慟哭に塗れた、(1)
「さぁさぁお立会い! ここに並んで座っているのは不思議な能力を持った双子の兄妹! 何が不思議って彼等、テレパシーが使えます。お客さんが描いた文字なり図形なりを妹がその眼で見て、厳重に目隠し耳栓された兄へとその図形を送信してみせましょう!」
駅舎前の広場の片隅で、藤は饒舌に声を張り上げた。
その背後では、駅から借りて来た長机の向こう側でそれと同じく木製の椅子に腰かける陽と良明。
陽はいかにも達観してますというすまし顔をつくり、良明は藤が言う通り布を小さく切った物で耳栓し、その上から黒い布で目隠ししてある。
駅舎を背にする三人の前には、藤が着ていた作業着が上手い事器の形にして置かれている。どうぞここに金を入れて下さいと言いたいのは何とか伝わる。
駅舎の前はロータリーになっており、そこから三方向へと道が伸びている。道は舗装されておらず、運動場のそれの様な硬い土が敷かれ、所々には水たまりが見て取れた。
一帯の建物の建築様式には統一性が無く、ある建物は木造で、またある建物は石を組んで作ってある。さらに驚くべきは、この元いた世界よりもいくらか遅れた文明を有すると思われた土地には、コンクリートで作られた建物もちらほらと見て取れるのである。
建物を構成する材料の話だけではない。
ベランダやバルコニーがあり、その道側に敷かれた手摺にやりすぎなくらいに豪華な彫刻が施されていたかと思えば、バラックそのものにしか見えない様な適当さの建造物もちらほらと点在する。景観を統一するための法律や、そもそも建築基準を徹底させるための決め事が無いらしい事が容易に想像出来た。
「インチキだろぉ。その客ってのも仕込みなんじゃねぇかぁ?」
どこか愛がある野次が飛んでくると、藤はすかさずその尻尾を掴んでこう言うのだ。
「ではでは御仁、貴方が送信する図柄を書いてみせて下さい」
「面白ぇ!」
出勤前なのだろう、三人が昨日畑で見かけた老人と同じ様な上下白の作業着に身を包んでいる男性は、陽の前に置いてある紙切れへと手早く絵を描いた。雑だが、どうやらドラゴンの様だった。
陽は図形を凝視する。良明がタイムラグ無くそれを描き始めると、群集からざわめきがあがり、今しがたドラゴンの絵を描いた男性へと疑いの眼が向けられた。
「いやいやいや、あんたらやってみなって! こりゃあ凄ぇ……」
男は小銭袋から銅貨を一枚取り出すと、藤の作業着へと入れて次の者を促した。
大体がこれの繰り返しである。
絵を描いた者自体が仕込みの人間なのではないかと疑った者がこの体験をする為に歩み出で、次の者をゾンビにし、時たまそのコンボが途切れた時には藤が売り文句で客の参加を促す。
コストゼロの、美味過ぎる商売だった。勿論インチキでは無い。
なにせ、金を入れる器も用意できなかった無一文の三人組である。芸は身を助けるとはよく言ったものだと思わずにはいられなかった。
転移から二日目の夕暮れに差し掛かる頃には、宿代と一昼夜の飯代を余らせて満腹になれるくらいには稼ぐ事が出来た。
それに味を占めて三日目であるこの日も同じ場所で同じ商売をしているのである。
文字は読めるし、会話もできる。
その事の意味を目の前の事で手一杯であるこの時の双子は考えてすらいなかったが、少なくとも駅の周辺に並ぶ建物のうちどれが食堂なのかを把握する事が出来、その店に置かれていたメニューが何を示しているのかを理解することも出来るのは有り難かった。
空腹を極めていた彼等にはそれこそが重要であり、図らずも故郷から遠く離れたこの土地でストリートミュージシャンの気持ちを垣間見る事になった双子は、思いの外明るい表情で三日目の夜を語らって楽しんでいた。
「何か、生きるか死ぬかって話で言えば、このままこの商売してこの世界で生きていけるレベルじゃない?」
良明の言葉に対して、陽は頷く。
「んだねぇ。帰る方法は帰る方法で調べるとして、拠点の一つでも構えた方が生活はしやすいんじゃない? ルームシェアだよ、るーむしぇあ!」
藤は、二日目にしてこの世界に順応しつつある二人に複雑な気持ちを抱きながらこう言った。
「でも、正直さ。俺の夢の正体……俺は知りたい。そこには帰る方法もあるかもしれないから、出来れば先に片付けたいん……だけど」
双子は、声を揃えて返事した。
「もちろん!」
「もちろん!」
良明は藤を気遣う様に言う。
「今回のお金の稼ぎ方だってふっさんが考えたんだし、俺達だけなら考えても行動にまでは移せなかったよ。やっぱふっさんって頭良いし、行動力もあるよな」
陽は「うん」と頷いて骨付き肉に齧り付いた。色気もへったくれも無い。
藤は、話をはぐらかす気配を極力抑えて今後の事について話し始めた。
「昨日から泊まってる宿は今日までで出て、明日朝一の列車で西に戻ろうと思うんだけど、いい?」
もしゃもしゃと夕飯を楽しんでいる陽と、藤の話に耳を傾けていた良明は「ん?」と声を揃えた。
「”戻る”って?」
「”戻る”って?」
(……しまっ――――)
藤は、己が吐いた言葉を呪った。
事ここに至って、なんてしょうも無いミスをしたものだろうか。たったの二文字で、全てを台無しにしてしまったのかと覚悟しかけた。が。
「あ、ああごめんごめん。二人には言ってなかったね。俺、気づいた事があってさ……」
藤は心内の冷や汗を必死で拭いながら言葉を続ける。
「この世界、どうも……前の世界と似てる気がするんだよ」
この時彼が心の中で思っていた事は、こうである。
(嘘はつくな。綻びになる)
「どういう事?」
「どういう事?」
「考えてもみて。この世界は、朝になると太陽が昇り、夜になれば月が照らす」
「それが?」
「それが?」
「おかしいと思わない? 全く別の世界に来たんだったら、太陽が二つあったって、月が三つあったって良い筈だ。太陽と月以外に、空に大きく姿を現す星があったっておかしくない。……実は俺、昨日星を見たんだけど、あっちの世界で見た覚えがある星座もいくつか確認出来たんだよ」
良明は、友人の話を総合して問う。
「俺達は、異世界に飛ばされたんじゃなくてタイムスリップしたって事?」
陽は兄の言葉に対して指摘する。
「でもでも、それにしてはちょっと文明進んで無さすぎな気もするよね?」
藤は答える。
「歴史の教科書を読む限り、過去にこんな時代は無かった。つまり、ここはあの世界と地続きの未来でも過去でも無いって事だよ」
「……?」
「……?」
「パラレルワールドなんじゃないかっていうのが、俺の考えなんだ」
「…………ああ、パラレルワールドね、なるほ――」
「…………ああ、パラレルワールドね、なるほ――」
藤は絶対解ってなさそうな二人に説明してやる。
「パラレルワールド……並行世界。時間軸や座標を同じくしつつも、同時に存在している別の世界……てカンジかな。テレビのチャンネルを切り替える様に、僕らは同時に存在する世界に移動してしまったんじゃないかって、そう思うんだ」
「だから、星の位置が同じだったって事?」
良明に頷きつつも、藤は「それだけじゃない」と言った。
「俺達が越えて来た山。アレ、明京の外れにあった山に形が似てた気がするんだよ……。俺が”戻る”って言ったのはそういう事。このまま西を目指せば……」
「大虎に……」
「辿り着く?」
「厳密には、向こうの世界で言うところの替川県大虎市がある場所に、ね」
良明は素朴な疑問を口にする。
「なんで今まで黙ってたんだよ、言ってくれれば良かったのにさ」
陽もうんうんと頷いて、それから骨付き肉を頬張った。
「この、混乱し切った状態で確定じゃない情報を伝えて惑わせたくなかった。俺には夢を見たっていう体験があるけど、二人はさ、俺がああしようこうしようって打ち出してる方針を信頼してついて来てくれてるわけで、何か確信めいたものを持って行動してるワケじゃないから……」
良明は手元のリンゴジュースを飲み干し、納得した様な唸り声をあげた。
「……アキ?」
不思議そうに兄の顔を覗き込む陽は気にせず、彼は胸の内を藤に告げ始めた。
「ふっさん、ごめん」
「…………え?」
「俺さ、正直ふっさんが何か知ってて隠してるんじゃないか……って、思ってはいたんだ」
「え!?」
藤は、心底肝を冷やす。
「この世界に来てからずっとさ、ふっさん、迷いも不安も無い様に見えてたから」
「そ、そう?」
「初めてこの町の工場から上がる煙を見つけた時にもそれほど大きくリアクションしなかったし、あの飛行機みたいな物を見てさえそうだった。そりゃ夢で一度見たのかもしれないけど、にしたって現物を目の当たりにして、それから夢と現実が一致した事に対しての驚きはあって当たり前だと思ったから……」
藤は硬直させた顔を良明に向け、そして、絞り出す様な声をあげる。
「へ、へぇ……」
冷めきったスープの様な、不自然な違和感。
冷めたスープがそこに存在すること自体はなんら不思議ではないが、冷めた事自体の経緯にはなにかしらのストーリーがある。
そんな漠然とした”空白”が、良明の中にはあった。
何故だろう。
良明は、どうにもまだすっきりしなかった。
まだ、何かを見落としている気がする。
まだ、藤が語っていない事がある気がする。
(もしこの違和感が俺の思い過ごしじゃないんだとしたら、ふっさんは俺達に何を隠してるんだろう? 何故隠してるんだろう? 俺達に気を遣うくらいなら、全部言ってくれればいいのに。けどこれがふっさんの思いやりの形なら、俺は……)
「ありがとうな、ふっさん」
「え?」
「なんか……気、遣わせてたみたいだから」
「いや、いいよ……」
そう言った藤の顔は、どこか切なかった。
陽は、未だに飯をかき込んでいる。
「やばい、このご飯美味しい。きっとブランド米だ」
「お前、いつから食いしん坊キャラになったんだ?」
気まずい時に何かに没頭するフリをする陽の癖を、良明は勿論知っている。




