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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
8.大虎高龍球部のカナタ
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何を求めて<上>(1)

 フジの脳裏に、幼い日々が次々とフラッシュバックしていく。

 一歩一歩が懐かしく、一瞬一瞬が恐怖に満ちていた。


 月明かりが、駆けて行くフジとドーム越しの風景を照らしている。

 朽ちた廃屋、茂る草木。どうやら、壁際の一帯ではコロニー内の住人は暮らしていないらしかった。

 幼いフジが風景に合成されるように、命を懸けて駆けて行く現在のフジの脳裏に焼き付けられる。


『早く行きなさい。この一帯は物理的に出入りが出来なくなってしまう』

 フジが家族と別れた、あの日の父の声が頭の奥から湧き上がる様な声で再生される。ただただ必死に走り続けるフジは、その幻聴を、待ちわびたこの日の実感として受け止めた。


『父さん達も! はやく!!』

 幼いフジは必死にそう訴えかける。

 彼の意識が生み出した幻は、走り続ける彼自身の視界の中央に固定されたまま、風景と共に取り残される事はなかった。

(そう、そうだった。俺はあの日、皆で逃げようって訴えた。でも――)


『駄目だ。デバイス適正が異常に高いと判定されたアヤネを放ってはおけない。フジ家の家長として、俺はこのシルトンの地に残る。そしてなによりマコト。お前は我が家から勘当されたんだ。それを自覚しろ』

 幻は父と幼いフジの姿だけでは無く、彼の家や、家族達をも紡いでいく。

(あれは、何かが起こった夜じゃなかった。何のことは無い、普段通りの日の夜、俺はああ言われて家を追い出されたんだ。でも、今にしてみれば解る。父さんは知ってたんだ。あれから間もなく、コロニーの強化が始まり、容易に出入りが出来なくなる事を)


 フジを家から送り出したその日、彼の父は初めて、コロニーに残る具体的な理由を明かした。

 姉であるアヤネがエルフであるから。

 それが、フジの父と母がコロニーに残る理由だった。

 当時シルトンと呼ばれていたこの一帯を出て、世界に安息を求める道だってあったのではないか。なにも、テロリスト共と行動を共にする事などない。フジはそう訴えた。

(でも、駄目だった。……外の世界を見た今なら理解は出来る。コロニーの外は罪の無いエルフまでもを弾圧する様な風潮があって、家族を安全な場所で生活させるには、むしろコロニーの中の方が安全だったんだ)


「でも、だからって!!」

 フジが見る幻は、彼が住んでいた家の風景を映し出す。

 フジが物心ついた時から(ぬし)の如く玄関先に下げられている年代物のランプ。

 いつも自家製のプラム酒を寝かせているキッチン。

 目に焼き付いたフロアタイルの模様。

 白を基調にしたごつごつとした壁。

 黒光りするダイニングテーブル。

 フカフカの青いシーツのベッド。

 庭のオレンジの木。

 年端も行かないフジが、一夜にして捨てさせられた安息の地(いえ)が、鮮明に彼の意識に蘇っていく。


(父さん達がどんな気持ちで俺を送り出したのかなんて、当時の俺でも解ってた。けど、寂しいものは寂しいんだ。納得いかないものは納得いかないんだ。俺は、力づくでもみんなをコロニーから助け出してみせる!)


 家が、見えた。灯りが灯った家屋である。

 見覚えがある物、フジが去った後に建てられた物。

 その区別が今のフジにはもはや曖昧だったが、それが当時シルトンと呼ばれていた一帯のどの辺りであるのかは見当がついた。

 立ち並ぶ家の間を縫う様に細い路地が通り、そこを抜けると下りの階段に差し掛かる。階段を下りきった所には公園。地形に従う様に階段の脇を通る溝は、その公園の一角を一応の終着地点としている。


 板の外壁が目につく家々を抜けた先には数件の商店。

 その内の一件は立て付けがかなり悪く、毎朝店の親父が開店準備に難儀していたが、彼は当時でも既に六、七十歳ほどだった筈である。

 なるべく足音を立てない様に実家へと急行するフジは、ちらりと思う。

(おじさん、元気にしてるかな?)


 フジの実家まで、あと二十メートルほど。

 月明かりは相変わらず容赦なく全てを照らし出し、闖入者の姿を皆に知らしめようとしてくる。

 それでも怯まず脚を動かすフジだったが、その一帯は彼が去った当時からは様変わりしていた。


 小高い丘になっていた一帯は完全に平地に均されており、石畳が敷かれていた。

 幾何学模様によりデザインされた地面が左右に数十メートル程伸びているそこは、住宅団地のど真ん中。特に何か賑わいを見せる様な物がある場所ではない。


 当時は草木が点々としていたその一帯の、坂道の一角。

 そこが、フジの実家だ。


 錆びが進んだランプ。

 その右に緑のドア、さらに横に出窓。

 間違いない。


(帰って……来た…………)


 少し、妙だった。


 興奮のあまりここまであまり意識していなかったが、フジには先程から気になる事があったのだ。

 遠くまで延び、暗がりへと溶け込んでいく石畳の道を眺める。

 街灯が、ついていなかった。

 それだけではない。どの家も、唯の一軒として家に灯りが灯っていなかったのである。


 風景は月明かりに照らし出され、ただただ妖艶な反射光で着飾るのみ。

 フジは腕に巻いたデジタル時計を見る。やはり、まだまだ深夜と呼ぶには浅すぎる時間帯である。


(――外の騒ぎを、感知されてる……?)

 考えてみれば当然である。

 あれだけの爆音と光を叩きつけて穴をこじ開けたのだ。コロニー内の者達が一連の騒ぎに気が付かないわけがなかった。

 警戒して皆家に籠り、灯りを消している可能性があった。


(だったら……)

 フジは、意を決して実家の玄関扉の前に直立する。

 右手を握りこぶしにして、速まる鼓動を無視してそれをあっさりと振り下ろした。


 こん……こん、こん。


 不細工な三回のノックを経て、フジは震える声で呼びかけた。

「マコトだよ。アヤ姉、父さん、母さん……帰った、よ……」


 冷徹な、静寂。

 返事は無かった。


「……俺だよ、マコトだよ!」

 再びの沈黙。否、人の気配という物が感じられなかった。


 フジは、周囲を見回す。

(罠……? 過激派に監視されているッ!?)

 人の視線は感じなかった。


 我が家の前に、腰を下ろす。

 それでも誰かがその場に現れて彼に声をかけるといった事は無く、いたずらに三分、さらにもう三分が過ぎた。

 フジは、薄々感づいていた事を時間の経過と共に確信へと変えていく。

(どこかに集まって、今後の事を話し合っている……)

 だとすれば随分と手際が良い様にも思えたが、これも当然と言えば当然である。


 長らく数十年に亘り籠城していたエルフ達の、いわば根城に、外界から攻撃が加えられたのである。これは彼等にとっても一大事であり、人間達との武力衝突も視野に入れるべき歴史的大事件なのだ。


(通信技術が無いこの世界では、他のコロニーとのやり取りは出来ない筈。上空にある二重のドームは物質の通貨を阻むから、鳥やドラゴン等での手紙のやり取りも不可能だ……つまり、彼等エルフは外の状況を一切知らない。”他の何れかのコロニーは外の人間達ととっくに戦い始めている”、だなんて結論にも……至りかねない)

 まさか、自分達のコロニーが最初の一つだとは思うまい。

 フジは、そこまで思考して意を決した。

 過激派の現状を見極め、戦いを食い止めなければならない。それはこの事態を招いた自分の責務なのだと、思った。

(大丈夫、フジ家の子だと解れば彼等もそうそう手出しはしない筈)


 フジは立ち上がり、延びる石畳の道へと歩き出した。その足取りに迷いは無い。

 迷う事があるとすれば、過激派達へのはったりの内容だ。

 無論、自分が穴をあけてコロニーの中へと入って来た、などと言えるはずは無い。

 ここは、エルフ達にとって人間に対する復讐をする為の拠点なのである。そこに攻撃を加えたとあれば、理由がどうあれただで済む筈が無い。

 フジは、自分が自律機械の森を抜けてこの場に至った経緯を捏造して納得させなければならなかった。

(しかも、いつ人間達に総攻撃をしかけるとも解らない血の気が多いエルフ達に……か)


 重いため息をつき、道の突き当たりを見上げた。

 幅三メートル程の石段。見覚えがあった。

(たしか、この上って……学校だったよね)


 フジは階段に足をかけながら、見上げる。

 階段の左右に民家。その庭の植え込みは彼がここを出て行った当時と変わらない。

 鼻の奥に吹き込んでくるような懐かしさとともに、階段の上の方に人の気配を感じる。

(……いる)

 最後の数段に差し掛かったところで、フジは足を止めて前方を注視した。


 コンクリート塀に囲まれた木造二階建て。

 木枠の窓にはめられたガラスを通過した光が、校庭を照らしていた。

 遠くその校舎の一階には人影も見て取れる。


 解りきっていた筈のその光景に、フジは息をのむ。

 数十年間閉ざされた各地に点在する”コロニー”と呼ばれるエリアの中で、エルフを見た外界人は、ここ十年恐らく自分以外に居ないだろう。

 まるで別の星に住む宇宙人を至上初めて目の当たりにした人類の様に、フジは己の体験を夢としか思えなかった。


 だから、だろう。

 フジは油断していた。


「誰?」


 女性の声が聞こえた。

 フジは、その問いかけの対象が自分であるのだと瞬間的に気づきながら、同時に絶望した。過激派に話をつけるつもりはあったが、これは最悪の出会い方である。


「えっと……俺は、その」

「君、どこの子?」

 月明かりに照らされた女性は、まだ若かった。

 フジとさほど年は変わらず、さらさらとした黒髪が夜の闇にマッチしてやたらと美しい。やや堀の深い目元から彼を見下ろす眼からは敵対の意思は感じられなかったが、かといって、フジを不信がっていないわけでもない。


「おかしい。私、大体把握してるはずなんだけどな……」

「……えっと、ごめんなさい! 俺、どうしてもあそこで話してる人達に会わないといけなくて」

「?」

「だ、だからこうやってこそこそと――」


「なに、言ってるの?」


 女性は、フジの前にしゃがみこんで彼の顔を覗き込んだ。

 フジはとっさに顔を下げる。彼らしくもないミスだった。それにより、女性は直の事フジを不審そうな眼で見つめだす。


「そもそも、どうしてこんなところに居るの? 君。緊急時には家族で揃って学校に来るようにって、あれ程徹底するように伝えておいたのに、ここ一番でそんな事も――」

 女性は、喋るのをやめた。


 フジの身体がびくりと跳ねる。

(外の人間だと、バレた……ッ?!)

 両耳の上の辺りに圧力を感じた。と、ほぼ同時に顔を強引に正面に向かされる。

 フジは恐怖と動揺のあまり抵抗できずに、なされるがままになる。


「……え、うそ」


 女性は、フジの顔を見てそう言った。

 恐る恐るその表情を観察しようと試みるフジ。考えられない事に、そこでやっと気がついた。


「……あ」


 女性は、涙を零してフジを抱きしめた。

 そしてフジは、確信をあえて問いかけのかたちで口に出したのである。

「アヤ、姉……?」


 幾ら夜中とはいえ、コロニーを出ていったのが姉の方で、今ここで見張りをしていたのがフジならば即座に気付いていただろう。

 フジは女性という生き物の年齢に対応した人相の変化に驚愕しつつ、姉の抱擁に身を預けた。

 尚、アヤネが目の前の少年をフジだと認識できなかった理由は言うまでも無い。

「あんた、なんでこんな所に居るの!? 居る筈がないのに! どうして!」


「……時間が無いんだ、はやく父さんと母さんを連れてここを出よう!」

「ここ? 学校が危ないの?」

「そうじゃないよ! コロニーから出るんだよ、四人で!!」


 アヤネは、周囲を見回して弟の手を引いてこう言った。

「こっち来て」

 よくよく見れば、運動場にはアヤネ以外にも他の見張りが点々と立っていた。このまま話し続ければ、どこかでフジの存在に気付かれるだろう。

 アヤネは階段の下までフジを引っ張ってくると、上からは死角になっている壁の陰に身を隠して彼に確認した。


「マコ。あなた、どうしたの? どうしてここに居るの?」

「……」

 フジの沈黙が、全てを物語っていた。

 息を吸い込みながらある程度の事までを悟ったリアクションをするアヤネに、フジは弁解しようとする。

「こうするしかなかったんだよ! 皆、過激派に巻き込まれたも同然じゃないか! こんなの――」

「マコ、解ってるでしょう? 父さんと母さんは、私がエルフだったから私を外の圧力に曝さない為に……」


「でもあの時家族みんなで抜け出そうとしていれば、皆あいつらに殺されてたじゃないか! コロニー内の過激派だって、十分危険だよ!!」

「マコ、聞いて」

「アヤ姉、時間が無いのは解ってるよね!? いいから今は俺と来て! 過激派に気付かれる前に!!」



「マコ、このコロニーの今のリーダーは、父さんなの」



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