命運の向かう先へ(2)
右に良明、左に陽。二人は、友人の横に並んで立ってこの世界の禁忌に対峙した。
フジは未だ友人としてこの場に立ってくれている兄妹と共に、時が来るのを待っている。
思えば、なんと無謀な計画だったのだろう。
フジは月明かりに眼を爛々とさせながら、夜の暗がりに溶けていきそうな最後の回想を行った。
「子供の日、俺はこの森で異世界である世見に飛ばされた」
靴紐を結びなおし、辺りの気配を窺った。彼等以外誰も居ない事を確認する。
「俺は今日まで、この世界に帰ってきて家族をここから助け出すという目的を常に下敷きにして思考し、行動してきたんだ。片時も忘れたつもりはない」
立ち上がり、つま先を叩いて足元の感触を確かめた。
「けどね。気づいたら、良明や英田さんっていう友人が出来ていた。利用したのは言い訳の出来ない紛れも無い事実だけど、二人をただの道具だなんて思っていたわけじゃないつもりなんだ」
良明は微笑み、陽は苦笑いする。そして、ほんの小さくため息をついて、言う。
「解ってるよ」
「解ってる」
二人は、眼前の壁へとすっと手を伸ばした。
「ふっさん。準備、大丈夫?」
「もう、後戻りは出来ないよ」
「うん、やろう。そして、その後で必ず二人をあの世界に帰す方法を見つけ出してみせる」
良明と陽が掌へと意識を集中させようとした時だった。
「待ってください」
『!!』
三人のうちの誰一人として、それまでその男の気配に気づく事は出来なかった。男の姿も、声も、足音も。それらの一切が意識の片隅にも引っかからなかったのである。
フジは瞬時に悟る。
(誰だッ!? いや、そんな事は問題じゃない。誰かに俺達を目撃された! 俺達三人以外の誰かがこの場にいる事自体が極めてまずい状況ッ。相手が誰であるにせよ、俺達がやろうとしている事が俺達以外に知られるのは――――)
フジ、陽、良明。三人は、眼を疑った。
「あなた、は……」
「うそ……」
「なんでここに!?」
フジが言葉を詰まらせ、陽が目の前の眺めに疑念を抱き、良明がその男の名を思い出した。
何処か気が弱そうで頼りなく、年齢で言えば二十歳弱。髪は額が隠れる程度の短髪をしており、背はそれほど高くない。猫背。
特徴を並べ立ててもさほど目立った点の無い男は、名をトオルといった。
「トオルさん!!」
「トオルさん!!」
驚きの表情を浮かべる三人に対して、トオルは人差し指を口元に当てて周囲を警戒する。
「しずかにっ。遠くとも三キロくらいの所には自衛軍の皆さんがもう迫ってます」
「っく、やっぱり感づかれているのか。いや、それよりどうしてあなたがここに!!」
歯噛みするフジにトオルは補足する。
「向こうは正確にこちらの計画を把握してるわけではないですよ。彼等は当たりをつけてあなた方を捜索しているだけです。えーと、それで私なんですけど……」
トオルは、フジを見据えてこう言った。
「実は、園宮氏の元部下だったみたいなんです」
『ッ!』
今この瞬間にでもトオルが襲い掛かってくる可能性を感じ、三人は一斉に身構えた。トオルは慌てて両手を三人に向けてから付け足す。
「あああ待って待って待ってぇ! 昔の話ですよ。彼があっちの世界に行くよりも前、こちらの世界で僕と彼を含むチームが某国で転移デバイス【キューブ】の開発に携わっていた時の話です」
「えっ!?」
絶句する良明に代わって陽が今の衝撃的な自己紹介に関して確認する。
「ま、待ってくださいトオルさん! 今、なんて……!?」
「ええっと……ですね。どこの所属のどういう機関か……というのは、こちらの世界の社会構造を見れば大よそ見当はつくでしょうけど、そこはあえて皆さんの身の危険を考慮して伏せておきます。兎に角、ある機関のある場所で、あの転移デバイスを作っていたのは僕達なんです。まぁ、僕は途中で色々あって命を落としたんですけど……」
三人の中で、フジだけがトオルの言葉にピンときた。
「まさか、それで園宮が【キューブ】を持ち出した現場に――」
「そう、霊体である僕は彼に気づかれずに園宮氏に同行し、異世界である世見へと転送されたわけです。ですが霊体だった所為なのか、長らく記憶喪失になってしまってて……それでも知識や考え方の一部は引き継いでいたらしく、研究者としての思考回路が”目立つものには何かが集まる”とボクに訴えかけ……」
「竜王高校の一帯で敵無しで、オレンジ頭で頑固なまでに曲がった事が大嫌いな……要するにとても目立つ人物であるあの三池さんの家に居候していた、と」
「はい。今思えば、三池さんの所に身を寄せた時点で、今ボクがここに居るのは必然だったんだろうなーって。もっと言えば、ボクの研究者……つまり科学者としての素質が優――」
「それで、トオルさん。どうやってここに? まさか俺達が転送するときにあの空間の中に居たんですか?」
たまには自画自賛の台詞でも吐いてみたかったトオルの言葉を遮った良明の眼は、真剣そのものだった。トオルはそれ以上ふざける事も出来ずに彼に返答する。
「漸く話の要点に近づいてきました。ソコなんですよ良明さん。ええとですね、実は今、【キューブ】ってこの世界には無いんですよ」
その言葉の意味をフジは頭をフル回転させて考える。
「いいですか、皆さん。今、【キューブ】はあちらの世界にあるんです」
『!!』
「そして、それを持っているのは園宮氏でも警察でもありません。大虎高校竜術部の部室の天井裏にて、部員の皆さん全員の手により保管してあります」
「ええ!!」
「ええ!!」
と驚きの声をあげる二人に対して、フジだけが苦い顔をする。
何故か。理由など明らかだ。
これで、良明や陽にとっての最優先事項が更新されたと思ったのだ。
二人は自分の家族を助けてくれると言った。が、それはあくまで彼等が元いた世界に帰る手段が見つからない状況下での決断である。
部室に【キューブ】がある。
トオルが現に――それを使って――この場に現れている。
それらの事実から、良明と陽があちらの世界へと帰る事は可能な様に思われた。
が。
「じゃあ、俺達がこっちでふっさんの家族を助け出せたとして!」
「みんなで向こうの世界に逃げ込めば、追ってくる人はいない!!」
双子が口にしたその言葉に、フジは己の内面の醜さを思い知らされた。
ただし、トオルとしても双子のそんな発想は全く予見する由も無く、きょとんとするばかりである。
彼がきょとんとしているので、陽はもしや、と思いトオルに質問する。
「あれ、トオルさんって私達の状況は……」
「あ、ああ解ってますよ。昼頃に皆さんに追いついてから、皆さんの会話はずっと消えたままの状態で聞いてましたから」
「なんですぐ出て来てくれなかったんですかぁ!」
「いやだって……そういう手筈だったもんで……」
「てはず?」
「てはず?」
藤はぴくりと顔を上げる。
トオルは、ここにきて漸く今彼がここに居る理由を、彼等が何を企んでいるのかを語り出した。
「いいですか、皆さん。ボクは、明京で【キューブ】を目の当たりにした事により、おおよそ自分が何者であるのかという事をここ数日で徐々に徐々に思い出しつつあります。そんなボクが考えている事は、今のボク……こちらの世界でのトール・ナカタではなく、あちらの世界でのトオルとして皆さんに協力をする事です」
フジは自分の計画への影響を懸念する表情を崩さない。
「【キューブ】は、起動コードを声で発音する事により動作します。一定半径を巻き込み、異世界へと転移……厳密には、特定の空間を異世界と入れ替えるデバイスなんです」
「異世界と、空間を入れ替える?」
「異世界と、空間を入れ替える?」
「話が横道に逸れていくので科学的な話は省きますが、世界……ええっと、便宜上”全ての世界”と呼びますが、それら”全ての世界”は、同時並行的に時間と空間座標を同じくして存在しています。ただ、テレビやラジオでチャンネルを変えれば視聴できる番組が変わる様に、いわばチャンネルを変える事でそれら異世界と行き来する事が出来るんです」
「なんて科学力……」
「なんて科学力……」
「こちらの世界では、デバイスで引き起こされる現象は漏れなく”魔法”と呼ぶんですけどね。まぁ、そういうわけで、ボク、あちらの世界から何度かこちらの世界へと移動して、現在の状況をある程度調べたんですよ」
「樫屋先輩達は今何処に!?」
良明の問いに対し、トオルは首を横に振る。
「すみません。時間が限られている上、先程言った様にこちらの世界の広さはあちらの世界のそれと全く同じなんです。ある街の酒場で爆発事件があったというのは耳にしましたが、向こうの世界でいうところの大虎の方角へと移動されていた皆さんの足取りを優先して調べていたので……」
誰も見つけられていない。という事らしい。
「話を戻します。つまり今、我々はあちらの世界の大虎竜王の両高校の仲間達の協力で【キューブ】をいつでも発動出来る状況にあるんです。ただし、キューブは常にあちらの世界に残ったまま。これは個人が好き勝手に両方の世界を行き来出来ない様にする為の、”一度転移した【キューブ】本体は二度と転移できない”という仕様によるものです」
【キューブ】を作り出した機関で管理しておけば組織的に悪用される事は無い。よって複数の者により悪用されるケースは無視したという事らしい。
「それで、ボクがあちらの皆さんに、貴方達がどうやら大虎の辺りに移動しているらしいという事を連絡して、その目的もぜーんぶもうお話してあります」
「ッ!」
フジが眼を見開いた。
「大丈夫ですよ、フジさん。みなさん、あなたの身の上やご家族のことは重々気にかけてくれています。石崎さんなんて、どうして黙ってたんだーってそれはそれは凄い形相で怒ってましたよ?」
「…………」
「作戦の決行は午後九時半ごろだって伝えてあるので、多分そろそろじゃないかと思うんですけど……」
フジは「まさか」と言った。
「ええ、そのまさかです。と言っても危険なので合流するのは合理的かつ立候補した中の二人……いえ、二頭」
良明は、ポケットからバッテリー残量がもう幾らも無い携帯電話を取り出した。
「今、九時十七分」
トオルは、事件の中核に居る少年に選択の余地が無い聞き方でこう尋ねた。
「フジさん、待ってくれますね?」
「……はい」




