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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
7.誰がために
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旅立った子が見る夢(2)



 夫婦の間に、言葉は無かった。

 妻は急須を睨みつける様に緑茶を入れ、夫は二年ぶりに取得した有給の締めに、険しい顔で夕飯の下ごしらえを手伝っている。四人分の肉じゃがに入れるじゃがいもの皮をむき、豆の筋をとる。その単調な作業が、彼に対して全てを忘れさせるささやかな心の平穏をもたらしていた。

 時刻は既に、午後二十時過ぎ。

 普段はこんなに遅い夕飯を取りはしない。


「由さん、終わりそうー」

 衛は、台所に居る妻へと居間から声を張り上げた。

「はーい。ちょっと待っててー」


 由の返事は。その声のトーンは、いつも通りだった。


「……うーい」

 夫は、努めていつも通りの声を作ってそう返した。

 川から程ない場所にある、持ち家の二階建て。購入当初は衛も由も否応なしに高揚感に包まれた。

 水族館勤務の衛はかなりの仕事人間で、働いて稼いだ金をまとめて何かに使うという事がそれまで無かったのも大きいだろう。生き物が相手であるのでまとまった休みは取りづらかったが、しかしながら彼にとってそれは何ら嫌な事ではなかった。

 平日の家庭は由がしっかりと護っているし、彼の仕事好きな性格のおかげでローンで家を建てられるくらい金の見通しが立てられたのだった。


 居間が、無音である事に気づく。


 衛は、テーブルの角の方に新聞紙やミカン入りの籠と共に寄せてあるテレビのリモコンへと手を伸ばした。

 だが、何かに気づいてその手を止める。

「…………」

 硬直し、彼はやがてその手の先をミカンへと伸ばし、一つ取った。

 剥いて食べ始める。

 いつもなら、一番外の皮だけ剥いてそのまま丸かじりするのだが、この日は中の袋の部分を一つ一つ外していき、さらに夫々の薄い膜も剥いていく。

 いつだったか、護の兄弟が自慢げに、ひけらかす様に言っていた。

「”じょうのうて言うんだぜ、この部分……”」

 衛は、何十年も前の兄弟の言葉を再現してみた。

 無意識だった。


 ミカンを剥くのをやめて、衛は窓の外へと視線を向けた。

 ため息をつき、漆黒に塗りつぶされて殆ど何も見えない風景を、眺めるともなしに眺める。


 すると、落ち込んでいる理由を必死で忘れようとしている自分に気が付いた。


(家長だろ。しっかりしろよ)

 衛の中の何かが彼にそう訴えかけているのが解った。

 彼はそれを無視して、窓の方へと歩いていく。言い訳する様に、こう吐き捨てた。

「…………カーテン、閉めて無かった」

 窓の傍まで歩いて行き、カーテンへと手をかける。まずは、白いレースの薄い方。

 衛は、そこで漸く気が付いた。否、数秒前から何か白い光が視界に入っては居たのだが、彼はてっきり部屋の中の照明が窓に映りこんだだけだと思っていたのである。だが違った。光は外に居る何者かの懐中電灯のそれらしく、時折向きを変えていたりしているのである。


「…………」

 それが誰であるのか。

 衛は色々と考えようとしたが、頭はマトモに働いてくれそうも無かった。どうでもいいと、思った。

 だがそれでも彼はガラス戸を開く。

 一畳程の幅の小さな庭の向こうに、どこかで見た事がある顔が並んでいた。


「……君ら、そんなトコで何やってんの?」

 スラックスにワイシャツ。紺色の地味なネクタイという姿の衛に外の者達はいくらか身構えた表情を浮かべたが、程なくその中の一人――少年――がこう答えた。

「すみません、英田さん。今のうちにお話ししておかなければならない事があり、伺いました」


 衛は、うすぼんやりとした思考のなかのうすぼんやりとした記憶を探り当て、彼にこう尋ねた。

「……坂君、かな?」

 少年は自分の左右に立つ二人を見てこう返す。

「はい。こちらが石崎元副部長で、こちらが飛道部元部長の直家先輩です。あ、僕は今年の部長をやら――」


「ああ、ご、ごめん。ごめんね坂くん。ちょっと今……俺マトモに会話できる状態じゃないから……せっかく来てくれて申し訳ないんだけど、今度こっちから学校に出向くから今日のところは…………」

 息子と娘の先輩が、わざわざ家まで来てくれているのに、追い返す。その行動がいかに不躾かは今の衛にも理解出来たが、彼自身が言う通り、今の衛に心の余裕など皆無であった。

 坂は、励ましに来てくれたのだろうか。それとも我が子の遺留物(・・・)でも届けに来てくれたのか。そういう思考すら浮かばない。


 ただ、目の前に良明と陽に関わりのある少年少女が居る。それだけは確かで、それは今の衛にとっては居なくなった我が子を思い出させる辛い事に他ならないのであった。

 外から衛を見上げている三人のうち、直家が畳みかける様に早口でまくしたてる。

「お気持ちはお察しします。我々も、今この時何の事前連絡も無くこちらに押しかけるという事が無礼だというのも解っています。ですが、今でなければ、こういうやり方でなければ、お会いしていただく事叶わないと考え、あえて伺った次第です。マスコミも、何れ英田兄妹の家(こちら)を嗅ぎ付けるでしょう。その混乱よりも前に、どうしてもお伝えしたい事があるんです」

「マス、コミ……」


 石崎が直家の勢いを引き継ぐ。

「明京のガルーダイーター本部の駐車場で、突如として消失した五人と三頭。現場では目撃者も多数いて、どこの局だったかの中継ヘリもその瞬間をバッチり捉えた。そしてそこに現れたもの。雑な円形状に繰り抜かれた様に消失したアスファルトの代わりに、まるで何年も前からそうだった様に、その円形の部分だけに生い茂る草。それが何を意味するのか。民間人たるマスコミが真っ先に調べるのは消失した人やドラゴン達の関係者です。そりゃ当然ここに殺到しますよ」

「…………それを伝える為に、わざわざ? 電話でも……」

「違うんです! 英田さん!」

 坂が何かを言おうとしているが、衛にはもう、そこから先に耳を傾けるだけの気力は残っていなかった。

「本当にすまない、いずれこちらか連絡するから、今日はもう――――」


 衛がこのタイミングで坂達の背後に控えている者の存在に気づいたのは、果たして偶然なのだろうか?

 或いは、彼は心のどこかで求めていたのかもしれない。

 我が子がこの世界から消失した理由を、意味を。


 直家の五メートル程背後で、リンの陰に隠れる様にして様子を窺っているドラゴンがいた。金眼のまだ若いそのドラゴンの名を、衛は子供達から聞いて知っている。

「……レイン?」


 直家は改まった様子でこう言った。

「竜術部でもなかった僕がこの場に居る理由の一つが、彼女です」

「……?」

「坂君も石崎さんも、竜の言葉は解りません。代わりに僕が翻訳させていただきます。それから……今回の一件、或いは、僕にも責任があるかもしれない。ですから、僕は今、貴方と話さなければならないんです」


 レイン。

 良明と陽が、我子達が竜術部に関わるきっかけとなった金眼のドラゴン。

 石崎が言う通り、これからしばらくの間報道関係の取材が来るのであれば、レインとコンタクトを図る事も困難になるだろう。

 衛は、疲弊しきった眼をしていながらも彼等を家に上げることにした。

「今、玄関の戸を開けるから。入りなさい」



 いつだったか。

 春先に、英田家はこうして大虎高校の生徒を家に上げた事があった。その時は衛は仕事で家に居らず、由がすき焼きを振舞ったのだと彼は後から聞いた。

 衛は、むきかけのみかんを冷凍庫の中へと適当に仕舞うと、居間へと戻って彼女の名前を思い出そうとした。

(名前を確か……)

「樫屋先輩……うちの元部長と、藤。そして他校の生徒である三池さんが、良明君達以外の居なくなった人間です」

 坂新部長は、出された茶に口をつける事も無く、英田夫妻を順番に見て話を切り出した。


 直家、坂、石崎、その横にレインとリン。

 並んで座る来客によって、衛と由は目を背けたくなる現実を直視させられた様な気分になっていた。否、彼等が運んできたのは紛れも無く良明と陽に関する情報である事に疑いの余地はなく、それは今日の日中数時間に及び警察に対して事の次第を問いただし、結果殆ど何の成果も得られなかった夫妻にとっては眼を向けるべき相手なのである。衛も由も、心身ともに疲弊しきっている。それでも、である。


「単刀直入に最重要な事からお伝えします」

 坂の言葉に、夫妻は聴覚へと意識を集中した。

「良明君と、陽さんは、どこか(・・・)で生きている可能性が高いです」

「っ!」

「本当ですか!?」

 由に問われ、坂は冷静に答えた。

「”可能性が高い”という事については本当です」


「それは、どういう……?」

 衛に問われ、坂は答える。

「これも、”可能性”という言葉で逃げ道を作らなければならないのが申し訳ないのですが……」

 そして彼はその一言を初めて部員以外の者に対して口にする。

「今回の一件……首謀者は、彼等と共に消失した藤である可能性が極めて高いから……です」


「…………え?」


「……僕は明京へと発つ前、直家先輩の通訳を通してレインが知りうる全てを聞きました。だから、急ぎました。本当に、竜に乗った経験の無い人間が出していい速度ではなかったと思うくらいに、急ぎました。でも間に合わなかった……」

 坂は、正座した脚の上で握り拳に力を籠める。

「あと少し、冷静になっていれば。家に帰って自分の携帯電話を手にして、それを使って良明君に電話していれば……ッ! もしかしたら、状況は違ったのかもしれない……」

「坂、落ち着きな。それじゃあアキと陽のお父さんもお母さんも意味が解らないよ。それに、ここまで念入りに準備してきた藤がそんな事を計算に入れなかったとは思えない。たぶんアンタがアキに説明しても、あの子達の行動は殆ど変わって無かった筈だよ」


 困惑する夫妻を前に、レインは「グアィウ」と鳴き声をあげた。

 直家はそれを世見語へと変換して伝え始める。

「”私が、アキや陽に助けられたのはお父さんもお母さんも知ってると思う”」

 衛と由はレインへと視線を向ける。

「”私をあの土手に閉じ込めたのは、藤”」

 衛は驚愕する。

「なっ!? いやでも、あの時藤君も一緒に居たんじゃないのか!? そうだ、この家に駆けこんでスコップを貸す様に頼んだのは彼だった!」(※1)

「”全て、演技です……”」

「そんな……いやだが、それが本当だとして何の為にそんな事を」

「”今思えば、全部あいつがやった事だったんだ”」



 レインは、彼女が知りうるすべてを告白し始めた。



※1・・・・【1.兄妹と龍球 ターニングポイント(6)】参照

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