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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
3/229

雲の向こうに在るのは(3)

 照明が落とされた暗い部屋に、目覚まし時計の秒針の音はどうしてこうも響くのだろう?

 視覚が阻まれると他の感覚が研ぎ澄まされると言うが、それがまさにその疑問の解答なのだろうと良明は思うのだ。

 とはいえ今日の出来事の様な強力な記憶ともなれば、いつも粘着質に頭にへばりついてくる秒針の音などよりも余程意識に引っかかり、頭の中を子供の様に駆け巡るのである。

 危なく友人が命を落とすところだった。

 危なく自分が命を落とすところだった。

 危なく、妹が命を落とすところだった。

 喉元過ぎた今となってはそういう危機感も薄れてしまいかけているが、それはあの樫屋けやきという麗人と、彼女が連れていたドラゴンのおかげである。そんな事を考えながら、良明は今一度あのドラゴンとけやきの姿を思い返すのだ。


 爬虫類特有の長い指。鈍くて深い緑の巨体から生える一対の羽根は、広げれば合わせて十メートルは下らなかった。

 あのドラゴンは、赤い眼をしていただろうか?

 もしそうならば、彼は男性だ。

 もしそうではなく、青い眼を持っているならば女性である。


 ドラゴンと対比する様に、長身の麗人・樫屋けやきの事を思い返す。

 切れ目で、地面に着きそうに長い後ろ髪は長さの割りには細い束にしてあり、あの、ドラゴンを操る姿はどの所作を取っても全く迷いが無かった。

 麗人とドラゴンは、あれだけの濁流の中にさえ臆する事無く進んで行き――


「綺麗な人だったね」


 良明の回想を、聞きなれた声が中断させた。

 隣の部屋に居る妹の声は、良明の部屋へとよく通る。無論逆もそうである。

 兄妹の幼稚園卒業と同時に英田一家が引っ越してきたこの家には、二階には元々二部屋しか存在しなかった。部屋のうち一つは二畳程の倉庫スペースで、もう一部屋が十六畳の広さがある洋間だった。

 引越し前の下見で初めてこの家を訪れた英田兄妹が、母・由から「ここがあんたらの部屋ね」と言われた時の表情は、さながらなけなしの小遣いの小銭を二人して自販機の下に落とした時と同じだった。彼らが引っ越しと同時に自分の部屋を持てるとわくわくしながら下見に訪れた事は、父母共に全く知る由も無かったのだ。


 そんな二人を見て、日曜大工が趣味の父・(まもる)が急ごしらえで十六畳の方の部屋にベニヤ板で壁を作ってやったのだが、今度は引っ越してきた後に夜中怖いだの寂しいだのという話をしだす兄と妹。

 自分の部屋が欲しいと言い出したのは良明と陽自身であったので、衛は「なら自分で何とかしなさい」と当時小学一年生の二人に言った。


 翌日、その小学一年生の少ない小遣いを出し合って兄と妹が買ってきたのはどこぞのホームセンターで売っていたノコギリで、父は「わかった、わかったから」と二人の手からその刃物を取り上げて、壁の一部を切り取ってやった。

 高校一年生を前にした今でも、部屋の一面の端から端までを覆う長い出窓の部分だけベニヤ板の壁が欠落しているのは、そういう事情である。


 縦一メートル、横五十センチ程度の穴から陽が顔を出す。

 良明は枕元から感じる視線には面倒なので眼を合わせず、特に意味の無い小さいため息を一つついてから応える。

「大虎高校の人だから、その内顔合わせるかもなぁ」

「部活どうする?」

 一件つながりの無い話題を振る陽に、良明はさらに応える。

「さっきの樫屋さんが言ってた話? ”目標がイメージできる部に入れ”……とかなんとか」

「うんうん」


 中学校の頃の二人は共に文化部に入っており、さらに夫々大会の類とは縁の薄い活動をしていた。

「なーんかな……目標……うーん……」

 良明は眉間に皺を寄せて枕に顔を埋める。

「運動部で県大会優勝を目指すといいよ」

 冗談めかす陽に良明は即座に、


「やだ」


 と切り返す。

 そしてさらに、指摘する。

「ていうか何で他人事なんだよ。言われたの俺だけじゃないんだけど」

「私はスポ根ってキャラじゃないし」

「俺だって一ミリもそんなキャラじゃないよ。知ってるだろ」

 知らないはずも無い。幼い頃から行動を共にしてきた双子の兄妹だ。性格や好みなど嫌でも把握し尽くしている。

 つまり、陽が言っているのはただの冗談であり、さほど珍しくもない彼女の癖である。良明がその冗談に逐一律儀に答えるのもいつもの事で、特に対応が丁寧な事に意味は無い。お互いにどうでもいい会話なので、それ以上話を続ける事も無い。


 陽は胴を滑らせて自分の部屋に戻ると、冬眠前の熊の気持ちで布団の中に潜った。ねむい。

「何だろう、何か引っかかるカンジがする」

 布団の中から発されたその陽の言葉こそ、良明が妹に対して切り出そうか一瞬迷ったセンテンスその物だった。

「予感みたいな何か?」

「うん」

 良明の使った”予感”という単語で陽は兄も同じような事を考えていたと確信する。

 ”豪雨”、”ドラゴン”、”竜を駆る”。

 様々なキーワードが眠気に支配されつつある二人の頭の中にこだまする。

「大丈夫だよ。他人様に迷惑かけないでこの国でしっかり生きてれば」

 何かのアニメの引用だろうか?

 陽の発したその少しクサい言葉に対しては、良明は何も想うところは無く、彼の意識は遠のき―――


「―――……」

 倦怠感。若干の肌寒さ。まぶたの向こうに感じる容赦の無い明るさ。

 間違いない。これは朝と呼ばれる時間帯だ。

 今、何時頃だろうか?

 良明は思索する。眼に感じる明るさからして、もう既にそう早い時刻ではなさそうだ。ともすれば、もう八時に迫っている頃か。

 もっとまどろみ、出来ることなら二度寝したい。

(よし、八時ではない仮定の元行動しよう)

 良明の思考は続く。

(大丈夫大丈夫。今は春休みだ。よしんば八時を過ぎていたところで多少母さんにぼやかれるだけでさした問題は……)


「春休みじゃねぇよ!!」


 背中にばねでも仕込んでいた様な動きで、良明は飛び起きた。

 本日から新学期。新学年。ぴかぴかの高校一年生である。

 無論それは双子の妹である陽も同じ事なのだが、どうにも隣の部屋からは妹の気配がしない。

「陽ー?」

 良明が一応呼んでみても、やはり返事が無い。

 時計を見る。長針と短針は七時四十五分を指し、秒針は一秒目へと指しかかろうとしている所だった。

 良明は昨夜準備しておいた制服を着込むと、教材の入った革張りの鞄を手に取り慌てて一階へと駆け下りた。


 市立大虎高校の採用している男子用学生服が所謂学ランである事が幸いし、ネクタイを結ぶのに手間取ったりであるとか、ブレザーの裏と表を間違えそうになったりと言ったトラブルには見舞われずに済んだ。

 そんなベタベタなボケさえやらかしてしまいそうな状態の覚醒率三十パーセントの良明は、今、寝ぼけ眼でリビングを見回した。


 セーラー服に身を包んだ陽は見慣れたグリーンのソファに行儀良く――単に制服に皺が寄るのを嫌っているだけである――座り、奥行三十センチはある直方体の黒い箱の中に居るコメンテーターの言葉に聞き入っている。

 キッチンに目をやれば、会社員の父と専業主婦の母が何時も通りの他愛ない世間話に花を咲かせていた。


「アキ遅かったねー。もうそろそろ出ないと間に合わないよ?」

 未だ意識が不明瞭な良明に、陽は白々とした口調でそう告げる。

 どうせ自分だってたまたま一階から聞こえてきた物音か朝食の匂いで目が覚めたに違いないのだ。と、良明はそんな事を考えながら「いただきます」と一言、朝食をかきこみ、父母の「高校生一日目頑張っといで」の声に適当に相槌し、いよいよ鞄を手に取って立ち上がる。


「よし、陽いこうぜ」

「おうよー」

 相変わらずテレビに釘付けになっていた陽もすっくと立ち上がり、今日の占いが5位という可もなく不可もない順位である事を確認してから鞄を持った。

 自分に振り返って返事した陽の顔を見て、良明は一瞬戸惑う。


「どうかした? 眼、充血してない?」

 良明の言葉に、一瞬視線を逸らす陽。直後にその行動がより良明の注目を引く結果に繋がると気づき、視線を戻す。

 その所作は一秒も無い時間の行動だったが、良明はその不自然さを見逃さなかった。


 一瞬の沈黙。


 親二人が違和感に気づく直前のタイミングで、陽は歩き始めた。

「いや、別にー」

 陽のその一言から「かまうな」というニュアンスを読み取れたのは、言葉を受け取ったのが双子の兄である良明だからだった。

 それ以上何も訊かず、良明もまた歩き出す。


*


 春の暖かさが、眠気から冷め切らない少年にさらなる眠気をもたらそうと企んでいる。

 例年ならはらはらと桜の花弁が降り注ぐ川沿いの県道も、先日の大雨ですっかり愛でる花が散ってしまっている。そのくせして、入学式がある今日の日には気色が悪い程鮮やかな青空が広がっていたりするのだ。

 優柔不断な天気に抗議する様な声で、だが実際にはそんな事は全く頭に無い良明は、隣を歩く陽に問いかける。


「陽さー……」

「んー……」

 コッペパンの様な形の雲を眺める陽は、これと言って感情の篭らない声で応答する。

「入る部活とか考えてる?」

「あー、いやーまだ」

 当然である。まだろくにどんな部活があるのかも知らないのは、訊かれた陽は勿論問いかけた良明ですら同じだ。

それでも訊いたのは、或いは中学校の頃の部活と同じ種類の部活を続けるかもしれないからであったが、どうやら陽にそのつもりは無いらしい。


「体験入部とか色々行こうかなーとは思ってるけどねー。兄貴はー?」

 この妹には兄を”兄貴”と呼ぶ習慣は無く、当然それは兄・良明も承知している。

 陽のボケには一切突っ込まず、良明は答えた。

「俺もだなぁ。あ、でも運動部だけは絶対ヤだな」

 突っ込まれない事に突っ込まず、陽は応える。

「まぁそれは私も。今更運動部とか絶対ついてけないと思う」

「あー、だよな」

「だからさ、文化部中心にどんな部があるのか調べようかなーとは思ってるよ」


 取り留めも無ければたわいも無い会話の中、良明はぽろりと呟く。

「”目標”、かー……」

「樫屋さんの言ってたアレ?」

「うん」

 すき焼を囲んだ場で樫屋けやきが述べた言葉。

 その日の夜に回想していた言葉。

 ふと、”目標がイメージできる部活を選ぶことを薦めておく”というフレーズが、二人の頭の中で妙に鮮明に思い出された。


 そこからさらに続く思考。寝る前に陽が言っていた言葉を、良明は思い出す。

「陽さ、あの日の夜言ってたよな。あの樫屋さんがうちに来た日の寝る前に」

「うん?」

「ほら、何か引っかかるとか何とかさ?」

「うん……」

 未だにあの日の出来事の非日常感から抜け出せないでいるのは、良明も陽と同じだった。何故だろう。どうしても、妙な胸騒ぎにも似た感覚があの日以来一日も途切れずに常に頭の片隅でくすぶっているのである。

 陽は、その感覚をより強く受けているのは自分ではないだろうか、と思うのだ。

 今朝、危うく良明に追及されそうになった眼の充血の件もその辺りの事が深く関係している気がしてならなかった。


 ざっくり言えば、それは漠然とした”予感”。

 ”これから起こる何かしらの出来事は、一つの季節に収まりきる様な事ではなく、自分の人生において大きな意味を持つような気がする”

 そんな漠然とした予感が、陽の脳裏を満たしていた。

 そういった何かを感じている事自体は、恐らく兄も同じなのだろうと陽は思う。


 高校生一日目にして、なんとももやもやした心持である。気晴らしにカラオケにでも行きたい気分だ。何かこう、スッとする事がしたい。

 同じような顔をして、兄妹は空を眺めるのだ。


 小学校から中学校、中学校から高校への進学というのはどこか心細くもあるもので、多くの新入生はついついそれまで通っていた学校の同級生と話したくなるものである。

「あっきー」

 聞き慣れた男子の、甲高い声が良明の耳に届いた。

 振り返るよりも前に良明は確信する。声の主は、中学一年の時に話す様になった良明の友人・藤だった。


 何につけても作戦を練るのが彼の癖で、中学一年の夏に付いた彼のあだ名は”参謀”である。訊いてもいないのに彼が良明に語って聞かせた所によると、”勉強へのモチベーションを保つため、試験勉強を三日でこなす事が出来たら自分へのご褒美として町内一周旅行(自転車による日帰り)を進呈する”という謎の企画を思いつき、見事チャレンジに成功したはいいがいざ自転車を漕ぎ出すとその一人日帰り旅行が面倒なことこの上ない事に気づいたそうだ。実にどうでもいい。

 兎に角、藤(通称ふっさんまたは参謀)と呼ばれる身長百六十五センチ体重五十五キロ、短髪でほんの少し面長の、快活な笑顔が眩しい子供っぽい少年は、そういう変わった奴なのである。


 良明は最初に声をかけて来たのがかの変人である事に変な不安を覚えつつ、振り返って手を振る。

「おはよー、ふっさんも大虎高でよかったー」

「まぁ中学校一緒だった人の半分は大虎高だしなぁ」

 藤はにかっといつもの笑顔で応える。


「英田さんもおはよー」

 非常に紛らわしい呼び方であるが、藤のいう”英田さん”とは陽の事である。土手の道を良明と共に歩く陽は改めて会釈して、「おはーす」などと適当な挨拶で返す。

 藤にとって陽は、元々”良明の家にいつもいる顔見知り”程度の相手だったのだが、陽が普段から良明と行動を共にする事もあり、顔を見かける機会が非常に多くなっていつしか陽とも友人になった。


「アキは部活とかもう決めた?」

「まーたか」

 つい先程も陽とその話をしていたんだ――という説明は面倒なので省く良明。

「いーや、ふっさんは?」

「俺なー、写真部に興味あって」

「え、ふっさん写真とか好きなの?」

「生まれてこの方一度もシャッターという物を押した事はないっ!」

 キリっと言い放つ藤に良明は気だるそうにため息一つ、尋ねる。

「何か写真に興味を持つ機会でもあったの?」

「おう、ちょっとなー。まぁもしかしたら部活掛け持ちになるかも知んないけど」

「ちょっ、え、入学前から掛け持ち予定とか」

 さすがはふっさん。と言い掛けたが何か面倒な自慢話に発展しそうな予感がしたのでそれもやめておく良明だった。


 三人は、土手の上の道を歩き続ける。

 陽は良明を挟んで左を歩く藤に切り出した。

「なんか掛け持ちしてる人ちょいちょい居るみたいだよね、大虎高って」

「うんうん、まぁ俺の場合、こういうのを見て興味が沸いたっていうのもあるんだけど」

 ひらひらとA4サイズの紙を見せびらかす様に取り出す藤。

 陽は手を伸ばして良明の背後でそれを受け取ると、ひと目それを見て吹き出した。


「え、なになに?」

 視界の端でくすくすと笑う妹の所為で良明もその内容が気になり、結局二人でチラシを覗き込んだ。

 デカデカと視界に飛び込んできたのは、”どラヴ”とルビが振られた”竜術部”という三文字。目立つ様にする為だろう、紙に対して斜めに書かれたその六文字は、だがしかしその所為で活動内容を説明するべきスペースの大半を独占してしまっている。

 何かのロゴの様に自信満々で主張の強い”竜術部”の文字の脇には、こう説明があった。

 ”ドラゴンが好きな人大歓迎! ドラゴンに関する様々な事に打ち込める部活です。ドラゴンに興味がある人はお気軽に体験入部へかむひあ~”


 ”かむひあ~”の部分で陽は再び笑い出す。完全にツボに入ったらしく、腹を押さえて前かがみになりながら歩いている。あんまり笑って関係者の先輩に見られでもしたら気まずい事この上ない。と思いはするのだが、堪えようにもどうにも腹の痙攣が収まらないご様子だ。

 真顔を作る事で笑いをこらえていた良明も、ついにつられて笑い出す。

 くすくすと笑いながら歩く双子の兄妹は、傍から見ると入学早々いちゃつくカップルに見えなくもない事に、二人は未だ気がつかない。

「こ、これ……行ってみる?」

 何とか笑いを押さえ込んで良明は提案した。

「うん、だな。面白そう。どんな所なんだろ……っていうかさ――」


 前方でニャァと鳴いて地面に寝転がる三毛猫に気づいて、陽は言葉を止めてすかさずそれに駆け寄っていく。表情がにやついたままなので少々怖い。

 良明は、腹を見せる三毛猫に対してじゃれついている妹を見て、彼女が言おうとしていたセンテンスを想像して引き継いでみる。

「ていうか……まさかとは思うけど樫屋さん……この部に居たりしてな」

 ごろごろと喉を鳴らして甘える三毛猫のおかげで、陽の表情は漸く不気味な笑みから解放されていた。

 藤が何か言いたそうにしている事に、彼等兄妹が気づく様子は無い。

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