君と付き合ってるんだってー』等と言われても、それが誤解でない事もあって意に介さない種類の人間がそのケースに該当する。


 ”新年度早々、馴れ馴れしく互いを呼び合う二人はカップルである”という認識が、陽の前の席の沢頭邦治にはあった。

 沢頭の十余年に及ぶ生い立ちやプロフィール、その容姿などの描写については真に遺憾ながら割愛するが、彼はこの日衝撃的な一目惚れをしたのである。

 優しげで大きな眼、多少長すぎるくらいの鬢、化粧には全く興味無さげな変にませたりしていない太い眉。沢頭は、彼女の外見全てに惹かれたかのような衝撃を受けた。まだ高校生の初日にも係わらず、人生最大の恋をしたと彼は確信した。


 もし、彼女が変な輩に絡まれているところに出くわしたならば、人並み程度の勇気を振り絞って割って入っていこうと決意した。彼女が望む事ならば何だって出来ると心の中で言葉にしてみたりもした。明日わざと消しゴムでも落としてお近づきの切欠にしようかとも思った。

 まったくほんとに、若いとはそれだけで楽しい事なのである。

「アキー、体験入部行こー」

 わくわく顔で見知らぬ男子に手を振る陽の一言により、沢頭邦治の人生最大の恋は儚く散った。



 大虎市郊外では唯一の高等学校である市立大虎高校。所在地が郊外にも係わらずこの学校が大虎の名を冠しているのは、かつて大虎市の中心部がこの一帯であった事に由来する。

 野球部用の高いフェンスに囲まれた小高い丘の上に位置する校舎からは、二十五メートルプール程の敷地も無い小さな最寄り駅が見え、その直ぐ傍には駅と同様通学の時間帯には大虎高生徒でごったがえすバス停がある。


 坂を上って西門から学校の敷地に入ると、まず目に入ってくるのは右手の大きなグラウンド。東門まで延びる百メートルの道の脇に広がるそこからは、放課後になると決まって部活動に勤しむ生徒の声が聞こえてくる。

 敷地に入り左手。道路を挟んでグラウンドに対面する様に立つのが新校舎だ。

 今から十五年程前に新築された新校舎には、一階に保健室、放送室、職員室、校長室、応接室と続き、二階以降にはクラス用の教室が並んでいる。今現在竜術部部室へと向かって歩き出した陽と良明は、向こう一年間はこの新校舎の最上階の教室に通う事になっている。


 四階まである新校舎を二階まで下ると、北側に一本だけ渡り廊下が延びている。

 むき出しのコンクリートに古風な茶色いタイルが埋め込まれたそれを渡ってたどり着くのが通称”旧校舎1”と呼ばれているもので、各種科目の実習室や、使われなくなって今は倉庫となったかつてのクラス用の教室が並んでいる。


 この学校で使われている校舎は、主に新校舎と旧校舎1の二つである。

 学生達は移動教室で旧校舎1を、体育や行事で新校舎に隣接する体育館を利用する。勿論グラウンドに出る事もあれば、夏場には体育館裏のプールも使われるだろう。

 印象としてはそんなもので、それ以上この学校について利用される施設を列挙する事には違和感がある。それは、例えば体育館とプールの間の水飲み場であったり、グラウンドの端の方にある運動部の部室であったり、細々とした施設を列挙する様なものである。

 よって、この学校において主に生徒が利用するのは以上の建造物が全てであると言って良いだろう。


 尚、二階建ての旧校舎1に続く渡り廊下は、そのまま突き抜ける様な形でさらに奥へと延びている。

 その先に存在する”旧校舎2”。それは木造で、築七十年あると言われても誰もが驚かないレベルの、見た目にも古いかつては校舎らしい使い方をされていた建物である。

 木造と言っても、一切コンクリートが使われていないわけではない。一応各階を構成する廊下はコンクリート製ではある。その廊下は壁が無いために野晒しではあるし、部分部分が朽ちているので完全木造建てであった場合よりもかえってボロく見えてしまっている感もあるが、消防法は或いはクリアしているのだろうと思える程度には近代的な造りである。

 旧校舎1が出来るよりも以前はこの建屋のみが大虎高校の校舎であったらしく、学校内の所々に不自然な増築跡があったり、使われなくなった水飲み場などといったそれをうかがわせる痕跡も散見される。


 いまやその有り難味も忘れ去られようとしている、学校創立以来学徒を見守り続けてきたこの旧校舎2の一階部分に、今も尚しつこく居座る部活動がある。

 薄桃色の塗装が剥げた木製フレームの窓。

 力を入れてスライドさせればもしかしたら開くかもしれない、ぼろぼろの、同じく木製の引き戸。

 その上の方には部活名が書かれたプレートが、端が割れたプラスチックのケースに収まっていた。

「どラヴ……」

 と、ルビが振られた”竜術部”の三文字は、油性マジックの手書きである。


 竜術部――通称ドラ部――は、大虎高校内でも知る人しか知らない、ひっそりと活動を続ける”文化運動部”である。

 文化運動部というのは、十年程前にこの学校の当時の生徒によって用いられた造語で、”運動部でもあり文化部でもある”活動内容を、冗談めかして表現した言葉である。そんなしょうもない造語が十年も受け継がれ、ボロくて古い校舎を今尚愛用し続けるユカイな人々が集まる場所が、たった今英田兄妹が訪れた竜術部なのである。


 兄は、恐る恐る引き戸の取っ手に手をかける。

 そおーっと力を込めると、意外にも戸はすんなりと部屋の景色を切り開いてしまった。

 何かに反射している西日に思わず目を背けた良明は、視界の片隅に陽の表情を認める。それは、驚愕と関心、或いは感動がないまぜになった顔だった。

 妹の何かに心を奪われた様な表情を見て改めて視線を正面へと戻す良明。


 光に埋もれながらも、どこか見覚えのあるシルエットが少年の網膜に焼き付いた。

 モデルの様にすらっとした長身のヒトの形。何かを目指すかの様に真っ直ぐに伸びた一対の角。首から背中にかけてのラインにヒトが跨り、両翼合わせて十数メートルに及ぶ大きさの羽根が、その左右でカラスの様な豪快な動きで羽ばたき始める。

 美しく飛翔するシルエットは、彼等兄妹が思わず見惚れるに十分な魅力を備えていた。


「樫屋さん!」

「樫屋さん!」

同時にその名を呼んだ一年生のアベックがやたらと良く似た顔をしているもので、奥の方で椅子に腰かけていた女子一人が思わずストローをさした紙パック入りのコーヒー牛乳を吹き出しそうになってむせかえった。

 三年生か二年生。兎に角一年生ではなさそうな顔立ちのむせている先輩の方を、同時に全く同じモーションで見る良明と陽。

 女子はさらに咳きこんで、半ば手探りでポケットの中のハンカチを探る。


 コーヒー牛乳の女子はウエーブの掛かった長い茶髪が特徴的で、赤いフレームの伊達眼鏡の向こうの眼はどこか楽観主義な人物像を想像させる。

 けやきほどではないが背が高く、制服をだらしなく着ている所為もあってぱっと見にも大雑把な性格が印象として連想される。


「あ、もしかして入部希望の一年生?」

 と、アベックに声をかけたのはそんな彼女ではなく、彼女の向かいに座っていた男子だった。

 彼の手元の机には、白い布の上にカメラのパーツと思われる物が並べられている。

 コーヒー牛乳とは対照的――というよりも彼女が特別だらしないだけなのだが――に、制服を崩して着ておらず、優しげ、或いは慎重そうな性格を思わせる顔立ちをしている。

 だらしないコーヒー牛乳の方よりもやや低い背は良明よりは少しだけ高い。クセ毛で、その所為で小さく見える顔は中学生の様なあどけない印象を残している。さほど良くない体格も、その印象に一役買っている様に思われた。

 総じて、彼の見た目の第一印象を一言で表わすならば、”優男”という言葉がぴったりである。


 彼は椅子から立ち上がると、手元に置いたパーツの位置を確かめてから、二人のところまで歩いてきた。

「坂亮太です。よろしくね」

 敬語ではあるが、親しみを込めた色をふんだんに織り交ぜてある声音だ。新入生二人に威圧感を感じさせない様に気を遣っているのだろうか、と良明は思った。

 慌てて英田兄妹も挨拶する。

「あ、英田良明――」

 ここで陽が何故か割り込んで、

「陽」

 と発音し、直後に二人で

「です」

「です」

 と続ける。コーヒー牛乳好きなだらしない茶髪の方は、声を出して笑い出した。

 英田兄妹がリアクションに困っていると、一通り笑い終えた彼女は「石崎楓。三年で副部長ねー」と立ち上がりながら自己紹介した。


 廊下との光量の差に目が慣れてきた陽は、室内を見回してみる。

 やはりというか、ボロい。床は廃屋の様に埃まみれで土足で居てもいいくらいだし、乱雑に並べられている机はどれもこれも使い古されたこげ茶色をしており、金属部分はやはりその何れも表面の塗装が剥げて錆びてしまっている。教壇は木製なのだが、力をこめて踏み抜けば多分穴が開く。極めつけは天井で、教壇の脇の辺りの部分に大きな穴が獲物を狙うような不気味な闇を湛えている。雨の日は、たぶん漏る。


 陽の中で何かが音を立てて崩れていく。何がだろう?

 陽は兄の顔を見ると、どうやらこいつの中でも何かが崩れ去っているらしいと悟った。

 視線を入り口の向かいの窓側へと移す。教室の後方には外に通じる金属製の戸がついている。見れば、校舎裏にテニスコート程の小さな運動場の様なものがある。そこで飛翔するドラゴンと、その背に乗る長身の麗人。

(ああこれだ)

 陽は気づいた。

 今、現在進行形で自分の中――と恐らく兄の中――で音を立てて崩れているのは、”かっこいい樫屋さん像”である。


 陽は思う。もっとこう、水泳で言えば巨大な屋内プールの様な小奇麗な場所で、スケボで言えば真新しい薄いグレーのコンクリートがどこまでも続く様な場所で、日々最先端の練習メニューで技を磨く様な存在であって欲しかったのだ。

 否、わざわざそんな良く解らない想像を今日まで膨らませていたワケではないが、ここまで埃っぽい景色の中に彼女が居る情景は、陽の中には全く存在していなかったのだ。


「けーやきー。新入生きたよー」

 一方、大変失礼だが、この石崎先輩はこの風景にぴったりだと彼女は思った。

 石崎の声が聞こえたのだろう、けやきから特に指示される事もなくドラゴンは羽ばたきを調整して下降する。開け放たれた窓から、風がぶわりと教室の中に吹き込んだ。

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