命運の向かう先へ(4)
ズシンと全身に響く威嚇してくるような振動を、軸足のつま先に集めて地面に逃がす。腹の奥を揺さぶる、さながら悪魔の雄たけびを聞いたような感覚は恐怖を増幅させ、もう間もなく眼前で繰り広げられるであろう光景を双子に想像させた。
月明かりに照らされた機械の壁、その上方五十メートルに二重に展開するオーロラの様な膜。そのどちらも、双子が放った魔法の存在を知る由も無い。
壁面に、良明と陽が放った魔法が着弾した。
轟音と共に火花が上がり、同時に辺りの地面を震わせる。
「どうだッ!?」
フジが着弾地点を凝視する。
煙も炎も無く、壁面は粛々と反響音を響かせていた。
月明かりに照らされた壁は、健在だった。
「っ、お二人の魔法でもダメなんですか!?」
トオルが焦りの籠った声をあげると、兄妹は声を合わせた。
「もう一度ォ!」
「もう一度ォ!」
タイミングを合わせる頷きさえせず、二人は同時に二発目を構えた。
フジは、内心ぞっとする。
(そりゃぁ、外敵の侵入を拒むための壁だろうけど、まさかこのレベルの魔法でも破壊できないなんて……完全に誤算だった。いや、そもそもコロニーの外壁に対する知識なんてこの世界のいち住人である俺が詳しくなれるはずはない。この結果は、必然だったっていう事なのか!?)
彼にそう思わせる程に、壁の傷は浅かった。
否、それは傷というよりも外壁を多少凹ませた程度の結果しか出せておらず、たとえ同じ攻撃をもう一度繰り返したとしても、さしたる成果を上げる事は難しい様に見て取れた。
双子は構わず、充填を続ける。
「みんな、木の陰に隠れてて!」
「加減しないで撃ってみます!」
英田兄妹以外の全員が木陰へと隠れる。
トオルは傍らのフジに囁いた。
「フジさん、先程の音で恐らく敵さんがこちらに向かってます。次でダメならこの場は一旦……」
「…………」
フジは返事をしない。することが出来ない。
(今を逃したら、’次’なんてあるのか……? 今回の一件でトラクは間違いなくこの辺り一帯の警備を固める事になる。かつ、俺達の捜索の手を強める筈だ。今回を逃したら、もう、尻尾を巻いてあの異世界に戻るしかないんじゃないのか……?)
それは、フジにとって長年にわたる計画の失敗を意味していた。
辺りに暴風が巻き起こる。木々はざわめき、草が暴れ、双子の掌には空気中の塵の摩擦により時折稲光がちらつき始めた。
雨を伴わない嵐の様な様相の眺めを、月だけが静かに優しく見つめている。
「陽、全部出し切るつもりで行くぞ、いいな!」
「わかってる! アキこそ手を抜かないでよ!」
ありったけのエーテルが掌に集まってくるのが感じられる。
それは例えるならばダンベルの様に重く、致死量の毒の様に怖ろしかった。腕の周りを風が舞い狂い、次第に感覚を麻痺させていく。
暴風により呼吸が儘ならず、苦しくなっていくのが解る。
だがそれでも二人は止めない。この一撃に、何もかもをかける。
絶叫とともに、兄妹は二発目を放った。
風と雷撃が混ざり合って壁面へと凄まじい速度で到達。衝撃と轟音を辺りにまき散らした。木陰に隠れていた者達は幹に掴まっていなければ危なく飛ばされてしまいそうになり、ついには魔法の一角にて発火が始まった。
良明と陽は継続して壁面に魔法をぶつけ続ける。複数のホースから出続ける水を一点に集中させていく様に、徐々にその精度を高めていく。
巻き起こった火はついには炎に変わり、辺り一帯を不安定なオレンジに染め上げた。
凄まじい音、風、光。
だがそれでも、それら壁から反射してくるフィードバックが壁面の健在を意味していた。
「っくそ!」
「まだッ!」
双子は攻撃を継続する。
が、着弾地点でちらちらと見え隠れする壁はそれでもおよそ穴が開くという事を期待できる様には見えなかった。
「……俺が、甘かったのか」
フジが俯き、それ以上の言葉を失う。
眼前で繰り広げられている英田兄妹による攻撃は、フジの想像の遥か上を行っていた。だがそれでも、壁は壊れない。突き付けられた現実に、フジは自分がこれまで行ってきた事の数々に絶望しそうになる。
と、その時だった。
「グゥウン」
彼の背後から、ドラゴンの呻き声が聞こえてくる。
ドラゴンは吹き荒れる暴風の中、一歩、また一歩と沼に脚を取られる様な歩き方で木陰から出ていく。
「レイ、ン……?」
『ものはためし』
吐き捨てる様にそれだけ言うと、レインは向かい風の中で両足を踏み込み、両手で身体を支えた。余りに強い強風の為、羽根を畳んで少しでも空気抵抗を減らしている。
炎に照らされ、目標に狙いを定める彼女はさながら砲台を思わせた。
良明と陽、二人の間に存在する二メートルの隙間のその奥で、レインは口を開けて生まれて初めて紡ぐ魔法に意識を集中させる。
「ドラゴンが、魔法を……?」
トオルが研究者然とした口調になってそう呟くと、フジは「そうか」と言った。
「レインだって向こうの世界で生まれて育った存在、デバイス無しで魔法が使えても不思議じゃあない!」
そして、トオルは気づく。
「あの、フジさん」
「はい?」
「……もしかして、ですけど…………」
彼は息を呑んだ。
レインは、自分の口元で次第に収束していく炎の球を不思議がる事もせず、ぎらりと金色の眼をオレンジに照らして目標を見定めた。
『アキ! 陽! きを付けてぇ!!』
良明と陽が漸く背後の気配に気づく。直後に自分達の集中具合に驚愕した。いままで、こんなにも強力な魔法の気配に気づかずに攻撃を続けていたのか、と。
レインは、眼前に巻き起こした炎を伴う暴風を、咆哮と共に放った。
塵の摩擦により巻き起こった電気がパンパンと音をたてて周囲を威嚇する。炎は明確な目標に対して一途に突き進んでいく。風は双子の魔法と己を融合させ、一つの大きな攻撃を形成し、ドリルの様に威力を一点に収束させた。
トオルは、言葉を続ける。
「もしかして、ですけど……これが、金眼のドラゴンに纏わる言い伝えの、正体なんじゃあ……ッ!」
言った直後、ついにトオルとフジが捕まっていた幹はみしみしと不穏な音をたて初め、それに掴まっていた彼等はそれと同時に吹き飛ばされて地面を転がっていった。ただ一頭。その場に残されたショウだけが、事の成り行きをしかとその眼に刻み付けようと眼を細めている。
良明と陽があまりの向かい風にその場に跪く。そうしなければ、背後の者達同様に成す術無くその身を吹き飛ばされそうだった。
双子も、レインも、攻撃の手を緩めない。
数キロ圏内に敵がいるなら、こちらの居所はこれで完全に把握されただろう。
言葉にするまでもなくそれが明らかな程の音と光が、辺りには満ち満ちていた。
そして、その瞬間はついに来た。
壁面に反射し続けていた光が突如その度合いを弱め、一際大きな破裂音が辺りに響いたのである。
「やっ――」
「やっ――」
双子が声を揃え発そうとした歓喜の台詞を中断する。
破壊され、上空へと舞い上がった破片が壁面を打ち、結果反射してきた一畳ほどもある金属片が彼等の方へと落下してきていた。
双子の元へだけではない。暴風に飛ばされて壁や木々にぶつかった破片は四方八方へと散らばっていった。
魔法を放ち終えたレインも、双子も、今の今まで魔法を放っていた為にそれに気づくのが遅れたらしい。避けようにも、暴風の中で身体を支え続けていた脚はほつれてうまく動かない。
破片がついに二人に直撃しようとした時、それは唐突に向きを変えて地面に転がった。良明と陽が何事かと反射的に閉じていた眼を開くと、前方にはショウの姿。
『怪我、無い?』
振り返って問いかける彼女に安堵と感謝を込めて頷くと、二人は口々に「ありがとうございます」と間の抜けた声を発した。
そして、はたと気づく。
「ふっさん! 行け!!」
「藤君! 行って!!」
二人の叫びで起き上がると、フジは生唾一つ呑み、ついに駆けだした。
その場のトオルを背にし、レインを追い越し、双子とショウを横切る。
そして、背中越しにただの一度だけ、こう叫んだ。
「ありがとう!!」
数十年に亘り、世の中から隔絶された空間。エルフが住まうコロニーの外壁には、高さ三メートル、幅二メートル程の大穴が空いていた。
『みんな、少し、いい?』
漸く落ち着きを取り戻しつつある一同を集める様に、ショウが口を開いた。
『間もなくその、自衛軍? っていう特殊部隊がこちらに来るっていう事だから、手短に話そうと思うんだけど』
手足に付いた土やら葉やらを払いながら、双子はレインと共にショウの方へと歩いて行く。
トオルも同様に、姿を現した状態で皆の元へと急いだ。
「なんですかなんですかショウさん、何か作戦でも――」
『みんな、落ち着いて聞いてほしいんだけど』
ショウの顔を見て、トオルは気づく。やや早い呼吸、辺りを窺う様な素振り。よくよく見れば、彼女自身が落ち着きを得られているかどうか怪しいものだった。
『これは、罠である可能性があるの』
「え……?」
「え……?」
今しがた一仕事終えたところの双子は勿論、トオルやレインだって寝耳に水である。この期に及んでまだ何か。知り得ない何かがあると言うのだろうか?
良明と陽を正面に捉え、ショウは思っている事を告げた。
『おかしいとは思わない? 話によれば、この辺りにはエルフが配備したっていうロボットみたいなものがうようよしてるっていう話だったはず。なのに、これだけの騒ぎが起こってもそんなもの一機たりとも現れてない』
双子は、何かに反論する様な口調で問いただす。
「それ、どういう事ですか!?」
「まさかフジ君がまだ何か!?」
ショウは首を横に振る。
『それは無いはず。もしそうなら、彼の口から無人機の話が出て来た説明がつかない。彼がこのうえ何かしら企んでいるんだったら、伏せてるはずよ。それに、二人も見たでしょう? さっきの駆け出して行くときの彼、本気だった』
ショウは辺りを針穴に糸を通す様な集中力で警戒しながら続ける。
『あんな事があったから疑うのは当然。”啖呵一つきられたから、以後怪しい事があっても彼の事は信用します”だなんて、そんなの信用じゃなくて単なる思考停止よ』
双子は何も言えなくなる。そうは言われても、今しがた自分達が脳裏に抱いた事に対する罪悪感は拭えるものではないらしかった。
『私が思うに、これを仕組んだのはこの場に居ない役者の誰か。例えば、貴方達双子の行動を識り、それを促そうとする存在……』
良明と陽はその台詞の違和感に直ぐに気づいた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「そもそもこの世界に私達が存在している事を知っている、私達を追跡できる存在なんて」
ショウは、声を張り上げる。
『もう出て来てもいいんじゃない? あなたの思惑を聞かせてちょうだい!』




