願いを叶えに(3)
エドレスと呼ばれた女性は、主張の強い銀の髪を靡かせて黒板の正面へと歩いて行く。
その手にはスーツケース程もある大きな袋。何が入っているのかを外観から察するのは困難だが、見たところ麻の様な繊維で作られたそれは随分と武骨で、頑丈そうだった。
エドレスは袋を足元へとそっと置くと、きびきびとテンポよく資料を読み上げ始める。
「以下、駅前でパフォーマンスをしていた少年ら三名を、便宜上”能力者”と呼称します」
その前置きに対して動揺する者や、まして異を唱える者はその場に誰一人として居なかった。
「彼等【能力者】の姿が最初に確認されたのは三日前。隣国テルーのマヤ駅での事です。そこで彼等が件のパフォーマンスを行うに当たり、駅から備品を借りたというのが一番古い行動の履歴となります。この事からも解る通り、彼等はどこの――」
「私見はいい」
机についている内の一人からの指摘を受け、エドレスは無機質に「失礼しました」とだけ言って続ける。
「その後、【能力者】は近辺の宿、【マヤ・ニーア】にて一泊。翌日戦闘があった列車へと乗り込みました。リリ特務隊員二星からの同行要請を拒んだ彼等に対して、同隊員は当初の方針通り攻撃。ここで初めて【能力者】の異常なまでのデバイス適正が明らかになります。一切の目に見える手段を遣わずに意思を疎通させたとされる【能力者】の男女は、万全の状態のリリ二星の攻撃を退け、結果列車は大破。【能力者】グループ三人目の少年はリリ二星に対し、同隊員が追跡を中止する事と彼等が彼女の命を見逃す事とを交換条件として交渉を持ち掛けます。リリ二星がそれに応じた事により【能力者】は速度を落としていた列車から飛び降りました」
リリは特段感情を見て取れない表情でエドレスとトマス議長と、それから部屋の中に居る全ての者を見回した。
今大事なのは自分のチンケなプライドではなく、ここから如何するべきであるかなのだと、そう訴えかける様な視線である。
エドレスの報告は続く。
「その後、草をかき分けた痕跡や砂浜に残る足跡を追跡し、ある程度の所まで彼等の足取りを辿りましたが、ある地点で足跡は完全に途絶えます」
側の席から赤毛の初老が問う。
「ドラゴンにでも乗ったか」
「いえ、少なくともこの時点でドラゴンに乗ったという事はありません。藪脇の街道にて、少年少女を乗せて運んだとする証言を部下が商人から得ております」
「確かか」
「承認が話す一行の容姿がリリ二星の証言と一致しております。また、少年二人、少女一人という組み合わせからしても彼等が【能力者】であるという仮定の元に動く根拠にはなるかと」
「うむ」
赤毛が納得したのを確認し、エドレスは続ける。
「【能力者】一行はノラン国を抜け、タンデルを過ぎてミルズ国で馬車を下車。掴めている足取りはそこまでです」
トマス議長は問う。
「つまり、現状では見失ったまま……いや、足取りも途絶えたという事か」
リリがここで初めて歯痒そうな顔をした。
(刺し違えてでも、あの場で仕留めておけば……)
思考が完全に表情へと現れている彼女を見て、エドレスは挙手して発言の許可を請う。
「エドレス三星、なんだ」
「これは、あくまで一つの推論であるという事を前提にお聞き願いたいのですが」
そう言うと、エドレスは足元に置いてあった袋から四つ折りにした紙を取り出し、広げて黒板の淵に固定した。
紙には図と文字が躍る。
左から、葡萄の様な逆三角形、正方形、台形、いびつな縦長の楕円が隙間なく並んでいるが、その形は夫々をそう呼ぶには余りにもガタガタとしていて美しさに欠けている。
図には夫々ミルズ、タンデル、ノラン、マヤの文字。彼女が広げて見せたのは、地図だった。
エドレスは同じく袋から取り出した指し棒で示しながら、彼女の推論を述べ始めた。
「ミルズ国で足取りが途絶えた。という点が、ある事を物語っていると私は判断します」
トマス議長が「ふむ」と頷いて先を促す。
「先にも述べた通り、少年少女の三人組という組み合わせで旅をすればある程度は目立ちますが、私が述べた様に部下からその後彼等を目撃したという報告は入ってきておりません。つまり」
差し棒でミルズの左方を指し示す。
「彼等はミルズ西方の森へと逃げた。ミルズの北と南には夫々山があり、その先には夫々クニがあります。が、山一つ登るとなれば、我々自衛軍からの追跡から逃れる事は体力的に大きな困難がある。それは、先の戦闘で”相手はトラク国自衛軍である”と認識した彼等にしてみれば当然行き着く結論であるはずです」
「”森の方がまだまし”。そう考えて西方の森へと進むだろう、と?」
「はい。ですが議長、勿論北と南の町にも我が部下を配備してあります」
「ふむ……ミルズの西と言えば、ソルスタ国か」
「ええ、ミルズとソルスタ。どちらもコロニーがあるクニです」
トマス議長は難しい顔になって何かを思案し始める。
一角からは、こんな声が聞かれた。
「議長。コロニー周辺ならば、自律機械により【能力者】が近寄れない筈。ミルズとソルスタのコロニーの位置から彼等が突破しようとしているルートはおおよそ見当がつけられるかと」
「……そもそも、だ」
トマス議長は、顔の前で手を組んで険しい顔を覗かせた。
「彼等は、何者だ。何が目的だ。その見当はつかないのか?」
ここで、ランプの男が再び口を開いた。
「それよりもまずは、彼等を確保する事です。過激派のエルフが人間界に残存していたとなれば、この世界の歴史を動かしかねない一大事です」
議長は、一見もっともだと誰の耳にも聞こえるその進言にも険しい顔を変えない。
「彼等の確保。それもまあいい、むしろやるべきだ。だが、果たして彼等はコロニーを避けてソルスタの森を抜け、その先に何を求める? それが解らなければ、我々が彼等の手の内で踊っているという事も有り得るのだ……」
リリやエドレスを含めた多くの者が、困惑する。
「議長。何か、お気づきの事があるのでしょうか? 派兵の増員を承認していただかなければ、それこそ一大事に繋がりかねません。それはこの場の総意であると確信しますが」
エドレスの言葉に対し、多くの者が拍手で賛同の意向を示した。
「派兵を、認める……だが、コロニーに対する警戒も怠るな」
リリは思わず聞き返す。
「コロニー……ですか?」
「ああ。彼等の目的が、仮に彼等の同胞の解放であったとするならばどうする?」
場の空気が凍り付いた。
赤毛が声を荒げる。
「ば、莫迦な! コロニー周辺には彼等エルフ自身が作り出した自律機械が徘徊しており、近づく事も儘ならん! 仮にコロニーまでたどり着いたとして、どうやってあの堅牢なる城壁を破るというのです? コロニーにはそのものに対して強力な魔法による結界が施されている。触れただけで死に至ったという記録も残っている!」
部屋全体がざわつき始め、それはやがて収集がつかない度合いの喧騒へと変わった。が、それはトマスの一喝によりあまりにもあっけなく霧散する。
「黙れ!!」
先程までの紳士然とした雰囲気が嘘の様だった。
今の彼の周囲には、怯えにも似た危機感が空気となって取り囲み、眼前に迫った世界の終わりに戦慄するかのような声音は彼の何かしらの確信を物語っていた。
「物理的に、不可能ではないのだ。人間界に潜伏する過激派のエルフが一人行動に出れば、自律機械を薙ぎ払って普段誰も寄り付かないエルフのコロニーに到達する事も不可能ではないだろう。この世界で今までそれを誰一人としてやらなかったのは、あくまで社会がそれを許さなかったからだ。仮にそんな事をすれば、実行者は全人間の憎悪を一手に引き受ける事となる。死ぬまで、地獄の果てまでも追い詰められて命を奪われる末路が待っているだろう。だが、それらを全て一挙に引き受ける覚悟を持った者が現れない保証がどこにある? 否、そんなものはどこにも無い。我々は、今日という日まで人間界のエルフが持つ公徳心と彼等への戒めの眼で以ってその事態を抑制していたに過ぎない……」
赤毛はなおも食い下がる。
「で、ですが! 事実、それで何十年とこの世界は続いてきたのです! リンゴを甘いと感じるのと同じ様に、我が子が可愛いと感じるのと同じ様に、誰もがエルフのコロニーに近寄る事は禁忌であると認識しているのです!!」
それは、この世界の人間にとって共感するべき一般論である。
例えば、人間の根源的な悪意を確信してやまない別のパラレルワールドの人間は存在する。だがそれは、日常的に身の回りやニュースでその悪意を目の当たりにしているからこそそう断定するのであって、本来”悪意”とは人間が人間であるだけで確信にまで至るものではない。
しかして、この世界の人間にとってはそれは”当たり前”なのである。
すなわち、”エルフは恐ろしく、コロニーは近づく事許されざる魔境である”
一部の頭のネジが飛んだ変わり者ならばその判断から逸れる事もあるだろうが、その種類の人間に限って”邪悪なるエルフが潜むコロニーを破壊して秩序を乱す”程の悪党である可能性など、最早論ずるに値しない程に低い。また、その実行能力を持っている者ともなればさらにその事態が起こる可能性は低くなる。
この世界の人間ならば、頭のネジが飛んでいさえしなければそんな事は解り切った常識なのである。
トマス議長が恐ろしかったのは、”念じるだけで他者に思考を伝える能力”――異世界ではテレパシーと呼ぶ――を扱う者達の正体が、以前はっきりとしない点だった。
彼等が何処の誰で、何の目的で動いているのか。大抵の者は、その問いに対してこういう前提で考えるだろう。
”どこかのクニに属する少年少女が、何かしら自分達の欲望を満たすために行動を起こしている”。
大国トラクの自衛軍の行動方針を決める議会で議長を務める彼だからこそ気づいた、漠然たる恐怖。また、彼だけが知り得るコロニーに関する知識の様々が、先程から彼の理性に警鐘を鳴らし続けているのである。
今すぐ彼等を殺せ、と。
今、異世界から現れたとある双子の兄弟と、家族を助け出したいだけのタガの外れた少年により、数十年に亘って閉ざされてきたコロニーは暴かれようとしている。




