誇らしい過去は得てして(4)
ドラゴンの騎乗体験会にスタッフとして参加している三人の生徒。部長山田、能天気川島、二年女子道明寺にとっては、願っても無い申し出であった。
彼等三人にとって意外だったのは、けやきの申し出を寺川が断らなかった事だ。寺川は”楽しいのがいちばん”とでも言いたげなニコニコ顔で、「いいよいいよ、弁当くらいは御馳走するからよろしく頼んだ」と言ってけやきの申し出を快諾したのである。
寺川の返答に”弁当くらいは御馳走する”という文言が含まれていた事により、けやきの提案に対し応答しかねていた石崎はその時点で即便乗した。
専門知識があるけやきはガイ、ショウ、シキの三頭に騎乗する参加者への説明役兼竜具チェック係。人と話す事が得意な石崎は、受付対応と参加者の列の整理を手伝った。二人とも小学六年生とは思えない手際の良さを見せ、彼女等の働きぶりは山田が頼もしさと同時に妙な怖ささえ感じる程だった。
道明寺が懸念した通り、体育館のステージプログラムが終わる時刻である午前十一時半現在、参加者の数はピークに達していた。部室内だけで五十人。外の行列まで含めると七十人程の人間が、ドラゴンの騎乗体験会の順番待ちをしている。
竜術部員達はこの規模の人々が集まる事を前日までに想定はしていたのだが、それはかなり希望的な予想を伴う意味での想定だった。
まさか、本当に、こんな数の人が来るなんて。それが、山田の現状に対する感想の大部分だった。
『覚悟しとけよ、絶対人来るから』
山田は、ドラゴンにも人間にも予めそう伝えておいたにも拘わらず、いざその現場に立ってみると軽く申し訳なささえ抱いていた。
とはいえ、部員達の表情を見たところ、山田には解るのだ。
川島も道明寺も、ショウもシキもガイも、この予想外の事態を楽しんでいる。テレビゲームで遊んでいて、予想外の窮地に陥りつつも四苦八苦してそれを乗り切ろうとする時の様な、あまりの大変さに笑顔さえ零れて楽しくなる様な、そんなカオをしている。
一秒たりとも休む隙が生じない山田の脳裏には、そんな表現が浮かんでいた。
一方、中庭で道明寺の手伝いをしているけやきは、幸福の絶頂にあった。
(あのガイさんと一緒に文化祭で働いている!)
頭の中で何度も何度も何度も何度も言葉となって繰り返すその事実が、けやきには未だに信じられなかった。手を伸ばせば触れる所にあのガイが居る。間違いなく、居るというのに。
道明寺の助けで彼の背に乗せてもらった少年がまた一人、空へと飛び立った。
ほんの十メートル弱の飛翔によって自分からガイが離れていく事さえ切なく感じるが、けやきは自分が任された仕事を疎かにしない為に無理矢理大空へとついていきそうになる意識を連れ戻す。
ガイもまた自分の仕事をこなし、働いているのである。けやきにとって今のガイと自分は、いわば”離れた所で共に仕事に立ち向かう同志”なのであって、今、目の前に任されている仕事をこなす事こそが、すなわち、彼と同じステージで彼と共に共演するという事なのである。
けやきは、十二年間生きてきた自分の器を試すかの様に、その数時間をがむしゃらに働いて過ごした。
彼女にとって、この二年間はそれ程までに長い二年間だった。
絶え間なく部室に入ってくる参加者を、石崎は入口に設けられた受付で案内していた。
座って参加者をカウントしつつ、「あちらの列にお並びください」と手で示して案内するという、基本的には簡単な仕事だった。ただし、特に人が連続で入ってくる瞬間などは席を立って一組一組を列まで連れて行ったり、体験会の事について案内を求められたら合間合間で川島に確認した情報を元に返答しなければならなかった。
川島は川島で能天気キャラを保ちつつもせっせと中庭への誘導と注意事項の伝達を行っており、意外と働く人なんだなぁと石崎は感心した。
石崎の傍らに置かれた腕時計が、今、十一時四十五分きっかりを指す。
「ようこそおいで頂きました、あちらの列に……」
その来訪者の随分と整った身なりに、石崎は思わず声を止めた。
スーツ姿にエンジと黒のストライプ柄のネクタイ。下は勿論スラックスで、腕には緑の腕章をはめている。
男性が一名と女性が一名。どちらも同じ格好をしているが、女性の方はその胸にクリップボードを抱いていた。
「お忙しいところごめんね、責任者の人って今いらっしゃる?」
年齢で言えば四十歳になるかどうかというくらいの女性は、私服で受付を担当する女子児童ににっこりと尋ねた。
「え、あーと、あちらにいらっしゃいます」
言ってから、そこは”おります”が正しかったのだとちゃんと気づいた小学六年生石崎は、二人組の淡々とした足取りに一抹の不安を覚えた。
列を横切り、中庭まで歩を進めた二人組は、その一角で体験会を見守る初老の男性へと迷わず突き進んだ。
「すみません、こちらの責任者様でいらっしゃいますでしょうか?」
やや早口で腰を低くして尋ねた女性に対し、寺川は「はいそうですが」と答えた。
「わたくし、GE大虎支部の梶口と申します」
直ぐ傍らにつける三十代半ばの男性が、
「斉藤です」
と続いた。
じーいー。それがこの場で何を意味する二文字なのかを寺川は瞬時に悟る。
そして、「こちらでは何ですので、場所を用意しましょう」と言うと、一秒も無い間をおいて、梶口は先程よりもさらに早口に、
「いえここで結構です」
と、要領の良い善人が、狡猾に逃げ道を作る悪人を阻止する時の様な口調でそう切り返した。
ガルーダイーター大虎支部・現場班担当梶口は、寺川が何を言う間も無く尋問を始めた。中庭の隅の方とはいえ、参加者の何人かは何事かとそちらを注視し始める。
参加者への迷惑を第一に考えての提案が却下された寺川は、事を荒立てない様にその場で梶口に応じる事に決めた。
「すみませんね、いいですか? こちらの竜の皆さんは今日は朝何時にこちらへ?」
「一頭を除いて住み込みですので、朝から」
「ではこの会場で労働を始めたのは?」
「最終的な練習を始めたのが、九時ごろですね」
「そうですか、ではこうして皆さんを背に乗せる業務を始めたのはいつからですか?」
「祭の始めからですね」
「それはいつですか?」
「十時、ですね」
「今あなた時間を誤魔化そうとしましたね?」
「いえ、そんな意図は特に――」
「いいですか、率直に言います。いいですかこれ法律で”人間ないし荷を運ぶ業務を行う竜は、その竜の同意の如何に関わらず、一頭当たり一時間500kgを限度として設ける事が望ましい”と定めてるんですね、あなたご存じです?」
「ええ、この部活動の顧問ですので、一通りその辺りの事は」
「今すぐ会場を閉鎖し業務に関わる人員を撤収させてください。さもなくば、私達もあまりこういう事したくは無いんですが、役所に報告する事になりますね」
畳みかける梶口と、彼女に気圧されながらも淡々と質問に答える寺川。
会場に押し掛けた参加者達の半分以上が、二人に注目している。
部員のうち中庭に居る山田と道明寺は、梶口のあまりの迫力に反論は愚かフォローも出来ずに居る。彼等はあまつさえ目の前の参加者の対応に戻ったが、この生徒達を責めてはいけない。ここで部員がフォローに入ったところで、寺川の竜術部顧問としての立場が無くなる。
今は寺川を信じて耳をそばだてるしか無いと、自分に言い聞かせる二人だった。
だがその時、彼等とは別に我慢の限界に至った人間が一人、梶口の背後に近づいていた。
「すみません」
あどけなさの無い異様な子供の声に、梶口は半ば反射的に振り返った。
振り返った彼女の目の前で凄まじい殺気を放つ人物。十月二日でもうすぐ十二歳になる小学六年生、樫屋けやきだった。
「あら、あなたも今日はここでお手伝い?」
「はい。申し訳ありませんが、他の御来場戴いている方々に迷惑となりますのでお引き取り願えますでしょうか?」
「ごめんねぇ、ちょっと今先生とお話してて――」
先程から意図的に噛み合わない回答を繰り返す梶口に、けやき少女の不快感はこの瞬間完全にキャパシティを超過した。
「ここの竜達は自分の意思でこの学園祭に参加し続けています。この体験会に参加すらしていない貴方にとやかく言われる道理は無いかと思いますが」
ここでけやきが論理よりも感情論寄りの言葉を吐いたのは、梶口に対する彼女の優しさであり、最後通告であった。
その事を、部室の窓から身を乗り出して成り行きを見守っていた石崎は直感的に悟る。が、肝心の梶口の頭ではそれは到底理解できる心遣いでは無かったのだ。ちなみに、石崎が十一歳であるのに対し、梶口は四十三歳である。
「お嬢ちゃんにはまだちょっと難しいかもしれないけどね、竜――」
けやきはもう、こいつが’竜’という言葉を口にする事さえ許せなかった。
「あなた達は行政機関ではありません。こちらの学生による行事を妨害する権利が全く無い事をどうか御理解ください。またそもそも、貴方が先程仰った法的根拠につきましてはあくまで行政による指針であり、何かを禁止する条文でもなければまして罰則は全くない文言です。それをご存じであるからこそ、警察ではなく役所へとお申し出になるとの恫喝をなさったのではないですか? 尚、こちらの一文が我が国の法律に加えられた際、”竜の同意の如何に関わることなく”と定義されたのは、一部悪質な企業による竜の酷使の際に彼等竜に対し無理矢理に同意書を書かせた事に由来するものであり、学園祭という営利を主目的としない、各々が自発的に取り組む事を目的としたイベントに於いてはその批判の論拠として挙げるにはいささかナンセンスと言わざるを得ません」
「そ……それは、竜の同意を得られたかどうかの確認が取りようが無いからであって……」
しどろもどろになっている梶口は、それでもぼそぼそとけやきに聞こえない様な声で何か言っている。
と、その時だった。
「いいぞ嬢ちゃん! その通りだ!!」
声からして五、六十代と思しき男性が高らかに叫ぶと、周りから拍手が巻き起こった。拍手は当初決して多いわけではなかったが、その疎らさがかえって心からの同意のリアリティを色濃く示しており、梶口達に対する攻撃力をむしろ増幅させていた。
そして、彼女等が狼狽えて参加者に視線を向けた後になり、まばらだった拍手はそれが呼び水となって大きくなる。
「梶口さん、もう……」
先程斉藤と名乗った男はそう言って梶口を促すが、彼女は尚もこう言い放つ。
「今、列に並んでいる方達までで閉鎖してください! でなければ、役所に連絡します!!」
直後に「おーう好きにしろ空気読めねぇババァが」だとか、「子供達の催しを邪魔するのはいくらなんでも野暮だろう」だとか、やたらと的を射ている野次が飛び交う中、ガルーダイーターの二人はその場を去って行った。
それら野次の数々は、学校関係者ではない完全な部外者だからこそ言える、暖かい暴言だった。




