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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
2.虎穴の双竜
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誇らしい過去は得てして(3)

 去年と同様、けやきは大虎高校の敷地内に入るなり、信号で五分は待たされた車の様なオーラを纏って本校舎の掲示板に直行した。到着するなり、そこに張り出されている展示案内の数々を凝視する。


 竜術部の展示が無いかと隅々まで確認し、ついにそれを見つける。


 ”竜術部(どラぶ)であなたもれっつ騎乗体験!!初めての方大歓迎!

  部員とドラゴンが優しくサポートするヨ!!”


 今すぐその張り紙をひき剥がして穿いているジーンズのポケットに入れたくなる衝動を、悟りを開いた釈迦の様な心境で抑え込み、けやきは無感情を装い淡々と歩き始める。

 その姿は、さながら未来から来た殺人ロボットが抹殺対象の居所を突き止め、今まさに行動を開始する時の様だった。と、石崎は回想する。


 石崎がその場に居合わせたのは偶然のもたらした奇跡というわけではなく、それが開場直後の事だったからである。

 掲示板で展示案内を確認する来訪者の群れの中にけやきが居る事に気づいたのも、去年共に模擬店を回った想い出があったからであり、偶然などではない。


「けやきちゃん!」

 と、呼ばれたけやきはビクっと肩を震わせた。

 自分が通う私立清森小学校の同級生に、一人で大虎祭に来ている所を目撃されたかもしれないと思ったのだ。だが、声の主を見て直ぐにほっと胸を撫で下ろす。

「久しぶりだ。下の名前だけでいい」

 と言われ、石崎も

「うん、じゃあ私も呼び捨てでいいよ」

 と言った。


「石崎は、今年は一人で来たのか?」

 石崎は、(え、上の名前で呼び捨て!?)と思いつつも答える。

「ああ、うん。ちょっとここ寄って昼の一時から友達とカラオケ。みんな今年は大虎祭には来ないってさー」

「そうなのか。……それで、どこか回る所は決めているのか?」

「あーいや、まだ決めてない。そっちは?」

「これに、行こうと思うんだが」


 けやきにとって石崎が一人で自分の前に現れた事は、極めて有り難い救いの手だった。

 けやきは、件の竜術部の張り紙を指差して石崎の顔を見た。真顔で。

 あのガイと再開できるかもしれない場所。だが、それ故に一人で行くのはけやきとしては少々勇気が必要である。だが連れが居れば、それも、あの日に一緒に舞台に上がった石崎が居てくれれば、心強い事この上ない。けやきはそう思ったのだ。


 石崎はこの時、薄々気づいていた”去年けやきが一人でこの祭に来ていた理由”を、確信に変えた。

 そして、

「いーよー」

 と、その時は何も気づかないフリをして返事してやった。


 丸二年の時を経て、ガイや竜術部の部員(二年前当時一年生)が自分の顔を憶えている事は無いだろう。けやきはそう覚悟した。

(それでもいい)

 彼女は、兎に角ガイと会いたかった。一刻も早く、再会したかった。


 けやきのこめかみの辺りでどくん、どくんと冗談の様な脈が繰り返す。まるで、ドラゴンを検知するレーダーでも内蔵されているかのように、徐々にその間隔が短くなっていく。

 けやきはたまらず、石崎の半歩後ろで歩きながら深呼吸をした。

 展示や模擬店で賑わう本校舎からあからさまに離れた所にある竜術部の部室は、所々にある”騎乗体験はコチラ!”の張り紙が無ければ、到底辿り着けそうも無いくらいに気配に乏しかった。

 まるで、関係者以外立ち入り禁止の場所に足を踏み入れている様な、そんな感覚にさえ襲われながら、けやきと石崎は歩を進めていく。


 張り紙に従って歩いていき旧校舎2を目の当たりにしたとき、石崎は「さすがにこっちじゃなくない? どっかで道間違えたかな?」と言ったが、けやきは「張り紙の矢印はあっちを指している」と言って、いつしか石崎の半歩前を歩き始めた。

 そしてついにたどり着いたそこを見て、けやきと石崎は一瞬、”このありさまは、この日の為に演出したのだろうか”と思った。

 それくらい、竜術部の部室は当時からボロかった。


「おおーっ来た! ほらみろ、やっぱ来てくれる人は来てくれるんだって!!」

 真っ先にけやきと石崎の姿に気づいた竜術部員の男子がそう言って歓喜に表情を染めた。

「ひぇえー、まさかこんな早くに来るとはねぇ、びっくりびっくり」

 別の女子部員がそんな事を言っているが、すかさず傍らの教員に「お客さんにそういう事言わない。はい、案内案内」と言って窘められる。


 教員は初老で、混ざりつつある白髪が良く似合う短髪の男性だった。

 優しげな印象のその男性は、首から”竜術部顧問 寺川栄人(てらかわえいと)”と書かれたプレートを下げていた。

 その時点において、平静を装うけやきの心臓は、ドラゴンレーダーの反応の所為で破裂寸前だった。


「竜に乗らせて貰えるって聞いてきましたー」

 手を挙げて元気に石崎が挨拶代わりの一言を述べる。

 何も言葉を口にできない状態のけやきは、”私もそう聞いて来た連れです”という顔をして、改めて部室の様子を窺う。


 天井の一部分だけに不自然な布切れが被せられている以外は、特にこれと言って装飾の類の無い味気ない部屋だった。

 机がいくつか島にして置いてあり、夫々の島には寸胴な花瓶に金木犀の花が活けてある。部屋の奥後方にはドアがあり、そこへと続く通り道に、緑色のビニルのマットが敷いてあった。そのマットは、あの日、あの劇を見た体育館に敷いていたものと同じ種類の、体育館の行事でよく使われる細長いマットだった。


(あのドラゴンは居るだろうか?)

 もしも。

 けやきには、もしもこの日にあのドラゴンに再会できたなら訊こうと決めていた事がいくつかあった。

 名前は何というのか?

 この学校にはもう長く居るのか?

 普段はどんな事をしているのか?

 けやきはこれらの質問を、その場の空気が許してくれる範囲で尋ねようと思っていた。


 が。


 いざ現場に立ってみると、もうそれどころではなかった。

 どもらずに喋ろうとする(・・・・・)ので精一杯だ。

 とてもとても質問などする余裕は無い。


 あと二歩で、ドラゴンが居る中庭に足を踏み入れてしまう。

(だめだ、一旦待とう。このままではいけない)

 などと、けやきの脳裏に五秒後には彼女の人生において全く不要になるであろう思考が行き交う。

(いや、立ち止まったりしたらもう歩き出す事なんて出来ない。このまま惰性で歩き続けてしまえばあの竜が居る中庭に――)


 中庭から、のっしのっしと歩いてくるドラゴンが、一頭いた。

 深い緑の、ごつごつとした鱗の、けやきの握り拳くらいある爪をもつ、ガイだった。


 石崎は、ここが限界だった。

 ここまで必死に耐えていたが、これ以上は到底かなわない。

 もうだめだ、もうニヤニヤせずには居られない。

「ほら」

 けやきの背中をたんと押して、石崎は先を譲った。


「グァア!」

「え、ガイさんあんた知り合いなの?」

 自らけやきへと歩み寄り、知り合いにかける様な鳴き声を上げる妙にフレンドリーな態度のガイに、先程の女子部員が質問した。

「グァ」

 肯定の鳴き声。


 けやきは、口を半開きにして茫然とそのドラゴンの胸元に視線を向けた。顔など見れるワケが無い。

 彼女の脳内では、歓喜の叫びがサッカー日本代表のサポーターのそれを凌ぐ大音量で轟き渡り、ありとあらゆる思考を押し流していた。

「うわー! 覚えてくれてたんだ!」

 本当に、石崎が居てくれてよかった、と後に冷静になったけやきは思った。

 この時に彼女が平均的なリアクションと会話をしてくれなかったら、もしここに居る訪問者が自分ひとりだったなら、沈黙する騎乗体験参加者に困惑する竜術部員達という、何とも気まずい光景が広がっていた筈である。


「あのー私達、一昨年の劇のサプライズで舞台に上がらせてもらって、その時多分この竜と共演したんです」

「ああー、あの時の女の子か。うわー、へえぇー……」

 何事かという表情で中庭から近づいてきた部長と思しき男子が、やたらと大きい音量で納得の声を上げた。


 その時のガイが、何故二年も前にちらりと遭遇した彼女達を覚えていたのかという問いの答えは、残念ながらガイもけやきの事が気になっていたからだとかそういう事ではない。”背が高くて静かそうな子と、髪がウエーブしててお喋りそうな子”という組み合わせでピンと来て駆け寄ってみた。というのが真相なのであるが、結局八年後の現在においてもそれをけやきに伝える事はしていない。


「そうかー、じゃあ今日はガイさんに会いに?」

 けやきは、部員達とのやりとりの中で二回出て来た名前を、生まれて初めて自分の口で 発音してみた。

「ガイ……さん、と言うんですね」

 言えた。石崎が二言三言部員達と会話してくれたのがクッションになって、何とかまともに喋れた。


「乗ってみる?」

 部長が歩み出て、優しい声でけやきを中庭へと促そうとした、その時だった。

「山田部長、やばいやばい、あれ!」

 けやき達が来た時に、真っ先に大声を上げた男子の声だった。

 山田部長は小さい声で、「えっ」と口に出した。


 学年内でも能天気で有名な、二年生男子川島が指差し、この日を楽しみにしていた同じく二年生女子道明寺が眼を見開いた先には、十人前後の人々が歩いていた。

 まるで彼らの歩調がこの部室に来るような足取りに見えた川島は、部長への言葉を継ぎ足す。

「こっちの辺りって、俺達以外の展示なんてありましたっけ……?」

「…………当たりだ」

「え?」

「大当たりなんだよ! この企画のポテンシャルは、やっぱりこういうレベルだったんだ!!」

 ざわざわと話しながら歩いてくる集団は、竜術部の騎乗体験会への参加希望者に他ならなかった。


 小学生に上がりたてくらいの男児が、人々の群れの中からとてててと走って来て、けやきのすぐ後ろに立った。

 何も言わず、まじまじとガイを見上げる男児。

「もうやってる?」

 なんともあどけない声で、男児はどういうわけか部員ではなく私服姿のけやきの方に話しかけた。

「もうやってる」

 と、けやき。

「お姉ちゃんがいちばん?」

 男児の意図がなんとなく薄っすらと見えてきたけやきは、こう答えた。

「先に乗せてもらいたいなら譲るよ」

「ほんと!?」

 ぱあっと笑顔になる男児。


 この瞬間瞬間が嬉しくて、未だに自分の心臓の音が耳まで聞こえてくるけやきだが、彼女にとっては順番などという物は些事に過ぎなかった。重要なのは、ガイと出会い、出来る限りのコミュニケーションを実現する事なのだ。なんなら順番を譲る事で心の準備をする時間が出来るというものである。

「あああ、すみません、ほら、きー君、お礼言った?」

 遠くから男児とけやきのやり取りを見ていた母親と思しき同伴者が、けやきに深々と頭を下げた。

「ありがとう!」

 何故か――幼稚園での習わしからだろう――怒鳴り散らす様な口調でそう言いながら、きー君はけやきにぺこりとお辞儀した。


「いえ、……ああ、ただきっと説明があるとは思いますが、リードだけは離さないように気を付けてあげてください」

 と口にしたけやきを見て、山田部長は”おや?”という顔をした。

 一般的な名詞としての”手綱”という言葉があるにも関わらず、それを龍球の専門用語である”リード”と呼称したのはたまたまどこかでその単語を知っていたからだろうか?

 そう思ったのだ。


「ええっと、君ってもしかして竜の事詳しいの? 龍球か何かやってたり?」

 部長に問われたけやきは、その時自分が発した一文の中に専門用語が混ざっている事に気づき、少し後悔する。

(しまった、知識がある人間ぶって聞こえただろうか)

 それは、普段のけやきなら絶対に無い様な不注意だった。

 けやきは答える。

「龍球はやっていませんが、多少の知識は」


 嘘である。大のつく嘘っぱちである。

 多少などという生ぬるいレベルではない。二年の間にけやきの中に貯まりに貯まったドラゴンに関する知識は、現役の竜術部員さえ凌駕する途轍もない情報量だった。

 この時点でけやきは、竜に関する医療知識、食性、習性、歴史、種類毎の特性、そして権利や地位――ありとあらゆるカテゴリの知識を、一般人が知り得る範囲でほぼ網羅していた。


「へぇえ、君うちの学校来なよ。歓迎するよ?」

「はぁ」

 どう切り返していいか判らず、曖昧な返事をするけやき。

 無論、脳内においては即答にて「是非とも」と叫んでいる。


 一人目の小さなお客がガイの背に乗って上昇していく途中から、部室は騒がしさを増した。

 能天気川島が言った通り、”やばい”数の人間が押し寄せ始めたのである。

 当初十人前後だった数の人々は、時間を追う毎に増え続けた。けやきと石崎がこの部室に来てから先程の男児が降りてくるまでの間に、部室内の人口は三十人程にまで膨れ上がっていた。


「え、やばくない? 今ってステージプログラム中だよね? 体育館の出し物が終わったらどんだけ押し寄せて来んのこれ」

 二年女子道明寺が喧騒の中で呟くが、寺川はまたも聞き逃さなかった。

「お客さんにそういう事を言わない。ほら案内案内」

 先程と違い、「ほら」と「案内案内」の間に「、」が無くなっているのは、僅かながら寺川にも慌てている部分があるからである。


「あ、じゃあ次は――」

 と言ってけやきと石崎を促そうとして、道明寺は男児の次に並んでいるのが彼女等ではなく別の参加者である事に気づいた。部員達と親し気に話し込んでいたからだろう、けやきと石崎は、他の参加者から部員の家族か何かだと思われたのだ。

「あ、すみません、こっちの女の子達――」

「ああーっと、私はいいです、けやき乗ってきて」

 石崎は、道明寺の声を遮る様にして慌てる素振りでそう言った。


「あれ、乗らないの?」

 不思議そうに道明寺が石崎に問う。

「私、高所恐怖症で……この子の付き合いで来ただけなんです」

「なんだ、そうだったのか?」

 けやきは意外そうな顔で石崎を見た。

「ごめん、言い出すタイミング無くって」

 本校舎の掲示板からここまで。閑散とした道のりの中、二人の間に会話が無い瞬間などいくらでもあったが、明らかに感情を高ぶらせて歩いているけやきにそんなネガティブな事を口走る度胸は、石崎には無かった。


「ああ、でもホント今日はカラオケまでの時間潰しで来てるノリだから気にしないで。嫌だったら最初からつきあってたりなんてしないし。今日はけやきに任せるよ」

 それを聞いて、けやきは表情を変えた。ごく短時間で何かを思いついた様な顔をしている。

「そう言われると……その、石崎」

「うん?」

 けやきは、少し申し訳なさそうに、こんな事を石崎に尋ねた。

「少し、ここを手伝ってもいいか?」

「う、うん??」


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