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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
2.虎穴の双竜
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それは修羅の道(5)

 ただ一頭。ガイだけが、唸り声一つ上げずに視線を前方に向け、背の上のけやきには視線ではなく意識だけを集中していた。

 けやきに容赦なく襲い掛かる数々の重圧など、彼のそんな小さな気遣い一つで全て吹き飛んだ。


 微かに吹いていた妖精の息の様な風が止む。

 そして、けやきは全神経を研ぎ澄ませ、ゴールリングをその凛とした切れ目で見据えた。

 経験と努力と集中を込め、両手を伸ばし、今、ボールを解き放つ。

 ゴールリングの真正面から放たれたボールが、リングに対して真っすぐに飛んでいった。


(弾かれるとしたらほぼ正面だ)

 久留米沢が手綱を引いてけやきのすぐ背後に移動し、リバウンドを狙う。来須と安本もそれに続く。三人とも視線はボールに向いている。

 対するけやきはその場を動かずにボールを放ったポーズのまま微動だにしようとしない。

 放ったシュートが跳ね返るとすれば、自分が居た場所に戻って来る。それはけやきも解っていた。だから彼女はその場を動かなかった。

 だが、それとは別にけやきには半ば確信があったのだ。


(この一球は、確実にゴールリングを捉える)

 掌に感じたボールの抗力の感触。

 実際に飛んでいくボールの軌道とスピード。

 無風状態という現在の環境。

 けやきは、自分の胸の中で脈を打つ振動がほんの僅かに速くなっていた事に、この瞬間になって気づいた。


 ボールは今、何に触れる事もなく、ゴールリングの向こうの壁面へと衝突した。

 けやきが見据えた先のゴールリングが、全てのチームに対して平等で無機質な電子音を響かせる。

「よっしゃあ!」

「返した!」

「よし……よし!」

 石崎が、坂が、海藤が、部室内のすべての大虎高生徒が沸き立ち、コート上でも兄妹が口々に「ナイシューです!!」やら「ありがとうございます!」やらと言って相棒のドラゴン達と共にけやきに駆け寄っていく。


 しかし、けやきは目前に走って来たチームメンバー達に対し、あくまで冷静な表情で言った。

「気を抜くな。次は相手のボールからの再開だという事を忘れるな」

 兄妹とレインははっとして表情を引き締めると、その面持ちを表現する様な声音で『はい』と返事した。


「あと、相手にボールを取られそうになったら兎に角手に持ったボールを投げろ。維持してそのまま攻め込もうとは思わなくていい」

「解りました」

「解りました」

「よし」

 時間的に、けやきが出せる指示はそこまでだった。薄石チームはけやきが後輩達に指示を出す事を阻止するかの様に、既にセンターライン付近で準備を整えつつある。


 薄石高校は試合再開の役割を一年生である来須に預けていた。

 それが、残りの二人の三年生による速攻を前提としての事だと、けやきはすぐに思い至った。

(この短時間で迷い無くその大胆な一手を指示する、か。感情的になって尚健在な主将安本の統率力こそ脅威だな)

 けやきは来須一年生を見てそう思った。


 ボールを持った来須ユニットが動き出し、試合が再開される。

(さあ、どちらにパスをする?)

 けやきの疑問に対する判断材料は、きわめて乏しかった。

 前半も終わっていない現在、まだ選手達に体力的なばらつきは無い。安本も久留米沢も、その二人が乗っているドラゴン達も、まだ殆どと言っていい程体力を消費していないからだ。


 来須の斜め後方、センターライン上の両脇付近に居る安本と久留米沢に対して意識を集中していたけやきが、その瞬間の久留米沢の動きを見逃す筈はなかった。

 久留米沢は来須に対してけやきがボールを奪いに行っていない事を確認するや、自コート後方へとドラゴンを反転させたのだ。

 けやきは確信する。

(これでパスの相手が久留米沢という線は無い)

 薄石チームにとって折角の速攻のチャンスである。

 ここで久留米沢に一旦ボールを戻して攻めなおすなどという事は確かに考え難かった。よしんば来須がその様な行動に出たとして、その時点で改めてけやきがディフェンスにつく時間的猶予は十分にある。

 瞬時に導き出した彼女の読みは正しかった。

 けやきは、安本の方へとガイの手綱を傾けた。


 来須は尚も直進する。

 やや低速で来須の後に続く安本に、けやきがついに到達した。

 これで安本へのマークは完全に成立した事になる。

 薄石高の選手の配置を列挙する。後方ゴールリング付近に久留米沢ユニット、そこから七メートル程前方に安本ユニット、そして先頭を来須ユニットが行く。


(こちらのゴールリング付近には良明と陽の二ユニットがかりで防御が敷かれている。恐らくこれで来須は後方の久留米沢にパスを出すしかなくなった。さっきは三年の久留米沢相手に英田兄妹は手も足も出ず突破されたが、今あの二人に挑もうとしているのは彼等と同じ一年生だ。守り切れない相手ではない)

 来須は尚も直進。

(問題は、どのタイミングでパスを出すかだ。下手に私が久留米沢の方へ移動すれば今度は安本へのパスを許してしまう事になる)

 けやきは静かに集中を持続する。

(見極めろ。絶対にパスを成立させるな。私が居ない状態で三年生に攻め込まれるとどうしようも無い事は、最初の久留米沢による得点で既に実証されてしまっている)


 けやきは、今一度来須の動きと、ボールがしっかりと固定されているその手に注視した。

 大虎高コートの禁止エリアまで、あと七、八メートル。

 来須の前方すぐには兄妹のユニット。

 いつ、久留米沢へとパスが出されてもおかしくない間合いである。


 けやきの指先が、静電気でも感じ取ったかのようにピクリと振れた。まるで、真っ暗な部屋の照明が唐突に点灯したかのように、或いは鋭い縫い針につつかれたかのように。

 彼女はこの時、この瞬間、漸くその可能性に気づいたのである。

 瞬間、そこから来須までの十数メートルが、けやきには果てしなく長く感じられた。地面が引き伸ばされ、彼女と来須の距離をどんどん引き離していくかの様な感覚に襲われた。


「まさか……」

 けやきは、密かに息をのんだ。

(来須は、パスなど出すつもりは無い……?)



『一年、来須 倫太郎です。よろしくお願いします』



 けやきは、一字一句間違いなく、イントネーションや口調まで正確に、頭の中に録音した彼の自己紹介の声を再生した。

(間違いない。あの男子はそう言った。……だが、もし私の危惧が事実だとすれば、今の英田兄妹はたとえ二人がかりでもあの来須という男子を止められはしないッ!)

「ククク……」

 すぐ横で、毒々しい笑い声が聞こえてくる。

「あんた、ウチの一年なめくさしすぎ」

 安本のその一言で、けやきの危惧は確信へと変わった。


「ガイ!!」

 けやきは、その名に込めた気迫だけでガイへの指示を成立させた。

 ガイは全てを悟り、手綱で指示されるまでも無く全速力で自コートへと文字通り飛んでいった。


 わざわざけやきにヒントを与える真似をした安本に挑発の意図があった事など、けやきにはどうでもよかった。兎に角急いで自コートに戻らなければならない。それだけが今の彼女が自分に課した使命だった。

(安本のマークを解く事など、今この瞬間自コートに私が居ない事に比べれば遥かな些事だ)

 けやきは奥歯を噛みしめる。

(安本という男がそういう者(・・・・・)であるという情報を得た時点で、最初から……今日の練習試合を寺川先生から言い渡されたその瞬間から、私はこの可能性を想定するべきだったんだ……これは、私のミスだ!)


 その時のけやきとガイは、直家との対決の時に見せたスピードを遥かに凌駕する勢いで移動していた。

 球よりも速く、音に迫るスピードを目指して、ガイは羽ばたき、けやきは身を伏せる。

それでも間に合わない事は、ガイもけやきも頭のどこかでは解っていた。


「アキ」

「わかってる」

 双子は、向かってくる来須の姿に、ものの数分前の出来事を重ねずにはいられない。すなわちそれは、陽が欺かれ、良明が得点を奪われたあの一連の攻防。

「同じミスはしない、だろ」

 顔は来須に向けたまま、良明は陽の返事を期待せずに答えた。

 久留米沢ユニットを前にしたあの時、兄妹のユニットはその場に居たにも拘わらず、同時にボールを取りにいく事をしなかった。

 結果、一対一を二回繰り返す格好になって結局は得点を奪われた。


 当然だ、そりゃそうだと良明は思うのだ。

(三年生相手に今の俺達が一対一で勝てる筈無かったんだ。なのにそこが見えてなかった。その場に二人と二頭が居るっていう最大の利点を、自分達から捨ててしまってた)

 陽は呼応するように思考する。

(けど、今度は同時にボールを取りにいく。相手は私達と同じ一年生。同時にかかれば行けるはず!)


 来須が、双子の間合いに入った。

 ボールは彼の両手の中。振りかぶる気配も無く、腹の前に構えられている。

(左右から突っ込めば――)

(――逃げ場を奪える!)

 来須が乗るドラゴンの進路を塞ぐ様な立ち位置を維持しつつ、良明と陽は左右から来須のボールに手を伸ばした。


 五十センチ、三十センチ、あと、十センチ。

 二人の指先が白い龍球用のボールに届こうとした瞬間に、来須の脳は腕の筋肉に命令を送った。

「正面を塞がれているんなら」


 来須がシュートに必要な高さまで腕を振り上げるまでに、コンマ五秒も無かった。良明と陽は、今や何も存在しなくなった来須の腹の前で互いの手をぶつからせる。

「ふんっ」

 来須はドラゴンの上で腰を浮かせ、シュートを放つ。


 一瞬の動作。まるでその動きを予想できなかったし、視界に彼の所作が飛び込んだと思って対策を考えだそうとした頃には、もはや兄妹には何をする猶予も残ってなどいなかった。

 一連の来須との攻防。その時良明、陽、レイン、ショウが感じたものは、デジャブと何ら変わらない感覚だった。


 良明は、つい今しがた思い出した場面の、つい先程思った事と全く同じ感想を抱いた。

(今……何が、起こった?)

(腕とボールの動きが……全く、見えなかった)

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