慙悔と期待と(2)
ステージ1のボスは、やたらと硬かった。
銃弾一発につき、画面上に表示されている五十センチ程の体力ゲージが二、三ミリ減る程度にしかヒットポイントを削れない。
良明はそのボスを倒した後になって思ったのだが、実は辺りをうろうろと飛んでいた小型の敵が弱点で、あいつに攻撃すればいきなり最初のステージのボスに二クレジットも費やさなくて済んだのかもしれなかった。
痛手だったのは、最初の一クレジットが二百円設定になっていた事だ。加えて前作では一クレジットにつきライフが五つ与えられるのに対し、今作では一クレジットでライフ三つという鬼畜っぷりである。
そして恐らく、それらは店側で調節できる設定なのである。稼働直後の筐体なので、少しでも回転率と投入金額を上げていこうという思惑が容易に透けて見える。などと良明は思ったが、きっととてもとても高額なこの筐体を買った店だって、元を取れるかどうかひやひやしているのだろう、とも思った。
つまり、文句など言ってはダメなのである。むしろ前作を一クレジット百円――しかもライフ五つ設定!――で遊ばせてくれたその店に、感謝しなければならないのである。
ステージ1終了後のインターバル画面が進行する中、良明の残り予算の六百円が、筐体に備えられている百円玉入れにセットされた。
藤は、良明の隣で銃の形をしたコントローラを握りなおして言う。
「んじゃ予定通りステージ2から俺も参戦する」
良明と藤の見通しはこうである。
一度も遊んだ事の無いこのガンシューティングゲームに対し、いきなり二人がかりで合計四百円もの予算を投入するのは危険極まりない。何故ならば、恐らくは一人で遊んだ場合と二人で遊んだ場合とでは、ゲームバランスを取るために敵の配置数が違う筈だからだ。それは、前作がそうであった事からもまず間違い無いと思われた。
まして、ボスの攻撃などにより一撃で二人同時にダメージを食らった場合は目も当てられない。
二百円でライフ三つだった事から考えて、
200(円)÷3(ライフ)≒66(円/ライフ)
66(円/ライフ)×2(人)=132(円)
となり、すなわち一撃にして132円もの金額が失われる事態となるのである!
否、端数を足すと133円強である!!
そこで、ステージ1は良明が先行して様子を見、ゲーム終盤に襲い来るであろう強力なボスに備えて予算を温存しておいた方が懸命だろうと二人は判断したのである。
一度きりの大挑戦だと割り切って、予算を増やせばいいのに。
などと言うのは野暮というものである。小遣いの百円を惜しみ作戦を立てたり、残金あと少しというところでラスボスの攻撃をしのぎ切る。きっとそういうくだらない事の積み重ねが、エーミールも羨む少年の日の思い出になるのである。
*
牛丼は、並盛にしておいた。
予算を二人合計で九百円もオーバーした少年達の財布に、もはや余力は残っていなかったのである。
まして、結局最終ボスを倒しきれずに、攻略法すら見い出せないままゲームセンターを後にしたのは屈辱的としか言いようが無かった。精神的にもかなり痛い。
「こちら牛丼並盛でございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
店員が、二人の昼食を運んできた。
この店にも掲げられている大手牛丼チェーン店のマークは、大抵は屋外で見かける。このタイガーモール店の様に、屋内に店舗を構えている例は極めて稀だからだ。
されどもこの店の店内の様子は他の店舗と大差なく、出入り口を入って手前側にカウンター席、奥に二組分だけボックス席があるという他と変わらない席の配置をしていた。白を基調にした店内の壁や床が、蛍光灯の鈍い白に照らされているのも同じ。
強いて違いを挙げるなら、壁際に並ぶ窓から覗く風景が、他店なら道路であったり店の駐車場であったりするのに対し、この店舗ではショッピングモールの通路であるという点くらいだ。
客の入りは現在の時間帯が昼前という事もあり上々。安さが売りの一つのこの店は、良明達の様な中高生で賑わっていた。
「まっさかあのあとさらに第三形態が出てくるなんてなぁ……」
つゆの味を噛みしめる良明に対して藤が指摘する。
「いや、あの流れはもうひとボス来るとは思ってたさ。思ってたんだけど、その第三形態が強すぎた。何アレ硬すぎ」
「いやたぶんさ、あの弱点っぽい所を撃ってけば、あの攻撃、防ぐ事自体はできたんだろうけど、あんな小さいの当てらんねぇよっていう」
「だなぁ……もしかしたらもっと別の攻略法があったんじゃねーかなー」
汁の染み込んだ玉ねぎが、妙に美味く感じた。
「うん、よし」
何かを決めた藤に、良明は玉ねぎをもぐもぐしながら顔を上げる。
「今日のこれは奢ってやんよ」
「!?」
良明は、一瞬(特――大盛りにしとけばよかった!)と思ったが、意識的にその思考を脳内から追い出した。
「明後日、頑張んなよ」
良明は、思わず箸を止めた。
もしかして、自分達が月曜日にミニ試合をする事を知っていたのに今日の予定を外そうとしなかったのは、自分を元気づける為だったのだろうか?
良明はその思考を口にこそしないが、今日の藤の言葉一つ一つを思い返してみた。
おかしいとは心のどこかで思っていた。
良明は、あの計算高い参謀ことふっさんが月曜日にミニ試合があると知りながら、今日の日の予定を変更しない事にうっすらと違和感を感じていたのだ。
それはあくまで、”どうしてこっちの気も知らないで遊びに行く予定を強行したんだよ”という主張ではなく、藤の性格からして気を利かせて予定を延期しそうなのに、という純粋な違和感ないし疑問である。
だが、月曜日の事があるからこそ予定を変更しなかったのであれば、合点がいく。
「え、でもいいの? 並盛って言っても二人合わせて――」
良明は、戦友の財布を心配しながら今一度確認した。
「だってさぁ……」
藤は、(俺もつゆだくにしといた方がお得だったかな)と少し後悔しながら言う。
「結果的に、アキと英田さんに任せっきりじゃん、その、レインの事」
「それは俺達が勝手に――」
箸を軽く上下させて良明を制す藤。
「解ってる、うん解ってるよ。それでも気が収まらないんだよ。アキ達のレインに対する気持ちと同じで、自分がどうしたいのかってハナシ」
そして、藤は一際深刻な顔をして消え入る様な声で言う。
「まぁ、牛丼一杯で罪滅ぼし出来るとは思ってないけどさ……」
こいつは、こんなにも後ろめたさを感じていたのか。
良明は意外だった。
藤は、当初から一貫して深入りしてレインを助けようとはしていない。レインとは、そういう一期一会だと割り切っているからだろう。
だから、こんなにも罪の意識の様な物を感じているとは良明は思っていなかったのだ。
良明は、そんな藤に返す言葉を思案する。
そして、こう言った。
「今度はさ、陽も連れて来よう。それで、三人で小遣い出し合って今度こそクリアしよう」
藤は、それがくすぐったかったのか、或いは直後に良明に言った言葉通りの疑問が優先したからか、斜め上の受け答えをした。
「英田さん、やっぱり誘った方が良かったかな? 英田さんだってアキと同じ立場だし、誘った方がいいかなって思ったんだけど、女子の考える事解らなくてさ……”疲れ切って休んでんのに空気読んでよ”とか思われたら、俺立ち直れないし」
藤ってやっぱり面白いヤツだな、と良明は思った。
「あーいいよいいよそういうの気にしなくて。あいつ大体俺と考えてる事同じだからさ、多分誘っててもなにも思わなかったよ」
面白そうにけたけたと笑う良明に、藤は頭を抱える。
「あーやっぱそっかぁあーー!」
あ、しまった。といった表情の良明は「まあまあ、」と言ってフォローするが、勿論内心は変わらず(藤って面白いヤツだな)と思っているのである。
*
レインは驚愕のあまり、背中を逸らして跳ね上がった。
勢い余ってベッドの淵の木の部分に頭をぶつけそうになるが、すんでの所で回避する。掛け布団の中にダイブするレインを見て、傍らの女子高生は「ごめんごめん大丈夫?」と心配そうに声をかけた。
レインがそんなにも大きなリアクションで驚いた理由は、その女子高生が「にゃっしゅうぇいえい!!」などという豪快なくしゃみをしたのが原因だ。
そこは、陽の部屋だった。
特に壁紙なども無く、木目に覆われた四面の壁。
そのうち一面は叩くと薄っぺらい音がする。実際薄っぺらい板で仕切られた向こう側は兄・良明の部屋である。
木目の無骨さよりも可愛らしさを求めての事だろう、その壁に対して若干浮いた色をしている家具の数々は、どれも中間色だ。本棚のクリーム色、ベッドの薄ピンク、学習机の仄かなライトグリーン。床一面に敷かれたカーペットのベージュは、本棚のクリーム色と中途半端に被ってしまってどうにも収まりが悪い。
否、問題はどちらかというと本棚の方で、父がサプライズプレゼントでそれを買ってきた時に、陽の部屋の色調など全く考えなかったのが悪いのである。
陽の預かり知らない所で交わされた英田夫妻の会話の中で、由に「その色はちょっとナシだったんじゃない?」と言われた衛は、「色を言うならあの木目だらけの部屋にあんな色の家具を要求しまくってる陽も大概センス無いだろう」とのたまった。
これをもしも陽が聞いたら、壁を塗装する為の道具一式を買ってきて、良明を巻き込んで作業し始めかねない。なので、本人の前でこの話題に触れない事を夫婦間での暗黙の了解にしている英田夫妻なのである。
この部屋の入り口のドアには、”よ~の部屋”と、この家の誰もが知っている情報が記されているプレートが常時かけてある。これは陽が小学生の時に図工の授業で作った物なのだが、今この瞬間はその板は裏返され、”KEEP OUT”の文字が並んでいた。
そんな面白おかしい陽の部屋だが、今現在最も特筆すべき点は他にある。
部屋が、雑誌と漫画と参考書とプリント、あとそれから帽子やコートなどの衣類で溢れ返っているという事である。
部屋主である女子高生の名誉の為に捕捉しておくが、散らかっているわけではないのだ。
単純に物が多く、積み上げられた紙類が五束以上に及んでいたり、コートなどは掛ける場所が無いので仕方なくベッドの片隅に畳んで置くという措置がとられていたりするのである。
確かに、テレビ台に置いてあるカプセルトイのつみネコがばらっと倒れて散乱していたりはするが、それは一昨日手が当たって崩してしまっただけである。もちろん一昨日より前はちゃんと積まれていた。それがどれくらいの期間であったのかは尋ねないであげて欲しい。




