カナタへ(2)
連山高等学校二年生・相生裕子と角川朝美もまた、今回の座り込みに参加しようとこの場を訪れた者達だった。
部を引退した江別はそんな彼女達の動向をいち早く察知し、ドラゴン達と共に彼女等と行動を共にしている。
そんな江別は今、この場に来たことを心の底から後悔していた。
「おい、アレ……」
そう言って指差した先に在る物を、彼の後輩の二年生は青ざめた表情で見た。
「あーちゃん……なに、アレ……!?」
「…………あらまぁ手の込んだドッキリだ事で……」
裕子と朝美の前に立って盾になった江別は、そんな自分の行動が信じられなかった。
群集の内、数十名が突如として中空へと浮き上がっていた。
ドラゴンに乗っているわけではない。特別な機材を身に着けているわけでもない。
様々な普段着に身を包んでいた男女が、音も無く、あたかも重力を支配しているかのように高さ五メートルの所を浮遊しているのである。
その理由を知らない誰もが驚愕に目を見開き、一歩も動けなくなった。
浮遊した数名のうち、特にリーダー格とも見て取れないある一人が声を高々に叫ぶ。
「追うぞ! 三池以下数名を園宮さんの所へ向かわせるな!!」
彼等は、号令も無しに唐突に高度を上げ、三池達の方へと飛んで行った。
あっけにとられ何も言えないでいる群集の中から、一人の男性が歩み出る。
黒いスラックスに白のワイシャツ。腕まくりしている。
年齢で言えば三十代に入るかどうかという辺りの彼は、「やれやれ」と言って傍らに居た竜王高校龍球部・ライの肩をぽんと叩いた。
「すまん、ライ。あの馬鹿を俺と一緒に手伝ってくれないか?」
ライは、男を見上げて不思議そうに尋ねた。
『えー、いーの? ミケを止める為にここまでこっそりつけて来たんだよねー?』
男は、黙る。
『…………山村?』
そして、彼の名を呼んだライに男はこう告げた。
「本気で止めるつもりなら、あいつがここに到着する前にやってただろうなぁ……」
『……?』
「俺も、毒されたんだろうさ……あいつの青臭さに」
藤は携帯電話を胸ポケットに仕舞うと、外へと流れていく煙の向こうに薄っすらと見て取れる、憎き人影を覗き込む。直ぐに机の陰へと身を隠した。
会議室の中はいたるところが焦げ、壁や机は巨人に叩き壊されたかのように破壊されていた。
充満する煙、机の焦げ、破壊された様々な物。それらが何による仕業であるのかは、藤と園宮の冷静さを見れば明らかであった。
「園宮さん! 今のはなんですか!?」
部屋の外から叫び声がすると、園宮はどこに居るとも知れない藤へと語り出す。
「やれやれ、外の警備が今ので不審を抱いたよ。君の所為で全てがバレかねない」
「アンタが後先考えずに爆発させたんだろ!」
机の陰から姿を現した藤は、臆する様子も無く園宮を睨みつけた。
「この程度の挑発に耐えられない者が、ここに至るとはね……」
園宮は、ため息一つ。自身が【キューブ】と呼んだ道具を前方へと翳し、今一度一帯へと炎を吹きかけた。
とその瞬間、彼は藤の抑えきれない不敵な笑みをその顔に認めた。
「戻れ!」
と、少年が口にして程なくだった。園宮は、腰に極めて強い衝撃を感じ、前方へと転がる様にして倒れ込んだ。
「ここに至る様な人間が、この程度の挑発に乗ると思いますか?」
藤の所有する警棒型の道具――彼が呼称するところの【デバイス】――は、園宮の腰を打った後放物線を描いて藤の手へと戻った。
藤は、一歩一歩園宮へと歩を進めていく。
「そのデバイス……【キューブ】を渡してください」
「命に……代えてもォ!!」
園宮がうつ伏せになって尚その手から離さなかったキューブを前方へと翳すと、瞬間、藤の周囲の空気が熱を帯び始める。
炎は無い。ただし、決して自身の体温とは考えられない程の熱の塊が、確実に藤を取り囲もうとしているのである。
「またか……ッ」
毒々しく呟いた藤は咄嗟に地を蹴り、三歩後方へと飛び退いた。
同時に、一瞬前まで彼が居た辺りが破裂音を伴って爆炎に包まれる。凄まじい風圧に、藤はそのまま飛ばされて壁へと叩きつけられた。
少年は片手で体重を支えながら立ち上がると、やかましく園宮の名を呼ぶ声が出入り口から聞こえている事に気づいた。同時に、男達が先程彼が鍵をかけたドアを蹴破ろうとしている事を悟る。
藤は今の攻撃で負傷したのか、頭から流血しながらも園宮に対して指摘した。
「どの道、貴方はいずれ正体を明かされる!」
園宮は警戒しながらも藤の方へと一歩一歩近づいて行く。
「少年。お前は、イレギュラーなんだよ。魔法が無いこの世界において、今この場で起こっている事象へとお前以外の人々が辿り着く事など不可能だ」
「この世界の鑑識を舐めない方が……良い」
ふらふらと何とか自身のバランスを保ちつつ、目元の血を拭って前方を凝視する藤。
「何かにカモフラージュする事は不可能でも、魔法という結論には至り得ないさ」
園宮は絶えず脚を動かし、藤に接近してくる。藤にはそれがまるで、死へのカウントダウンの様に思えてならなかった。
「お前さえこの世界から消えれば、私の世界がエルフに滅ぼされる事は無いのだよ」
「言ってるでしょう? 俺は自分の有るべきところに帰りたいんだ」
「聞けない願いだ。お前がエルフ側の者ではないという保証がどこにある? ここまでの騒ぎを起こした事が何よりの反乱の証だろうにッ!」
藤は背筋にぞくりと冷たい物を感じ、咄嗟に前方へと駆け出す。
再び背後で爆発。
「っくそ!」
先程と同じように吹き飛ばされ、今度は床へと叩きつけられる藤。
「そんなもの、興味無い! 俺は――」
直ぐに立ち上がり、追撃を警戒しながら園宮の言葉を否定しようとした藤。
さらなる一撃の為に歩を進めていく園宮。
両者の間に、割って入る者があった。
先程から続く爆破で一部の窓は粉々になって外へと飛び散っていた。当初は外からの襲撃に備えて設置されていたベニヤ板も、同様である。
園宮が【キューブ】による爆発を巻き起こすにあたり、このリスクを計算に入れなかったのは、まさかこの煙を噴き出し続ける部屋へと窓から突入してくる大馬鹿者などいる筈がないと決めてかかったからである。
事実、先陣を切ってその場に現れたのはまごう事無き大馬鹿者達であり、園宮の想定の範囲外の存在であった。
「よう、遅くなったなこの野郎」
三池は部屋の中へと着地すると、藤を見上げてそう言った。
彼女が窓の外を滞空するクロに対し「下の奴等を頼む」と言うと、彼女の相棒は「グア」と鳴いて下降していった。
地上から大軍を挙げて攻めてきている者達の声が、部屋の中まで聞こえてきている。
三池は、続いて藤と対峙する男の方を見てこう言った。
「今回の一件をサツがどう処理するかは別にして。園宮とか言ったか? てめぇただで済むと思うなよ?」
「……お前は?」
問われて三池は名乗る。
「三池だ。この春に部を引退した龍球選手だよ。これ以上の説明は要らねぇだろ」
「…………三池、我々は――」
三池は、立ち上がって仁王立ちになると、園宮を睨みつけて猛った。
「うっせえよボケ!! 散々俺等をいじめやがって! てめぇらのクソみてぇな偽善の為に、どれだけの人間が迷惑してると思ってんだ!! こうなる前にいくらでも話し合いの場は作れただろうが! 今更弁解しようとすんな、このゴミ野郎が!!」
園宮は、作って冷静な表情を浮かべて三池を見据える。
彼の眼は自らが作り出した罪そのものを映し出していた。
「歪だったのだな……最初から」
「ああ?」
何が歪なのか。シンプルな問いが三池の頭を埋め尽くそうとした。
「三池さん」
実用に耐えるぎりぎりの思考回路しか持ち合わせていない三池にとって、この時藤に話しかけられるならばできればそれは問いかけ以外のものであって欲しかったが、そうはいかなかった。
「アキと、英田さ……陽さんは?」
「俺を追って向かって来てんよ。樫屋の奴も。一階からも他の学校の奴等やらこのクズに恨みがある奴が押し寄せて来てる。心配すんな、何もしなくてももうこいつは詰んでるよ」
三池は、辺りを視線だけで確認して問う。
「それよりさっきの爆発はなんだ? この部屋の有様はどういう事だ? ここで一体何――」
木材が打ち壊され、カーペットの上へと叩きつけられる音。
その場の三名が反射的にそちらへと視線をやると、シールドを持った機動隊とその脇を固める警備会社の関係者が部屋の中へと雪崩れ込んできた。
「やっと来たか」
と言う園宮を見て藤は舌打ちする。
「爆発の魔法を使ったのはこの為かッ」
「ハッ! プロが相手か、面白れぇ!」
三池は迷う事無くその群れへと向かって行く。今しがた藤の口から出た”爆発の魔法”という単語が気になりはしたが、目の前にぶら下げた餌に食いつくのが先である。彼女は視線は前方に向けたまま駆け出し、藤にはこう指示した。
「そのおっさんが逃げねぇ様に見張ってろ!」
「拘束するぞ。事が収まり次第本部に引き渡す」
と口にした男のシールドを左手でかき分け、三池はその向こうの顔面へと拳を叩きこんだ。
「お前!!」
一斉に警棒を振り上げる隊員達。三池は、彼等の足元を注視した。
大半がシールドを地に着けて防御している中、二人だけシールドと地面の間に些細な隙間がある者が居た。三池はその隙間へと思いっきり右の足を叩きこみ、バランスを崩したその相手の懐に潜り込む。
「ッ!」
反射的に仰け反った男の腕を掴むと、三池は軸脚に自身と男の全体重を乗せ、一気にその隊員を投げ飛ばした。
それにより前方の数名が二歩程後退したのを彼女は見逃さない。
一瞬の隙にねじ込む様に拳を繰り出し、その鼻っ面へと容赦のない一撃を叩きこむ。
その時点で三池は数名の隊員に対して完全に背を向けた形となっている。相手もプロだ。素人の隙の一つ、見逃さない筈が無かった。
三池の脇腹へと、全力で振られた警棒が叩きこまれた。
瞬間、誰もが好機であると悟る。一斉に三池を取り囲もうと夫々の判断で位置を調整しようとした。
が。
「油断したとでも思ったか?」
三池へと一撃を与えた隊員に振り返り、ぎろりと睨んで彼女はそう言った。




