慙悔と期待と(4)
(簡単に言ってくれたもんだよなぁ)
時間を経た今にして思えば、陽はそう思うのだ。
前半後半合わせて合計二十分の間に、一点でも取るか、一点すら取らせなければそれで英田兄妹の勝利。その勝利条件はやはり相当ハードな物であるという事が、昨日の兄妹とドラゴン達による作戦会議で浮き彫りになった。
確かに、陽達が一点さえ取ればそれまでにけやき達から何点取られていても勝ちである。
そして、けやき達の得点さえなければ、陽達が一点も取れなかったとしても勝ちなのだ。
陽は、昨日日曜日の作戦会議の最初にこう思った。
(そんな事が樫屋先輩レベルの人相手に可能なんだったら、今の私達でも公式試合である程度戦えるって事にならない?)
が、彼女は自分の中で巻き起こったそんな問いに対して、即座に諭すように反論した。
(待って待って。……それは、攻める事を一切……いーーっっっさい考えないでゴールリングを守ってても良いのが前提じゃんか)
そう、実際の試合では相手に勝つ為には一点でも相手より多く得点しなければならない。最低一点は取らなければならないのである。それは即ち、攻めの為にゴールリング周辺の守りを薄くしなければならないタイミングが生じるという事である。
だが、今回のミニ試合に関していうならばそうではないのだ。英田兄妹は、一点も取らなくて良い。相手チームの四名のみが、その一得点を必要としているのだ。
恐らく、けやき達の様なレベルの化け物にかかれば、自分達の様なへなちょこ素人からゴールリングを守り切る事なんて造作もないのだろうと、陽と、良明と、レインは思った。
何故って、相手チームから一点を奪うという事は、極めて繁雑な手順を要求されるからだ。
ボールを奪取し、相手チームのディフェンスをかいくぐり、ボールがゴールリングに届くところまで進入し、確実にリングを捉えてシュートを放つ。
実に繁雑である。
おまけに、シュートを外せばリバウンドを取られ、カウンターで自分達のコートに攻め込まれるリスクさえある。
かくして、日曜日のうちの半日を費やし、レインはもとよりショウまで巻き込んで英田家にて繰り広げられた”英田チーム作戦会議”にて、戦い方の方針は容易に決まったのだった。
回想の世界から帰還し、陽は辺りを見回す。
横で同じ様にコートの広さを眼で確かめている兄。前方では、けやきとガイのユニット、直家とリンのユニットが、自分達と同じ様にジャージや竜具を身に纏って最終準備を終えたところの様だった。
「陽」
良明が、レインの背の上から話しかけてきた。
「樫屋先輩だって、ハナっから出来もしない課題を吹っかけてきたりはしないって。俺達この一週間、やれる事は全部やっただろ? 後は、合格を貰うだけだって」
陽は、珍しく兄らしい鼓舞の言葉を述べる良明に、微笑みで返す。
「うん。がんばる。がんばろう」
妹は、”言われなくても解ってるよ。がんばろう”――と、言おうとしたが止めておいた。良明だって、陽が自分の言葉の内容を承知でこの場に立っている事くらい、とうに察している筈である。それでも良明がそれを言葉にせずにいられなかったのは、彼自身が陽と同様の緊張と不安に苛まれているからに他ならないからであった。
人間、誰かを守ったりサポートする必要がある時には、普段よりも無茶を出来るものなのだ。だから陽は、あえて兄の言葉を受け入れてやる事にした。それにより、自分も頑張れる気もしたから。
荒い砂が敷き詰められている中庭には、既に黄昏のオレンジが満ちかけている。
両チームの間に一陣の冷たい風が吹き抜け、勝負の開始を急かした。
さて。
兄妹は、目の前の状況を直視しなければならない。
果たしてあの化け物達に対抗出来るのか?
移動の素早さ、ボールコントロールの正確さ、状況判断。どれを取っても一つとして英田兄妹が眼前のチームに勝てそうな要素は見当たらない。今の彼らにとってアドバンテージになり得るのは、昨日の作戦会議で練った戦略と戦術だけである。
「部活終了の時間まで一時間を切った。そろそろ始めないか?」
意外な者の口から出た言葉だった。
直家は一言を述べた後、双子の顔を見比べて、それから部長・けやきを見た。
彼は、ふと先日のけやきとの勝負を思い返す。
あの日、直家とけやきはお互いに勝った場合にはある事を実行するという条件で戦った。直家が勝った場合は、けやきが飛道部へ入部する。そしてけやきが勝った場合、任意の日に直家を竜術部の活動に付き合わせるという事で勝負したのだ。
一見、随分とアンフェアな賭けに見えるが、実はそうでもない。直家が求めた条件は、あくまで籍の所在であり、飛道部の活動に”いつ参加するか”は、けやきの自由とされていた。一方のけやきが求めた条件には、具体的なビジョンが窺い知れる。今日の様な練習試合につき合わせたり、最悪大会に助っ人で参加させる事も想定しての条件なのである。
「準備はいいか? お前達」
直家から促される様にけやきは後輩達に確認した。
「はい」
「いつでも」
兄妹達はすぐに頷いた。
ボールを手にしたけやきは、続いてコートの中央に歩み進んで来た石崎に目配せする。
「いーくよー」
ストップウォッチを持った石崎の素っ頓狂な声が、妙に静まり返った中庭に一際反響する。
石崎には、思いの外躊躇いという物が無かった。はたしてこいつに、この勝負の結果がレインの今後を左右するという認識はあるのだろうか?
四人と四頭は、副部長石崎が手にするボールに注目する。
「はじめっ」
石崎は、片手に持ったストップウォッチの”START”と刻印されたボタンを押し、それと同時に、遥か上空に溶けていく飛行機雲よりも真っ直ぐに、その手の中にあった白色の龍球用ボールを投げた。
陽がある事に気づいたのは、勝負が始まったその瞬間の事だった。すなわちそれは、”待った”が言えなくなったまさにそのタイミング。
一見絶望的にも見える能力差。だが、何かを見落としていないだろうか?
言葉にはならないその問いが、石崎の”いーくよー”と同様に陽の脳裏に反響した。
コートを見回す。
ジャンプボールに挑む兄。
相手のコートでは、直家がジャンプボールを、今奪い取った。
その彼を支えるのは彼が乗るドラゴン・リンだ。
リン達の背後にはけやきとガイが身構える。
陽の手前には、良明を乗せつつも力及ばずだったレインの後姿。
ボールを手にした直家は、早速こちらのコートへと迫り始める。
何か、見落としていないだろうか?
緊張のあまり、とてつもなく重要な何かを見落としてはいないだろうか?
陽は、手元の感覚に気づく。
今、自分が握っているのは何か。
別称リードとも呼ばれる手綱。騎手とドラゴンを結びつける繋がりである。
その先に居るのは、
「グゥ!」
陽の跨っているドラゴンが、鳴いた。
自分のチームの中で最も龍球の経験が深く、あの化け物達の事をよく知る存在。名前を蒼と言うそのドラゴンは、ここ数日陽の練習に付き合い続けてくれていた。
目の色が青い事から性別が女性だという事は陽にも解ったが、それ以上の彼女に関する事は正直まだよく知らない。
だが、今はそれに関しては大した問題ではなかった。嵐の海の中、幽かに見えた灯台の灯の如き存在が、今自分のすぐそばに居る。陽は、その時不意の使命感に襲われたのである。
(今一番思い切って行動しないといけないのは、ショウさんに跨っている、この私なんだ!)
速攻をかける直家はとうに良明とレインによるディフェンス(の様な何か)を抜き、既に前方二メートルのところまで迫っていた。
「ショウさん、跳んで!!」
直家にとって、英田兄妹という戦力は未知数であった。
最近、自分が部長を務める飛道部に体験入部で来ている一年生は、この二人とは中学生時代からの知り合いだと言っていた。だが、彼らが普段龍球をやっているのかどうか、やっているとしてどの程度のキャリアなのかなどという情報は、全くのゼロだったのだ。
故に、直家はこの時、ある確信をしてしまった。
アキと呼ばれていた兄のジャンプボールでの動き、それを見つめる陽と呼ばれていた妹の動き。夫々を一目見て、直家は”こいつ達は素人だ”と確信してしまったのだ。
だからこそ、直家の眼には速攻をかけて尚微動だにしない陽は、自分とリンの動きに反応できずに佇んでいるだけにしか見えなかった。
その陽が、突如としてショウに出した”跳んで”の指示は、彼とその相棒にとって全くの不意打ちに近かった。一瞬にして自分よりも高い位置に躍り出た陽とショウに気を取られ、手元にあるものを狙われているという認識が、直哉の中からほんの刹那だが確実に消失した。
タン、と着地の音と振動が辺りに響き渡る。
陽の喉から変な音が口へと流れてくる。
その瞬間において、直家からボールを奪った陽本人が、一番驚いた顔をしていた。
千載一遇。二度は無いチャンスだ。と、陽は瞬時に確信した。
「お兄ちゃん!」
コートの中で二番目に驚いた顔をしている兄をそう呼ぶのは、どれ位ぶりだろう?
コートの中で一番驚いた顔をしている妹にそう呼ばれたのは、どれ位ぶりだろう?
同時に巻き起こった二人の疑問が視線に込められて交差する。
瞬間、二人は同時にニタリと笑った。
陽の手からボールが転がされる。
陽の前方上空にはけやきとガイが構えている。良明はその背後だ。恐らく普通に投げてもパスカットされるだろう事は、経験が浅い様にも容易に想像がついたのだ。
後にけやきはこれを、”良い判断だった”と言って陽を褒めた。
良明は、高さ二メートル程の位置に在るレインから飛び降りると同時に叫んだ。
「レイン飛べ! ゴールリングまで!!」
着地。良明の足元に、陽の投げたボールが丁度到達したところだった。
良明は半ば転倒しかけながらも辛うじてそれをキャッチし、力いっぱいに上空に放り投げた。
「レイン! そのまま入れろぉ!!」
後に、良明がそれらの二言を叫んだ事を、けやきは”惜しい行動だった”と指摘した。
最初のレインへの指示の段階で、けやきは完全に良明の意図を掴んでしまっていた。その後いかに良明が急いでボールをレインに回したとしても、けやきとガイ程の熟練者が、レインと良明の間に割って入ってパスカットする事など造作も無かったのである。
この時もしけやきが転がされたボールの方を追っていたならば、或いは違った結果になったのかもしれない。
けやきは、投げ放たれたレインのシュートを左の拳で弾き、校舎の壁へと跳ね飛ばした。
「ぁあー……」
「うわぁああ!」
陽と良明の口々から余りにも大きな、半ば悲鳴に分類されそうな落胆の声が上がった。
その声は、例えるならカップヤキソバの湯切りに失敗した時のそれとそっくりだった、と後に本人達は振り返る。
千載一遇、これにて終了。




