誇らしい過去は得てして(2)
真っ暗な空間の中に老若男女が腰かけている。
光源はほぼ前方からのみ。その前方で繰り広げられる口喧嘩に対し、慌てるでもなく助けを呼ぶでもなく、誰もがただただ無表情にそれを見つめている。
村人達の喧嘩は、一分もしないうちに不意をつく様な形で終わりを告げた。
蜘蛛の子を散らす様に方々へと逃げ惑う村人達の群れの中から、一人の村人が叫んだ。
「帝国の憲兵だ、憲兵が来たぞー」
やや棒読みに。
体育館のステージ上では、演劇部によるオリジナル脚本の舞台【事なかれ村と正義の憲兵】が上演されていた。
大虎高校文化祭・通称大虎祭で行われる体育館プログラムの中でも、演劇部の舞台は毎年好評を博している。ここ数年の上演は特に評判が良く、それは一昨年入学した部の生徒の才能に因る所が大きい。
昔から続く伝統である観客を巻き込んだギミックがウリで、毎年、最前列に座った観客は舞台上に上がってちょっとした役を演じるのが習わしなのである。
ウエーブがかった髪の、どこか斜に構えた様な印象の少女が、けやきの横で落ち着かなげにもぞもぞしている。
年齢は十歳くらい。母と兄に半ば強制的に大虎祭へと連れてこられたけやきと同じくらいの年齢である。
村人Bが、あからさまに感情が籠った声音で叫ぶ。
「憲兵に臆することなく立ち振る舞える村人は、この辺りにはいないのだろうかァ!!」
わざとらしい。実に、わざとらしい。
ざわつく場内。何だか空気が変わったなとけやきは気づくが、それが意味するところを彼女は知らない。知らずに、母と兄に、この最前列に座らされているのである。
村人C役・演劇部部長の川上茂が、観客席に向かって大きな声で問いかける。
「さぁ、我こそはという者は挙手願おう!」
どこか別の場所で講演の経験があるのだろうか?川上はプロの様な場慣れっぷりである。
「ほら、”はーい”って」
くい。
背後に座る母と兄が、けやきの右腕を持ち上げる。
「え」
けやきは、この時全てを悟った。
何故母と兄は、この舞台が始まる二十分も前に体育館に急いだのか。
何故母と兄は、自分には促した最前列に座らずに、背後の席に陣取ったのか。
何故、最前列には自分と同じ位の年齢の子がこんなにも多いのか。
横に座る斜に構えた――様な印象の――少女が、”なにこの子、出たくも無いのに手を挙げないでよ!”という表情で自分の事を見た。
様な気が、けやきはした。
「じゃあ、そこの三つ編みが可愛い女の子!」
年端もいかないけやきを大声でそう形容して呼んだのは、川上である。演劇部の部長である。ついでに言えば、男子である。
(えぇ……)
けやきにも、三つ編みでお洒落して出かけたり、焦った顔をしてあわあわと周りを見回す様な時期があったのである。実に可愛らしい。
(横の子が出たいみたいです!)
けやきは頭の中でそう叫び、実際はそういう顔をして舞台上の演劇部部長を見上げていた。あまり時間をかけて粘っても舞台に泥を塗りかねないと思ったので、露骨にそういう表情を作って横の子と部長を大きな動作で見比べる。
「あと、その横に座ってるウェーブした髪が美人な女の子!」
(えぇー……)
実に機転が利く部長であった。
けやきは、もはや観念するしかなかった。
なんだかもうどうでもよくなり、横で自分同様に立ち上がる少女をなんとなしに見てみた。
「ありがとう!!」
物凄く小声だが、少女は確かにけやきに向かってそう言った。
二人は、予めこのシーンの為に用意されてあった階段代わりのひな壇を上ると、照明が照り付ける舞台へといよいよ上がった。
観客席から暖かい拍手が巻き起こる。
(母さん、兄さん、家に帰ったら私はあなた達に必ず説教します)
光量の差の所為で観客席はほぼ真っ暗にしか見えなかったが、その暗がりに向かってけやきは無表情のまま誓いを立てた。
憲兵Aが少女達に対して、努めて優しく問いかける。
「お嬢ちゃん達、今この場で喧嘩が起こっていただろう?」
「うん!」
「はい」
ウエーブ髪の少女とけやきは順番に答えた。
「よし決まりだ! この村は王国の取り決めを破った。明日には王国の治安を守るため、我が国の誇り高き騎士団がうち滅ぼすだろう!!」
「そ、そんな殺生な! 私たちはただ……」
村人Dが憲兵に物申そうと少女達の前に立ったその時、体育館の隅々まで行き届く大きな音で効果音が鳴った。
バサッバサッバサッ……ズダン!!
舞台の下手から、その巨体は現れた。
「ゴォオオオオ!!」
人語を話しているワケでもないのに棒読みなのが解ってしまう演技力なのは、突っ込んではいけない。そのドラゴンは、それでも演技力の無さでは打ち消しようが無い圧倒的な存在感を携えて、憲兵たちの前に立ちはだかった。
「な、なんだ!? ドラゴンよ、お前は一体なんなのだ!」
尋ねる憲兵に対し、村に滞在するドラゴン・エルン役のガイは今一度高らかに吠える。
「ォオオオオオーーー!!」
広げられた羽根は両翼合わせて十メートル程もある大きさで、その皮膚はごつごつとした深い緑の鱗に覆われ、つま先の爪は鋭くもガタガタと凹凸がついていてけやきの握り拳程もある。そして、どんなに演技しても隠せないその優しそうな眼は赤く、ぎょろりと憲兵達を見下ろしていた。
けやきの時は、止まった。
ガイが身に着けている鎧が、照明に照らされて白銀に輝いている。
それくらいの事しか考えられなくなった。常日頃、何事に対しても冷静でいてしまう自分が、こんな感覚に陥っているという事実。それが、けやきにはどうにも信じ難かった。
(格好いい……)
気づくと、彼女は頭の中でその言葉を繰り返していた。
彼女にとって止まっていた筈の五秒は、間違いなく世界では進んでいて、いくつかのセリフの応酬の後に村人Fはこう言った。
「そ、そうだ!! このドラゴンが、このドラゴンが村を襲ったんだ!! それで騒ぎになったんです!! 憲兵さん、俺たちは喧嘩なんてしていない!!」
「え?」
けやきは村人F役、川岸を見て思わず声を出してしまった。
同時に、聡明な彼女はこの劇のストーリーラインを理解する。
戦から落ち延びて村に滞在していた傭兵ドラゴンであるエルンは、怪我を手当てしてくれた一家の為に憎まれ役を買って出たのだ。自分とは何の関係も無い人間達の喧嘩騒ぎを揉み消し、憲兵の文字通りの矛先を自分に向けさせる事で、村の滅亡を阻止しようとしているのである。
エルンというドラゴンがそういう役で、これがフィクションの舞台だという事は、もう十歳を超えるけやきには当然理解できている。理解できているのだが、けやきはこのドラゴンについてこう思った。
(格好いい……)
けやきは、そこから先のストーリーなど碌に頭に入って来なかったが、舞台終了後に話しかけてきた少女に日本語で問いかけられた事により、漸く自分の世界から帰って来た。
「私、石崎楓。来年も来るから、また一緒に劇観よ! 約束ね?」
「樫屋、けやき……」
石崎少女は親に促されて歩いていく。体育館に敷かれた緑のマットに蹴躓きながらも、けやきに手を振っている。
一方のけやきは、母と兄に初恋を悟られない様にするので精一杯だった。
この日以降、向こう一年の間けやきと石崎が顔を合わせる事は無いのだが、とはいえこの会話が彼女らの付き合いの始まりなのであった。
けやきは、その日のうちから普段はしない種類の勉強を始めた。
同居する母と兄と父にばれない様にこっそりと市立図書館に赴いては、ドラゴンについての本を貪るように読み漁った。
図書館の帰りに、言い訳できないレベルの遠回りをして大虎高校に面する道を通って帰ったりもした。
あのドラゴンは、いつもこの学校に居るんだろうか?
もしそうなら、通りがかった自分にたまたまあのドラゴンが気づかないだろうか?
あのドラゴンは、次の年の舞台にも出演するだろうか?
来年大虎祭に来たら、この学校の生徒から少しでも彼の事を教えて貰えるだろうか?
(でも、絶対に絶対に嫌われる様な事はしてはいけないんだ)
けやきはそう思った。
彼を見る為にこっそりと敷地の外から学校を覗き込んだりしてはいけない。
舞台で”共演”した事にかこつけて、彼に何かプレゼントを渡そうとしてはいけない。
彼が迷惑だと思ったり、不快に思ったりするかもしれない事を絶対にしてはいけない。
――紙一重で――ストーカーのそれとは違うその感情と、けやきは長らく戦い続けた。
たぶん、当時の彼女の年齢ならば、普通に”あの劇に出ていたドラゴンに会わせてください!”と関係者に言えば話は済んでいた。当時の竜術部の面々が微笑ましく部に小学生の女の子を招待し、しどろもどろになる彼女を見てニヤニヤした事だろう。
もしかしたらけやきはそれを機に竜術部と関わりを持つ様になり、いち早く龍球に触れる事にもなったかもしれない。そして彼女は時間をかけて父を説得する事ができ、今日の様な確執に発展する未来さえ防げたかもしれない。
だが実際は、恋愛感情の制御方法など一ミリも存ぜぬ当時のけやき少女にとって、その様な発想に行き着く可能性は皆無であった。
そしてその事実は、彼女を丸二年もの間苦しませた。
ただでさえ長い二年という月日。まして、子供にとっての丸二年間である。
性格が多少大人びているとはいえ、当時のけやきはれっきとした小学四年生だ。名前も知らないドラゴンへのやり場の無い感情は、二年の年月の中で衰える事も無く、けやきはただただその気持ちを自分の中で只管に反芻するしか無かった。
毎年、大虎祭の日のスケジュールは無理矢理にでも開けておいた。
あの年の大虎祭訪問には、”知り合いの高校三年生のお姉さんが母と兄と自分を招待した”という大義名分があった。
だが、翌年からはわざわざけやきの実家から離れた所にある大虎高校に訪れる理由など、無い。
大虎祭をやっている。それだけの理由で母と兄を誘うのには、少し無理がある距離だったのだ。
名の知れたロックバンドでさえ堂々と学園祭ライブをするなか、けやきはやむなく毎年に亘りお忍びで大虎高校へと赴いた。
率直に表現するなら、年に一回のペースで、通った。
ガイに一目惚れした翌年の大虎祭では、ガイとの再会は成らなかった。
竜術部が噛んでいる出し物や展示が無かったのだ。
仕方なしにと体育館でのプログラムを観覧した時、石崎とだけ再開出来た。「え、一人で来たの?」と石崎に問われたのをきっかけに、彼女の連れのグループに参加する形で模擬店を回った。
けやきはその時間が内心退屈だったが、お喋りに興味が薄く友人が少ない彼女にとって、 少なくとも誘われた事自体はとても嬉しかった。
そして、その翌年のけやきが小学六年生を迎えた年の大虎祭。
彼女の恋物語は、丸二年を経て漸く動き出す。




