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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
2.虎穴の双竜
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それは修羅の道(3)

 これでいい。と、けやきも思った。

(これで、試合における経過時間を数秒とはいえ稼ぐ事が出来た……)

 まともに競り合えば競り合う程、大虎側はボロが出る。それはこの勝負の試合運びに直結し、試合結果は兄妹のモチベーションに連動する。大局を見ても、目の前のやるべき事を見ても、今しがた陽がした選択は正しい物だったとけやきは分析したのである。

(相手に渡ったボールを奪い返すのは私とガイの仕事だ)

 脳裏にその結論への道筋を描き出すよりも早く、けやきとガイは来須に向かって行った。

(これで大虎側の防御は私達を除く兄妹二人のユニットのみとなるが、そこは練習の成果でやれる事はやってくれる筈だ)


「やっぱり早い……」

 向かってくるけやきを見てそう声に出してたじろぐ来須に対し、安本が「おう!」と言って手を挙げる。パスを求める動作。

 けやきはその声を聞き逃さず、その動きを見逃さない。来須が安本へとパスを出す為に必要な空間を断ち切る様な角度から、彼女は来須ユニットへと襲い掛かった。


 来須は止む無く安本へのパスを断念する。そのまま前方の大虎高陣地、向かって左側へとボールを投げた。

「ん」

 薄石高チーム一年生のその洗練された身のこなしに、けやきはこの時ある懸念を抱いた。

 来須から投げられたボールは、当然安本ではない方のチームメンバーに投げられたパスである。白球が吸い込まれた先は薄石のもう一人の方、三年久留米沢のユニットだった。その手は随分大きく、彼はハンドボールの様に片手でボールをがっちりと固定してみせた。それは、彼は片手で手綱に集中しつつ、もう片方の手でボールを投げられるという状態に常に身を置ける事を意味していた。


 久留米沢がボールを受け取った時、既に彼が乗る黒いドラゴンは羽ばたきを始めていた。

大虎側コートへと、そのまま速攻をかける久留米沢。

(頼んだぞ、英田兄妹)

 けやきは、ボールを手にした久留米沢を認識しながらも自コートへは戻らなかった。兄妹がボールを取り返し、自分に引き渡してくる可能性に賭けようと思ったのだ。

 彼女にそう決断させたのは、大虎コートに攻め入ったのが久留米沢一人だけだったという事実。兄妹が二人がかりで敵に対応する事により彼等に経験を積ませつつ、自分とガイはすぐに攻めに転じる事が出来る状態を維持できる。けやきが自陣へと戻らない事にはそういった意図があった。


 来須はけやきが大虎高コートに戻ろうとしていない事に気づいて元のゴールリング周辺の位置まで後退していたし、先程から自由に動ける状態の安本でさえも、久留米沢に加勢する事は無くけやきをマークする立ち位置に陣取っていた。


 つまるところ、大虎高ゴールリング付近の現在における状況は二対一。

 兄妹のユニットが久留米沢ユニットに対して二人と二頭がかりで太刀打ち出来るかどうか。それこそが、薄石高チームにとっての先制点への壁だった。

 因みに、仮にこの状況でけやきが自コートに戻っていた場合、薄石の他の二ユニットが大虎コートに押し掛けていた可能性は十分にある。そうなれば、その分けやきにとって現場の状況を把握して動く事は困難となったはずである。

 若い翼に最序盤の危機を託したけやきの判断は、総じて間違っていなかった。


 ドラゴンに跨って攻め入ってくる久留米沢。その頭は一切角度を変えず、彼は視線だけを動かして相手チーム一年生と思しき二ユニットを確認した。

 敵味方合わせて攻防に参加する三つのユニットは、既に地上五メートル程の所に滞空している。三者が距離を詰め、今まさにボールを守るか奪われるかという競り合いに差し掛かろうとした時だった。

 久留米沢の乗るドラゴンが、突如として羽ばたくのを止めた。

 当然、自然落下による下降が始まる。


 陽は彼の動きを見て直感した。

(地上の禁止エリアギリギリからシュートを打つアレをやる気だ!)

 それは、以前けやきと直家の勝負で見た戦法。禁止エリアギリギリからボールを放つ事で、相手チームのディフェンスを妨げる狙いがある地上から放つシュートだ。陽を乗せているショウはそうはさせまいと、迅速に久留米沢を追従した。


 と、その時。下降を続ける久留米沢の左腕が、ほんの少しだけ動いた。ボールを持っていない方の腕だ。その腕の先に続く掌には、彼の乗るドラゴンの手綱が握られている。

「え……?」

 地上まであと五十センチという所で、久留米沢のユニットがさらに移動方向を反転させて上昇していく。

 何が起こっているか。その陽の中にて巻き起こった問いかけに対する答えは明白だった。彼がドラゴンを下降させたのは、シュートの為では無かったのだ。

 この時陽を乗せたショウは、久留米沢を追従する為に羽ばたきで落下速度に加速をかけていた。もはや勢いを止められない。一旦地上まで降り、その後地を蹴って再び飛翔するしかなかった。


 これで、一対一。

(でも、俺が止めれば問題無い!)

 良明は、手が届きそうな距離での攻防を目の当たりにし、覚悟を決めた。

 否、どの道もはややるしかない。

(このタイミングで口でレインに何を指示したって間に合いっこない。どう移動するかはレインに任せよう。俺がそのレインの移動に合わせて、ボールを奪う!)


 久留米沢は腕をだらりと下ろし、ボールを自分の右足のすぐ後ろに構えている。

(成程、この姿勢なら幾分か相手からボールを奪われ難くなる……けど、その体勢からじゃシュートは打つ事は出来ない)

 良明は、久留米沢とドラゴンの姿を凝視した。

(シュートを打つ瞬間を見逃すな! この人がシュートを打つ為に腕を上げるその瞬間、絶対にボールに食らいついてやる!!)


 不意に、良明は自分の顔のすぐ左を何かが通り過ぎるのを感じた。


(なんだ、今、すぐ傍を何かが通った? いや、落ち着け。この人がシュートを打つまで時間はもう五秒と無い筈。落ち着いて、素早く今の気配の正体を突き止めろ。今、このコート上に存在しているモノはなんだ。まず、相手と味方の人間選手。全員視界に捉えてる。じゃあドラゴンか? いや、人間選手は全員ドラゴンに跨ってる。じゃあ、じゃあ何だ? 他にこのコート上に存在してるものって――)


 久留米沢の右手から、ボールが消失していた。


「………………?」

 ビーーッ!!

 電子音が鳴り響く。それは、ゴールリングに備え付けられたセンサが物体の通過を検知し、輪の間をボールが通ったという判定を下した音。


「っしゃあ!」

「よーし、ザワナイスだ」

「ナイシューっす」

 相手の選手達が。久留米沢と、安本と、来須が、口々に何か言っている。

 良明はその数々の発言の意味を理解できない。

 地面に転がる白球。教室内で苦い顔をする石崎。悔しそうに鳴き声をあげるレイン。

 それら全てを認識し、良明は漸く何が起こったのかを理解した。

「点を……取られた、のか……?」

 一連の出来事にまるで現実感などという物は無く、彼の視界に見える風景の彩度は増し、やたらとケバく見えている様な気さえした。

 久留米沢が、その手からシュートを放つところを見たという実感。それが、良明の中には存在しなかった。


「アキ」

 妹の声で良明は我に返った。

 現代アートの様だった彼の視界の色彩が、ふっと元に戻る。

「片手によるボールのキープ。使っている人間を見た事はそうは無い代物だ。今度、皆で練習しよう」

 いつの間にか自コートに戻っていたけやきも、良明に声をかけた。


 良明は、反射的にその言葉を口にせずにはいられなかった。

「す、すみません!!」

「いや、これで久留米沢があの腕の位置からでもシュートを放てる事が明らかになった。今はそれを収穫としよう」

 けやきがそう言うと、陽も今一度良明の名を呼んで励ます様に謝罪した。

「アキごめん、私も完全にフェイントに引っかかった……」


(……気持ちを切り替えるしかない)

 良明は、震える声を沈める様に深呼吸を一つ、叫ぶようにこう言った。

「点さえ返せばチャラ!」

(練習試合まで三週間しか時間が無かったのはもう仕方がない。兎に角、今はその三週間の全てをぶつけよう。相手の動きを集中して見ていた事自体は間違いじゃない筈だ)


 良明と陽の表情が引き締まるのを見て、ここで部長はある一つの決断をした。

「英田兄妹、レイン、ショウ、そしてガイ」

 一同は口々に返事する。

「……フラットポジションで行くぞ。兎に角相手を攪乱して、どんな状況になっても最終的に私にパスを出せ。私が必ず一点を取り返す」


 けやきが試合開始間もない現時点において、現竜術部の奥の手を使おうと決めた事にはいくつかの理由がある。

 まず第一に、兄妹のメンタルに関する危惧。

 ここで奪われた一点を確実に取り返さなければ、それだけでこの試合は前半にて決着がつくとけやきは確信した。野球等、一部のスポーツで極端な大量得点を許してしまう現象と同じ事が発生する。けやきの経験者としてのカンがそう警鐘を鳴らし続けていた。

 さらに、運動部初体験でさらに初試合での度を超えた惨敗というものは、兄妹にとってトラウマになりかねない。今後の活動にも大きく関わるだろう。惨敗の結果を受け止めて”なにくそと思え”の精神でやっていけるのは、そのスポーツ自体が好きな人間の論理である。あくまでも使命感で龍球に取り組んでいる二人にとって、その類の言葉が重荷になりかねない事は明らかだった。


 第二に、現段階での”フラットポジション”という戦法の成功率。

 前提としてけやきはこう思う。

(ここまでの攻防で、恐らくチームはこちらの極めて低い力量を肌で感じつつある)

 そして、その前提の上でこう推測した。

(彼等は、意識の表層では相手を見くびらずとも、相手チームの攻撃方法のクセを頭のどこかでカテゴライズしようとしている段階の筈だ。例えるなら、薄石の全選手は試合再開のホイッスルの際、私がセンターラインから超ロングシュートを打つなどという想定はしていないだろう。それは、彼等薄石高チームが大虎高チームをその様なトリッキーなチームだと思っていないからだ)

 けやきが言いたいのはこういう事だ。

 一対二ですらいとも容易く久留米沢ユニットに防御を抜かれた様な選手達が、フォーメーションを駆使した戦術を完成度の高い状態で繰り出せるとは思ってはいまい。それが次の一点への勝算であると。


 この後試合が進行し、兄妹やレインの”素人よりは毛の生えている”力量に彼等が気づいた頃にフォーメーションを使ったのではもう遅い。恐らくはフォーメーション攻撃の可能性も懸念しつつ行動し始める筈である。


(相手との力量差を考えれば、この作戦を投入するタイミングは今しかない)

 龍球歴三週間のメンバーを三名も抱え、彼等の実力とメンタルに気を払いつつ、まして、自身も現場に立って戦っているという状況のけやき。

 並みの冷静さと判断力では行えない采配が今このタイミングで出来る選手である彼女こそが、この試合において大虎高チームが勝利を得る唯一のファクターだった。


 部室内では、他の面々からはいささか歳の離れた男性が二人、肩を並べていた。

「うむ、なかなか見所がある」

「はてさて、どうでしょう」

 薄石高の顧問に対して、寺川はそう答えた。それが謙遜によるものなのか、それとも単にまだ双子の力量を測り兼ねているだけなのかは、周囲の人間には判断が難しい所だ。


「ところで黒川先生。今日はどうしてまた、練習試合を?」

 黒川、と呼ばれた薄石高校の龍球部顧問は痩せた顔を空に向け、開いているのか閉じているのかぱっと見では解らないくらい細い目で、コッペパンの様な雲を見据えた。

「生徒のたっての希望でしてね。樫屋さんとガイ君からどうしても学びたい、と私の方に訴えてきたんですよ」

「ほう」


 二人の会話を聞いていた石崎は、彼女の中に燻っていた想像を彼等の言葉により確信へと変えた。

(間違いない。あの、安本とかいう奴……)

 石崎は手元のPCへと試合内容をメモしながら、隣に座る坂に確認する。

「坂、ちゃんと撮れてる?」


 スタンドに固定したビデオカメラのファインダーを覗き、坂は不安と笑顔がない交ぜになった表情で石崎に答える。

「バッチリですよ。……あの、石崎先輩」

「ん?」

「ちゃんと撮れてますから、その、この前の写真はその、消去してもらえれば……」

「わーってるってぇ」

 手をひらひらさせて笑顔になる石崎。そして、付け加える。

「因みにこの前撮ったあれ、写真じゃなくて動画ね」

「ええ!?」


中庭では今、大虎高校の生徒達が起死回生の速攻に挑もうとしていた。

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