三池猫ロック:ソロ(2)
振り向く暇も無く、三池はその場でジャンプした。直後、脚のすぐ下を何かが通過するのが彼女の視界に捉えられる。
「――かぁ、げぇーーー!!」
それでも唄いきった三池は、椅子では無く地面へと着地し、第二撃を上体を反らせる事でかわした。
客達が悲鳴とざわめきを放ち店内の四方八方へと散っていく。中には、どさくさに紛れて店の外へと去っていく者も居た。
誰が何を言うよりも前に、三池は眼前に立つ男に対して抗議と問いの二つの意味を持つ言葉を発した。
「なんだてめぇ!」
男は軽装鎧を身に着けており、手には店の一角に積まれている薪の一本を手にしていた。
「なんだ、だと……?」
歳で言えば二十代前半といったところ。行動からして知的とは言い難いが、人相は見るからに要領が良さそうな顔つきで、肩くらいまでありそうな長髪は後頭部で結んでいる。
彼の姿格好、何よりその態度を視るなり、ドルは青ざめてこう言った。
「まさか……お前、トラク自衛軍の……選抜部隊か」
「……”お前”?」
偉そうに背筋を伸ばす男に睨まれ、ドルは慌てて言い直そうとする。
「あ、あなたは――」
三池は、気に食わないと言った顔をしてドルの言葉を遮り、いきなり彼女の脚へと薪を叩きつけようとした男に詰め寄った。
「あんだァ貴様は! ヒトが盛り上がってるトコによぉ!」
この時、ドルは三池が異世界の住人。少なくとも余程の辺境の住人である事を確信した。
「おい、ミケ! よせ!!」
ドルの怯えた様な声を聞きとりながらも羽虫の如く無視をして、三池はさらに選抜部隊とやらの隊員である男に食ってかかる。
「みんな怖がってんだろうが、あ? 俺と喧嘩してぇんだったらいくらでも相手んなってやっからオモテに出やがれ!」
ざわり。
店内が異様な空気に包まれる。三池と共に盛り上がっていた群集は勿論、二階席で夫々雑談に華を咲かせていた者達までもが二人のやり取りに注目し始めた。
「……いいだろう」
男は三池の暑苦しさとは対照的な、冷めた表情でそう言うと、懐の銭袋から金貨を一枚取り出し、店主へと無言で放り投げた。
周囲が再び騒めく。
金貨など滅多に目にすることは無い彼等であるが、そこに対してではない。
男の一言”いいだろう”。それはつまり、こいつと三池がこの後喧嘩を始めるという事である。
「おい坊主、マジでやめとけ。相手が悪すぎる」
「どこの田舎モンかしらねぇが、自衛軍とか選抜部隊とか聞けば大体何の話か察しがつくだろ!」
「お前……いや、俺等みたいなトーシローが敵う相手じゃねぇんだって!」
三池は、思う。
(誰が、坊主だ……)
店の外ではやかましい程の虫の音が響き渡り、見上げれば星が出ていない空の一角で月が雲の向こうでぼんやりと照っていた。店内からの光と、山の端から辛うじて主張する夕暮れの気配により視界は確保できる。
店の周囲には庭があり、片隅には二、三の種類の野菜が植えられていた。
さらにそれら囲む様に樹木が規則的に並び、そんな風景を横切る様にして石畳の道が大通りへと続いていた。
酒場としては幾分か小洒落た作りのその庭こそが、自衛軍なるものに所属すると自称する男がこの店を選んだ理由だった。
「おい、何してんだ」
と、言われた男はその身に着けていた軽装鎧をひとつ、また一つと外している。一つ一つ丁寧に、ゆっくりと地面へと置いていく。
「貴様の様な下賤の者に、我が誇りを用いて戦うわけにはいかない」
三池は背後の野次馬に振り返ってこう言った。
「いきなり背後から殴りかかってくる奴が誇りとか言ってんぜ?」
男の準備が終わるのを待ってから、三池は一つだけ質問した。
「お前、なんでいきなりあんな事した?」
「余りの下品さに耐えかねただけだ。歌の終わりまで待ってやったのが、相手が下賤の者であるにせよの最低限の気遣いだったのだがな。まさか牙を向いてくるとは思わなかった」
「さっきからゲセンゲセンって、てめぇよぉ……」
三池は腰に手を当て、足首をぐりぐりとまわしながら俯き、言う。
「まずは、そのクソ上から目線やめろや」
ぴくりと、男の眉が人知れず動く。彼は三池の眼光を見て、気が変わった。
唐突に名乗りをあげる。
「私はトラク国自衛軍・選抜部隊リント・ブラックウッドだ。この地方には不本意ながら視察で訪れた」
三池は、後頭部をかきながら面倒そうにこう返した。
「……聞いてねぇよ。三池だ馬鹿野郎が」
その態度に、リント・ブラックウッドという男の中の常識は拒絶反応を示した。
そして、彼は衝動的にこう思考する。
(一時とはいえ、下賤の者に礼節を期待した私が愚かだった。下賤の者には言葉では通じぬ。高等な生活環境で培われた圧倒的な実力を見せつけ、自身の存在の小ささを思い知らせる事こそ唯一必要なコトバか)
対し、三池はあくまで現場の論理を振りかざす。
「喧嘩は喧嘩で楽しむとして。気に入らねぇんだったら口で言えやてめぇ」
「下賤の者にその様な気遣いは不要だ。お前はさっさと俺の一撃を受けてあの場でもんどりうっていればそれで良かった」
「あー、もういい。めんどくせぇ」
三池は、準備運動を追えると眼前の敵を呆れと諦めの色がふんだんに見て取れる怒りの視線を向けた。
「話になんねぇわ、お前」
「もう喋るな。小童」
二人の論議は致命的なまでの考え方の違いに突きあたり、この瞬間、暴力と暴力のぶつかり合い以外の道はまさに閉ざされてしまった。
リントは楔帷子を取り外し、足元へと、落とした。
それと同時に地を蹴り、三池へと襲い掛かる。
とうとう始まった。なし崩し的に二人の喧嘩を観戦しようと着いて来た野次馬が、そのくせ怯えた様な顔になる。
三池はリントから繰り出される拳を見て思った。
(腰入ってんなぁ、確かにいかにも訓練しましたってカンジの完璧な動きじゃあるな……)
そのまま一撃を避け、頬を横切るリントの拳を意識の外へと追いやって懐へと潜り込んだ。が、三池はそこで眼前に彼の膝が迫っている事に気づく。
(パンチは気を引き付けるだけの――)
三池の額へと、頭蓋の内に響く様な衝撃を伴う一撃が叩きこまれた。
「っつう!」
反射的に距離を取ろうとする三池に対してリントはそのまま脚を踏み込むと、振り抜いた右手で薙ぎ払う様に三池の側頭部に裏拳を命中させる。
中空へと逃れようとしていた三池は、その体重の軽さも相まって身体を強引に跳ね飛ばされる様にしてそのまま地面へと転倒した。
落下を開始していた彼女に、その追撃を逃れる術は無かった。
計算高い攻撃の組み立て方に三池はほんの小さく笑いをこぼす。
起き上がろうと手をついた所で、三池は前方に迫るリントの気配に気づく。
(蹴――)
認識するが早いか、三池はさらなる相手の追撃に対応を迫られて防御しようとした。が、リントによる蹴りはそれよりも早く三池へと叩きこまれ、彼女はさらに地面を跳ねて転がった。
「マスター、俺、自警団呼んでくる」
群集の中、客の一人がそう言った。
「アレを止められるのは公的な立場にある人間だけだ。俺等が口を差し挟みでもすりゃあ、アレの二の舞になる」
困惑する店主は、心配そうに三池を見るばかりである。が、成程確かに。このままでは心配するだけでは済まない事態になりそうな戦況である事が彼にも解った。
そこから少し離れている所に居たドルは、その場から一旦立ち去ろうとしたその客を引き留めた。
「待て」
「な、なに。アンタ、ずっとあの坊主と飲んでた奴だろ。止めるなりなんなり――」
「そんな事したら、殺される……」
客は、ドルに食ってかかる。
「てめぇ! あんな小せぇガキ過ぎたばっかの奴をてめぇの身可愛さに見殺しにでもするつもりかよ!!」
血気盛んに道義を叫ぶ男に、ドルはいなす様にこう言った。
「勘違いするんじゃねぇ」
「はあ?」
「俺が言ってるのは、ミケの話だよ。勝負が付く前に自警団が到着でもしてみろ……あの坊主、呼びに行った奴をただじゃ済まさねぇぞ」
客は、「え」と小さく声をあげ、前方を見た。
「そういう眼をしてやがる」
ドルの言葉が耳に届くのとほぼ同時に、三池の顔を視界の正面に捉える。
三池は立ち上がり、血の混じった唾を吐き捨てた。
口元を拭い、前方から尚も追撃してくるリントを見据える。
その眼光は、鬼をも食い殺しそうな色を湛えていた。気に食わない輩に敵意を向ける段階はとうに終え、いまや戦いに集中し、相手をいかに打ち負かそうかと吟味している。そんな眼である。
リントが完全に三池を間合いに捉える。
対する三池は、相手に対して防御態勢を取ろうとしない。誰もが目を疑った。
リントは冷静に分析する。
(何かの罠、か。或いは捨て身で一矢報いようとしている……だがどの道、このタイミングでは間違いなく私の一撃は入る。それで勝負を決せばいいだけの事)
リントは、その長い脚をあらん限りの力で振り抜いた。
ぎりぎりでかがんでかわされる事の無い様に、三池の脇腹へと正確に狙いをつけ、藁人形相手の訓練でも稀にみる会心の一撃を放つ事に成功した。
直後、我に返ってふと思う。
(さすがに、この辺りにしておくべきか。下賤相手とはいえ、やり過ぎると後が面倒に――)
「おうおう、終いかよ」
声は、はっきりとしていた。
三池は相変わらず微動だにせず、二本の脚で立ったまま。リントの一撃を脇腹に受けた状態で、その細い腕を振り込まれた彼の脚に今、絡める。
「っ、なッ!」
(馬鹿な! この華奢な身体で今の一撃を何故耐えられる!? 痛みで立っている事など不可能なはずだぞ!)
「プロだって言ってっから、どんなすげぇ攻撃が来んのかと思ってりゃ……」
絡めた腕を引き、リントの体勢を崩す。
「チクチクチクチクよぉ、クッソつまんねぇ教科書みてぇな攻撃ばっかしやがって……」
「ッ、離せッッ!」
リントは、愕然とした。
(脚が……微動だに、しない!)
「誰が離すか、ばぁーか」
掴んだ脚をぐいと引っ張り、リントが転倒するのが確定するくらいのタイミングで三池は拳を振り下ろす。
彼女のパンチを辛うじて防御したリントだったが、防いだその手に激痛が走る。
二撃、三撃、回を追う毎に狡猾にリントの防御の癖を見抜いて顔へと到達する三池の拳。
馬乗りになられ、リントは脚を動かしてもがき始めるが上手く抜けられない。三池の背中には彼の蹴りが入りもしているのだが、彼女が動じる素振りは一切無かった。
野次馬達は、歴然たる力の差に言葉を失った。
”あの自衛軍”が、”こんな素人”に。
三池がどんな侮蔑の言葉を吐くよりも強烈な屈辱が、現在進行形でリントにまみれていくのが誰の目にもはっきりと見て取れた。
痛快というよりも最早哀れでしかないその光景。
しかし、その哀れという感想を抱く事もまたリントにとっての屈辱である事を理解する者は意外と少なかった。




