慟哭に塗れた、(4)
「……この世界にはね。デバイス……つまり魔導具に並外れた適性を持つエルフって言われる人達がいるんだ。彼等は、そのデバイスと呼ばれるものが商品として一般に流通した時に初めてその存在が確認された。力を得た事で調子に乗って、強盗なんかの犯罪を繰り返す輩、組織的に世界を支配しようとした輩。色々と居たらしい。時代を追う毎に、各地にはコロニーと呼ばれるエルフの自治区ができていった。今日現在、人間に対して敵意を向けるエルフは、外界との関わり合いを一切断ってそこで暮らしてる」
荒唐無稽、とはもはや思わない。
双子は、話に耳を傾ける。
「けどね……」
藤は息を整えなおして続ける。
「コロニーで生きたくはなかったのに、そうするしか無かった家族も居たんだ。それが、俺の父さんと、母さんと、姉さん……そして、俺だった。俺は、コロニーが物理的に外界との関わりを完全に立つ寸前のタイミングで、家族達によって外の世界へと逃がして貰えて、今こうしてその’外’に居る。それからというもの、まだ幼かった俺は、それでも必死でコロニーと連絡を取る手段を探した。けどそんなもの無かったんだ。通信技術が無いこの世界では電波を送受信する装置は無いし、ドーム状に覆われたコロニーの膜にはあらゆる物体は行き来を遮られる。そうこうしているうちにドーム周辺には外界との侵入を拒む危険な無人ロボットが現れ出して、近づく事すらままならなくなった」
良明と陽はあっけにとられた顔をして藤の話に聞き入っている。が、その表情は次第に深刻な状況を受け入れる真剣なものへと変化していった。
「僕があの……君達の世界に居た理由。勿論それは、二人が体験した様な、デバイスによる転移の範囲内に居たから。ガルーダイーターの代表、園宮は知ってるよね?」
二人は無言で頷く。
「あいつも、元々はこっちの世界の住人なんだよ」
「……え?」
「……え?」
「家族を助け出す為にコロニーの内側へと入る方法を探し続けていた俺は、家族が閉じ込められているコロニーの周辺の調査を続けた。さっき言った、魔法で動く無人ロボットと接触しない様に細心の注意を払いながらね。そんなある日、あいつは現れた――」
* * *
八歳のフジ――藤――によるひとりぼっちの生活は、正直なところ、限界に達しようとしていた。
ありったけの金を親から渡されてはいたし、この事態をかねてから危惧していた彼等父母の教えにより、最低限の生活の術は身に着けてはいる。
だが、フジはそこから先にやるべきことをしていなかった。父母の教えを護ってはいなかったのであった。
フジは、理由をつけて勘当される形で家を追い出された。
親は親戚の元へ向かえなどと言っていたが、彼が持たせられた荷物の中には尋常では無い大金と、最低限の日用品が詰まっていた。
聡明なフジには、解っていた。
エルフの姉を持つ彼が親戚に受け入れられない可能性を、彼を家から追い出した家族が認識していた事。
数十年に亘り外界と隔絶されていたフジの家系を、親戚が相手にしないかもしれない事。
親の勘当の言い分には不自然さがあった事。
両親はともかく、姉はこんな苦境に耐えられるほど強い人間ではないという事。
かつて、エルフと人間の区別が無かった時代、魔法がこの世界に存在しなかった時代に何者かによって建てられ、使われていた廃屋。そこが、フジマコトの活動拠点だった。
簡単に踏み抜けてしまいそうな床を磨き、年代物の暖炉に薪をくべ、竈に火を入れた。
ここに人間が訪れる心配は無かった。
なにせ、エルフという存在はフジを含めて人間にとって脅威であり、畏怖の対象である。そんな者達が住まうコロニーに近づこうとする様な物好きなど、そう多くは無かった。
コロニーの外周のどこかに綻びは無いか。こっそりと何らかの手段で外界へと出て来ているエルフが居たりはしないか。故障した無人機が倒れていれば、何かに使えるかもしれない。そういった発見を求めてコロニーの周辺を探索するのが、フジの日課。
この日も同様だった。
鶯色の紐靴を姉から教えてもらった蝶々結びで固定し、父から教わった歩き方で森へと歩を進め始めた。町で買ってきた材料を使い、母直伝の手料理で腹は満たしてある。これなら、その気になれば夕方まで何も食わずに調査を続けられそうだった。
次第に目覚めていく朝の森の気配を感じながら背伸びをすると、フジは廃屋の階段を降り、辺りを確認する。
小屋周辺の地面には、砂が撒いてある。夜間、何者かがこの近辺に来たのか否かを朝になってからチェックする為だ。
獣も、人も、今まで一度もこのトラップに痕跡を残した者は無かったが、フジが思うに父に教わったこの方法は手間がかかる代わりに安心をもたらしてくれる、有り難い知恵なのだった。
森の中を歩く。
コロニーの傍を流れる川を見て、彼はぽつりと呟いた。
「あと、どれくらい頑張ればいいんだろう……?」
金は、まだある。だが、これまで確かに在った家族との生活と今の孤独な日々の対比は、八歳のフジには余りにも過酷だったのである。
単独で生活するという事に関して能力的には慣れたが、今後このまま孤独に生きていくことなど、彼の性格上不可能と言って良い。
川を横切り、丘を登り切ったところから、フジは望遠鏡で前方を眺めた。
オーロラの様に揺蕩う巨大な膜。それは、広大な土地を切り取る様に仕切っている壁から発生していた。
フジが居る地点からでは壁の内側、つまりエルフ達が暮らしている筈の場所は見えなかったが、それでもそこにコロニーがあるという現実が、毎朝のフジを奮い立たせるのであった。
川で落ち込むのも、丘でコロニーを見て自分を奮い立たせるのも、ほぼ毎日の事だった。
鶯色の靴のつま先を打ち、黒いシャツの上に纏ったくすんだ白のジャケットのボタンを閉じ、グレーのズボンの埃をぱんぱんと払う。
家族を助け出す目途は全く立っていない。むしろ、八歳の自分に何かが出来るのだろうかと不安になる事の方がはるかに多かった。
けれどフジは、今彼がしている事が現実逃避と呼ばれるものである事には気づける年齢ではない。
辛く、寂しい一日が始まる。
少年は脚を曲げて準備運動をすると、今日も歩き出した。
コロニーを中央に時計回りに一周。魔法で動く無人機と遭遇しない様になるべく大回りに歩いて行く。
日が最も高くなった頃にいつも昼の休憩をする場所へとたどり着き、風景が仄かに夕暮れの気配に包まれかけた頃にコロニーの外周の四分の三程を回り切った。
ため息交じりに今日の探索の結果を振り返っていたフジは、その日、稀とも言える人間の姿を自分の家から五キロばかり離れた地点で目撃した。
見渡す限り木々に覆われた森。たまに岩が地中から顔を覗かせており、木漏れ日がちょうどいい具合にそれに落ちている。川から聞こえてくる水音が仄かな安心感をもたらし、少年の一日の労を労っていた。
もっとも、風景などどこも同じ様な物である。
フジが注目する先に居るのは、どうやらこの森に馴染みがある人間ではなさそうだった。
見れば彼は大人で、小奇麗な白い服を身に纏っている。
年は見た目四十代。何処か知的な顔をしているが、体型はお世辞にも引き締まっているとは言い難かった。特筆するべきだったのは、木陰からフジが確認する限り彼に年相応の落ち着きは見て取れなかった点である。
しきりに背後を気にし、時折胸に抱いている何がしかを確認する様に覗き込んでいる。
(クニの偉い人……?)
何となくそう感じたフジだったが、根拠は無い。
彼がそう思った理由を強いて挙げるなら、それはここしばらくの生活が外界の人間を高貴な何かに見せていたのかもしれない。
妙だったのは、男は周囲やら懐やらを気にしつつも、それ以上何かしらの行動を起こす事は無く、既に長い時間が経過していたという点だった。
躊躇う様に、怯える様に、彼は木の麓に背を預けて座りこんでいる。
たまに、自分に何かを言い聞かせるかのようにフジからは聞き取れない程小さな声で言葉を呟いては、天を仰いで深くため息をついている。
圧倒的に不足した情報を前に、フジはある選択に迫られた。
(このままあの人を見張り続けるか、いっそ話しかけて事情を聞いてみるか)
日は陰り、森は夜に片足を突っ込んでいた。これは、ランプの一つも持って来てはいないフジにとって、文字通りの死活問題になりかねない重大な危機である。
少年は、首を横に振る。
(あのおじさんが何者なのか解らない以上、話しかけるのは危険過ぎる。俺は保護されて、今の生活を続けられなくなるかもしれない)
本来、そうあるべきであるという頭はフジには無い様子だった。
根競べだった。
頭の回転がきくとはいえ、八歳である。
男が何かしらのアクションを起こすまでじっと待ち続ける事は、彼に対してかなりの忍耐を要求した。
徐々に暗くなっていく景色の中で、それでも男の姿を捉える事はまだ可能だった。
不安と危機感と、ほんのささやかな期待と好奇心。それが少年に意地にも似た行動力をもたらしていた。
一時間、二時間、そして三時間が過ぎ、フジがいよいよしびれを切らしかけていた三時間半に差し掛かった頃、男はついに立ち上がる。
彼は、手に四角いデバイスを持っていた。
フジは、期待した。
(もしかして、コロニーを壊しに来た……? だからあんなに悩んでいたんじゃないのか!?)
だとすれば、これはフジにとっては千載一遇の好機である。
この機を逃せば二度は無いだろう。家族を救い出す、唯一の機会が目の前に訪れている可能性に、少年は心を躍らせた。
フジは男に気づかれない様に、心内で取るべき行動を確認する。
(コロニーの壁を壊すんだったら、あのおじさんはもっとコロニーに近づいて行くはずだ。無人機を蹴散らしながら、壁まで魔法を使って進んで行くつもり……? だとしたら、俺はそれを後ろからついていって、コロニーが破壊されたタイミングを見計らって中に入って……そこから先は元々の俺の家に帰って、皆を連れ出すだけだ!)
男は、懺悔する様に言葉を吐いていた。
「すまない皆。……異世界の人間が、エルフ以上の存在であると知った今の私には、安穏の内に研究を続けている事は出来ない。どうか……赦してくれ。トオル……天からどうか、この私の行いを見逃してくれ」
(異……世界? あの人は何を言って――)
フジの心の中にしかない疑問に答える者が居る筈も無く、時は刻々と、粛々と、その瞬間を迎えつつあった。
男は、【キューブ】を掲げてついにその起動コードを口にした。
「マエム・ラッセル・リンク・ウェング」
辺りが、青い空間に包まれていく。夕暮れ後の青とも違う、鮮やかな青。
フジは焦り慌てる間も無く、その空間に取り込まれた。
苦しさも痛みも無いし、謎の言葉を口にした男自身も特別何か行動している様子も無い。徐々に暗くなっていく空間の中で佇む男。彼を観察し続ける少年。
やがて辺りは何も見えない程に暗くなり、視界は完全にゼロとなった。
身体に感じるのは靴越しの地面の感触と、手をついていた木のザラザラとした皮の厚みくらいのものだった。
気づくとフジは、見知らぬクニに居た。
誰もが黒髪で、肌の色が白人よりもいくらか濃く、なにより建物がやたらとしっかりとした造りをしていた。
園宮の懺悔と、目の前に広がる光景。
藤がそれらから何を知り、何を決意し行動してきたのかは言うまでもない。




