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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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慙悔と期待と(6)

 ”どうしよう”と心の中で二回繰り返すのが陽にはやっとだった。

 そして、その”どうしよう”二回が終わるのと全く同時に、少年は目を開き、静かに言った。

「大丈夫、大丈夫……。ああもう、びっくりした……」

 むくりと起き上がり、陽を見る良明。

 良明の視界に捉えられた陽の顔は冷静さを欠いていて、今にも泣きだしそうな表情をしていた。


「ナイスナイス……気にするなよ? 俺だって多分ああしてた」

 あっけらかんと先手を打って喋り出す良明。

 あっけにとられて何も言えないでいる陽。

 だが、陽はその時内心では自問した。殆ど何も考えられなくなっている状態の頭ではあるが、自問せずにはいられなかった。

 良明があんな無茶をしていた場合、果たして自分は彼と地面の間に滑り込んで守ってやれていただろうか?


 辛うじて「アキ」という二文字を口にしようとした陽は、良明の震える手が虚空を指示(さししめ)した事でそれを遮られる。

「ごめん、見てなかった。それで結局、点は入ったのか?」

 陽ははっとしてボールの所在を確認する。

 相手コート側、無い。

 コートのセンターライン付近、無い。

 英田チーム側の、ゴールリングの麓。


 あった。


 リングに弾かれて跳ね返ったにしては、余りにもゴールリングに近い位置にボールは転がっていた。

 それでも陽は、一縷の望みをかけてこの試合の審判である石崎を見た。

 視線に対して答える様に、石崎は教えてやる。

「三年生チーム、一点獲得」

 陽の脳裏に、英田チームが積み上げてきたここまでの五分前後が瓦解する音が響いた。


 レインとショウが兄妹の所に戻ってくる。

 陽は、状況を確認した上で良明に改めて問う。

「ごめんアキ、ほんと大丈夫?」

「お前の方こそ結局怪我とか無かった? 俺、あれだけ身体張ってお前が骨折れてたとかだったらさすがに凹むよ?」

 この時、陽は兄の言葉の違和感に気づかなければならなかった。

 自分の事を”お前”と呼んだ事。どこか饒舌で、何かを隠す様な口調である事。少なくとも普段の陽ならば、双子の兄の異変に一瞬で気づいていた筈である。


「う、うん、大丈夫。でも……」

 旧校舎1の壁面に設置されている時計に目をやる陽。

 前半は、残り七分弱に差し掛かっていた。

 二人が試合の事に意識を戻そうとしていた時、良明はその者の顔を視界に捉えて背筋を凍りつかせた。

「英田」

 けやきの声は、深海の様に黒く沈んでいて、冷たかった。


「は、はい」

「は、はい」

 兄妹二人同時に返事されて、けやきは改めて言い直す。

「英田良明」

「はい」

「大丈夫なのか?」

 良明にはそれが責める様な口調に聞こえ、思わず一瞬言葉を詰まらせた。

「あ、ああ、はい。何とか」


 けやきは、心配しているのか威嚇しているのか解らない様な真剣な表情で、しばしの間良明を見た。

 そして、漸くふぅとため息一つ、こう言った。

「わかった」

 それは、真剣に心配しているのが痛いくらいに伝わってくる口調だった。

 重々しい声で”わかった”と言ったけやきは、小走りにセンターラインの方へと戻っていく。


「一旦落ち着こう。昨日の作戦会議を思い出して、この状況でやれる事をやるしかない」

 試合再開前、良明は嫌な汗を額に滲ませながら皆の前でそう言った。

 昨日の作戦会議の時点で解っていた事だが、守りに徹するという事は、それだけ攻めの時間を捨てるという事である。それはつまり、自コートのゴールリングを守り切れずに一点を取られた場合、その時点で残された時間で相手から一点をもぎ取らなければならなくなるという事実を包含している。


 新入生チームは、そのリスクを承知の上で守りに徹するという方針を打ち出したのだが、いざ試合が始まった時に誤算が生じた。

 実のところ、最初のジャンプボールで良明がボールを奪われるという所までは、想定内の流れだったのだ。その後、ジャンプボールを奪った相手チームの選手を一年生チーム全員で包囲する予定だったのだが、直家の速攻は予想以上の速さにより繰り出され、陽とショウだけで相手するしかなくなった。

 さらに、その直後に実現した陽によるまさかのボール奪取。

 全員がかりで相手の手からボールを弾くのが精一杯という目算だったのだが、あの時、陽がボールを奪ってしまったが為に予定が完全に狂ったのだ。


 最初の千載一遇のチャンスが無ければ、作戦は実行されていたはずだった。

 繰り返すが、新入生チームの大まかな方針は、守りに徹するという方向で取り決めてあった。故に、立てた作戦の多くもそれに乗っ取った物であり、プランBなど片手で数える程も用意してなどいないのである。


 幸いにして、再開は点を取られたチームがボールを持った状態で始まるのがルールだ。

 一年生チームの誰もが実際に三年生チームと戦って改めて実感した事だが、あの三年生チームからまぐれ抜きでボールを奪う事は、現状の実力ではほぼ不可能だった。

 それ故に、陽はこの再開前の話し合いでこう提案した。

「再開してからの最初の攻撃に、何もかもを賭けよう」

 続いて陽の口から述べられた具体的な方策に、

「賛成」

「グァ」

「グィっ」

 チームの全員が同意した。


 陽が「お待たせしました」とけやき達に言った後、コートの中央付近に陣取ったのはボールを持つショウ一頭のみだった。理由は明白。確実に仲間の所にパスを届かせられる選手は、新入生チームの中では彼女をおいて他に居ないからだ。

 他の新入生チーム三名は、ばらばらにコート上に散った。陽は自コートゴールリング前、良明はセンターライン付近右手、そしてレインが相手コートゴールリング前やや左。


 ショウから放たれるパスが、それら三名のうちの誰に渡るのか。考える暇を奪うように、ショウは地上を蹴った。

 試合再開。ショウはそのまま羽ばたき、上昇してく。

「なるほど、遥か上空に昇ってパスの軌跡を解り難くしようという腹か」

 直家が言うと、けやきは応える。

「だが妙だ。少なくともショウならば、私達がその程度の事で誰にパスが渡るかを見損ねる事が無い事を知っている筈」


 ショウは、地上十メートル程の高さまで羽ばたいた所で、眼下を見た。

 陽、良明、レインの全員が、相手チームのゴールリング付近、禁止エリアギリギリの所まで接近していた。

 勿論、これで一年生チームのコートは全くの無人状態である。

 けやき、直家、ガイ、リンは遥か高高度まで羽ばたいたショウの一挙手一投足を見逃さない様、鷹の様な眼で遥か上空の彼女を凝視していた。新入生チームが視界の脇で走っている気配はしたが、まさかこの様な極端な配置に展開しているとは思っても――


 けやきが異常に気付き、前方の新入生チームのコートに目をやる。

(気づかれた!)

 ショウはけやきの視線が自分に戻るよりも早く、急降下を開始した。未だゴールリング周辺の誰に対してもパスを出す様子は無い。

(さぁ、誰にパスを出す?)

(見極めろ、この程度の降下速度ならば誰に投げた所でカット出来る筈だ。誰に投げる?)

 直家とけやき。三年生二人の思考が、降下を続けるショウの姿から疑問の答を導き出そうと試みる。


 地上まであと八メートル。

 けやきは、気配だけで背後の新入生チームの配置に目星をつける。

(左後ろにレイン、右に良明、そして陽)

 彼女の予想は正確で、一人の漏れも無く現状を把握できていた。

 ショウは、地上まであと六メートル。


(おかしい)

 直家が眉根をひそめた。

「樫屋」

「ああ」

(このままゴールリング周辺に降下し、自らシュートを放つ気だ)

 三年生の思考が共有される。


 そして、直家はさらに相手チームの作戦全容を考察し始めた。

(わざわざ自チームのコートをノーガードの状態にしたのはそちらに気を引き付ける為だ。俺達との実力差や、そもそも発想からしてとてつもなくハイリスクだが、だからこそ俺達に対してすらも説得力を与えられる。ここで、俺達がこの背後の三名をマークしたら相手チームの思う壺。それだけショウへの警戒が疎かになるという事だ)


 ショウが地上まで五メートルの地点に差し掛かる。ゴールリングとほぼ同じ高さである。

(一瞬を見逃すな、シュートを確実に阻止しろ)

 直家はショウとゴールリングの間に割って入ろうと手綱を引き上げ、指示に応じたリンが羽ばたきを始める。

 ショウはその両手に持ったボールを今、構えなおす。


(なんだ?)

 三年生チーム四名のうち、けやきだけがシュートを放つと目されるショウの違和感に気づいた。

 ボールを投げようと腕を動かすショウの刺す様に鋭い視線は、その時ゴールリングを捉えてはいなかった。


(ゴールリングにシュートを放つ際に、その先を見据えるという基本中の基本を怠った? 馬鹿な、ありえない。去年まで三年生の先輩方と共に数多くの戦いを潜り抜けて来たあのショウが、そんな事を怠る筈がない)

 ショウの空の様に青い眼は、地上に向けられていた。


「違う、直家! あれはパスだ!!」

 瞬間、”全く、ホントにこの部長にはかなわないな”と、人語を形成したわけではない思考がショウの脳裏に広がった。土壇場ギリギリのタイミングとはいえ、まさか作戦を見破られるなどとは思ってもみなかった。


 ショウは、この後三人の中の誰かにパスを放ったとして、その後その誰かが放ったシュートを阻止されるのではないかと危惧していた。彼等が禁止エリアに侵入してでも防御に専念すれば、この状況にあっても尚、一年生チームのシュートを阻むことは可能の筈だからである。

 最終的に、その後のフリースローで如何に正確に一点を入れられるか。それこそが一連の作戦のキモだと思っていた。


 恐らくは自分の目線がヒントになってしまったのだろうが、まさかそれだけで周りに警告を出す程の確信を持たれてしまうとは、さすがにショウは考えなかった。

 さて、どうしたものだろう。

 ショウは、三回羽ばたく間に思考した。

(パスを出すと見せかけて、やっぱり私がシュートを打つ?)

 ダメだ。ショウの眼前にはバッチリ直家とリンが滞空している。

(じゃあやっぱりパスを出す、か。誰に?)

 陽。

(ダメ、ああ見えてさっきの良明の件をまだ引きずってる。まして数分前にパスカットされた記憶が残ってるはず。今彼女に試合の命運を任せるのは酷でしかない)

 良明。

(ボールを寄越せと私に視線を向けている。けど、実力はどう? 最初の頃の練習の時、陽よりもへろへろのボールを投げてた)

 レイン。

(あの子は練習の時、けやきの目の前で一発でフリースローを決めてみせた。あの子は、けやきも認める紛れもない素質を持ってる子であり、このミニ試合の一番の中心人物!)


 ショウは三回目の羽ばたきと同時に、針の様に鋭いパスを放った。

 対するけやきはショウのモーションが終わるよりも早いタイミングで、レインの気配がする方へとガイの手綱を引いた。


 ショウが放ったパスは、良明の胸めがけて中空を突き進んでいた。

(っ、読み切れなかったッ!)

 表情には出さないが、けやきの内心に幾分かの動揺が走る。そしてその動揺に連鎖する様に、半ば反射的に数日前の出来事を回想した。


(あの、フリースローの練習の時、レインが一発でシュートを決めるのを、ショウも私も目の当たりにしていた)

 だから、けやきはレインにパスが出されると思った。

 だからこそ、ショウはレインにパスを出さなかった。

 けやきはこの局面において、あの日、あの瞬間の事をフラッシュバックさせる筈だ。と、ショウの中の本能がボールを放つ瞬間、彼女自身に訴えかけたのだ。


(実力で言えば最善の一手ではない彼に、この勝負の命運を託す!! 妹にかっこいいトコ見せなさい、良明!)

 良明は、その胸に一直線に向かってくるパスを、しっかとつかみ取った。

 一連の混乱の所為で、三年生チームの反応は確実に一秒弱ほど遅れた。禁止エリアに侵入して良明のシュートを阻止しようにも、タイミング的に間に合うかどうかは微妙である。いっそフリースローを与えない為に禁止エリアに侵入せず、良明がシュートを外す可能性にかけるべきかもしれない。

 だが、けやきは、ガイは、直家は、リンは、そうはしなかった。

 新入生チームの見事なまでの粘り。この圧倒的な実力差にも拘らず、勝負を拒絶せずに戦い抜こうとしているその姿勢を真向から受け止めてやりたいと、その時チームの誰もが思ったのだ。


 良明は今、シュートを放とうと姿勢を屈めた。

 この戦いが行きつく先は、勝利による”レインが安息を手に入れる未来”なのか。

 それとも、敗北による”レインの壮絶な闘いの始まり”なのか。

 英田良明には、解らなかった。

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