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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
24/229

慙悔と期待と(5)

 龍球のルール上、コートの外に出たボールは直前にボールを触れたチームではない相手チームの物となる。また、相手チームに属する人間若しくはドラゴンがボールを手にコートへと戻るのだが、その際、ボールを手にする者は相手チームの誰であっても構わない。


 陽がボールを手にした良明に叫ぶ。

「待って! ショウさんに」

 そこまで聞いて陽の言いたい事を理解した良明は、ボールをショウへと受け渡してコートへと戻った。そのままレインに跨り、ショウを注視する。

 最も頼るべき仲間にこの局面でボールを委ねる事は、至極正しい判断だと良明も思った。


 ショウならば、この状況でどうすれば良いかを示してくれる。言葉をかわせずとも、ショウの意図を汲み取り、採用する事こそが重要だと兄妹とレインは思った。

 選手全員の視線がショウに、ボールに突き刺さる。


 数秒の思案の後、ショウは両手に持ったボールを地面に置いた。そして、

「!!」

 自チームのコートのゴールリング付近に向かって、思いっきり蹴飛ばした。

 陽は、絶望した。

 それは決してショウに対する失望では無かったが、その所作が余りにも迷いの無い動きであった事も相まって、彼女の中の灯台の灯は、今完全に見えなくなった。


 ショウの行動が意味する所は、つまるところ、敵チームの誰かが居る場所から少しでも遠くへとボールを引き離せという指示である。

 すなわち、

(まともにやっても絶対に勝てない―――ッ!)

 陽、良明、レインの三名は、龍球の先輩であるショウにそう断言されたのだと悟った。


 一点取ったら勝ち?

 一点も取られないだけで勝ち?

 そんなルールに希望を見出せる様な力の差ではないんだと、行動で以て怒鳴られた様な気さえした。

 それでも、それは兎に角まごう事なき経験者のコトバであり、今最もやるべきは常に考え、相手からボールを引き離す事なのだと瞬時に受け入れる。


 一年生チームゴールリング付近に向かっててんてんとバウンドしていくボールを陽が自分の脚で追いかける。

 そしてその後を追いすがる直家とリン。さらに後方から陽達のコートに向かってくるやきとガイ。二組のユニットを見て良明はとっさにレインに指示をした。

「時間稼ぎで良い、食い止めよう!」

 レインは「グァ」と小さく鳴いて、再び背から降りる良明に視線は向けずに羽ばたいた。


 人間がドラゴンの背から降りれば、当然機動力は落ちる。ドラゴンの方も背から人間が居なくなることで、相手の所持するボールに対する間合いが格段に短くなる。

 それでも尚、二手に分かれるべき状況もあるのだろう、とこの時良明は学んだ。

 少年は、直家の方へと全力で走り出す。


 一方の陽は、その時丁度ゴールリング付近のボールへと到達したところだった。ボールを拾い上げると、即座にコートの状況を把握しようと視線を振り回す。

 向かって右に良明と直家達。向かって左にレインとけやき達。

 陽の相棒であるショウは――

「え?」

 先ほどの地点から、一歩として動いていなかった。


 陽は思考を巡らせる。

(どういう事? こっちのコートでパスを回して時間を稼ぐつもりなら、ショウさんも戻ってきてないとおかしくない?)

 先程のショウの行動から読み取った、”ボールを相手から遠ざけるべき”つまり、時間稼ぎをするべきだという意思からは、真正面から矛盾する立ち位置ではなかろうかと陽は思うのだ。


 目の前に広がる光景に、陽ははっとする。

(違うの? ……ショウさんは、時間稼ぎで逃げ切るつもりじゃあないっていう事?)

 陽が自分に問いかける間にも、けやきと直家を繋ぐ線分が迫ってくる。

(そう、先輩達が向かってきているっていうことは、相手チームの攻撃の最前線がこっちに迫ってるっていう事。これを止められなきゃ、どんどん攻めこまれる!)

 つまり、

(でもそれって、相手チームのゴールリング付近が手薄になるって事――だよね?)

 ショウの表情が、ほんの微妙に何かを促している様な色に染まった。様に、陽には見えた。


 陽はそれ以上考えるのをやめた。もはや、そんな時間的猶予は残されていなかった。

 パスカットされるリスクも恐れず、あらん限りの力を込め、スポーツテストのボール投げのフォームを頭に思い描きながら。

 陽は、ボールを敵コートめがけて思い切り投げ飛ばした。


 ふわっ。

 軌道から察するに、ボールの着地点は何とかショウの足元手前三メートルの場所に届くかどうかというところだった。その、まるで足りていない勢いは、中空を舞うシャボン玉を連想させられそうな優柔不断な動きと変わり、ボールは意とも容易く風にあおられた。


 至極当然のパスカット。ボールを得たけやきの前方ではレインが羽を広げてなんとか相手の視界を塞ごうとしている。

 一部始終を見ていた良明は咄嗟に直家のマークを解き、けやき、ガイ、レインが居る地点へと駆け出した。

(何としてでもボールを奪い返す!)

 今この瞬間それができなければ、この自チームが散り散りになった状態では英田チーム側のコートのゴールリングを守り抜く事など、至極不可能である。直感的に英田チームの全員がその事を悟るが、ショウ以外の三名は半ば”やばい”という頭の中に浮かんだ三文字に脊髄反射の如く突き動かされているだけだった。けやきがどういうライン取りで攻めて来るだとか、英田チームのコートに各自が集合するまでに何秒かかるだとか、そういう計算は微塵も無い。


 そんなパニック状態の三名が、けやきからがら空きになった直家とリンにパスが行くかもしれない、などという事を考える余裕がある筈も無かった。けやきの手から直家へと放たれたパスは、陽が良明に放ったそれと見比べるべくもない程に、可笑しくなる程のコントラストを放っていた。

 パスの終着点に居る存在を叩き壊す様な速球は、的確に受け取る側の手元を捉えている。


 一瞬の躊躇いも、思考すらも感じられない、機械のように精密で素早い判断。それを目の当たりにして尚、目の前に迫る危機に陽は気づくのだった。今、ゴールリングと相手チームの間に居るのは、自分一名だけであると。


 点を入れられればその時点で勝利条件の一つが消滅する。

 自分のチームが点を入れるよりはまだしも可能性がある方の勝利条件が、である。それも、前半すら終わっていないこの時に。

 重力か、或いは時間が倍化した様な重圧が陽の精神に襲いかかってくる。

 今、良明、レイン、ショウ、そして自分の勝敗は、自分自身の双肩にかかっている。本気で戦う皆が目指す勝利という目標が、レインの入部という目的が、自分の行動次第で遠のく。


(落ち着け、私。落ち着こう、私)

 陽は心の中でだけ、刹那で深呼吸を済ませる。

(相手がどんなとんでもない選手でも、物理的に手の届く場所にあるボールに私が手を伸ばせば、そのボールに私の手は届くんだよ。私のスキルがどうとかそういう問題は一旦置いとこう。手を伸ばしてボールを思いっきり叩けば、ボールに衝撃が加わる。それで、相手の選手の手からボールがこぼれて、相手チームの攻撃も止められる)

 スキルは別として、物理的には何とか出来る。陽は、無茶で投げやりにも程がある論理で心を無理やり奮い立たせた。


 直家とリンは、尚もゴールリングへと距離を縮める。どうやら遠距離からシュートする気は無い様だった。

 当然である。相手は高々龍球素人の新一年生。防御を抜いて確実にシュートを入れられる距離まで接近し、その上で一点を入れてしまうという判断はその場の誰の目にも極めて理に適った選択だった。


 陽は断定する。

(少なくとも、直家先輩に立ち向かって行くっていう判断は、間違いじゃあない)

 相手はドラゴンに乗った三年生。対して陽は二本の足で地面を踏みしめる運動のド素人。

 仮にリンに飛ばれれば、その時点で手の打ち様がなくなる。

 ならば陽が取るべき行動はどのみち一つだった。


 姿勢を安定させ、リンがいよいよ羽ばたき始めようとしたその時、直家は視界の下側に人影を認めた。見れば、相手チームの妹の方が自分の手元のボールを睨み付ける様にして向かってきている。

(飛翔が間に合わない。地上でかわすしかない)

 直家は一瞬の判断の後にボールを持った両手を自分の頭上へと振り上げ、陽から遠ざけた。

 こうして、陽の最後の悪あがきは――


「なにっ?!」

 陽は、全身をバネの様に固まらせ、そして地を蹴った。

 着地の事などまるで考えていない。棒高跳び用の分厚いマットが、跳んだ先の地表に用意されているかのような無謀な姿勢で、力まかせに跳びかかる。直家の頭上に固定されているボールにその右手を届かせる事だけを考えて、全身を千切れそうな程に引き伸ばした。

 リンの足先から地上までの距離で言えば、まだ一メートルも飛翔はしていない。陽が助走をつけた事を考えれば、決して無理な高さの跳躍では無かった。


 直家はその陽の無謀なジャンプを、最序盤の攻防に続いてまたも想定出来ていなかった。だがそれでいて、これら一連の流れに於いて直家が油断していたかといえば、そうでもない。龍球において高々人間一人が龍に挑む場合、こんな無茶なやり方でボールを奪いに来る事などそうある事ではないのだ。直家とリンがやるべきだった事は、普通に考えれば飛翔して陽に手出し出来ない状況を作り出す事で間違いなかったし、彼等がそれをこの瞬間怠っていたわけではない。

 直家がけやきのパスを受け取ってリンが羽ばたく態勢に入るまでの僅かな時間で、陽は決断し、直家に立ち向かったのである。


 瞬間、陽の瞳に輝きが宿る。

 ついに、陽の手はボールへと届いた。

「やっ――」

 届きはしたが、その手が二度直家のボールを奪う事は無かった。

 直家は彼の手の中で数センチずらされた白球を構え直す事はせず、そのまま一年生チームのゴールリングめがけてシュートを放った。


 陽は歯を食いしばりながら、視界の端に遠のいていくボールを睨みつける。

 そんな彼女の視界を流れていく風景が、やたらとゆっくりと回転している。

(あ、このカンジ……)

 いつだったろう、自転車で坂道を下っていた時に、ブレーキのタイミングを誤って丁字路で派手にこけた時の感覚とよく似ている。そう思った。


 たぶん、怪我をする。

 少なくとも、身体のどこかを物凄く強く地面にぶつけるはずだと、陽は思った。

(あーやだなぁ、でもこうするしかなかったもんなぁ……)

 二、三秒はあった様に思われたコンマ五秒程の間、陽は妙に冷めた感覚で、自分の状況を他人事の様に俯瞰していた。

 移り変わる視点の中で、ゴールリングが視界に入るかどうかという時にいよいよ身体に強い衝撃を感じた。


 受け身など取ろうとも出来ずに左の肩から地面に落下していた筈である。

 陽は、自分の無謀な行動に覚悟などしていなかった。無我夢中でそれどころではなかったし、後先など考えていて、どうにかなる局面でもなかった。

 その彼女の判断は、間違いなく正しかったのである。

 ここが、命を掛けた戦いが繰り広げられている戦場ならば。


 陽は、実際に感じた痛みに対して妙な違和感を感じた。

 痛いには痛いのだが、硬い地面に小石交じりの砂が敷かれた中庭に激突したにしては、感触が妙に柔らかく思えた。

 例えるなら、地面に弾力のあるマットでも敷いてあった様な感触。たまに、茶の間でふざけて兄の腹を枕にする時とよく似た感触だ。


 陽が痛みの所為で起き上がる事を二秒程躊躇っていると、バイクのアイドリングの様に低い声が聞こえて来た。

 それは、痛みで動けない者が発する呻き声の様にも聞こえ、陽は反射的に飛び起きる。

 まさか、と思った。見たくないとも思った。思ったが、見るしかないので陽はそれへと眼を向ける。


 直ぐ傍らに、痛みに顔をしかめて腹を抑えながら蹲る兄の姿があった。さらにそのすぐ傍の地面には滑り込んだ様な跡。

 陽は、自分の肩に響き続ける痛みの重さから、良明の胴にかかったであろう加重を想像してぞっとした。


「英田ァ!!」

 それまでの人生で陽が聞いた事も無い様なけやきの叫び声で、現実から逃避しかけていた彼女の思考は強制的に引き戻される。

 その瞬間陽は、空気が変わる音が聞こえた様な気がした。

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