慟哭に塗れた、(2)
「トラク国自衛軍の数十年に及ぶ歴史の中でも、これは極めて重大な事件だと心得たまえ」
草原の只中で、見た目四十代後半の男性は部下達五名へとそう言って聞かせた。男性は白髪交じりの長髪で、額には斜めに大きな傷がある。鍛え抜かれたその身体は彼が身に着けている軽装鎧が玩具に見える程で、まさに歴戦の戦士と言った風貌である。
彼を前にしているのは男性三名、女性二名。何れも男と同様の軽装鎧に身を包み、傍らには鎧を装備させたドラゴンを従えていた。
鎧は制服の様なものであり、よもやこの場で何者かと戦う事になるとはその場の誰一人として思ってはいない。この者達が、油断していたのは確かだといえた。
誰もが、眼前の光景に目を疑っていた。
彼等の視線の先。そこには、草原の只中に突如として現れたかの様に、黒く硬い岩盤の様な物が転がっていた。否、それは転がっていたと言うにはあまりにも地面と一体化しており、劣化の度合いが薄い事から、その場に現れてからまだ日が浅いという事実を窺い知る事が出来た。
この黒く硬い”何か”の中には小石や貝が見て取れ、まるでこの黒い部分をつなぎにして人工的に配合した物を固めた様にも見てとれる。
「メラルさん、やはりリントを一人で視察要員として派遣した事には問題があったのでは……」
隊員の群れの中から一人の女性が指摘すると、今しがたアスファルトという物を生まれて初めて目にしたメラルはこう言った。
「上の命だ、それは仕方が無い。それに、リントがこの場に居合わせたとして、何か状況が変わったか?」
「それは……」
「昨日、魔力感知デバイスに強い反応があったのがここだけでは無い以上、他の現場へと向かった者達からの情報と総合したうえで結論を出すべきだ」
別の男性隊員が、ぽつりと呟く。
「……最悪の、シナリオは?」
「ベル、解っているだろう? 解っているから訊くのだろう?」
ベルと呼ばれた隊員はその恐ろしい一言をあえて口にした。
「エルフによる……新型兵器」
先程の女性隊員は、ベルと未知の技術により作り出された黒い塊を見比べて言う。
「コロニーから堂々と打って出る事も無く、遠距離を局所的に攻撃する兵器の実験という事ですか。なんと卑劣な……」
「マリー、いや、この場に居る全員に問おう」
一際真剣な口調になるメラル分隊長に、部下達は姿勢を正した。
「私が訓練の際、常日頃からお前達に言って聞かせている事は何だ?」
一切ばらつくことは無く、隊員達は答えた。
『目的は、敵を憎む事では無く、任務を完遂する事である! 鍛錬はその為の手段である!』
「そうだ」
メラルはアスファルトを指差して続ける。
「相手がどの様な手を使って来ようとも、職業軍人たる我々にとってそれは”情報”でしかない。そこに善も悪も見出すな! これを見て、どうすれば敵に対処出来るかだけを考えろ! でなければ、数十万人ものクニの民を護る事は叶わないと知れ!!」
『はっ!』
戦の気配を、その場の誰もが感じていた。
*
良明も陽も、すっかり観光気分だった。
昨日一昨日と稼いだ金で、朝一で服を買った。陽の発案だったが、藤も”人目につかない方が良い”と言って賛成し、良明もそれについて行く形で三人で服屋へと赴いたのだ。
服屋の店構えは雑然としており、雑多に並べられた衣服のジャングルは現代の世見国で暮らしていた彼等には”お洒落な店”とは言い難かったが、品揃えのセンスは確かだった。
紺色の幾何学模様を染てある白い長袖のワンピース。腕章の様に袖を一周する三角模様が本人曰く”波長が合う”とのことで、陽はそれを買った。
ざっくばらんに言ってしまえばエスニックな鶯色のズボン。ポケットがいくつもついているそのズボンはむこうの世界にもギリギリ存在しそうなデザインで、上半身はやや黄色にくすんだ白の長袖を合わせた。肩口から袖にかけては別のパーツになっており、胴体部分と袖を縫いとめる様な具合で太い紐で固定してある。良明はそれを選んだ。
藤は、当初自分が稼いだ金ではないからと躊躇いがちだったが、陽による一方的なコーディネートを断れなくなって彼もこちらの世界の服を着る羽目になった。一見するとジーンズの様にも見える深く荒い色の紺のズボン。白くシンプルなシャツの上から、ルーズに着こなせて汎用性が高そうなデザインのジャケットを羽織る。
わいわいと、完全に街に遊びに来ているノリで服を買った三人は、店を後にすると次なる目的地へと向かい、一息ついた。
準備を整えた彼等は、ついに異世界の鉄道の利用に挑もうとしていた。
券売機など皆無でありアナログを極めている、ある種のノスタルジーさえ感じられる駅の窓口で、木製の札という形で販売されている切符を購入。その後、周りの一般人を注意深く観察しつつ何とか電車の時刻表と路線図を見極めて、藤が目指す方向の、とある駅に目星をつけた。
どうなるのか解らない。どこに着くのか解らない。元居た世界とは駅の数も場所も違うらしかった。
そもそも藤の推理が根本から間違っていて、ここはパラレルワールドなどではなく全く別の世界である可能性もまだ残っていると言ってよかった。
だから、良明も陽も先程から度合いにこそムラがあったが、笑顔が止まらないのである。
だって仕方が無いだろう、と二人は思うのだ。
「私、木造の列車に乗るのなんて初めてだよー、しかも超真新しいし」
ビロードの生地に覆われた座席に腰かけた兄妹は、ずむりと身体を埋めていく様な弾力性の椅子に驚きの声をあげた。
「うっわ、凄、なんだこれ」
良明は、自分達とは対照的になんらこの椅子に対してリアクションをしない藤を不思議そうに眺めて言った。
「ふっさん、もしかしてこういう旧い列車とか乗った事ある?」
藤は答える。
「ん、ああ、まあね」
良明も、陽も、本当に不思議でならなかった。
座席だけではないのだ。左右を覆う飴色の壁、床に敷かれたくすんだこげ茶の板。
縄と木材で構成されたつり革や、木のフレームとツタを編み込んだネットからなる荷物棚。どれもこれも、現代の世見国には殆ど現存していない物だった。
そもそも、窓の外から見える駅からしてそうだった。
石垣の上に砂利や砂を敷き詰めてあるプラットホーム、顔料で行き先の風景が描かれた木製の板、駅舎には人が溢れ、売店から出て来た売り子は駅弁だなんて情緒溢れる物を売っている。それでいて面白い事に、駅弁に書かれているのはれっきとした世見国の言葉なのである。
これに、ワクワクするなという方が無理というものだろうと双子は思うのだ。
「二人とも、さ。楽しんでいる所悪いんだけど……」
という藤の最初の一言を聞いた時点で、兄妹は彼が何を言いたいのかを理解した。
「状況が、状況だから……どうしても俺は楽しめない」
パラレルワールドに飛ばされ、帰る方法も定かではない。あるかどうかも解らない。金は何とか調達出来たが、この先に待ち受けるのは夢で見た巨大なドームの破壊。藤が言いたいのは大方そんなところだろうと二人は思った。
「藤君、私思うんだけどさ」
「……なに? 英田さん」
「なにもそんなさ、壊す必要なんて無いんじゃない?」
「……え?」
「なにも壊さなくったってさ、お邪魔しまーすって言ってその施設に入らせてもらって、真正面から事情を説明してさ……」
「無茶だ! 相手は俺達を敵だと思ってる!!」
唐突な、藤の威嚇的な剣幕。
「……え?」
「そ、そう……夢で見たんだ」
「あ、ああ……」
藤は頭をかきむしる。
「なんで、こんな想いしなくちゃいけないんだ……」
その表情は悲痛で、苦しそうで、まるであらゆる困難をその身一つで背負いこんでいる様な重さだった。
まるで、昨日までの藤とは別人の様にさえ思える。
陽と藤の会話をそれまでただじっと聞いていた良明だったが、彼は漸く口を開いた。その口調は仲間を思いやる様に、ここまでの旅程を彼に任せっきりにしていた事を詫びるのである。
「ふっさん、ごめん。俺達色々と任せっきりにしてたよな……確かに浮かれてた。昨日の路銀稼ぎみたいに、やれる事はやるからさ…………その、もう少しだけ……ふっさんも楽になってくれよ」
その良明の言葉を聞いた藤は、俯いていた顔を上げて眼前の友人を見た。その表情を目の当たりにして、良明は正直驚いた。
(ふっさん、なんて顔してるんだよ)
藤の表情は、直前までのそれよりもさらに輪をかけて辛そうで、まるで良明が放った一言がとどめとなったかの様に、今にも涙を流してしまいそうな程に苦痛に歪んでいた。
良明は、ついに動き出した列車の中で対面に座った友人にかける言葉を探した。
先に口を開いたのは藤。
「違うんだ、アキ…………はぁ、駄目だな俺……最初に決めた筈なのに。全部、何もかも覚悟を決めた筈なのに」
「ふっ……さん?」
「藤君、大丈夫?」
藤が呟いた言葉の意味を、二人は理解できなかった。
藤は、この時ある葛藤を繰り広げていた。
端的に言えば、義を取るか、利を取るか。
義とは、すなわち英田兄妹やこれまで彼が引き起こしてきた事件の清算である。
利とは、すなわち藤が今この瞬間までにやってきた全ての先にある目的である。
(人間としてのまっとうな評価なんて、今更取り返せる筈が無い。それは、レインを脅迫し、この二人を利用する前から解ってた事だ。それに、今ここで止めたら全てが無駄になる。アキや英田さんや、そしてレインをあんな目に合わせた事に対する対価が、無くなってしまう)
藤の傍らで、兄妹は彼を心配そうに見ている。
(ただ、やり抜いた先で目的が達成される保証なんて、どこにも無い。そうなれば、アキや英田さんの命をいたずらに危険に曝し、最悪俺の所為で二人は命を落とす事になる……俺が得ようとしている結果は、客観的に見てそこまでの価値があるだろうか?)
唇を噛みしめて、藤は震えた。
そうなるだけの理由が、彼の目的にはあった。
「そこのお若いお三方、ちょっとよろしいかい?」
この世界のイレギュラーである三人に、女は唐突に話しかけた。
「あ、はい」
こんな時になんだと思いつつ、良明は通路から声をかけてきた女性に返事する。
「昨日、駅前で芸をしていたっていうのは君達?」
話しかけてきたのは見たところ一般人の様な服装をしており、良明は職務質問の類ではないのだろうと思った。
首までのショートヘア、真珠と思しきイヤリング、白いスラックスにベージュのパンプス。白いシャツにボーダーのTシャツ。勿論、良明達が居た世界のそれとはディテールが色々と違っているが、おおよそそんな恰好をしていた。
眼鏡をかけていないその顔はどこか要領が良さそうで、良明はこの様に思った。
(まるでこの人、俺達が何者なのかを知っているかの様な――)
「ねぇ、君達。お姉さんと一緒に来てくれない? その芸を見込んで良い話があるんだけど」
ぞくり。
良明は、この時言い知れぬ悪寒を感じた。
女の顔は、獣など何の躊躇いも無く殺してしまいそうな程の殺気に満ちていたのである。
その表情は笑顔でこそあったが、良明が思うに”目が笑ってない”とはこういう顔の事を言うのだろうと思った。口元を歪ませつつも、その両の眼は確りと少年を見て片時たりとも離そうとしないのである。
良明は、返事に困りかけながらもこう返した。
「す、すみません。僕達先を急いでいるんで……」
「うーん、私も上司から絶対に連れて来いって言われてて……じゃあ、こうしない? 付いて来てくれたら、ある程度の旅費は保証しよう。その対価として君達は私達に協力する」
「え……と」
がしっ。
良明の腕を握る者があった。




