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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
8.大虎高龍球部のカナタ
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願いを叶えに(1)

 ”異世界での放浪生活が始まって、今日で五日目になる。果たして一緒に飛ばされてきた彼等――後の事を考えてここでは名を伏せる――が無事でいるのか、それだけが気がかりだ。幸いにして、私の元には頼もしい相棒が居る。かねてより向こうの世界で苦楽を共にした大切なドラゴンの恋人だ。日頃の龍球の経験が役に立ち、コロニーと呼ばれるエルフの集落周辺の調査をするという日雇いの仕事で生計を立てる事も出来ている。正直なところ、単純に生きていくことだけを考えるのであればそれはこの世界でも実現不可能な未来では無い。私が今いる場所は――”

 羽ペンを止めて、少女は顔を上げた。

 鶯色のローブに身を包んでいるけやきは、そこから見える青空と、小屋の外に吹き抜けるそよ風を味わう。

 ガイの脇腹を背もたれにした状態で、呼吸に合わせて上下する彼の身体にささやかな温かみを感じるのだった。


 そこは、四畳半程の打ち捨てられた物置小屋だった。周辺は一面日に照らされているが、ボロボロながらも屋根は現存しているため、小屋の中は涼しい。遠くでは海が忙しなく波を寄せては引いていた。小屋のすぐ傍に群生する季節の花が風に揺られ、遥か先まで続く線路を見守っている。


 今にも崩れ落ちそうな色をした灰色の木材で構成されている小屋からは、天井に空いた穴を通して青空が見えていた。

 誰が何の為に置いたのか、木箱が三つ。片隅に打ち捨てられていた。

 他には漁の道具の様にも見える籠や縄が奥の方に並んでいるが、長らく人に触れられた様には見えない。


(結局、碌にまともな会話も出来なかったな……)

 けやきは、留学先からわざわざ明京まで駆け付けて来ていた兄の事を想う。

 ごくごく幼い頃に家族でショッピングモールに行った際、ふとした拍子でけやきが迷子になった事があった。その時、真っ先に迷子センターに駆け付けてくれたのは兄だった。

 中学生の頃、どうしても欲しいドラゴンの学術書を見つけた。あまりの高価さにけやきが購入を躊躇っていたら、次の日に兄がそれを買って来てくれた事もあった。


 樫屋継治は、けやきが小さい頃からずっといつもそうだった。

 普段は兄貴面して妹を護ろうとはしないくせに、本当に彼女が困った時にだけはどこからともなく必ず現れて、彼女が最もしてほしい事をしてくれる。けやきにとって彼女の兄とは、そういう存在だった。

 その兄も、今回ばかりはどうにも手の打ちようが無かったらしい。

 狼狽え、あの転移前空間の境界の外でけやきの名を呼ぶ以外に成すべき事を持ち得なかった。


 それだけ、事態は深刻である筈だ。

 にも拘らず、彼女は心のどこかでこう思ってしまうのだ。

 この世界でなら、このままずっと、いつまでも、ガイとこうして旅を続けることが出来る。

 彼の背に乗って、気ままにクニと呼ばれる人々の居住区を訪れ、その土地その土地での風習や人々との一期一会を楽しみ、十年、二十年、三十年、長い長い時間(じんせい)を一人と一頭だけの時間に費やせる。


 もし元いた世界に帰ったなら、正社員での就職をしなければ世間や親戚から冷たい目で見られるだろう。世の中の大半の大人が自らの意思で毎朝囚われに行く会社という牢獄へと赴いて、生きる為に八時間ばかりを労働に費やす事になる。

 ”そんな考えはするな、日々の労働に歓びを見出すべきだ”

 そう言って、心まで拘束しようとしてくる者までいる始末だ。


 それら社会の視線をかなぐり捨ててしまおうにも、望まない支出の存在がそれを阻害する。世見国に居る限り、最終的に帰ってくるかも解らない年金や保険料を支払わされる事となる。それを支払う為に自由な生活を断念し、会社で働くのが彼女の(クニ)が自らを維持する為のシステムだ。


 何より、あの世界に居るとガイとの交際がどうなる事か解った物ではない。

 あの父の事だ。今回の明京での事件を報道で知った彼は、自分とガイが付き合う事に猛反対するだろう。

 けやきは、そう思った。


 そう思った、その内容全て。

 所詮、現実逃避の思考だった。

 この世界での旅が困難な物である可能性は十分ある。

 こちらの世界では医療が発達しておらず、簡単な怪我や病気で死んでしまうかもしれない。

 こちらの法制度はそれはそれで面倒なものかもしれない。

 何より、双子達を見つけ出し、あの世界に帰してやらなければならない。それは、ここまで部で二人を引っ張って来た自分の責務であるようにけやきには思えてならなかった。


(がら)にもない)


 けやきは、そう思って苦笑いすら出てこない顔で空を見ていたのである。


 彼女は、かねてからその場にもう一つの気配を感じていた。

 おおよその見当はついていたし、()がなかなか小屋の中へと入ってこないのは、警戒しているからだろうと思った。

 けやきは男に声をかける。

「居るんだろう? 何故、入ってこない」


 彼女は、入り口から顔を覗かせたその男の眼を見据えた。

 お互いにリアクションは無い。

 赤い眼。黒い鱗。見覚えのあるそのドラゴンは、三池の相棒ドラゴンのクロだった。

『元気してたか、無事で良かった』

 この再会が理路整然たる理屈の上で成り立っている事を知るけやきは、淡々とした口調で彼に応えた。ガイは、変わらず寝息をたてている。

「そちらもな。他の者は?」

 クロは首を横に振ってこう言った。

『見つからねぇ』

「そうか……」


 入り口からの逆光を受けて立っているクロは、小屋の中へと入ってきて入り口側の壁付近へと腰を下ろした。小屋の奥を背にするけやき達を見て話を続ける。

『その分じゃあ、そっちもサッパリってトコか……』

「数日前、この一帯で列車の爆発事故があった……お前も(・・・)その情報を掴んでここに来たのだろう?」

『ああまさにその通り。あのアホミケが何かやらかしたのかと思って来たんだが』

「私としては、事件と我々が全く無関係で、皆がこの場に集まるというのが最も望ましいシナリオだったのだがな」

『……樫屋よ、そりゃあいくら何でも都合が良すぎじゃねぇか?』


「解っている。列車の爆発事故……などそうそう起こってたまるものか。我々がこの世界に転移してきた事との関連はまず間違いないだろうな」

『ああ、そうだな……しかも今回のこの事件、かなり大きな噂になってるぞ』

「問題はそこだと私は思う」

『っつうと?』


「三池は兎も角、英田兄妹などは本来ならば真っ先にこの事件現場を合流の場所と位置付けそうなものだ。そうは思わないか? クロ」

『まぁなぁ、三池のアホはそこまで気が回らなくて好き勝手にこの世界で遊びまわってそうだけどな……』

「つまり。今回の列車の爆発事故、あの二人が直接関与している可能性がある。私が問題だと言ったのはそういうわけだ。もしかしたら、三池も彼等と一緒なのかもしれない」

『……だがそりゃ、あくまで可能性……だよな?』

「ああ。だが、私達はもう丸一日と少しここで彼等を待った後、事件について詳しく調べるつもりだ。そこから、彼等の足取りを掴めるかもしれないからな。シキさんとも、もしかしたらその過程で合流できるかもしれない」

『ふむ……』

「お前はどうする? 相棒を捜すのか?」

『いや、それはしねぇよ』

「……いいのか?」

 けやきは、少し意外そうな顔をした。


『三池の奴ならなんだかんだやってける。むしろ、下手に探し回っても好き放題移動されて捕まらねぇ可能性のが高いだろうよ。それなら俺もお前達と行動して、まずはあの双子と合流したい』

「なるほど。信頼しているんだな」

 クロはくすぐったそうに応える。

『そんなんじゃねぇよ』


 けやきは、手を虚空に掲げてじっと見据えた。

 その指先へと収束していく水の塊。クロは、驚愕の表情を浮かべて首を上げた。

『お前、魔法を習得したのか!? デバイスっつう高価な道具が必要らしいが、買ったのか?』

 けやきは首を横に振る。


「いや…………どうやら私は、デバイス無しで魔法を発動できるらしい」

『……どういう、ことだ。魔法っつうのはあくまで機械を使って分子を操作する一種の科学技術だって聞いたぞ』

「恐らくは、これが藤の狙いだろう」

『……え?』


 クロは、先程からけやきの口から藤を気遣う言葉が出てこないことに多少なりとも違和感を覚えていた。その理由が暗に示された仮定が、けやきの口から語られる。

「これは、状況証拠でしかない。よって、あくまで現状に対する仮説のひとつとして捉えてほしい」

『お、おう……』

「今回のこの異世界への転移、仕組んだのは藤だと私は思っている」

『何だと!?』


 クロの驚きの声にガイが目を覚ます。寝ぼけ眼をぱちくりさせて、まどろみの中でけやきの声に耳を傾けた。

「明京での事件の末、私達はこの異世界に飛ばされたわけだが、そのメンバーの中に藤が居る事で私は確信した。何もかも、話が出来過ぎている……あの春、濁流の中で藤を助け出した事も含めて、全ては彼の目論見だったんだ」



 けやきがクロに語って聞かせた事は、おおよその真実をカバーしていた。

 レインを()に英田兄妹が藤に操られていた事。藤が何らかの理由で異世界の存在を知っており、そこへの移動を目的としていた事。大会事務局への空き巣の犯人も恐らく藤だろうと彼女は言った。

「私が現にこうしてデバイス無しで魔法が使えているという事が、藤の目的を物語っている」

『……そりゃぁ……なんだと、思うんだ?』

「何かしらの、破壊活動。デバイスの持ち込みが出来ない場所、或いは強力な魔法が必要とされる場所での戦闘行動か、破壊行動。としか今は推測出来ない」

『……ヤバくねぇか? それ……』

「ああ。”ヤバい”な。正直、状況はかなりまずいと思っている。だがな、クロ。さっきガイとも話していたが、こうも思うんだ」

『うん?』


「藤がここまで周到に準備を進めて来たのだとすれば、私達やお前に尻尾を掴ませる様な手がかりを残して行くだろうか、と……」

『列車の爆発事故は、藤も想定外だった、と?』

「ああ。或いは、そこが突破口になるかもしれない」


 クロは、けやきの背後で首を起こしてあくびをしているガイを見た。

『樫屋、それにガイ。お前等一体なにを企んでやがる?』

 彼の問いに答えたのは、ガイだった。

『俺達の目的なんてたった一つさ。この状況でやるべき事なんて解るだろ?』

 不敵な笑みを浮かべるガイは、これから自分達が成そうとしている事に対して、絶対の自信を持っている様に見えた。

 だがけやきはこう言う。

「一か八かの、大博打さ」

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