闘争(1)
――――ジリリリリリリリリン……ジリリリリリリリリン……
――――ジリリリリリリリリン……ジリリリリリリリリン……
「アキ、電話」
隣の部屋を繋ぐ穴から陽の声が聞こえ、良明は漸く我に返る。
ぼんやりと天井を見上げたまま、手探りで枕元を探る。携帯電話を手に取り、特に陽に対して何か言うでもなく、携帯を開いた。
「…………はい」
『あ、アキ!? アキ、いま、大丈夫!?』
「……ふっ……さ、ん?」
『うん!』
「ふっさん!!」
良明はがばりと上半身を起こし、意味も無く自分の両足を凝視してスピーカ越しの友人の声に耳を澄ませた。
陽が真剣な顔をして窓辺の穴から良明の部屋へと入ってくる。
「ふっさん、どうしたんだよ。連絡入れても携帯出てくれないし、心配したんだぞ!」
陽が良明の目の前に座りこむ直前くらいのタイミングで、藤は電話をかけてきた理由から話し始めた。
『ごめん、手に負えなくなった……』
「え、なに?」
『今、英田さんそこに居る?』
「居るよ、すぐ傍で聞いてる。ていうか例のアレで陽にもこの会話伝えてるけど良いよな?」
『テレパシーの事? ……場合によっては、それはやめた方がいいかもしれない』
「ふっさん、それどういう事だ?」
『あーいや、どうだろうな……』
会話をシェアして貰っている陽の脳裏に、例の良明が死ぬ夢がちらりと過った。
今、首を突っ込んでおかなければ良明の身に何か良くない事が起こる気がする。漠然とそう思った彼女は、兄の傍で藤に聴こえる様に大きめの声でこう言った。
「私も聞く! なに? どうしたの?」
躊躇いを捨てた藤は、現状の説明として、第一声に端的な言葉を選んだ。
『ごめん……今、監禁されてる』
「はぁ!?」
「はぁ!?」
『解ってると思うけど、レインを追って明京まで来たんだよ、俺。まぁそれはいいんだけどさ……その、ガルーダイーターの本部前の人の多さに圧倒されてレインを探すどころじゃなくなって……』
「ま、待ってふっさん、監禁って誰にだよ? まさかガルーダイーターがそんな事――」
『そのまさかだよ。今はガルーダイーター本部の地下倉庫。掃除用具に囲まれながら電話してる。……こいつら、俺が思ってた以上に普通じゃない。大会の時の空き巣事件も案外ガルーダイーターの誰かが嫌がらせでやったってオチなのかもしれない』
藤の口から出てくる言葉は、兄妹にはにわかには信じられなかった。
「そうは言っても、相手は世論を操作できる程の巨大組織だろ。そんな不祥事の一つでも起こしたら、ガルーダイーターへの批判も凄いんじゃないのか? 一気に俺達側に状況が転びかねない」
『だから、俺も良く解らないんだよ。内部でも派閥が有ったりするのか、或いはガルーダイーターを騙る誰かが俺を攫ってガルーダイーターへの批判に繋げようとしているのか……いや、でも事実ガルーダイーター本部に閉じ込められている事を考えたらそれはないのか……?』
ドラゴンを愛好する側にそんな暴挙に及ぶ者が現れた、とでも言うのか。そう口に出そうとして、良明は躊躇った。
何故か。ガルーダイーター側の異常性が実際の所どうなのかは不明だが、少なくとも座り込みをしている側の人間は一枚岩ではない筈だ。今日の夕飯の時に見たニュース映像で機動隊に突っかかっていく男が数名映っていたが、それを良しとしない参加者もいるだろう。
兎に角、今はそこはさした問題では無いのだ。そう判断し、良明は話を進めた。
「ふっさん、でもそうやって携帯で話せてるってコトは警察には連絡したんだよな? 実行犯の見た目とかは覚えてた?」
『アキ』
「うん?」
『それがダメだったから、アキに連絡を入れたんだよ……』
「ちょ、”ダメだった”って、なんで!?」
『見張り役の奴の眼を盗んで三回程110番してみたけど、基本繋がらないんだよ。三回目……今さっき、やっと電話が繋がりはしたんだけど、座り込みしている人達の悪戯みたいにあしらわれてそれで終わり』
「なんだよそれ!」
陽が口を手で覆う。
『……アキ。いい? レインをここに探しに来ても、この人込みじゃあ多分見つける事は出来ない。そういうレベルの人の多さじゃないし、現場が混乱してきてる』
「ふっさん、俺、今からそこ行くから、怪しまれないようにじっとしててくれ。混乱に乗じて俺がこの手で直接助け出す」
『無理だって。大体、世間様にはガルーダイーターが正義なんだ。そんな事、しようとしただけでアキの将来にも関わる』
「ふっさん!」
『……俺が馬鹿だったよ。俺、あの雨の日、ケージに閉じ込められてたレインをアキと英田さんに任せっきりにして、その後もレインの事は殆どなにもしてやれなかった。だから今度こそは、一人で何かをやり遂げたかった……でも、甘かったんだ。到底俺がどうこう出来る問題じゃなかったんだ』
「…………」
『……アキ、いい? 俺は今、助けを求めて電話してるんじゃないんだよ。警察に任せて、ここには絶対に来るな、今回の件には首を突っ込むな。そう言ってるんだ。レインの事ももう、警察に任せた方が良い』
「ふっさん」
『……なに』
「俺が、そんな事言われて黙ってられる奴だとでも思った?」
『ッ! ダメだ、アキ!!』
良明は、携帯電話の電源をオフにした。
陽は、兄の顔を覗き込む。そして、何かを心に決めた様子の彼に対し、強い意志を込めてこう言った。
「私も行く」
「……解った。けど、出発は明日の朝。学校に出るのと同じ時間だ。今からやれるだけの準備を整えて、父さんと母さんに書置きの一つでも残して」
「まるで、レインだね」
「だから、せめて俺達は伝えられる事は全部書いてから行こう。それは俺がやる」
「わかった。じゃあ私は必要な物をアキの分も準備する」
「任せた」
まるで最初から取り決めていたかのようにスムースに話が纏まるのは、この二人ならではだと言って良いだろう。お互いに何を言ったら拒否するのか、何を言ったら納得するのかを知り尽くしているために、余分なやり取りを省いて話の落としどころへと一直線である。
「………………」
「………………」
だから、この企みにおける最も危惧すべき点もお互いに理解していた。
「…………父さんと母さん、怒るかな」
「マジギレ、するだろうねぇ…………」
「……まぁ、それどころじゃない状況だし……」
諦めの境地に至った顔で、陽はあまりの絶望に笑みさえ浮かべた。
良明はそんな彼女の名を呼び、顔を上げさせた。
「陽」
「ん?」
「叱られる時は俺も一緒だ。頑張ろう」
「うん……」
良明は、今一つ気合の無い返事をする妹を見た。
浮かない顔の陽が言いたい事は、すぐに解った。それは彼も今日一日ずっと考えていた事だ。
「もし、藤君を助け出せたとして、レインも見つかったとして、それでも……」
「あんなやり方……座り込みで、世論が動くのか。廃部が撤回されるのか…………だろ?」
「……うん」
家の外の虫の音が、不意に意識の中へと入って来た。
*
事件三日目。
一面ガラス張りの空間に、青いカーペット。ガラスを正面に、背もたれの無い長椅子が五列八行に亘って並べられている。正面中央には一台のテレビ。そんな待合所が、間隔をあけて遥か数百メートル先までいくつもいくつも並んでいる。
待合所のテレビでは相変わらず明京の話題が取り上げられ、国際ニュースでもこの国のガルーダイーターと一部市民とのいざこざが紹介されるに至り始めた。これは反ガルーダイーター派にしてみれば良い兆候と言える。国内のマスコミはスポンサー企業のメンツを保つために世論にすり寄る報道しかせず、ガルーダイーター側に不利になる様な情報は極力扱わないのが常であるが、海外の番組ではそうはいかない。
世見国という極東の国での騒動として極めて客観的に事のあらましを述べ、それ以外の意思が介在する理由は無いからである。
そういった報道がされつつも、明京都にある国際空港では便数を減らしつつもフライト自体は生きていた。
尤も、観光を目的として世見へと入国する外国人の数は半減し、出国する人間がほんの少し増えるという状況ではあったので、減った便は主に国内へと降りてくる飛行機の方である。
男は、短髪をわしゃわしゃと触って手荷物片手に歩いていく。
預けた荷物は無い。そんなものを用意する暇は無かったし、最悪こちらの家に帰れば服ならいくらでもある。
長身を揺らしながら”東出口”と書かれたパネルを辿って行くと、最後に見慣れた白い鉄骨が温い風と共に彼を出迎えた。
空港の建物から外へと出ると、タクシーの列の向こうで高速バスが待機していた。
「あれ……かな?」
呟くと、男はバスの行先を確認して「あ」と声を漏らした。
「あれ、だな!」
バスのドアが閉まり、エンジンがぶるるんと音をたてる。
「やば、やばいな! やばいな!!」
駆け出す男。慌てている為躓きそうになる。切れ目の色男が台無しである。
予約しておいた高速バスにいざ乗ってみれば、客は驚くほど少なかった。
平日の、真昼間。当然と言えば当然の様にも思われたが、ここは国の首都を代表する国際空港である。ガルーダイーター本部で起こっている事件が、この客の少なさの原因である事には疑いの余地は無かった。
飾りが豪華だけれども、どこか古臭いガラス製の照明カバー。
分厚いビニル製で、赤いレンガを模した床。
やたらとごつごつしている黄土色のカーテン。
芳香剤だか、バスを構成する素材だか、どこから香っているのか判らない独特の匂い。
車両前方では今、外の景色が国道へと移り変わった。
色男は人知れず、密かに思う。
(これだけ急いで向かって、あいつが現場に居なかった日には俺はとんだピエロだな……)
とんだピエロだな。
などというおもしろい表現がひとりでに沸いてくるあたり、彼の性格がよく解るというものである。
面白い表現があれば直ぐ使いたがる。すなわちお調子者。冗談好き。
彼は、一体何者であるのか。
実は既にこの物語の中でも既に彼の存在は確認する事が出来る。
男は、車内を見回してみた。
少ない乗客の中で、今回の事件に関係がありそうな人間は見て取れない。
前の方の席に新聞を読みふけるビジネスマン風の四十代男性。
通路を挟んで真横には金髪が美しい母子。子供は携帯ゲーム機で音を消して遊んでいる。
あとは、三十歳くらいのドラゴンが母子の席のすぐ後ろに。羽根を畳んで行儀よく席に座っている。
誰もかれも、今回の事件とは無関係に国内へと来た者達の様に見受けられた。
だから、尚の事彼は不安になるのである。
(俺みたいな酔狂な奴は稀……実は今回の事件、国内への影響なんてそんなに無いんじゃないのか? いや、さすがにたまたま乗ったバスに俺同様現場へと向かう奴が居たりしたら、それこそとんでもない数の人間がガルーダイーター本部に向かってる事になるか……)
ひいては、こう思うのだ。
(単に俺が事件に過剰反応して、大騒ぎして現場に向かってる……だなんて凄いありそうな事が否応なしに頭に浮かんで来るんだよなぁ)
男はドラゴンについて深い思い入れがあるわけでもなければ、ガルーダイーターの様な歪んだ思想を持っているわけでもない。まして、レインと呼ばれている金眼のドラゴンの存在すら知らない彼が、これほどまでに自発的に事件に近づこうとしている事は、ある種の奇跡と言ってよかった。
味気なく言ってしまえばそれは偶然であり、彼と同じ様な境遇の者が彼と同じ様に公共の交通機関で現場へと向かっている可能性は十分にあり得た。
ただ、それでも唯一彼という存在を意味のあるものとして捉えるならば、それは”可能性”だった。
これから起こる出来事を、その結末を、何者にも縛られる事無く世界中へと発信する可能性が最も高い人物。
それが、この男である。
彼が現場に駆け付けた人々の数を見た時、物々しい機動隊との小競り合いを目の当たりにした時、果たしてどのような感想を抱くのか。
そんな事がどうでもよくなる程の出来事が、ガルーダイーター本部では起ころうとしていた。




