それは修羅の道(4)
【フラットフォーメーション】――正式名称を【フラットポジションフォーメーション】という――は、龍球団体戦に於いて使われる陣形の一つである。
フラットフォーメーションは、龍球コートのセンターラインに対して平行に選手が並んだ状態でパスを回す事で、相手を攪乱しつつ攻撃する事を主な目的とする。
但し、同フォーメーションはしばしば防御にも使用される。
相手チームの攻撃を迎え撃つにあたり広い範囲をカバー出来る為、個々のユニットの防衛能力が攻めるユニットの攻撃能力に対して十分に上手でさえあれば、それは鉄壁の護りとして機能する。
尚、フラットポジションに限らず、双方のチームに対してどのような陣形で攻守を行うのかという采配がさながら古代の戦を思わせる事から、これら陣形による試合のせめぎ合いを龍球では俗称として”古戦陣”と呼ぶことがある。
試合再開。
大虎高の三ユニットは、まず、コートの中央付近に固まって地上から相手チームへと進行を開始した。これは、フラットポジションの使用が相手チームに悟られるタイミングを少しでも遅らせる為のけやきによる指示であった。
レイン、ショウ、ガイがごつごつとした鱗に覆われた足を動かして進んでいく。
一歩、二歩、三歩。五メートル。七メートルに差し掛かった所で、来須がボールを持つけやきへと向かって来た。
「今だ!」
けやきの号令と共に、大虎高の他の二人のユニットがコートの幅ぎりぎりまで散開した。
(このまま来須さんを抜けば、俺達の陣形に対して相手は二ユニットで崩すしかなくなる! いけるぞ!)
良明がけやきの手元を凝視し、一方のレインが前だけを見て全力で羽ばたいた。相手コートの少しでも深い場所へ、楔を打ち込むようにその身体を捻じ込んでいく。
ガイの飛翔を予測し、来須が乗るドラゴンは先手を打ってけやきとガイの眼前へと躍り出た。けやきはガイの背の上で身を屈めてそれを下から潜り抜けると、そのまま難なく来須のディフェンスを抜き去る。
同時に素早く左右を確認。
良明ユニットには久留米沢のユニットがマークしているが、陽ユニットはノーマークだった。
ディフェンスを抜かれた来須、良明ユニットに張り付く久留米沢。残る安本達はけやきの真正面にて彼女を待ち構えていた。その表情は先程までとは打って変わって不気味なほど静かで、まるで元々感情が無いかのような無表情を顔に張り付けていた。
けやきはそんな無機質な表情の彼を信号を見る様な眼差しでまっすぐと見据え、その機微を見極めようと試みる。そして、肩から先だけを素早く動かした。
けやきから陽に対して出されたノールックパスは、陽さえキャッチ出来ればカットされずに確実に届く速度と軌道を獲得していた。
陽はこの三週間で体に染み込ませた感覚を研ぎ澄ませ、けやきが放った白球を睨みつけながらも待ち構えた。ショウが、陽の手元にボールが来る様に位置を調整してやる。
「っ、と!」
陽の掌へと、痛みと共にバシリと快い音が響いた。けやきの放ったパスは、陽のその手にしっかりと握られそれを誰もが視認する。
陽から敵コートの禁止エリアまで、もう五メートルも無い。彼女によるシュート。それが、唯一許される選択だと思われた。
来須が陽の背後から向かって来てはいるが、さすがに間に合う様なタイミングではない。
普通に考えれば、薄石高チームは全員で陽からボールを奪いに行くべき場面である。
だが。
来須以外の薄石ユニットは、その場を動かなかった。
その薄石チームの判断に関して、久留米沢はまだ理解に難しくはない。彼のユニットは今尚良明のマークについており、このタイミングから陽の方へ向かっても何か予定外の事が起きない限りは間に合わないのは明白なのである。
だが、安本はそうではない筈だった。けやきのノールックパスが投げられた時点でそのパスが辿り着く先に居るノーマークの少女を追えば良さそうなものを、彼はそうしなかったのだ。安本とそのドラゴンは、けやきの眼前から全く動こうとすらしていなかった。
まるで、ボールを持つ陽とショウの存在が彼の世界には存在しないかのように。
或いは、けやきとガイ以外の何もかもが今の安本の意識の中には存在しない様にさえけやきには感じられた。
「うっ」
陽は、判断に迷う。
彼女は、五秒後ならいざ知らず、今現在は完全なるフリーの状態である。普通に考えればこのままシュートを放つべきだ。
だが、しかしである。
今のスコアは、一対零。薄石リードという局面なのである。今ここで一点を返す事の重要性は計り知れなかった。加えて、次も自分達がこの戦法で攻め入る事が出来る保障などは何処にも無いし、なんなら二度と通用しないかもしれない。
さらに、けやきはこう言った。
『どんな状況になっても最終的に私にパスを出せ』
今のこの状況が、けやきの言う”どんな状況”に含まれるのか否か。陽の目の前にゴールリングがあり、誰も彼女のマークについてはいない。素直に考えれば、いくらなんでも例外である。
(けど、”あの”樫屋先輩が言った言葉だよ?)
或いは、地震が起きようが火山が噴火しようが、あらゆる事情が無効化されるレベルの厳命であった様にも感じられてくる。
否、そんな責任の所在を追及する様な論理は不要なのである。今やるべきは、確実に相手から一点を奪い返すこと。
陽は、決断した。直後、けやきに向かって全身全霊の力を込めた一球を叩きつける様に投げ放った。
「それでいい」
けやきは、今一度目の前に安本を捉えて尚、そう言い放った。
「ああそうかい」
不敵な安本の笑い声がけやきの耳に入ってくる。彼女は安本を背に回す様にして陽のボールをキャッチすると、ガイの背中をステップに、禁止エリア手前一メートルの位置まで跳躍して近づいた。
迅速極まりない判断。行動。部長けやきの身のこなしは芸術的でさえあった。
そんな彼女に華を添える様にガイは羽ばたき、けやきの足場となる自分の背を精緻に移動させる。最早、けやきとガイが試みようとするシュートを妨げる事が野暮である様にさえ見えてくる、見事な連携である。
その時だった。
「潰してやらぁ! この化け物がァア!!」
安本が、猛ると共に破顔した。
突然の事にけやきは視線をゴールリングから外し、聞こえてきた声の主へと向ける。見れば彼もまた自分の相棒ドラゴンの背をステップにし、けやきの前に割って入ろうとしている。
”隠されざる憎悪”。彼の表情は間違いなく満面の笑みでありながらも、邪悪なる感情しか読み取る事が出来なかった。
けやきは右手を背に回し、その手に持ったボールを投げ放つ。極端な放物線を描き、ボールはけやきと安本の頭上をまたぐようにしてゴールリングへと吸い込まれていく。
これでけやきが持つボールを奪う事は安本には不可能になった。なにせ、シュートは彼の眼前に居るけやきの背の向こうから放たれたのだ。彼女の手元のボールを弾く事など出来る筈もなかった。
こうなっては安本がやれる事はただ一つ。既に放たれたシュートの軌道を変える事のみである。
禁止エリアに、今まさにボールが埋没しようとしている。
龍球のルールでは、あくまでプレイヤーの禁止エリアへの侵入を禁じている。つまり、禁止エリアに半分だけ進入したボールを、外から殴って軌道を逸らす事はなんらルールに違反しないのだ。この状況下での対策として、安本はそれを狙った。
が、けやきの投げ放ったシュートは、彼のそんな行動を予見していたかのようにかなりの速球であった。
「ちっ、くそ!」
間に合わなかった。ボールは、ついに完全に禁止エリアへと入り切る。安本は、ぎりりと歯をすり合わせた。
直後。バン、と重い音が周辺に響いた。安本の手の甲で力一杯叩かれたボールが、明後日の方向へと飛んでいく。
安本が禁止エリアへの侵入によるフリースローを覚悟しなければ、けやきの放ったボールは確実に薄石チームのゴールリングを通過していた。
「ナイッセーブ」
「惜しい!」
各チームの声が同時にコートに響き渡る。
判断力と判断力のぶつかり合い。また、夫々の判断に対して彼等の身体は迅速に反応し、一連の攻防は傍から見ているとさながら機械と機械が織り成したショーの様な物を連想させた。
けやきと安本は各々のドラゴンの上で視線を交差させていた。
フリースローによる試合の再開まではさほど時間が無い。それは双方解っていたが、どちらも自分から視線を逸らそうとはしなかった。
二、三秒は見つめ合っていただろうか。口を先に開いたのは安本だった。
「…………あんたは俺達の事、憶えてんのか?」
安本の問いかけの意図を考えながら、けやきはありのままを答える。
「……前回大会一回戦で当たった相手で、メンバーは来須一年生を除き当時のまま。その程度の情報までなら記憶している」
「なんだよちゃんと憶えててくれてんじゃねぇか」
不機嫌そうな笑みをちらつかせながらも、安本の眼はやはり野生の猛獣の様にけやきを睨んでいる。
けやきは、勘ぐるのをやめた。
今ここでこんな事に時間を費やしている場合ではない。神経を無駄に使ってしまうくらいなら、と意を決す。
「だが、はっきりしない」
安本は、けやきの言いたい事が半ば解っていつつもこう答えた。
「……何がだ」
「なぜそうも露骨に我々を……いや、私を目の敵にする。スポーツである以上、勝敗は常に付きまとう物だろう。あの大会の日に我々が勝利した事は二つ存在し得た結果のうちの一つに過ぎない。」
安本は、その表情に憎悪の念を色濃く蘇らせながら、ほんの少し沈黙した。そして、
「捻り潰して解らせてやるよ」
そう静かに呟いた。
けやきはその言葉に一切のリアクションをせず、フリースローの立ち位置へと歩いて行った。
彼女は、彼の憎しみの理由を薄々は察していた。試合が始まる前、石崎に対してその事をちらつかせてもいた。だが、確証が無かった。その理由を本人に問い質すわけにもいかず、こうして探りを入れる事で彼の口から名言させようとするしかなかったのだ。
けやきにとってその”安本の憎しみの理由”は、口にして確認する事が憚られる程に稚拙なもの。彼女は、自分の推測は或いは勘違いなのではないかとも思った。とはいえ、現に彼はこうして練習試合を申し込んでまで大虎高チームとの再戦を果たしたのである。その事実が、けやきの中にある仮定を揺るぎようの無い真相へと徐々に徐々に引き寄せつつあった。
「英田兄妹」
「はい」
「はい」
兄妹は夫々のドラゴンの背の上で、緊張、或いは集中を色濃く滲ませる声音で返事した。
「私のフリースローがリングに嫌われた場合、その後私が自分でなんとかする。お前達は防御に徹していろ」
振り返ってそれだけ言うと、けやきは間を置かずにボールを構えた。
彼女の背中越しに後輩達が返事するが、けやきの意識は既にフリースローへと向けられていた。
けやきは静かに深呼吸し、あえて周囲の気配に意識を向けた。
久留米沢が警戒する視線を向けてくる。
来須が一挙手一投足を見逃すまいと凝視してくる。
安本が、威圧する様な念を込めて睨み付けてくる。
背後では良明とレイン、陽とショウが期待を込めた眼差しで見つめていると思う。
部室の中では誰もがこのフリースローの結果次第で試合の流れが変わると予想している。
ここで外せば、大虎高チームにとって状況はさらに苦しくなる。
否。けやきが先程から考慮している様に、英田兄妹のモチベーションと、ひいては今後の大虎高竜術部の在り様に関わる程の局面。
これは、そんなフリースローだった。




